【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-7 ★ こんなの嘘よ
日が高く昇るにつれて、朝焼けの小道から夜の影が消えていく。
昨夜降り続いた大雨で、王都への道は泥濘んでいた。
――これが夜なら、どこで事故が起こってもおかしくないわ。
フォルテ川は泥色の濁流だ。河川の上流と下流、どこで事故があったのだろう。こんな川に馬車が落ちたと思うとぞっとする。
橋を渡り、道なりに進むこと、しばらく。長い森を抜けると、巨大な塀に囲まれた王宮と、山の裾野のように広がる城下町が見えた。
「着いた、王都だ!」
「ここまで本当にありがとう、チャールズ」
「どういたしまして。さあ、大聖堂へ急ごう!」
王都に入った途端、人も馬車も急に多くなる。先程のように馬車を飛ばすことができず、チャールズはゆっくりと慎重に手綱を操った。
「ねぇ、あれ見て。ミミさんだわ」
「隣にいる女性は誰かしら?」
「ご友人のアラベラさんよ。新聞に載っていたわ」
「あの馬、オスカルくんじゃない?」
「司祭様と法廷に飛び込んだっていう?」
「オスカールくーん」
「ヒヒーン!」
沿道の人々から声をかけられた。オスカルは子供にも大人気だ。
「ねぇ、手綱を引いている男性は誰かしら?」
「さあ? ミミさんの知り合い?」
「使用人じゃないの?」
本当だったら一番目立つ人が、地味な反応である。
「ミミ、もうすぐ大聖堂だ!」
「とうとう着いたわね」
大聖堂の双塔には至るところに極彩色の硝子窓がはめ込まれ、階層ごとに天使と聖人の像が飾られている。双塔の中央の足元に設けられた大扉は開放されており、衛兵が警備にあたっていた。黒塗りの馬車が数台、大聖堂の入口に停まっており、喪服の者が次々に入場する。訃報を聞き、大聖堂に駆けつけた貴族たちだろう。
馬車を繋ぎ場に駐めると、私、チャールズ、アラベラは急いで大聖堂の玄関へ向かった。参列者を確認していた衛兵の一人と目が合う。
「ミ、ミミ様? 予定よりも随分お早いご到着ですね?」
「予定? 私がここへ来ると、誰かが仰ったのですか?」
「陛下がお迎えの馬車を出したと、うかがっていたもので」
私たち三人は顔を見合わせた。
「陛下が直々に迎えを? いいえ、来ていませんわ。チャールズ殿下の訃報を知り、我が家の馬車でここに到着したばかりです」
「左様でしたか。行き違いになったのかもしれませんね。ところでミミさん、後ろの御二方はどちら様ですか」
「こちらの御方は、夫の教会で研修中の神学生マイケルさんです。さる貴族のご出身ですわ。チャールズ殿下には恩義があるそうで、是非にも弔辞を申し上げたいと。彼女は、アラベラ・スチュワートさん。私を心配して付き添ってくださったの」
「貴女がミミ様のご友人のアラベラさんですね。新聞を読みました」
アラベラは物腰柔らかに会釈した。
「ミミ様。先程、キャベンディッシュ夫妻がご到着されましたよ」
――両親が先に到着しているのね。中に入りやすいわ。
幼い頃、訃報を聞いたら後回しにせず、すぐに動きなさいと両親に教わった。
「衛兵さん。弔問者は、チャールズ殿下の御尊顔をうかがうことは可能でしょうか」
「は、はい。陛下の特別な計らいで棺の蓋を開けております。ただし右目のお傷が酷くて、その……」
「右目を負傷されたの?」
「はい。お傷があまりに痛々しいので、弔問の皆様が驚かれないよう、眼帯をとりつけております。――さあ、どうぞ中へお進み下さい」
薔薇窓の光が降り注ぐ回廊を抜けて、聖堂の奥へ入る。長椅子には既に王侯貴族が着席しており、私の姿を見ると途端にざわついた。
