【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-9 ★ 愛の理由を探るのは邪推
「恨みつらみ募らせていた御方なら、彼の死を望んでいてもおかしくはないでしょう。その涙は罪悪感ですか?」
悪魔は口元に仄かな笑みを湛えた。
トーマ殿下の背後に、カツコツコツと二人分の足音が近付く。
「トーマ殿下は私の娘を疑っているのですか」
「とんでもない誤解ですわ」
私の両親は、振り返ったトーマ殿下を真正面から見据えた。
「私は、ミミさんがリンドバーグ司祭と結婚したと聞いた時から不思議だったんですよ。社交界を退いてまで、ミミさんがリンドバーグ司祭に惚れ込んだ理由が分からなかった」
「愛に理由がいりますか」
「娘は最良の伴侶を選びましたわ」
両親が睨みをきかせると、トーマ殿下は俄に怯んだ。
「し、新聞を読みましたよ。リンドバーグ司祭は、ミミさんの初恋の相手だそうですね。初めからチャールズ殿下に愛情は無かったようだ」
否定する気は無い。遺書に綴った通り、姉のような気持ちでチャールズに接したのは本当だもの。
「ミミさんにとっては初恋だったとしても、夫のアルフレッド・リンドバーグは本当に貴女を愛していたのでしょうか、ミミさん?」
――本当にアルフレッドは自分を愛しているのか。
これまで一度も不安に駆られたことがないと言えば嘘になる。
「何か下心があって自分へ救いの手を差し伸べたのではないか、と考えたことは? 例えば名声を得るために。事実彼は、悲劇の女性である貴女を救ったことで、まるで英雄扱いだ」
「ミミの伴侶を侮辱するのはやめたまえ、トーマ」
ギョーム陛下がトーマ殿下へ詰め寄った。
「ミミさんの伴侶である以前に、貴方のご落胤でしょう、兄上」
――やはり知っていたのね。
ギョーム陛下が沈黙すると、トーマ殿下は勝ち誇った表情で聖堂の者達をぐるりと見回した。
「ここにお集まりの皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。陛下に隠し子がいるのではないか、と。アルフレッド・リンドバーグこそが、陛下のご落胤で、チャールズより先に生まれた腹違いの兄なのです」
愛する夫の最大の秘密が、今この時を以て明かされた。最も忌み嫌う人間の口から。参列者の吐息だけが聖堂へ埃のように舞っては積み重なる。まばたきの音すら聞こえそうなほど続いた静寂において、参列者の百通りには及ぶだろう素の表情を目にした。
「私は弟ですから、兄上のご心痛を誰より察しております。疑いたくない気持ちも、息子の行く末を心配するお気持ちも全て」
トーマ殿下は生温かい視線を、ギョーム陛下へ注ぐ。
「私はチャールズに暗殺の恐れがあると聞いてから、彼の身を案じ、後ろ暗いところのあるリンドバーグ夫妻の身辺を独自に調査していたのです」
――小者のザビエルを使って? 笑わせるわ。
「リンドバーグ夫妻は、チャールズ殿下のことをひどく憎んでおられるようでした。当然でしょう? ミミさんの裁判で、チャールズはお咎め無しだったのですから」
――それは邪推よ。私はチャールズを許したもの。
「リンドバーグ司祭はチャールズの暗殺を目論んでいたようです。妻の為、自分の為に。チャールズ亡き後、機会を見て自分が落胤であることを明かし、悲願の玉座を手に入れようとしていたのです」
――とんでもないでたらめを思いついたものね。
「ひょっとするとミミさんも司祭の思惑を承知の上で、ご結婚なされたのではないですか」
――知るわけないわ。彼が王の隠し子だと知ったのは結婚後よ。
「愛故に、彼と契りを交わしました」
「けれど貴方のご主人は、そばにいないではないですか」
――既視感がある。同じようなことを裁判でも言われたわ。
あの時はアルがオスカルと法廷へ飛び込んできたが、同じような救いが訪れるはずがない。なぜなら彼は。
「アルフレッド・リンドバーグはどこにいるのですか。貴女だけが弔問に訪れた理由を教えて下さい」
――なんて愚問かしら。
「ここにいます」
私は棺を指差した。
――誰も一目で分からなかったの? チャールズの服を着ていたら、誰も……。人のことなんて、皆ちゃんと見ていないのね。
「棺で眠っているのは、最愛の夫です」
私はたまらず棺に寄りかかった。
「アルフレッドがチャールズと間違えて殺されたんだわ」
他にどんな理由が考えられるだろう。
――アルフレッドはチャールズより少し背丈が高い。
今夏、二人が横並んで佇んでいる時に気付いた。兄弟でも特徴の異なる点は数え切れないほどある。アルの体格はチャールズよりも逞しく、肩幅も広い。
――この事実に気付いたのは、私だけ? ギョーム陛下も気付かなかったの? 息子の判別がつかないなんて。
ギョーム陛下が気付かなくても、ザックさんなら分かったはずだ。
――そういえばザックさんが「近いうちにまた」と言った。
港で別れ際にザックさんが残した言葉を思い出す。彼は「何が起こるか」知っていたのではないか。
――ザックさんはどこ?
