【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
8-5 ★ 惻隠と愛憐の情
「トーマ殿下。私と妻にかけた嫌疑を撤回して下さい」
トーマ殿下は無言で俺たちを睨んでいたが、目を細め、口元を三日月形に広げた。
「君は、自分が王子だと結婚前から知っていたのだろう?」
「存じていました」
「ミミさんが〝愛故に〟と語ったのが仮に真実として、君には下心があったのではないかい? 何故、ミミさんに結婚を申し込んだのか。君も〝愛故に〟と?」
薄っぺらい感情論では一笑に付される。愛について説かせると心が空っぽな聖職者は多い。「驕らず慎む」ことを亡き養父に諭されたが、これだけは主張したい。無学の者でも愛について語ることはできるが、人心の醜さの前では、読書量に裏打ちされた知識と語彙力がものを言うと。
「社交界を追われた彼女の境遇に惻隠と愛憐の情が募ったからです。私自身、王族から除け者にされたように感じていました」
俺はミミの肩を引き寄せた。嘘偽りない本心だ。
「妻は他者からの同情が苦手です。彼女に出生を明かすのが遅くなったのは、私の愛は同情と共感に過ぎないと、疑いを抱いて欲しくなかったからです」
「貴方の言葉を信じます、アル」
ミミは俺の目を見つめ、涙を拭った。
「私と妻への疑いは晴れましたか、トーマ殿下」
トーマ殿下は否定も肯定もしなかった。沈黙を以て肯定したのか。
「こ……このふざけた葬式を思いついたのは、君なのか? アルフレッド・リンドバーグ」
「いや、私だよ、トーマ」
ギョーム陛下は含み笑うと、ぎょっとするトーマ殿下から視線を逸らし、聖堂に集まった者たちへ一礼した。
「皆様にはご足労いただき申し訳ない。国の未来を憂いでこそ、チャールズを守る為の策なのです。何卒ご容赦とご理解をいただきたい。――チャールズ、お集まりいただいた皆様へご挨拶を」
陛下に声をかけられたチャールズは、背筋をぴんと伸ばした。
彼が眼鏡を外し、カツラを脱ぐと、あちこちから驚嘆の声が上がった。
「この度はご迷惑をおかけひ、誠ひ申し訳ございませむ」
一番大事なところで噛みまくり。流石チャールズ、然れどチャールズ。天然の弟が笑いを取りにくるとは不覚な。ふき出さないよう必死で堪えた。
「この通りチャールズは無事です。身を守る為、彼は変装をしていました」
ギョーム陛下は聖堂へ広く視線を渡らせながら語り始めた。
「皆様もご存じですね? チャールズに出された例の暗殺予告のことは」
暗殺予告を指示したのは陛下本人だと、この場にいる誰が思うことだろう。
「既に犯人に目星はついています。確証を得る為に、アルフレッドに協力を求めたのです。アルフレッドはチャールズを教会に匿ってくれました。先程までのチャールズの変装も、アルフレッドの考えなのです」
貴族達は誰もが「信じられない」と言った様子だ。
「父上」
十代前半とみられる黒髪碧眼の少年がトーマ殿下に声をかけた。
「チャールズ殿下はミミさんと裁判で争ったのでしたよね?」
「そ、そうだよ、ヒース」
――この子が、ヒース殿下か。
「リンドバーグ司祭は、チャールズ殿下を教会に匿うことで、よしなに計らって欲しいことがあったのではないですか?」
――何も無いよ。だがこのガキ、馬鹿じゃないらしい。
「いいえ、何もございません」
「ただで匿うわけがないでしょう。それとも先に謝礼を受け取っていたのですか」
「いいえ、何もいただいておりません。彼は教会で奉仕活動に専念しました」
「チャールズ殿下が奉仕? 彼は奉仕の意味をご存じなのですか?」
――なんだこのクソガキ。チャールズがヒースを嫌いな理由がよーく分かった。俺も大っ嫌いだ。ああ神様、今だけこの醜い心をお許しください。
チャールズは鋭い眼光でヒースを射貫いていた。
「ヒース殿下のお気持ちも分かります。私も最初、チャールズを匿うのは気が進みませんでした」