「ミミ嬢よ」
「隣にいるのは、弁護士の娘じゃないか?」
「あの男は誰だ? リンドバーグ司祭ではないな」
社交界のひそひそ話が嫌いで嫌いでたまらなかったけど、久しぶりに聞くと虫唾が走るわ。苛立っていると「ミミ」とあたたかい声で名前を呼ばれた。棺に花を手向け終えたばかりの両親が、こちらへ近付いてくる。
「ミミも弔問に来たのだね?」
「ええ。チャールズ殿下にお別れの言葉をと」
「ミミなら来ると思っていたわ。そちらにいらっしゃるのは……アラベラさんね?」
「私が動揺していたから、心配して付き添ってくださったの」
「まぁ、そうだったの。ありがとう、アラベラさん」
アラベラはお辞儀をした。
「ミミ。その御方は? おや? 君をどこかで……」
父がツルリンことチャールズをじっと見る。
「わ、我が家で研修中の、神学生ツルリンさんよ」
「そうかい。ところでアルフレッド君は?」
「少々……事情があって。主人の代わりに私が先にお別れを、と。――あっ、私としたことが、慌てていてお悔やみの花を失念していたわ」
「故人を悼む気持ちが何よりも大事だよ。心からの言葉を棺に手向けなさい」
棺に一歩近付くごとに葬式花の香りが濃くなる。
――どうか、どうか、間違いであって欲しい。
恐る恐る棺の中をのぞく。
故人は軍服を装っていた。赤髪は花の露でしっとりと濡れており、右目は黒い眼帯で覆われている。眼帯の下から、痣と切り傷がのぞく。外傷および内出血だろう。
哀愁漂う青ざめた死に顔を見つめていると、私の世界から音が消えた。棺に収められた、一つの重大な事実に気付いてしまったからだ。
――こんなの嘘よ。
亡骸から目を逸らし、棺の前に膝をつく。浮世の儚さと残酷な現実に今はただ打ちひしがれる。近くにいながら助けられなかった、非力な自分を裁きたい衝動が胸の奥から突き上げた。
【つづく】
昨夜降り続いた大雨で、王都への道は泥濘んでいた。
――これが夜なら、どこで事故が起こってもおかしくないわ。
フォルテ川は泥色の濁流だ。河川の上流と下流、どこで事故があったのだろう。こんな川に馬車が落ちたと思うとぞっとする。
橋を渡り、道なりに進むこと、しばらく。長い森を抜けると、巨大な塀に囲まれた王宮と、山の裾野のように広がる城下町が見えた。
「着いた、王都だ!」
「ここまで本当にありがとう、チャールズ」
「どういたしまして。さあ、大聖堂へ急ごう!」
王都に入った途端、人も馬車も急に多くなる。先程のように馬車を飛ばすことができず、チャールズはゆっくりと慎重に手綱を操った。
「ねぇ、あれ見て。ミミさんだわ」
「隣にいる女性は誰かしら?」
「ご友人のアラベラさんよ。新聞に載っていたわ」
「あの馬、オスカルくんじゃない?」
「司祭様と法廷に飛び込んだっていう?」
「オスカールくーん」
「ヒヒーン!」
沿道の人々から声をかけられた。オスカルは子供にも大人気だ。
「ねぇ、手綱を引いている男性は誰かしら?」
「さあ? ミミさんの知り合い?」
「使用人じゃないの?」
本当だったら一番目立つ人が、地味な反応である。
「ミミ、もうすぐ大聖堂だ!」
「とうとう着いたわね」
大聖堂の双塔には至るところに極彩色の硝子窓がはめ込まれ、階層ごとに天使と聖人の像が飾られている。双塔の中央の足元に設けられた大扉は開放されており、衛兵が警備にあたっていた。黒塗りの馬車が数台、大聖堂の入口に停まっており、喪服の者が次々に入場する。訃報を聞き、大聖堂に駆けつけた貴族たちだろう。
馬車を繋ぎ場に駐めると、私、チャールズ、アラベラは急いで大聖堂の玄関へ向かった。参列者を確認していた衛兵の一人と目が合う。