ザックさんは聖堂の壁際にひっそりと佇んでいた。私の視線に気付いた彼は微笑み、こちらへ一礼した。その表情に悲しみの一片も見出せないが、彼の心が冷えていないことも、チャールズを誰より心配していたことも私は知っている。だからといってアルフレッドが身代わりで亡くなることを望んだはずがない。「夫婦の船出を祈って」と彼から心のこもった贈り物をいただいた。
それなのに、なぜ今、彼は微笑んだのか。
あの時「近いうちに会う」と知っていたのか。
――まさか。
慌てて棺を再度のぞく。頬を伝う私の涙が遺体の唇を濡らした。すると葡萄色の唇から赤い舌がのぞいて、私の涙を拭った。
「死んでしまえば良かった、とまた考えているだろう?」
彼の右手が私の左手をつかむ。あっという間に私は棺へひきずりこまれた。
「泣かないで、ミミ」
花の香が満ちる棺の中で、愛する人と深く吐息を重ねた。
【8章へつづく】
【第7章】をお読みいただきありがとうございます。
【第8章】では、アルフレッドの視点で、ここに至るまでの経緯が語られます。引き続きお楽しみいただければ嬉しいです。
悪魔は口元に仄かな笑みを湛えた。
トーマ殿下の背後に、カツコツコツと二人分の足音が近付く。
「トーマ殿下は私の娘を疑っているのですか」
「とんでもない誤解ですわ」
私の両親は、振り返ったトーマ殿下を真正面から見据えた。
「私は、ミミさんがリンドバーグ司祭と結婚したと聞いた時から不思議だったんですよ。社交界を退いてまで、ミミさんがリンドバーグ司祭に惚れ込んだ理由が分からなかった」
「愛に理由がいりますか」
「娘は最良の伴侶を選びましたわ」
両親が睨みをきかせると、トーマ殿下は俄に怯んだ。
「し、新聞を読みましたよ。リンドバーグ司祭は、ミミさんの初恋の相手だそうですね。初めからチャールズ殿下に愛情は無かったようだ」
否定する気は無い。遺書に綴った通り、姉のような気持ちでチャールズに接したのは本当だもの。
「ミミさんにとっては初恋だったとしても、夫のアルフレッド・リンドバーグは本当に貴女を愛していたのでしょうか、ミミさん?」
――本当にアルフレッドは自分を愛しているのか。
これまで一度も不安に駆られたことがないと言えば嘘になる。
「何か下心があって自分へ救いの手を差し伸べたのではないか、と考えたことは? 例えば名声を得るために。事実彼は、悲劇の女性である貴女を救ったことで、まるで英雄扱いだ」
「ミミの伴侶を侮辱するのはやめたまえ、トーマ」
ギョーム陛下がトーマ殿下へ詰め寄った。
「ミミさんの伴侶である以前に、貴方のご落胤でしょう、兄上」
――やはり知っていたのね。
ギョーム陛下が沈黙すると、トーマ殿下は勝ち誇った表情で聖堂の者達をぐるりと見回した。
「ここにお集まりの皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。陛下に隠し子がいるのではないか、と。アルフレッド・リンドバーグこそが、陛下のご落胤で、チャールズより先に生まれた腹違いの兄なのです」
愛する夫の最大の秘密が、今この時を以て明かされた。最も忌み嫌う人間の口から。参列者の吐息だけが聖堂へ埃のように舞っては積み重なる。まばたきの音すら聞こえそうなほど続いた静寂において、参列者の百通りには及ぶだろう素の表情を目にした。
「私は弟ですから、兄上のご心痛を誰より察しております。疑いたくない気持ちも、息子の行く末を心配するお気持ちも全て」
トーマ殿下は生温かい視線を、ギョーム陛下へ注ぐ。
