【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
3-4 ★ 狂い咲きの花の記憶
黄昏時の図書室は春めいていた。内庭の桜が満開だからだろう。窓辺に大小二つの人影を見つけた。良樹と黒髪の女子生徒だ。少女の横顔を見た瞬間、何か冷たい感情が忽ち僕を襲った。
――お葬式の夢で、弔われていた少女。これは……あの子が生きている時の夢?
二人は楽しそうに話し込んでいる。声をかけるのがためらわれた僕は、書棚に身を隠すと、二人の様子をそっとうかがった。
「不時現象ってなんですか、先生?」
「桜が春以外に狂い咲くことだよ」
良樹が窓を開けると、狂い桜の花弁が降り注いだ。話したい相手は良樹だったはずなのに、不時の庭に心奪われる少女から目が離せない。
「桜、ついているよ」
良樹が少女の髪に触れる。照れた表情の二人を見て、互いに惹かれあっていると気付いた。
――教師と生徒が惹かれ合うなんて最低だ。
得体の知れない嫌悪感が僕の意識を乗っ取り、固く蓋をしていた記憶の箱を解き放つ。
「流石、愛の子。母たちが、良樹を嫌うわけだ」
僕の口は怨嗟を吐いていた。「愛の子」とは身内がよく使う差別用語で〝混血児〟のことだ。
――嗚呼、思い出した。何もかも。
僕の母は長女で、良樹の母親は次女。自分より早く英国人と結婚した妹を母は妬んでいた。母は婿養子を取り、本家を継ぐ運命から逃れることはできなかったというのに。
良樹と晴樹。従兄弟の僕らに名前を付けたのは、家長の良晴である。
「おまえが本家の長男なのに。まるで二番目みたい。お父様は良樹にべったりだし」
祖父の良晴は、僕にあまり関心が無いようだ。良樹は父親の影響で英語も話せるし、本好きで僕よりずっと優秀だ。「僕を見て」と、お祖父様に願い、何に励んでも評価は変わらない。
――「僕を見て」なんて、もう誰にも望むものか。美名にも。
僕の片思いは、狂い咲きの桜とともに散った。良樹に恋する美名の姿を見るのが耐えられなくなり、僕は足早に図書室の入り口へ戻った。
扉の窓に僕の顔が反射していた。学ランを着た冴えない顔の中坊だ。
――この晴樹という〝木偶の坊〟が前世の僕なんだな。
激しい憤怒の感情が、扉の窓にヒビを入れる。
闇が僕を食らったかと思うと、線香と葬式花の香りがどこからともなく漂ってきた。
――この夢は。以前見た、お葬式の……。
列を成す参列者たち。最前列の良樹は棺を前に涙を流している。参列した〝僕ら〟へ振り返った良樹の眼差しには、刺さるような叱責と憤怒の感情が湛えられていた。
「The devil looks after his own. 嘘吐きが沢山だ」
良樹が僕のそばをスッと通り過ぎる。嘘吐き呼ばわりされたことに周囲の生徒は動揺し、言い訳と罪のなすりつけ合いを始めた。
「良樹兄さん!」
僕は彼の背中を追った。葬祭場の入り口で、良樹兄さんは立ち止まった。
「加害者も傍観者も、堂々と葬式に参列とは。〝自分は悪くない〟と無罪の主張に来たのか?  〝賢くて真面目で優しかった〟と悔やむ振りをする人間もな。悪魔は嘘を吐いて自分の身を守る」
良樹兄さんが、ゆっくりと僕へ振り返る。
「でも、おまえはずっと黙っていたね。晴樹?」
探るような、責めるような眼差しに、血縁者への親愛は微塵も感じられない。
――僕は助けなかった。あの子が……美名が好きだったのに。
僕も同罪だ。いじめの傍観者として彼女を見殺しにした。
「俺の周りは嘘吐きばかりだから、美名さんの辛さが分かったんだ。君のお母さんは、口では俺を褒めるけど〝良樹は所詮、愛の子〟なんだろう? いつの時代の言葉だよ」
――恥ずかしい。身内が吐いた教養の無い陰口が。
「正月にも盆にも二度と本家に行きたくない。皆、人の一面しか見ないんだ。強そうな人も、両面を見れば本当は弱い。美名さんは脆くて優しい子だった」
何を言われても反論しない美名は「お高くとまっている」と陰口を叩かれていた。
「どうして憎まれるヤツほど世に憚って、優しい人間ほど早く死んでしまうんだろうな」
「それは……違うよ、良樹兄さん」
傘も差さずに駐車場へ歩き出した良樹兄さんへ手を伸ばす。振り返らない彼を「待って」と呼び止めて、雨の中へ駆け出した。
「優しくない人間も、早く死ぬし、自殺もするよ」
――それは自分のことか。いや、違う。
晴樹には死を選ぶ狂気も度胸も無かった。
「僕は見たんだ。美名さんを死に追いやった人間が、自ら死ぬ瞬間を」
視界が涙で満ち、拭っても拭っても滲む。良樹兄さんの姿は暗い雨の中に消えた。
「その人は、悪魔を道連れにしたよ」
あれは美名が亡くなった後、帰宅途中の駅で起こった不幸だった。
急停止する車輪の音は、女性の金切り声と似ていた。眼鏡をかけた女子生徒が、救いを求めて僕へ片手を伸ばす。道連れにされた悪魔と目が合ってしまったのが僕の運のツキだったのだろう。
加害者は悪魔の手を引いて列車に飛び込んだ。
吹っ飛んだ眼鏡の硝子片が僕の頬を切る。
――さようなら、奈代、愛琉。
線路は二人分の遺体で血の海と化した。
【つづく】
――お葬式の夢で、弔われていた少女。これは……あの子が生きている時の夢?