「ミ、ミミ様? 予定よりも随分お早いご到着ですね?」
「予定? 私がここへ来ると、誰かが仰ったのですか?」
「陛下がお迎えの馬車を出したと、うかがっていたもので」
私たち三人は顔を見合わせた。
「陛下が直々に迎えを? いいえ、来ていませんわ。チャールズ殿下の訃報を知り、我が家の馬車でここに到着したばかりです」
「左様でしたか。行き違いになったのかもしれませんね。ところでミミさん、後ろの御二方はどちら様ですか」
「こちらの御方は、夫の教会で研修中の神学生マイケルさんです。さる貴族のご出身ですわ。チャールズ殿下には恩義があるそうで、是非にも弔辞を申し上げたいと。彼女は、アラベラ・スチュワートさん。私を心配して付き添ってくださったの」
「貴女がミミ様のご友人のアラベラさんですね。新聞を読みました」
アラベラは物腰柔らかに会釈した。
「ミミ様。先程、キャベンディッシュ夫妻がご到着されましたよ」
――両親が先に到着しているのね。中に入りやすいわ。
幼い頃、訃報を聞いたら後回しにせず、すぐに動きなさいと両親に教わった。
「衛兵さん。弔問者は、チャールズ殿下の御尊顔をうかがうことは可能でしょうか」
「は、はい。陛下の特別な計らいで棺の蓋を開けております。ただし右目のお傷が酷くて、その……」
「右目を負傷されたの?」
「はい。お傷があまりに痛々しいので、弔問の皆様が驚かれないよう、眼帯をとりつけております。――さあ、どうぞ中へお進み下さい」
薔薇窓の光が降り注ぐ回廊を抜けて、聖堂の奥へ入る。長椅子には既に王侯貴族が着席しており、私の姿を見ると途端にざわついた。
「ミミ嬢よ」
「隣にいるのは、弁護士の娘じゃないか?」
「あの男は誰だ? リンドバーグ司祭ではないな」
社交界のひそひそ話が嫌いで嫌いでたまらなかったけど、久しぶりに聞くと虫唾が走るわ。苛立っていると「ミミ」とあたたかい声で名前を呼ばれた。棺に花を手向け終えたばかりの両親が、こちらへ近付いてくる。
「ミミも弔問に来たのだね?」
「ええ。チャールズ殿下にお別れの言葉をと」
「ミミなら来ると思っていたわ。そちらにいらっしゃるのは……アラベラさんね?」
「私が動揺していたから、心配して付き添ってくださったの」
「まぁ、そうだったの。ありがとう、アラベラさん」
アラベラはお辞儀をした。
「ミミ。その御方は? おや? 君をどこかで……」
父がツルリンことチャールズをじっと見る。
「わ、我が家で研修中の、神学生ツルリンさんよ」
「そうかい。ところでアルフレッド君は?」
「少々……事情があって。主人の代わりに私が先にお別れを、と。――あっ、私としたことが、慌てていてお悔やみの花を失念していたわ」
「故人を悼む気持ちが何よりも大事だよ。心からの言葉を棺に手向けなさい」
棺に一歩近付くごとに葬式花の香りが濃くなる。
――どうか、どうか、間違いであって欲しい。
恐る恐る棺の中をのぞく。
故人は軍服を装っていた。赤髪は花の露でしっとりと濡れており、右目は黒い眼帯で覆われている。眼帯の下から、痣と切り傷がのぞく。外傷および内出血だろう。
哀愁漂う青ざめた死に顔を見つめていると、私の世界から音が消えた。棺に収められた、一つの重大な事実に気付いてしまったからだ。
――こんなの嘘よ。
亡骸から目を逸らし、棺の前に膝をつく。浮世の儚さと残酷な現実に今はただ打ちひしがれる。近くにいながら助けられなかった、非力な自分を裁きたい衝動が胸の奥から突き上げた。
【つづく】
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