「私はチャールズに暗殺の恐れがあると聞いてから、彼の身を案じ、後ろ暗いところのあるリンドバーグ夫妻の身辺を独自に調査していたのです」
――小者のザビエルを使って? 笑わせるわ。
「リンドバーグ夫妻は、チャールズ殿下のことをひどく憎んでおられるようでした。当然でしょう? ミミさんの裁判で、チャールズはお咎め無しだったのですから」
――それは邪推よ。私はチャールズを許したもの。
「リンドバーグ司祭はチャールズの暗殺を目論んでいたようです。妻の為、自分の為に。チャールズ亡き後、機会を見て自分が落胤であることを明かし、悲願の玉座を手に入れようとしていたのです」
――とんでもないでたらめを思いついたものね。
「ひょっとするとミミさんも司祭の思惑を承知の上で、ご結婚なされたのではないですか」
――知るわけないわ。彼が王の隠し子だと知ったのは結婚後よ。
「愛故に、彼と契りを交わしました」
「けれど貴方のご主人は、そばにいないではないですか」
――既視感がある。同じようなことを裁判でも言われたわ。
あの時はアルがオスカルと法廷へ飛び込んできたが、同じような救いが訪れるはずがない。なぜなら彼は。
「アルフレッド・リンドバーグはどこにいるのですか。貴女だけが弔問に訪れた理由を教えて下さい」
――なんて愚問かしら。
「ここにいます」
私は棺を指差した。
――誰も一目で分からなかったの? チャールズの服を着ていたら、誰も……。人のことなんて、皆ちゃんと見ていないのね。
「棺で眠っているのは、最愛の夫です」
私はたまらず棺に寄りかかった。
「アルフレッドがチャールズと間違えて殺されたんだわ」
他にどんな理由が考えられるだろう。
――アルフレッドはチャールズより少し背丈が高い。
今夏、二人が横並んで佇んでいる時に気付いた。兄弟でも特徴の異なる点は数え切れないほどある。アルの体格はチャールズよりも逞しく、肩幅も広い。
――この事実に気付いたのは、私だけ? ギョーム陛下も気付かなかったの? 息子の判別がつかないなんて。
ギョーム陛下が気付かなくても、ザックさんなら分かったはずだ。
――そういえばザックさんが「近いうちにまた」と言った。
港で別れ際にザックさんが残した言葉を思い出す。彼は「何が起こるか」知っていたのではないか。
――ザックさんはどこ?
ザックさんは聖堂の壁際にひっそりと佇んでいた。私の視線に気付いた彼は微笑み、こちらへ一礼した。その表情に悲しみの一片も見出せないが、彼の心が冷えていないことも、チャールズを誰より心配していたことも私は知っている。だからといってアルフレッドが身代わりで亡くなることを望んだはずがない。「夫婦の船出を祈って」と彼から心のこもった贈り物をいただいた。
それなのに、なぜ今、彼は微笑んだのか。
あの時「近いうちに会う」と知っていたのか。
――まさか。
慌てて棺を再度のぞく。頬を伝う私の涙が遺体の唇を濡らした。すると葡萄色の唇から赤い舌がのぞいて、私の涙を拭った。
「死んでしまえば良かった、とまた考えているだろう?」
彼の右手が私の左手をつかむ。あっという間に私は棺へひきずりこまれた。
「泣かないで、ミミ」
花の香が満ちる棺の中で、愛する人と深く吐息を重ねた。
【8章へつづく】
【第7章】をお読みいただきありがとうございます。
【第8章】では、アルフレッドの視点で、ここに至るまでの経緯が語られます。引き続きお楽しみいただければ嬉しいです。
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