【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
4-2 ★ これは新婚旅行?
「こんな猛暑に出かけなきゃならないなんて」
荷物を馬車に積みながら、長袖のアルがぼやいた。説教台、燭台、聖水、聖杯、等々。小旅行にはかさばる荷物ばかりだ。
――結婚式のお仕事も大変だわ、ほんと。
新郎がこの教会区の信徒で、当初はうちの礼拝堂で挙式の予定だった。けれども花嫁が「海の見える綺麗なところで挙式したい」と希望したので、隣町の浜辺に場所を変更した。「結婚式は絶対教会で」と厳しい規定を設ける国もあるけれど、ヴェルノーン国教会は「司祭が立ち合えば、野原でも良い」と寛容だ。その為、アルは結婚式に必要な道具一切を荷台に載せて、式場に向かわなければならない。「野原でも」とは言うが、案外荷物がある。
ようやく準備が整い、出発の正午となった。留守番のナンシーは塀の外まで見送りに出てくれた。
「道中の安全をお祈りしています」
「頼んだよ、ナンシー。行ってくる」
アルが御者席に着こうとしたが。
「僕に馬を引かせてください」
「じゃあ、頼む」
アルはチャールズに手綱を渡した。馬車はのどかな牧草地帯を風のように抜けていく。荷台で本を読んでいたアルは、私の隣で転た寝を始めた。木漏れ日降り注ぐ中、私は目を閉じる。好きな人の吐息と温もりを誰より近くで独占できた。
「兄上、ミミ? あっ……寝てる」
――チャールズ、前を見てね。よそ見しないで。
本当は起きているけれど、私は寝たふりを続けることにした。
「二人が幸せそうで良かった。こんな時間が、ずっと続けば良いのに」
目を閉じているからこそ分かった。チャールズの独り言に喜びがあふれていることに。彼は一人で鼻歌演奏会を始めた。音痴なので何の曲かは分からないが、意外に演目が多い。
チャールズは政には疎いけれど、芸術への造詣が深い。そんな天下人が前世の日本にもいた。古都の東、本当は銀色と噂の月見の御殿を思い浮かべる。月夜の静寂に幽玄の美を見出した将軍と、チャールズが重なった。
一時間ほど経った頃、潮の香りがした。海沿いの道を進むことしばらく、馬車は港町リタルダンドへ入る。海岸線は三日月状の弧を描き、町を守るように広がる山々は緑深い。斜面に作られた住居も、海に近い建物も、白壁と蜜柑色の屋根瓦を葺いている。西日が町をより鮮やかに彩っていた。
「わあ、綺麗!」
「絶景だな」
「町全体が夕日色ですね」
「ヒヒ-ン!」
港には多くの小舟がつけられていた。小綺麗な服の男女や家族連れが乗降しているところを見るに、避暑でここを訪れる者が多いようだ。
――お金持ちの観光客ばかりね。貴族もいるみたい。
さらに道を進むと、明日、結婚式を挙げる浜辺が見えてきた。家族連れや男女が海水浴を楽しんでいる。浜沿いの端っこ「セイレーン」と看板のかかった三階建ての宿で停車する。この宿の一階は地元民も利用する食堂で、魚料理が美味しいと評判だそうだ。
「いらっしゃい! あっ、リンドバーグご夫妻だね? 新聞で見た通りだ!」
外を掃いていたエプロン姿の女性が、荷台の私たちへ身を乗り出した。
「遠路はるばるようこそ、私は女将のヴァネッサだ」
「お世話になります。あの、馬車はどこに駐めれば良いですか」
「厩へご案内するよ」
女将の案内で馬車を厩へ。荷台とオスカルを切り離す。
「随分と大荷物だ。盗まれたら大変だし、倉庫へ移動しますね」
荷台は宿の裏手の倉庫へ運ばれた。女将が倉庫に鍵をかける。
「花嫁が教会でなく浜辺で結婚式を望んだんだって? ハインツ司祭様から聞いたよ」
ハインツ司祭。港町リタルダンド教会区を担当する司祭の名前だ。
「本当はハインツ司祭が式を執り行うこともできたのですが……」
「ハインツ司祭様は年だから、夏に屋外で挙式なんざ無理さ。熱さで倒れちまう」
「はい、そう仰っていました。けれど教会区の担当司祭ですから、これからご挨拶にうかがいます」
「司祭様は今夜もうちに来るよ。常連なのさ」
「そうでしたか。ハインツ司祭が〝この宿のお料理は絶品だ〟と手紙で教えてくださったのです」
「そりゃ嬉しい、ご贔屓に感謝。さあ、お部屋へご案内するよ」
三階の通路には扉が三つ並んでいた。まずチャールズが階段に近い部屋へ通される。開放された窓から、潮騒と共に夕風が舞い込む。
「なんて気持ちの良い部屋だろう! ありがとう女将さん」
「喜んでいただけて良かった。リンドバーグさんのお部屋は隣ですよ」
広々とした二人部屋だ。真鍮の飾りがついた生成りの調度品、二人用の寝台、夕焼けの水平線を一望できる大きな窓からは海鳥の歌が聞こえる。
――アルと二人部屋。しかもこんな景色の美しい部屋に! こ、これは新婚旅行?