「では、神の御心に従ったのですか? ご苦労様です」
目上の人間を小馬鹿にしたような口調。礼儀作法を叩き直せと言ってやりたい。
「チャールズ殿下は妻を苦しめました。私も司祭ですが人間です。けれども神学校では、私怨を遠ざけ、己を律することを繰り返し恩師に諭され、精神の鍛錬に努めて参りました。血縁者の不義、私の愛する妻への加害という俗世の大罪の前でも、許しを認めることができるか。主は私に試練をお与えになったのだと、精神美の昇華に心を入れて参ったのです」
要は「許そうと結構頑張りました」なのだが、こういう生意気なガキを黙らせるには〝難解な発言〟が一番効く。その幼さでは理解できないことも、分かったフリをするのだ。
案の定ヒース殿下は「なるほど」と一言呈した後は、沈黙に徹した。知恵をつけた自尊心の高いガキは「無学がバレる」ことを恐れると、急に黙る傾向がある。
「チャールズ殿下が来たことで、私も司祭としての未熟さに気付き、彼への考えが変わりました。チャールズ殿下は教会での奉仕を通して、誠の隣人愛に目覚めたようなのです」
「教会での生活は人生の転機となりました。兄上のおかげです」
チャールズは俺へ歩み寄ると一礼した。
「ミミ。兄上とのご縁をくれた君に感謝申し上げます」
「お二人の良好な関係こそが、私の幸いでございます」
こういう時、咄嗟に出るミミの言葉に育ちの良さを感じる。教養とは台本のない礼節なのだ。
「アルフレッドが、チャールズの為に動いてくれたことが嬉しい。これこそ兄弟のあるべき姿だ。腹違いというだけで、私たちも気苦労を重ねてきたからね。そうだろう、トーマ?」
トーマと名を呼ぶ時、陛下は語気を強めた。彼の名が聖堂に反響する。
「チャールズが亡くなれば、アルフレッドが得をすると君は語った。アルフレッドが犯人でないならば、誰がチャールズの命を狙ったのだろう」
ギョーム陛下は真犯人を見つめながら訊ねた。
【つづく】
次話は明日更新します!
トーマ殿下は無言で俺たちを睨んでいたが、目を細め、口元を三日月形に広げた。
「君は、自分が王子だと結婚前から知っていたのだろう?」
「存じていました」
「ミミさんが〝愛故に〟と語ったのが仮に真実として、君には下心があったのではないかい? 何故、ミミさんに結婚を申し込んだのか。君も〝愛故に〟と?」
薄っぺらい感情論では一笑に付される。愛について説かせると心が空っぽな聖職者は多い。「驕らず慎む」ことを亡き養父に諭されたが、これだけは主張したい。無学の者でも愛について語ることはできるが、人心の醜さの前では、読書量に裏打ちされた知識と語彙力がものを言うと。
「社交界を追われた彼女の境遇に惻隠と愛憐の情が募ったからです。私自身、王族から除け者にされたように感じていました」
俺はミミの肩を引き寄せた。嘘偽りない本心だ。
「妻は他者からの同情が苦手です。彼女に出生を明かすのが遅くなったのは、私の愛は同情と共感に過ぎないと、疑いを抱いて欲しくなかったからです」
「貴方の言葉を信じます、アル」
ミミは俺の目を見つめ、涙を拭った。
「私と妻への疑いは晴れましたか、トーマ殿下」
トーマ殿下は否定も肯定もしなかった。沈黙を以て肯定したのか。
「こ……このふざけた葬式を思いついたのは、君なのか? アルフレッド・リンドバーグ」
「いや、私だよ、トーマ」
ギョーム陛下は含み笑うと、ぎょっとするトーマ殿下から視線を逸らし、聖堂に集まった者たちへ一礼した。
「皆様にはご足労いただき申し訳ない。国の未来を憂いでこそ、チャールズを守る為の策なのです。何卒ご容赦とご理解をいただきたい。――チャールズ、お集まりいただいた皆様へご挨拶を」
陛下に声をかけられたチャールズは、背筋をぴんと伸ばした。
彼が眼鏡を外し、カツラを脱ぐと、あちこちから驚嘆の声が上がった。
「この度はご迷惑をおかけひ、誠ひ申し訳ございませむ」
