【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
8-2 ★ 鼻がのびちゃえ!
廊下の向こうからやってきた十人弱の集団。
その中心にいる男女は、なんと。
――チャールズとダーシー! ああ、なんて間の悪い。
二人を囲んでいるのは、護衛、弁護士、裁判所の職員のようだ。執行官のシモンもそばにいる。護衛らしき者たちが荷物を抱えているので、裁判所に到着したばかりのようだ。
――こんなところで鉢合わせなんて。
私は踵を返そうとしたが。
――敵に背中を見せるの? 逃げてどうする、ミミ・リンドバーグ!
顔を上げ、胸を張って堂々と歩き出した。
「ミミ?」
チャールズが真っ先に気付いて私を指差す。
――こらこら。出会い頭に人を指差すな。ほんっと教養が無いわね。
無礼はともかく、チャールズは怯えた小犬のように肩を震わせていた。
――あら、思っていたよりも弱っているわね。本当にチャールズ? 影武者なんて人件費のかかるもの、いたかしら。
脆弱そうなチャールズに比べ、隣の女ときたら。絹織りの深紅のドレスが滑らかな光沢を放つ。蛇のようにうねる長い焦げ茶色の髪は、黒リボンで束ねられていた。ここを舞踏会と勘違いしているのではないかしら。ガンを飛ばすその姿、本性丸出し。綺麗な服装が台無しよ、ダーシー。
「どうして、ミミがここにいるのよ?」
――どうして、って。この女、ついにぼけたのかしら。
「貴女たちが、私を訴えたからですよ」
――呼ばれなきゃ、裁判所なんて足を運びたくもないわ!
「あら。私は、てっきり……」
ダーシーはシモンへ一瞥をくべた。シモンがサッと視線を逸らす。
――怪しい。この二人やっぱり何かある!
夫の旧友ザックさんの語る通り、シモンはダーシーに首根っこをつかまれているようだ。
「片田舎から遠路はるばるご足労ね。ミミお一人? ご主人は?」
「もうすぐ到着するはずよ」
「あら。夫婦なのに別々の馬車で来たの?」
「も、もしや旦那と上手くいっていないのか?」
――大きなお世話よ、チャールズ。相変わらず無神経なヤツ。
「勘違いしないで。主人にすすめられて私だけ両親と同じ馬車に乗っただけよ」
「両親の馬車? 貴女、キャベンディッシュ家に寄ったの?」
「それが何か?」
「なるほど。侯爵家の馬車の方が見栄えが良いですもの。片田舎では馬車の宛などたかが知れていますし。ご主人は立場をわきまえて、同乗を遠慮されたのね?」
「今のお言葉、聞き捨てならないわ」
「あら。何が?」
「貴女は今、私の主人を卑下しました。夫の担当教会区を片田舎だの、立場をわきまえているだのと、随分な物言いではないですか。私の主人は国教会の司祭よ。教会首長である国王陛下の許しと信任あって教会区を担当しています」
護衛、裁判所の職員、弁護士らしき背広を着た男も、一斉に顔を見合わせる。「確かに」「さっきのは言い過ぎだ」と彼らが囁くと、ダーシーは急に焦燥を滲ませた。身から出た錆だわ。
「あら。気を悪くさせるつもりは無かったのよ。だって私、ミミが司祭様と結婚したと聞いた時には、とても感心したのだもの」
「感心ですって?」
「侯爵家のご令嬢であった貴女が、社交界の地位と名誉も望まずに、司祭様と共に、国と王と神へ奉仕する道を選んだのですから。ミミ・リンドバーグ夫人の美徳に心からの敬意を表したわ」
「へぇ~、お褒めの言葉と受け取るわ」
――白々しい。嘘吐きの鼻は、ぐんぐんのびちゃえ。
私が司祭の妻となり、社交界を退いたことを喜び、踊り狂っていたくせに。
「けれど例の遺書で、チャールズ殿下の名を穢したことや、根拠の無い私の流言を広めたことはきちんと償ってもらいますわ。何事もけじめが必要でしょう」
「私は何も償いません。真実を告げましたから」
「司祭の妻ともあろうものが、これほど嘘吐きとはね」
「その言葉、そのままお返しするわ。隣のチャールズと、とってもお似合いよ。昨日の今日で裁判を仕組むなんて、人倫に悖ることをしておきながら」
「昨日の今日? 一体何のことだ」
チャールズがびくびくしながら聞き返す。
「朝刊を読んでいないとでも言う気? 私達が、裁判のことを知らされたのは……」
「チャールズ殿下!」
私の言葉を遮ったのは、ダーシーだった。
「もうすぐ開廷の時刻ですわ」
「あ……ああ、そうだな」
ダーシーとチャールズが私のそばを通り過ぎる。二人の後ろについていたシモンが、私の真横で急に立ち止まった。
――何か用? 裁判所の悪魔め。
「ミミ様も控え室へ戻られてはいかがですか」
彼は気味が悪いくらい、穏やかな声色でこうも言った。
「そろそろ開廷の時刻ですよ。貴女のご両親も待ちくたびれていることでしょう」
――待ちくたびれた? 何、その言い方。まるで両親に何か……。
嫌な予感にかられ、すぐさま控え室へ戻る。
蒸し暑い部屋に入ると、吐瀉物の臭いが鼻をついた。
「お父様! お母様! オパール!」
両親は長椅子に寄りかかり、ぐったり横たわっていた。女中のオパールは椅子から転げ落ち、仰向けに倒れている。三人のそばには茶器が砕け、牛乳の混ざった黄土色の液体が飛び散っていた。
【つづく】
その中心にいる男女は、なんと。
――チャールズとダーシー! ああ、なんて間の悪い。
二人を囲んでいるのは、護衛、弁護士、裁判所の職員のようだ。執行官のシモンもそばにいる。護衛らしき者たちが荷物を抱えているので、裁判所に到着したばかりのようだ。
――こんなところで鉢合わせなんて。
私は踵を返そうとしたが。
――敵に背中を見せるの? 逃げてどうする、ミミ・リンドバーグ!
