【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
6-6 ★ 悪魔を道連れに
チャールズ殿下が危ない。私は危険を知らせるため、すぐに王都を発った。ザビエルに一言も告げなかった為に逆に怪しまれないか心配だったけれど、あんな冷酷な男、顔も見たくない。
乗合馬車の揺れに身を任せながら、王都で見たことをはじめから回想する。一つも取りこぼさずにリンドバーグ夫婦へ伝えなければならない。手帳に書き留めようとしたが、馬車に揺られているうちに胃がむかむかした。
「あんた、真っ青だよ」
「こりゃ、車酔いだね」
「少し横になった方が良いよ」
親切なご婦人たちが席を広く空けて、私を横に寝かせてくれた。謝罪と感謝を伝えながら吐き気と闘う。
――馬車に酔うことなんて今まで一度もなかったのに。気持ちの問題だろうか。
夏の西日がまぶしいので目を閉じる。視界が真っ暗になると鬱々とした気持ちが加速した。
どれくらい目を閉じていたのだろう。意識が深淵へ落ちていくのを感じた。再び目を開けると、私は横長い洞窟に立っていた。おそらく人工的な空間だろうが誰もいない。洞窟には一段下がったところに溝があり、ハシゴを寝かせて横一列に並べたような鉄製の物体があった。
――これは……線路?
線路という言葉はどこの国の言葉だったろう。はたと我に返ったその時、周囲が急に騒々しくなった。どこから沸いて出たのか、洞窟には数え切れない老若男女がひしめいている。
単調な音楽が鳴り響き、洞窟の奥からこちらへ光が迫ってきた。停車した長い乗り物の窓に私の姿が映っている。
一つに束ねた長い黒髪、不機嫌そうな眼、下三角の襟と胸元のリボンに目が留まった。
――これは誰? 窓に映る私の姿が違う。夢を見ているのかしら?
乗り物が洞窟の奥へ走り去ると、私を映し出す鏡は無くなってしまった。この世界の謎を知る手がかりは他にないのだろうか。
「奈代。あんたやばいんじゃない?」
私と背中合わせの線路の前に、二人の少女が佇んでいた。襟にリボンのついた同じ服を着ている。一人は眼鏡をかけ、もう一人は黒髪をお団子に束ねていた。声をかけようとしたが、
「やばいって、何がよ」
眼鏡の子が顔をしかめる。込み入った話のようなので、私は柱の影に身を潜めた。
――眼鏡の子が、奈代? どこかで見たような。
奈代という言語の形が頭に浮かぶ。なぜ読める、なぜ分かる?
「あんたが教室で泣いて、美名さんを責めたから、こんなことになったんでしょ?」
――美名。私……その子のことを知っている。
黒髪の儚げな少女の面持ちが頭に浮かんだ。
「こっちは自殺なんかされて迷惑極まりないわ」
「死んだ人に迷惑とか言う? 愛琉と同じくらい最低ね」
――愛琉? なにこの嫌悪感。誰なの? 思い出せない。
全身が燃えるような熱を帯び、心臓が早鐘を打ち出した。
「私のせいじゃないわ。美名は良樹先生と付き合っていたのよ。自殺の原因は失恋よ」
――良樹先生。私、その人のことも知っている。なぜ?
黒髪碧眼の青年が頭に浮かんだ。
「私、見たんだから。美名と良樹先生が図書室に二人きりで恋人みたいに話しているのを。美名は良樹先生に振られて首をくくった。私は関係ないわ」
「あんたの法螺話には付き合っていられないわ。――あ、電車来た」
奈代を問い詰めていた少女は、彼女へ軽蔑の眼差しをくべると電車で去った。
私は一人になった奈代の背中にそっと接近した。彼女へ一歩近付くごとに、蓋をした記憶が走馬灯のように蘇る。夕方の教室で、この女が泣きながら美名を責め立てたのだ。
――ああ、思い出した。なんてずる賢い女なのだろう。
狡猾なやり口で、加害者から被害者に転じた奈代は、まんまとクラスメイトの同情を買った。
――こいつは悪魔だ。
無実の美名を悪者に仕立て上げたのだ。
「奈代。あんたが美名を殺したのよ」
奈代は私へ振り返ると刮目した。
「愛琉? いつからそこに?」
悪魔のような女が、大嫌いな名前で〝私〟を呼んだ。
――愛琉、愛琉、愛琉。ああ、嫌な響き!
