【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

6-3 ★ とんでもない悪党と再会しました

 翌朝、迎えに来たザビエルと共に、乗合馬車で王都へ向かった。とはいえザビエルと会話をする気になんてなれない。道中は寝たふりをすることにした。

 ――王都で仕事なんて嘘だ。ザビエルの首根っこをつかんでやる。

 ザビエルの不誠実な証拠をつかんだら、即婚約破棄しなくては。
 数時間後、馬車は王都の停車場に到着した。

「アラベラ。書店の前まで送ります」
「ザビエルはお仕事なのでしょう。私は大丈夫だから。書店の隣の喫茶店で待ち合わせね」
「分かりました。ではまた」

 ザビエルが私へ背を向ける。賑やかな場所なので、通行人に紛れて容易に尾行できそうだ。万が一の為、私は髪をほどいて伊達眼鏡をかけ、薄手の上着を羽織った。簡易の変装だけど、ザビエルが振り返っても私だとは気付かないだろう。

 ザビエルは煉瓦造りの建物へ入った。【数学喫茶】と看板がかかっている。

 ――聞いたことがあるわ。王都では喫茶店で数学をたしなむのが流行りだと。へぇ、ここがそうなのね。

 窓から店内を伺う。紳士、淑女、年齢もばらばらの客層だ。分厚い数学書や、解法の殴り書きされた手帳が机に何冊も広げられている。問題は解かず、紅茶を飲んでいるだけのお客さんもいた。数学に集中している者たちは、新しい客が来ても気に留める様子は無い。湯気立つ紅茶がテーブルの隅に追いやられている。

 ――これなら潜入できそう。ザビエルは……あっ、通路の奥へ行っちゃった。

 姿を見失うわけにはいかないので私も店に入る。お客さんだけでなく、店員まで数学の問題に夢中になっており、私に声をかけようともしない。このすきにと店の奥へ進むと、扉が等間隔に並んだ空間に出た。話し声の聞こえる部屋へ、ゆっくりと近付く。

 ――ザビエルの声。この部屋だわ!

 通路の外からでは会話の内容をうかがえない。ここにたたずんでいては怪しまれてしまう。

 ――となり部屋なら聞こえるかしら。

 人の気配がしないので試しに扉を開けてみる。どうやら無人のようだ。身を滑り込ませ、壁に耳をぴたりとつけた。

 ――うーん。聞こえない。ああ、この壁がもう少し薄ければ良かったのになぁ。

「そこで何をしているんですか?」

 部屋の暗がりから声が聞こえた。無人だと思っていたので腰を抜かしてしまう。闇に紛れていた人物が私の前に姿を現す。白髪で髭面ひげづらの、眼鏡をかけた男性だ。

 ――誰! この怪しい人! 私も十分怪しいけど!

 長い沈黙が続く。髭面ひげづらの男は、私へ二、三歩近付くと、真正面からまじまじと見た。

貴女あなた……もしやアラベラ・スチュワートさん?」
「えっ、ち、ちち、違いますよ!」
「ああ、やっぱりスチュワートさんですね」
貴方あなた、誰よ? 以前会ったことがある?」
「い、いえ。一度も面識はございませんよ」
「嘘だわ。私がアラベラとすぐに分かったじゃない。髭面ひげづらの割には声が若いわ」

 男の白髭に伸ばした手が空を切る。

「な、何をするんですか」
「おひげが曲がってますわよ。むしってさしあげるわ」
「や、やめろ! 僕にさわるな! あっ」

 ひげをつかむつもりが男の髪をつかんでしまった。カツラと眼鏡が足元に転がる。

貴方あなた……まさか」

 忘れもしない顔だ。付けひげをつけている以外は。

「シモン・コスネキン? な、なな、なんでここにいるのよ」

 彼は大きな溜め息を吐き、まゆをつり上げた。

「その切は大変お世話になりました。裁判で引導をくれたこと、おかげで豚箱にぶちこまれたことに感謝申し上げますよ。アラベラ・スチュワート」

 シモンは冷たい視線で私を射貫いぬく。再び沈黙が続いた。

「そ、そのひげは本物だったのね?」
「違いますよ!」

 シモンはひげをベリッとひっぺがした。

【つづく】



★備考
アラベラが潜入した【数学喫茶】は、かつて英国で流行した【コーヒー・ハウス】をモデルにしています。数学の講義が開かれるハウスもありました。英国のコーヒー・ハウスは女人禁制でしたが、本作では史実に基づく慣例を緩和して物語を展開しています。



【アラベラと悪党の腐れ縁エピソード、プレイバック▼】   

【第1幕】
8章-4 ★ 世の中には広めてはいけない民間伝承がある
9章-5 ★ ミミの初恋

【第2幕】
3章-7  ★フリルエプロンの悲劇

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