顔を上げ、胸を張って堂々と歩き出した。
「ミミ?」
チャールズが真っ先に気付いて私を指差す。
――こらこら。出会い頭に人を指差すな。ほんっと教養が無いわね。
無礼はともかく、チャールズは怯えた小犬のように肩を震わせていた。
――あら、思っていたよりも弱っているわね。本当にチャールズ? 影武者なんて人件費のかかるもの、いたかしら。
脆弱そうなチャールズに比べ、隣の女ときたら。絹織りの深紅のドレスが滑らかな光沢を放つ。蛇のようにうねる長い焦げ茶色の髪は、黒リボンで束ねられていた。ここを舞踏会と勘違いしているのではないかしら。ガンを飛ばすその姿、本性丸出し。綺麗な服装が台無しよ、ダーシー。
「どうして、ミミがここにいるのよ?」
――どうして、って。この女、ついにぼけたのかしら。
「貴女たちが、私を訴えたからですよ」
――呼ばれなきゃ、裁判所なんて足を運びたくもないわ!
「あら。私は、てっきり……」
ダーシーはシモンへ一瞥をくべた。シモンがサッと視線を逸らす。
――怪しい。この二人やっぱり何かある!
夫の旧友ザックさんの語る通り、シモンはダーシーに首根っこをつかまれているようだ。
「片田舎から遠路はるばるご足労ね。ミミお一人? ご主人は?」
「もうすぐ到着するはずよ」
「あら。夫婦なのに別々の馬車で来たの?」
「も、もしや旦那と上手くいっていないのか?」
――大きなお世話よ、チャールズ。相変わらず無神経なヤツ。
「勘違いしないで。主人にすすめられて私だけ両親と同じ馬車に乗っただけよ」
「両親の馬車? 貴女、キャベンディッシュ家に寄ったの?」
「それが何か?」
「なるほど。侯爵家の馬車の方が見栄えが良いですもの。片田舎では馬車の宛などたかが知れていますし。ご主人は立場をわきまえて、同乗を遠慮されたのね?」
「今のお言葉、聞き捨てならないわ」
「あら。何が?」
「貴女は今、私の主人を卑下しました。夫の担当教会区を片田舎だの、立場をわきまえているだのと、随分な物言いではないですか。私の主人は国教会の司祭よ。教会首長である国王陛下の許しと信任あって教会区を担当しています」
護衛、裁判所の職員、弁護士らしき背広を着た男も、一斉に顔を見合わせる。「確かに」「さっきのは言い過ぎだ」と彼らが囁くと、ダーシーは急に焦燥を滲ませた。身から出た錆だわ。
「あら。気を悪くさせるつもりは無かったのよ。だって私、ミミが司祭様と結婚したと聞いた時には、とても感心したのだもの」
「感心ですって?」
「侯爵家のご令嬢であった貴女が、社交界の地位と名誉も望まずに、司祭様と共に、国と王と神へ奉仕する道を選んだのですから。ミミ・リンドバーグ夫人の美徳に心からの敬意を表したわ」
「へぇ~、お褒めの言葉と受け取るわ」
――白々しい。嘘吐きの鼻は、ぐんぐんのびちゃえ。
私が司祭の妻となり、社交界を退いたことを喜び、踊り狂っていたくせに。
「けれど例の遺書で、チャールズ殿下の名を穢したことや、根拠の無い私の流言を広めたことはきちんと償ってもらいますわ。何事もけじめが必要でしょう」
「私は何も償いません。真実を告げましたから」
「司祭の妻ともあろうものが、これほど嘘吐きとはね」
「その言葉、そのままお返しするわ。隣のチャールズと、とってもお似合いよ。昨日の今日で裁判を仕組むなんて、人倫に悖ることをしておきながら」
「昨日の今日? 一体何のことだ」
チャールズがびくびくしながら聞き返す。
「朝刊を読んでいないとでも言う気? 私達が、裁判のことを知らされたのは……」
「チャールズ殿下!」
私の言葉を遮ったのは、ダーシーだった。
「もうすぐ開廷の時刻ですわ」
「あ……ああ、そうだな」
ダーシーとチャールズが私のそばを通り過ぎる。二人の後ろについていたシモンが、私の真横で急に立ち止まった。
――何か用? 裁判所の悪魔め。
「ミミ様も控え室へ戻られてはいかがですか」
彼は気味が悪いくらい、穏やかな声色でこうも言った。
「そろそろ開廷の時刻ですよ。貴女のご両親も待ちくたびれていることでしょう」
――待ちくたびれた? 何、その言い方。まるで両親に何か……。
嫌な予感にかられ、すぐさま控え室へ戻る。
蒸し暑い部屋に入ると、吐瀉物の臭いが鼻をついた。
「お父様! お母様! オパール!」
両親は長椅子に寄りかかり、ぐったり横たわっていた。女中のオパールは椅子から転げ落ち、仰向けに倒れている。三人のそばには茶器が砕け、牛乳の混ざった黄土色の液体が飛び散っていた。
【つづく】
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