【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

8-1 ★ 鏡よ鏡、あなたは誰?



8章は【ミミ】が語り手です。



 春と秋の住む不時ふじの庭を夢に見た。
 夢の中に現れた先生と、世界の美しいものについて語ったのを憶えている。

 本のこと、紅茶のこと、秋に桜が咲く理由。

 もう一つ、なにか大事なことを先生と話した気がする。
 思い出そうとするも、夕時の図書室に雲が立ち込め、満開の桜と紅葉を風が散らしてしまう。

 ――もう散りたくないわ。

 三日みっか見ぬの桜と、秋のにしきに彩られた夢の終わりで気付いたことがある。前世のミナが「散りたくない」と願ったものは一つでは無かった。家族の平穏、努力したこと、それからもう一つ。不時の庭の美しい光景に心奪われ、胸の奥でトクトクと音を立てる背徳的な感情を見過ごすところだった。

 ――前世の私は、良樹よしき先生に恋をしていたのね。

 ミナは、想いを伝えるつもりは無かったのだろう。
 彼が学校を去った時に、秋の狂い桜とともに散った小さな秘密だ。

 ――良樹先生と、アルフレッドが似ている。これは偶然?

 アルフレッドは赤髪翠眼あかがみすいがん良樹よしき先生は黒髪碧眼くろかみへきがん
 二人の容姿はまるで違うけれど。

 ――心が同一人物。そんな気がしてならないわ。桜とともに散るはずだった前世の恋が現世で叶ったのかしら。

 幸せな心地で目覚める。
 そこは揺れる馬車の中だった。

 ――そうだった。私は馬車で裁判所に……。

「あっ、ミミが目を覚ましたわ!」
「自分で起きてくれて良かった……」

 両親が肩を寄せ合い、ほっと安堵の息を吐いた。

「あら? なんだか髪がぼさぼさしているような?」

 馬車の窓に自分が映り込んでいるが、日の光が眩しくてよく見えない。

「オパール、かがみある?」
「はい。こちらに……」

 手鏡の中に、寝癖をばっちりつけた私の姿が映り込んでいた。

「鏡よ鏡。貴女あなたは誰?」

 ――私じゃないと思いたい。まだ夢なら良いのに。

 出発前の髪型は見る影も無く、口からはよだれの垂れたあとがついていた。寝不足による目のくまも、お化粧の下からのぞいている。これでは化け物だ。

「なんでこうなる前に誰も起こしてくれなかったの?」
「何度も起こしたわよ。もう、貴女ったら!」
「お嬢様、すぐにお化粧を整えましょう」

 女中のオパールが、崩れた髪と化粧を綺麗に戻してくれた。

「ありがとう、オパール。とても助かったわ」
「お役に立てて光栄です。到着までに間に合って良かった」

 馬車は王都の中心街へと入った。大通りを抜け、裁判所の正面玄関で停車する。写真機や手帳を携えた記者がつめかけており、窓の向こうから激しく閃光がかれる。両親、私、オパールの順に馬車を出ると、記者がわっと詰めかけて前後左右から質問を投げかけた。多すぎて聞き分けられない。

「ミミさん。ご主人のリンドバーグ司祭様は? ご一緒ではないのですか?」

 夫のことを訊ねる記者の声だけは、はっきりと耳に入ってきた。

「後続の馬車で裁判所に……あら? アルの馬車は?」

 実家の御者ぎょしゃに訊ねると、彼は浮かない表情でうつむいた。

一時間いちじかんほど前でしたかね。馬車の混雑した通りではぐれてしまったきり」
「そうだったの。もうすぐ到着するかしら?」
「目的地は同じですからね。きっと大丈夫でしょう。――ではお嬢様、私は馬車を移動させます。裁判が終わるまで、裏の繋ぎ場で待っておりますね」

 裁判所の正面玄関から馬車が移動する。アルたちの到着を待とうとしたが、記者が質問しようと私の前に立ち塞がるので、道路がよく見えない。

「ミミ。ここは騒がしいよ」
「先に中に入らせてもらいましょう」

 両親にうながされ、裁判所の中へ。職員の案内で通された南向きの控え室には、長椅子二つと机が置かれている。光あふれる部屋だが、春にしては少々蒸し暑い。

のどかわいたわ。オパール、紅茶を淹れてもらえる?」
「かしこまりました、奥様」

 オパールは控え室の棚にかばんを置き、茶器や茶葉を取り出した。

「館内に台所があると思うので、お湯を沸かして参ります」

 十分後。
 オパールはお湯の入った器、牛乳瓶ぎゅうにゅうびんを盆に載せて戻ってきた。

「お待たせして、すみません。台所にいた職員に根掘り葉掘りたずねられまして。お嬢様と旦那様のご関係などを。勿論もちろん何も存じませんと答えました」
「嫌な思いをさせてごめんなさい、オパール」
「そんな! お嬢様が謝ることなんて、何も」

 オパールは紅茶の準備を始めた。蒸らしている間にもカチコチと時間が過ぎていく。

「アルフレッドくんたち、遅いわね。何かあったのかしら」
「無事に辿たどり着くと良いのだが……」

 両親が不安そうに顔を見合わせる。

「私、ちょっと見て来ます。もう到着したかもしれないわ」

 ――胸騒ぎがする。アル、ロビンさん、ナンシー。無事でいて!

 控え室を出て、裁判所の廊下を早足で歩く。
 正面玄関まであと少しのところで、廊下の向こうから十人弱の集団がこちらへ来るのが見えた。

 ――まさか、あれは。

 集団の中心にいる、男女の姿が目に飛び込む。
 心臓がドクンと大きな音を立てた。

【つづく】

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