得体の知れない嫌悪感は、自分へ向けたものだったのだ。
「あんただって美名の悪口を言ったわ、愛琉!」
――そう。私は言葉で人を殺してしまった。
「私は美名に謝ったわ! みんな見ていたじゃない。それでも美名が〝許さない〟って言ったのよ」
「いいえ、美名はずっと黙っていたわ」
「違うわ。私は被害者で、加害者は死んだ美名よ。キリスト教なら自殺は大罪だわ」
――本当の大罪人は誰だ。
ここが法廷なら、この女も私も裁かれる加害者だ。
「二番線に電車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください」
停車場に注意喚起が鳴り響き、ガタタンゴトトンという車輪の音が近付いた。がらんとしていた駅構内に再び人が集まる。
「あんたの妄言に付き合ってらんないわ、愛琉」
奈代は次の電車に乗るようだ。その時、やけに勘が冴えた。この女は明日学校に来ない。明日も、明後日も。今日を限りに私たちの前から姿を消すだろう。転校してのうのうと明日を生きていく。
――逃がすものか。私も、あんたも。
私は奈代の手をつかんだ。
「愛琉? なんのつもり?」
「さあ、行きましょう」
私は悪魔を道連れにして、線路に飛び込んだ。
「ぎゃあああ! た、助けて!」
悪魔が手を伸ばしたのは、黄色い線の内側で私たちを見ていた、同級生の男子だ。彼は突然の出来事に硬直している。
――さようなら、晴樹くん。
私は逃げたのだ。「この悪魔を逃がすものか」という私の正義心は裏を返せば絶望で、人を自殺に至らしめた罪からの遁走に他ならなかった。なんて浅ましいのだろう、私。
――今度こそ逃げずに、私は罪を償いたい。
【7章へつづく】
6章【アラベラ編】をお読みいただきありがとうございます。
7章【ミミ編】に是非ご期待ください。
このエピソードは、晴樹視点の「3-4 ★ 狂い咲きの花の記憶」と対になっています。
乗合馬車の揺れに身を任せながら、王都で見たことをはじめから回想する。一つも取りこぼさずにリンドバーグ夫婦へ伝えなければならない。手帳に書き留めようとしたが、馬車に揺られているうちに胃がむかむかした。
「あんた、真っ青だよ」
「こりゃ、車酔いだね」
「少し横になった方が良いよ」
親切なご婦人たちが席を広く空けて、私を横に寝かせてくれた。謝罪と感謝を伝えながら吐き気と闘う。
――馬車に酔うことなんて今まで一度もなかったのに。気持ちの問題だろうか。
夏の西日がまぶしいので目を閉じる。視界が真っ暗になると鬱々とした気持ちが加速した。
どれくらい目を閉じていたのだろう。意識が深淵へ落ちていくのを感じた。再び目を開けると、私は横長い洞窟に立っていた。おそらく人工的な空間だろうが誰もいない。洞窟には一段下がったところに溝があり、ハシゴを寝かせて横一列に並べたような鉄製の物体があった。
――これは……線路?
線路という言葉はどこの国の言葉だったろう。はたと我に返ったその時、周囲が急に騒々しくなった。どこから沸いて出たのか、洞窟には数え切れない老若男女がひしめいている。
単調な音楽が鳴り響き、洞窟の奥からこちらへ光が迫ってきた。停車した長い乗り物の窓に私の姿が映っている。
一つに束ねた長い黒髪、不機嫌そうな眼、下三角の襟と胸元のリボンに目が留まった。
――これは誰? 窓に映る私の姿が違う。夢を見ているのかしら?
乗り物が洞窟の奥へ走り去ると、私を映し出す鏡は無くなってしまった。この世界の謎を知る手がかりは他にないのだろうか。
「奈代。あんたやばいんじゃない?」
私と背中合わせの線路の前に、二人の少女が佇んでいた。襟にリボンのついた同じ服を着ている。一人は眼鏡をかけ、もう一人は黒髪をお団子に束ねていた。声をかけようとしたが、
「やばいって、何がよ」
眼鏡の子が顔をしかめる。込み入った話のようなので、私は柱の影に身を潜めた。
――眼鏡の子が、奈代? どこかで見たような。
奈代という言語の形が頭に浮かぶ。なぜ読める、なぜ分かる?