一番大事なところで噛みまくり。流石チャールズ、然れどチャールズ。天然の弟が笑いを取りにくるとは不覚な。ふき出さないよう必死で堪えた。
「この通りチャールズは無事です。身を守る為、彼は変装をしていました」
ギョーム陛下は聖堂へ広く視線を渡らせながら語り始めた。
「皆様もご存じですね? チャールズに出された例の暗殺予告のことは」
暗殺予告を指示したのは陛下本人だと、この場にいる誰が思うことだろう。
「既に犯人に目星はついています。確証を得る為に、アルフレッドに協力を求めたのです。アルフレッドはチャールズを教会に匿ってくれました。先程までのチャールズの変装も、アルフレッドの考えなのです」
貴族達は誰もが「信じられない」と言った様子だ。
「父上」
十代前半とみられる黒髪碧眼の少年がトーマ殿下に声をかけた。
「チャールズ殿下はミミさんと裁判で争ったのでしたよね?」
「そ、そうだよ、ヒース」
――この子が、ヒース殿下か。
「リンドバーグ司祭は、チャールズ殿下を教会に匿うことで、よしなに計らって欲しいことがあったのではないですか?」
――何も無いよ。だがこのガキ、馬鹿じゃないらしい。
「いいえ、何もございません」
「ただで匿うわけがないでしょう。それとも先に謝礼を受け取っていたのですか」
「いいえ、何もいただいておりません。彼は教会で奉仕活動に専念しました」
「チャールズ殿下が奉仕? 彼は奉仕の意味をご存じなのですか?」
――なんだこのクソガキ。チャールズがヒースを嫌いな理由がよーく分かった。俺も大っ嫌いだ。ああ神様、今だけこの醜い心をお許しください。
チャールズは鋭い眼光でヒースを射貫いていた。
「ヒース殿下のお気持ちも分かります。私も最初、チャールズを匿うのは気が進みませんでした」
「では、神の御心に従ったのですか? ご苦労様です」
目上の人間を小馬鹿にしたような口調。礼儀作法を叩き直せと言ってやりたい。
「チャールズ殿下は妻を苦しめました。私も司祭ですが人間です。けれども神学校では、私怨を遠ざけ、己を律することを繰り返し恩師に諭され、精神の鍛錬に努めて参りました。血縁者の不義、私の愛する妻への加害という俗世の大罪の前でも、許しを認めることができるか。主は私に試練をお与えになったのだと、精神美の昇華に心を入れて参ったのです」
要は「許そうと結構頑張りました」なのだが、こういう生意気なガキを黙らせるには〝難解な発言〟が一番効く。その幼さでは理解できないことも、分かったフリをするのだ。
案の定ヒース殿下は「なるほど」と一言呈した後は、沈黙に徹した。知恵をつけた自尊心の高いガキは「無学がバレる」ことを恐れると、急に黙る傾向がある。
「チャールズ殿下が来たことで、私も司祭としての未熟さに気付き、彼への考えが変わりました。チャールズ殿下は教会での奉仕を通して、誠の隣人愛に目覚めたようなのです」
「教会での生活は人生の転機となりました。兄上のおかげです」
チャールズは俺へ歩み寄ると一礼した。
「ミミ。兄上とのご縁をくれた君に感謝申し上げます」
「お二人の良好な関係こそが、私の幸いでございます」
こういう時、咄嗟に出るミミの言葉に育ちの良さを感じる。教養とは台本のない礼節なのだ。
「アルフレッドが、チャールズの為に動いてくれたことが嬉しい。これこそ兄弟のあるべき姿だ。腹違いというだけで、私たちも気苦労を重ねてきたからね。そうだろう、トーマ?」
トーマと名を呼ぶ時、陛下は語気を強めた。彼の名が聖堂に反響する。
「チャールズが亡くなれば、アルフレッドが得をすると君は語った。アルフレッドが犯人でないならば、誰がチャールズの命を狙ったのだろう」
ギョーム陛下は真犯人を見つめながら訊ねた。
【つづく】
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