【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
5-7 ★ 怪しさ最高潮
結婚式から帰宅した翌日のこと。
朝食後、俺は書斎で説教文の下書きを始めた。
「私の言葉と思いが、御心にかないますように」
説教文を書く前には必ず祈りを捧げる。説教は聖職者のみに許された行為で、按手式文にも明記されている。説教文の書き方を教えてくれたのは養父だ。
昔、養父から「説教風の論文を書いてみなさい」と指示されることが度々あったので、自信作を仕上げては添削を求めた。
「この文章からは、おまえの心の声が聞こえてくる」
ある朝、養父ポールは渋い顔で溜め息を吐いた。
「な、なんて聞こえるの、父さん?」
「俺の文章、上手いだろう? って。これが司祭を目指す者の言葉かい?」
文章から漂う驕りの一片まで、養父には全てを見透かされていた。
「愛と奉仕について説くならば無学の者でも出来る。おまえがこれを書けたのは縁のあった良書のおかげだろう」
養父の言う「無学の者」は俺自身を指していた。良書と縁が無ければ何も書けない者であることを自覚させられた瞬間であった。
「祈りと感謝の言葉が足りないのだ。学生にしても作家にしても、知恵をつけてきた執筆者が必ずといって良いほど踏む轍だ。いいかい、アルフレッド。無知の知から遠ざかった識者から距離を置き、難しい言葉を開いて説くことに努め、常に謙遜しなさい。高慢は言葉に滲み出る。良い本から学びを得たら黙想し、著者に感謝を捧げなさい。そうすればおのずと自分だけの言葉が出てくる。――はい、やりなおし」
様々な題材の文章を書かされた。情報を受け取るだけでなく、あらゆる視点で物事を捉えて考える力を俺に養ってくれたのだ。養父の愛情を思い出しながら執筆を続ける。説教文の中盤、とある箇所の表現に悩んでいると、コンコンと扉が鳴った。
「アル、紅茶を持ってきたわ」
「ありがとう、ミミ」
扉を開けると、ミミは俺の書斎机に紅茶の盆を載せる。
「ミミの紅茶を飲むとほっとする。少し行き詰まっていたから嬉しいよ」
「悩み事? 説教の下書きね?」
「喪失から来る悲しみと、人心の醜さの違いで、思索に耽っていたところ」
「悲しみと醜さ?」
「〝暗澹たる感情〟とひとくくりには言えても、人の心は千差万別だ。例えば家族を亡くす悲しみは喪失から来る感情だ。人のものを盗むことや妬むことは醜さだ。醜さと悲しみは意識的に分けて説教を書かないと、混沌を極めてしまう」
「暗澹たる感情を昇華して、愛を説くのは本当に骨が折れることなのね」
「筆も折れそうだよ。この世には悲しみも醜さもありふれているから」
「ねぇ、私もここで本を読んでいていい? アルのそばにいたいの」
「どうぞ。俺もミミがそばにいると落ち着くよ」
ミミは読書を、俺は下書きの続きを始めた。どれくらい時間が経ったろう。紅茶をちょうど飲み干した時に玄関の呼び鈴が鳴った。来客だろうかと俺とミミは一階へ下りる。先にナンシーが来客に対応してくれていた。玄関先に二人の男女が佇んでいる。
――アラベラとザビエル!
ザビエルは朗らかな表情だが、アラベラは口元に笑みを湛えながらも不安げな面持ちだ。
「ジェフの結婚式では大変お世話になりました、司祭様、奥様」
ザビエルが一礼した。花婿ジェフの友人でありながら、彼の妻オリーブと不倫をし、アラベラと婚約している稀代の浮気男だ。それだけでなく、ザビエルはトーマ殿下の間諜である。
――ここが前世の日本ならば、塩を撒いてこの男を追い払いたいくらいだ。
「お客様ですか。あっ」
台所から現れたツルリンは、客人を見た途端に凍り付いた。顔に出やすいこの弟が余計なことを口走らないことを神に祈る。
「先日はありがとうございました、ツルリンさん」
アラベラが頭を下げると、ツルリンは「いえ、あの、その」とあたふたした。
「こちらの方とお知り合いなのかい、アラベラ? そういえば君とは、結婚式でも会いましたね。その切はご挨拶が疎かになり、申し訳ない。アラベラの婚約者、ザビエル・ピーターソンでございます」
「マイケル・ツルリンでふ」
――ツルリン、噛んでるぞ。
「ツルリンさんは神学生ですよね? どうして司祭様のお宅に?」
「あ、えっと、それは」
「彼は、我が家で研修中です。勉強熱心で素晴らしい学生ですよ」
ツルリンの代わりに俺が答えた。
「そうでしたか。リンドバーグ司祭様の元で勉学に励まれるとは、なんて幸運な方だろう」
「は、はぃ。とてもお世話になってまふ」
ツルリンは張り付いた笑顔でザビエルと握手を交わす。
――ツルリンとザビエルを会わせたのはまずかったか。
一抹の不安を覚えていると、ザビエルが「司祭様」と俺へ視線を移した。
「ジェフの結婚式で申した通り、僕たちの結婚はぜひ司祭様に執り行ってもらいたいのです。僕は今、隣町に住んでいるのですが、結婚後はこのアンダンテに越してくるつもりです」
――おまえみたいな不届き者が来ると、町の平穏が脅かされるのだが?