二人は楽しそうに話し込んでいる。声をかけるのがためらわれた僕は、書棚に身を隠すと、二人の様子をそっとうかがった。
「不時現象ってなんですか、先生?」
「桜が春以外に狂い咲くことだよ」
良樹が窓を開けると、狂い桜の花弁が降り注いだ。話したい相手は良樹だったはずなのに、不時の庭に心奪われる少女から目が離せない。
「桜、ついているよ」
良樹が少女の髪に触れる。照れた表情の二人を見て、互いに惹かれあっていると気付いた。
――教師と生徒が惹かれ合うなんて最低だ。
得体の知れない嫌悪感が僕の意識を乗っ取り、固く蓋をしていた記憶の箱を解き放つ。
「流石、愛の子。母たちが、良樹を嫌うわけだ」
僕の口は怨嗟を吐いていた。「愛の子」とは身内がよく使う差別用語で〝混血児〟のことだ。
――嗚呼、思い出した。何もかも。
僕の母は長女で、良樹の母親は次女。自分より早く英国人と結婚した妹を母は妬んでいた。母は婿養子を取り、本家を継ぐ運命から逃れることはできなかったというのに。
良樹と晴樹。従兄弟の僕らに名前を付けたのは、家長の良晴である。
「おまえが本家の長男なのに。まるで二番目みたい。お父様は良樹にべったりだし」
祖父の良晴は、僕にあまり関心が無いようだ。良樹は父親の影響で英語も話せるし、本好きで僕よりずっと優秀だ。「僕を見て」と、お祖父様に願い、何に励んでも評価は変わらない。
――「僕を見て」なんて、もう誰にも望むものか。美名にも。
僕の片思いは、狂い咲きの桜とともに散った。良樹に恋する美名の姿を見るのが耐えられなくなり、僕は足早に図書室の入り口へ戻った。
扉の窓に僕の顔が反射していた。学ランを着た冴えない顔の中坊だ。
――この晴樹という〝木偶の坊〟が前世の僕なんだな。
激しい憤怒の感情が、扉の窓にヒビを入れる。
闇が僕を食らったかと思うと、線香と葬式花の香りがどこからともなく漂ってきた。
――この夢は。以前見た、お葬式の……。
列を成す参列者たち。最前列の良樹は棺を前に涙を流している。参列した〝僕ら〟へ振り返った良樹の眼差しには、刺さるような叱責と憤怒の感情が湛えられていた。
「The devil looks after his own. 嘘吐きが沢山だ」
良樹が僕のそばをスッと通り過ぎる。嘘吐き呼ばわりされたことに周囲の生徒は動揺し、言い訳と罪のなすりつけ合いを始めた。
「良樹兄さん!」
僕は彼の背中を追った。葬祭場の入り口で、良樹兄さんは立ち止まった。
「加害者も傍観者も、堂々と葬式に参列とは。〝自分は悪くない〟と無罪の主張に来たのか?  〝賢くて真面目で優しかった〟と悔やむ振りをする人間もな。悪魔は嘘を吐いて自分の身を守る」
良樹兄さんが、ゆっくりと僕へ振り返る。
「でも、おまえはずっと黙っていたね。晴樹?」
探るような、責めるような眼差しに、血縁者への親愛は微塵も感じられない。
――僕は助けなかった。あの子が……美名が好きだったのに。
僕も同罪だ。いじめの傍観者として彼女を見殺しにした。
「俺の周りは嘘吐きばかりだから、美名さんの辛さが分かったんだ。君のお母さんは、口では俺を褒めるけど〝良樹は所詮、愛の子〟なんだろう? いつの時代の言葉だよ」
――恥ずかしい。身内が吐いた教養の無い陰口が。
「正月にも盆にも二度と本家に行きたくない。皆、人の一面しか見ないんだ。強そうな人も、両面を見れば本当は弱い。美名さんは脆くて優しい子だった」
何を言われても反論しない美名は「お高くとまっている」と陰口を叩かれていた。
「どうして憎まれるヤツほど世に憚って、優しい人間ほど早く死んでしまうんだろうな」
「それは……違うよ、良樹兄さん」
傘も差さずに駐車場へ歩き出した良樹兄さんへ手を伸ばす。振り返らない彼を「待って」と呼び止めて、雨の中へ駆け出した。
「優しくない人間も、早く死ぬし、自殺もするよ」
――それは自分のことか。いや、違う。
晴樹には死を選ぶ狂気も度胸も無かった。
「僕は見たんだ。美名さんを死に追いやった人間が、自ら死ぬ瞬間を」
視界が涙で満ち、拭っても拭っても滲む。良樹兄さんの姿は暗い雨の中に消えた。
「その人は、悪魔を道連れにしたよ」
あれは美名が亡くなった後、帰宅途中の駅で起こった不幸だった。
急停止する車輪の音は、女性の金切り声と似ていた。眼鏡をかけた女子生徒が、救いを求めて僕へ片手を伸ばす。道連れにされた悪魔と目が合ってしまったのが僕の運のツキだったのだろう。
加害者は悪魔の手を引いて列車に飛び込んだ。
吹っ飛んだ眼鏡の硝子片が僕の頬を切る。
――さようなら、奈代、愛琉。
線路は二人分の遺体で血の海と化した。
【つづく】
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