「眺めの良い部屋で良かったね、ミミ」
「ええ。素晴らしいわ!」
「お気に召して何より。六時に食堂に夕食をご用意しますね。それまで、ごゆっくり」
女将さんが部屋を出る。急に二人きりになり、少し気恥ずかしくなってしまった。
「さてと。旅行の荷物を整理しますか」
机に置いた旅行鞄へ手を伸ばす。
「それは後でもいいんじゃない?」
「えっ」
後ろからアルに、そっと抱きしめられた。
【つづく】
荷物を馬車に積みながら、長袖のアルがぼやいた。説教台、燭台、聖水、聖杯、等々。小旅行にはかさばる荷物ばかりだ。
――結婚式のお仕事も大変だわ、ほんと。
新郎がこの教会区の信徒で、当初はうちの礼拝堂で挙式の予定だった。けれども花嫁が「海の見える綺麗なところで挙式したい」と希望したので、隣町の浜辺に場所を変更した。「結婚式は絶対教会で」と厳しい規定を設ける国もあるけれど、ヴェルノーン国教会は「司祭が立ち合えば、野原でも良い」と寛容だ。その為、アルは結婚式に必要な道具一切を荷台に載せて、式場に向かわなければならない。「野原でも」とは言うが、案外荷物がある。
ようやく準備が整い、出発の正午となった。留守番のナンシーは塀の外まで見送りに出てくれた。
「道中の安全をお祈りしています」
「頼んだよ、ナンシー。行ってくる」
アルが御者席に着こうとしたが。
「僕に馬を引かせてください」
「じゃあ、頼む」
アルはチャールズに手綱を渡した。馬車はのどかな牧草地帯を風のように抜けていく。荷台で本を読んでいたアルは、私の隣で転た寝を始めた。木漏れ日降り注ぐ中、私は目を閉じる。好きな人の吐息と温もりを誰より近くで独占できた。
「兄上、ミミ? あっ……寝てる」
――チャールズ、前を見てね。よそ見しないで。
本当は起きているけれど、私は寝たふりを続けることにした。
「二人が幸せそうで良かった。こんな時間が、ずっと続けば良いのに」
目を閉じているからこそ分かった。チャールズの独り言に喜びがあふれていることに。彼は一人で鼻歌演奏会を始めた。音痴なので何の曲かは分からないが、意外に演目が多い。
チャールズは政には疎いけれど、芸術への造詣が深い。そんな天下人が前世の日本にもいた。古都の東、本当は銀色と噂の月見の御殿を思い浮かべる。月夜の静寂に幽玄の美を見出した将軍と、チャールズが重なった。
一時間ほど経った頃、潮の香りがした。海沿いの道を進むことしばらく、馬車は港町リタルダンドへ入る。海岸線は三日月状の弧を描き、町を守るように広がる山々は緑深い。斜面に作られた住居も、海に近い建物も、白壁と蜜柑色の屋根瓦を葺いている。西日が町をより鮮やかに彩っていた。
「わあ、綺麗!」
「絶景だな」
「町全体が夕日色ですね」
「ヒヒ-ン!」
港には多くの小舟がつけられていた。小綺麗な服の男女や家族連れが乗降しているところを見るに、避暑でここを訪れる者が多いようだ。
――お金持ちの観光客ばかりね。貴族もいるみたい。
さらに道を進むと、明日、結婚式を挙げる浜辺が見えてきた。家族連れや男女が海水浴を楽しんでいる。浜沿いの端っこ「セイレーン」と看板のかかった三階建ての宿で停車する。この宿の一階は地元民も利用する食堂で、魚料理が美味しいと評判だそうだ。
「いらっしゃい! あっ、リンドバーグご夫妻だね? 新聞で見た通りだ!」
外を掃いていたエプロン姿の女性が、荷台の私たちへ身を乗り出した。
「遠路はるばるようこそ、私は女将のヴァネッサだ」
「お世話になります。あの、馬車はどこに駐めれば良いですか」
「厩へご案内するよ」
女将の案内で馬車を厩へ。荷台とオスカルを切り離す。
「随分と大荷物だ。盗まれたら大変だし、倉庫へ移動しますね」
荷台は宿の裏手の倉庫へ運ばれた。女将が倉庫に鍵をかける。
「花嫁が教会でなく浜辺で結婚式を望んだんだって? ハインツ司祭様から聞いたよ」
ハインツ司祭。港町リタルダンド教会区を担当する司祭の名前だ。
「本当はハインツ司祭が式を執り行うこともできたのですが……」
「ハインツ司祭様は年だから、夏に屋外で挙式なんざ無理さ。熱さで倒れちまう」
「はい、そう仰っていました。けれど教会区の担当司祭ですから、これからご挨拶にうかがいます」
「司祭様は今夜もうちに来るよ。常連なのさ」
「そうでしたか。ハインツ司祭が〝この宿のお料理は絶品だ〟と手紙で教えてくださったのです」
「そりゃ嬉しい、ご贔屓に感謝。さあ、お部屋へご案内するよ」
三階の通路には扉が三つ並んでいた。まずチャールズが階段に近い部屋へ通される。開放された窓から、潮騒と共に夕風が舞い込む。
「なんて気持ちの良い部屋だろう! ありがとう女将さん」
「喜んでいただけて良かった。リンドバーグさんのお部屋は隣ですよ」
広々とした二人部屋だ。真鍮の飾りがついた生成りの調度品、二人用の寝台、夕焼けの水平線を一望できる大きな窓からは海鳥の歌が聞こえる。
――アルと二人部屋。しかもこんな景色の美しい部屋に! こ、これは新婚旅行?
「眺めの良い部屋で良かったね、ミミ」
「ええ。素晴らしいわ!」
「お気に召して何より。六時に食堂に夕食をご用意しますね。それまで、ごゆっくり」
女将さんが部屋を出る。急に二人きりになり、少し気恥ずかしくなってしまった。
「さてと。旅行の荷物を整理しますか」
机に置いた旅行鞄へ手を伸ばす。
「それは後でもいいんじゃない?」
「えっ」
後ろからアルに、そっと抱きしめられた。
【つづく】
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