「アラベラも、親友のミミ様やご両親と離れて暮らすのは辛いでしょうから」
ミミとアラベラは微妙な表情で向かい合っている。ほんと、この二人はいろいろあったからな。
「結婚後は、舅となるロビン弁護士の元で学ばせていただくつもりです。弁護士とはいえ駆け出しですから」
――とんでもない弁護士の卵がいたもんだ。
「駆け足で恐縮ですが、これから仕事ですので失礼致します。本日は取り急ぎ挨拶にうかがいました。結婚式の日取りなどは司祭様のご都合がつく日に相談しましょう。そうだろう、アラベラ?」
「え、ええ」
アラベラに覇気が無い。婚約者のザビエルの顔色をうかがうような仕草ばかりで、一切の喜びを感じられなかった。
――アラベラは、ザビエルの本性や思惑に気付いているのか? いや、どうだろう。
アラベラとザビエルを見送り、玄関扉を閉じる。
青ざめたツルリンに目配せ、とりあえず弟の秘密が守られたことに胸をなで下ろした。
「アル、ツルリン。二人とも何か隠しているでしょう?」
ミミの鋭い指摘に、思わず肩がはね上がる。
「えっ、あ、いや、その……」
「なにも! なにもないでふ!」
ツルリンが噛んだせいで怪しさが最高潮。
「さあ、お話ししていただきましょうか」
ナンシーの眼鏡がキラリと光った。
【つづく】
■参考文献
『今さら聞けない!? キリスト教:聖書・聖書朗読・説教編 (ウイリアムス神学館叢書 2』
黒田裕著/教文館/二〇一八年七月
朝食後、俺は書斎で説教文の下書きを始めた。
「私の言葉と思いが、御心にかないますように」
説教文を書く前には必ず祈りを捧げる。説教は聖職者のみに許された行為で、按手式文にも明記されている。説教文の書き方を教えてくれたのは養父だ。
昔、養父から「説教風の論文を書いてみなさい」と指示されることが度々あったので、自信作を仕上げては添削を求めた。
「この文章からは、おまえの心の声が聞こえてくる」
ある朝、養父ポールは渋い顔で溜め息を吐いた。
「な、なんて聞こえるの、父さん?」
「俺の文章、上手いだろう? って。これが司祭を目指す者の言葉かい?」
文章から漂う驕りの一片まで、養父には全てを見透かされていた。
「愛と奉仕について説くならば無学の者でも出来る。おまえがこれを書けたのは縁のあった良書のおかげだろう」
養父の言う「無学の者」は俺自身を指していた。良書と縁が無ければ何も書けない者であることを自覚させられた瞬間であった。
「祈りと感謝の言葉が足りないのだ。学生にしても作家にしても、知恵をつけてきた執筆者が必ずといって良いほど踏む轍だ。いいかい、アルフレッド。無知の知から遠ざかった識者から距離を置き、難しい言葉を開いて説くことに努め、常に謙遜しなさい。高慢は言葉に滲み出る。良い本から学びを得たら黙想し、著者に感謝を捧げなさい。そうすればおのずと自分だけの言葉が出てくる。――はい、やりなおし」
様々な題材の文章を書かされた。情報を受け取るだけでなく、あらゆる視点で物事を捉えて考える力を俺に養ってくれたのだ。養父の愛情を思い出しながら執筆を続ける。説教文の中盤、とある箇所の表現に悩んでいると、コンコンと扉が鳴った。
「アル、紅茶を持ってきたわ」
「ありがとう、ミミ」
扉を開けると、ミミは俺の書斎机に紅茶の盆を載せる。
「ミミの紅茶を飲むとほっとする。少し行き詰まっていたから嬉しいよ」
「悩み事? 説教の下書きね?」
「喪失から来る悲しみと、人心の醜さの違いで、思索に耽っていたところ」
「悲しみと醜さ?」
「〝暗澹たる感情〟とひとくくりには言えても、人の心は千差万別だ。例えば家族を亡くす悲しみは喪失から来る感情だ。人のものを盗むことや妬むことは醜さだ。醜さと悲しみは意識的に分けて説教を書かないと、混沌を極めてしまう」
「暗澹たる感情を昇華して、愛を説くのは本当に骨が折れることなのね」
「筆も折れそうだよ。この世には悲しみも醜さもありふれているから」
「ねぇ、私もここで本を読んでいていい? アルのそばにいたいの」
「どうぞ。俺もミミがそばにいると落ち着くよ」
ミミは読書を、俺は下書きの続きを始めた。どれくらい時間が経ったろう。紅茶をちょうど飲み干した時に玄関の呼び鈴が鳴った。来客だろうかと俺とミミは一階へ下りる。先にナンシーが来客に対応してくれていた。玄関先に二人の男女が佇んでいる。
――アラベラとザビエル!