「あんたが教室で泣いて、美名さんを責めたから、こんなことになったんでしょ?」
――美名。私……その子のことを知っている。
黒髪の儚げな少女の面持ちが頭に浮かんだ。
「こっちは自殺なんかされて迷惑極まりないわ」
「死んだ人に迷惑とか言う? 愛琉と同じくらい最低ね」
――愛琉? なにこの嫌悪感。誰なの? 思い出せない。
全身が燃えるような熱を帯び、心臓が早鐘を打ち出した。
「私のせいじゃないわ。美名は良樹先生と付き合っていたのよ。自殺の原因は失恋よ」
――良樹先生。私、その人のことも知っている。なぜ?
黒髪碧眼の青年が頭に浮かんだ。
「私、見たんだから。美名と良樹先生が図書室に二人きりで恋人みたいに話しているのを。美名は良樹先生に振られて首をくくった。私は関係ないわ」
「あんたの法螺話には付き合っていられないわ。――あ、電車来た」
奈代を問い詰めていた少女は、彼女へ軽蔑の眼差しをくべると電車で去った。
私は一人になった奈代の背中にそっと接近した。彼女へ一歩近付くごとに、蓋をした記憶が走馬灯のように蘇る。夕方の教室で、この女が泣きながら美名を責め立てたのだ。
――ああ、思い出した。なんてずる賢い女なのだろう。
狡猾なやり口で、加害者から被害者に転じた奈代は、まんまとクラスメイトの同情を買った。
――こいつは悪魔だ。
無実の美名を悪者に仕立て上げたのだ。
「奈代。あんたが美名を殺したのよ」
奈代は私へ振り返ると刮目した。
「愛琉? いつからそこに?」
悪魔のような女が、大嫌いな名前で〝私〟を呼んだ。
――愛琉、愛琉、愛琉。ああ、嫌な響き!
得体の知れない嫌悪感は、自分へ向けたものだったのだ。
「あんただって美名の悪口を言ったわ、愛琉!」
――そう。私は言葉で人を殺してしまった。
「私は美名に謝ったわ! みんな見ていたじゃない。それでも美名が〝許さない〟って言ったのよ」
「いいえ、美名はずっと黙っていたわ」
「違うわ。私は被害者で、加害者は死んだ美名よ。キリスト教なら自殺は大罪だわ」
――本当の大罪人は誰だ。
ここが法廷なら、この女も私も裁かれる加害者だ。
「二番線に電車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください」
停車場に注意喚起が鳴り響き、ガタタンゴトトンという車輪の音が近付いた。がらんとしていた駅構内に再び人が集まる。
「あんたの妄言に付き合ってらんないわ、愛琉」
奈代は次の電車に乗るようだ。その時、やけに勘が冴えた。この女は明日学校に来ない。明日も、明後日も。今日を限りに私たちの前から姿を消すだろう。転校してのうのうと明日を生きていく。
――逃がすものか。私も、あんたも。
私は奈代の手をつかんだ。
「愛琉? なんのつもり?」
「さあ、行きましょう」
私は悪魔を道連れにして、線路に飛び込んだ。
「ぎゃあああ! た、助けて!」
悪魔が手を伸ばしたのは、黄色い線の内側で私たちを見ていた、同級生の男子だ。彼は突然の出来事に硬直している。
――さようなら、晴樹くん。
私は逃げたのだ。「この悪魔を逃がすものか」という私の正義心は裏を返せば絶望で、人を自殺に至らしめた罪からの遁走に他ならなかった。なんて浅ましいのだろう、私。
――今度こそ逃げずに、私は罪を償いたい。
【7章へつづく】
6章【アラベラ編】をお読みいただきありがとうございます。
7章【ミミ編】に是非ご期待ください。
このエピソードは、晴樹視点の「3-4 ★ 狂い咲きの花の記憶」と対になっています。
「恋愛」の人気作品
書籍化作品
-
-
1
-
-
59
-
-
0
-
-
52
-
-
444
-
-
310
-
-
27026
-
-
37
-
-
140
コメント