【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

3-7 ★ フリルエプロンの悲劇

 アラベラ・スチュワートと初めて出会ったのは、シモン・コスネキンの裁判でのことだ。キャベンディッシュ夫妻に盛られた毒薬の件で、証人として呼ばれていた。証言台で堂々と発言する彼女の姿は印象的だった。彼女は確かにロビン弁護士の血を引いている。

「まぁ、ツルリンさんだったのですね。急に起き上がるものだから驚きましたわ」

 アラベラは、ほっと胸をなで下ろす。

 ――新聞には、ミミとアラベラは友人だと書かれていたな。

 この町に来てから二人が一緒にいる姿は見たことが無いけれど、スチュワート家とは仲が良いのだろう。でなければ料理教室で、アラベラが兄上にエプロンをかしてくれたりはしない。

 ――そういえばあのエプロン、まだ返していなかったな。

 兄上は夜中にこっそり洗濯しようとした。僕が婦人会長さんから借りた分も合わせて、二枚。成り行きとはいえ「フリルエプロンを着た」ことを、妻のミミには知られたくないようだ。

 けれどエプロンを取り出す兄上を、ミミがうっかり目撃したものだから、さあ大変。水を飲もうと一階に下りた僕も、衝撃の現場に居合わせてしまった。真夏の夜がにわか吹雪ふぶいたようだった。

貴方あなた、そういうご趣味の人だったの、アル?」

 兄上にかたよった性癖せいへきがあると勘違いをさせてはいけない。

「ち、違うんだ、ミミ! そのフリルエプロンは兄上あにうえの趣味じゃない! アラベラさんのものなんだ!」

 兄上の名誉を守りたい一心で放った言葉だったが。

「え? なんでアルが、アラベラのエプロンを持っているのよ」

 あらぬ誤解を招いてしまった。

「りょ、料理教室で、ケーキを作る時に借りたんだ!」

 兄上が慌てて弁明したが、ミミはキッとまなじりをつり上げた。

「どこの世界に、フリルエプロンを着てケーキをつくる司祭がいるのよ!」
「俺です! 俺がいます! 不可抗力ふかこうりょくでした!」
「二枚目の予備まで持っている理由は?」
「ツルリンも着たんだってば!」
「男二人でフリルエプロ~ン? ますます信じられないわ。浮気ならもっとましな嘘をいてよ! ああ神様、うちの旦那が変なんですうぅぅ――!」

 ミミは礼拝堂に立てこもり、兄上はなんとか信じてもらおうとフリルエプロンを着たり脱いだりして無実を訴えた。エプロンが大きめに作られていたことが幸いし、「兄上にぴったり、兄上にしか着こなせないフリルエプロン」と誤解は解けて現在に至る。

 ――リンドバーグ家の、フリルエプロンの悲劇ひげきを僕は忘れない。

「あの、ツルリンさん。さっきから神妙な顔をされていますけど、どうされました?」
「いえ、ちょっと。それはそうとアラベラさんはどうしてこんな森の奥へ?」
「薬草を摘んでいたんです」

 アラベラの持つ籠の中には、摘まれたばかりの薬草が紐で束ねられていた。

「この薬草は何に使うのですか?」
「料理に使うものと、お薬として調合するものです」
「自分で調合を?」
「はい。調合したものがこちらに」

 アラベラは籠の中から、小瓶を取り出す。

「お茶にすると飲みやすい、滋養にも効果のある薬草なんですよ。薬草摘みがてら、これを知人の家へ届けにいくところだったんです」
「知人に?」
「カリンさんという女の子ですわ。身体が悪くて、ご両親と一緒に空気が綺麗なこの森に住んでいるんです」
「その少女なら存じています。司祭様とお見舞いにうかがいましたので」
「ご一緒に行きます?」
是非ぜひ。僕もあの子のことが気がかりでした」

 僕は馬の手綱を取ると、アラベラと一緒に森の小道を歩き始めた。女性に歩かせて自分だけ馬に乗るのは紳士らしくない。アラベラと一緒に馬に乗るのも気が引けた。馬の速さに慣れてしまったせいか、徒歩だと時間が三倍遅く感じる。

「ツルリンさんは研修中だそうですね。この町には慣れました?」
「おかげさまで。リンドバーグご夫妻に、いろいろ教えてもらっています」
「ご夫妻は、本当にお優しい方々でしょう」
「そうですね、夫婦が仲睦なかむつまじいのは良いことだと思います」
「私も……ご夫妻のような関係にあこがれていました」
あこがれていた? 過去形なのは、なぜ?」
「望んでいた幸いとは違ったので、喜べなくて」
「貴女は……その、ご結婚されていたのですか?」
「いいえ。独身ですわ。婚約者はできましたけど」

 それきり会話が途切れてしまう。

 ――婚約者ができた? ということは、最近?

 なんだか気まずい沈黙のまま森の中を歩くこと数分、煙突のある煉瓦造れんがづくりの平屋が見えてきた。家の前に馬を繋ぎ、呼鈴を鳴らしたが返事は無い。

「どなたかいらっしゃいませんか! 変ね、今日はいらっしゃるはずなのに」

 アラベラがもう一度呼鈴を鳴らした。すると部屋の中からドタバタと荒い足音が近付いてきて、玄関扉が勢いよく開けられた。この家の奥さんで、お見舞いにうかがった病弱な娘さんの母だ。彼女は汗だくで、目には涙の膜が張っており、白髪交じりの長い黒髪は梳かれた様子もなく乱れていた。なんだか様子がおかしい。

「た、助けて。助けてください!」
「一体どうされたのですか、奥さん!」

 アラベラが奥さんの肩に手を添え、訊ねた。

「娘の発作が始まって……苦しそうで……」

 部屋の奥から子どもの激しい咳払いが聞こえてくる。奥さんの案内で、僕とアラベラは急ぎ寝室へ向かった。

【つづく】

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