ザビエルは朗らかな表情だが、アラベラは口元に笑みを湛えながらも不安げな面持ちだ。
「ジェフの結婚式では大変お世話になりました、司祭様、奥様」
ザビエルが一礼した。花婿ジェフの友人でありながら、彼の妻オリーブと不倫をし、アラベラと婚約している稀代の浮気男だ。それだけでなく、ザビエルはトーマ殿下の間諜である。
――ここが前世の日本ならば、塩を撒いてこの男を追い払いたいくらいだ。
「お客様ですか。あっ」
台所から現れたツルリンは、客人を見た途端に凍り付いた。顔に出やすいこの弟が余計なことを口走らないことを神に祈る。
「先日はありがとうございました、ツルリンさん」
アラベラが頭を下げると、ツルリンは「いえ、あの、その」とあたふたした。
「こちらの方とお知り合いなのかい、アラベラ? そういえば君とは、結婚式でも会いましたね。その切はご挨拶が疎かになり、申し訳ない。アラベラの婚約者、ザビエル・ピーターソンでございます」
「マイケル・ツルリンでふ」
――ツルリン、噛んでるぞ。
「ツルリンさんは神学生ですよね? どうして司祭様のお宅に?」
「あ、えっと、それは」
「彼は、我が家で研修中です。勉強熱心で素晴らしい学生ですよ」
ツルリンの代わりに俺が答えた。
「そうでしたか。リンドバーグ司祭様の元で勉学に励まれるとは、なんて幸運な方だろう」
「は、はぃ。とてもお世話になってまふ」
ツルリンは張り付いた笑顔でザビエルと握手を交わす。
――ツルリンとザビエルを会わせたのはまずかったか。
一抹の不安を覚えていると、ザビエルが「司祭様」と俺へ視線を移した。
「ジェフの結婚式で申した通り、僕たちの結婚はぜひ司祭様に執り行ってもらいたいのです。僕は今、隣町に住んでいるのですが、結婚後はこのアンダンテに越してくるつもりです」
――おまえみたいな不届き者が来ると、町の平穏が脅かされるのだが?
「アラベラも、親友のミミ様やご両親と離れて暮らすのは辛いでしょうから」
ミミとアラベラは微妙な表情で向かい合っている。ほんと、この二人はいろいろあったからな。
「結婚後は、舅となるロビン弁護士の元で学ばせていただくつもりです。弁護士とはいえ駆け出しですから」
――とんでもない弁護士の卵がいたもんだ。
「駆け足で恐縮ですが、これから仕事ですので失礼致します。本日は取り急ぎ挨拶にうかがいました。結婚式の日取りなどは司祭様のご都合がつく日に相談しましょう。そうだろう、アラベラ?」
「え、ええ」
アラベラに覇気が無い。婚約者のザビエルの顔色をうかがうような仕草ばかりで、一切の喜びを感じられなかった。
――アラベラは、ザビエルの本性や思惑に気付いているのか? いや、どうだろう。
アラベラとザビエルを見送り、玄関扉を閉じる。
青ざめたツルリンに目配せ、とりあえず弟の秘密が守られたことに胸をなで下ろした。
「アル、ツルリン。二人とも何か隠しているでしょう?」
ミミの鋭い指摘に、思わず肩がはね上がる。
「えっ、あ、いや、その……」
「なにも! なにもないでふ!」
ツルリンが噛んだせいで怪しさが最高潮。
「さあ、お話ししていただきましょうか」
ナンシーの眼鏡がキラリと光った。
【つづく】
■参考文献
『今さら聞けない!? キリスト教:聖書・聖書朗読・説教編 (ウイリアムス神学館叢書 2』
黒田裕著/教文館/二〇一八年七月
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