【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-6 ★ まんまと敵の罠に
――ここはどこだ?
馬車の窓の外に、見覚えの無い町が広がっていた。
建物に囲まれた噴水のある広場には荷馬車や幌馬車が停まっている。馬に水を飲ませる商人たちの姿はあるが。
――ミミの馬車が無い!
前方を走っていたはずの、キャベンディッシュの白馬車が見当たらないのだ。
「あの! ミミの馬車はどこに?」
馬車の外に出て訊ねると、御者がすまなそうに振り向いた。
「申し訳ございません。道が混雑していて、奥様の馬車とはぐれてしまい……」
「えっ。ああ……そうですか」
交通量の多い道では二台前後に走行するのが困難なこともある。仕方ないか。
「裁判所への道順は心得ています。それよりも気になることが」
「気になること?」
「車輪の調子が悪いようなんです」
御者は席を降りると、馬車の車輪をちらっと見た。
「ネジがゆるんでいるのかもしれない。工具を借りてきます」
「え? 借りるったってどこへ?」
「知り合いの店です」
「あっ、ちょっと!」
御者は質問に答えずに、路地の奥へ走り去ってしまった。
「昨夜のうちに馬車を点検しておけば、こんなことにはならなかったでしょうに、まったく! 旦那様、申し訳ございません」
「君のせいじゃないよ、ナンシー。誰が馬車を借りに行っても同じだったさ」
ナンシーが怒るのは当然だ。ただでさえ急いでいるのに、このような事態を招いたのだから。
――それにさっきの御者の態度。なんだか変だ。
御者は何か隠しているようなそぶりだった。
――どこの車輪がおかしいって?
屈んで車輪を一つ一つ確認する。
「この車輪、歪んでいないか? ――あっ、亀裂だ!」
車軸に今にも折れそうな亀裂が入っていたのだ。
「このまま走り続けるのは危険だ」
「ど、どうすれば良いのですか、旦那様!」
「車輪を修理している時間も無いし、別の馬車を手配するしかないな。けれどこれも借り物だし、御者が戻ってこないことには身動きがとれないよ」
懐中時計の秒針がチクタクチクタクと回った。
待てども暮らせども御者は帰ってこない。
――まさかあの御者……。
嫌な予感がする。
俺は近くを通りかかった男性に「すみません」と声をかけた。
「おや、その格好……あんた司祭様かい?」
「ええ、そうです。ところでここは何という町でしょうか?」
「町? 見ての通り、ナセルドソルは小さな村さ」
村の男はそれだけ答えると「それじゃ」と会釈してその場を去った。
――ナセルドソル? おいおい、嘘だろう!
「王都から、だいぶ離れた村ですよね、確か」
ロビン弁護士がぽかーんとした表情でつぶやく。
「しまった、あの御者にはめられた! これは罠だ!」
御者の本性を見抜けなかった自分が腹立たしい。
「おそらくこちらが馬車を借りることを想定して、先回りしていたんだ!」
「奥様は……ご無事でしょうか」
ナンシーが両手を組み合わせ、肩をふるわせた。
「キャベンディッシュ家の馬車と御者だし、問題無く裁判所に到着するだろうと思う」
「でも旦那様。道中に罠が仕掛けられているかもしれないじゃないですか」
「確かにそうだけど。不安探しをしたらきりが無いよ、ナンシー」
「でも……でも奥様が……」
「この馬車に奥様が乗っていなくて良かった。敵は奥様がこの馬車に乗ると想定して、裁判に遅刻させる為にあの御者を仕掛けたのでしょう」
ロビン弁護士の「遅刻」という言葉に背筋がぞっとした。
「裁判に被告が遅刻した場合はどうなるのですか、ロビンさん」
俺が訊ねると、彼は俯いた。
「以前、依頼人の被告が遅刻をして、力及ばず敗訴となったことがあります。ヴェルノーン王国の法廷において遅刻は御法度なのです。たとえ親族に急病人が出ても、ひどい悪天候に見舞われても、時間きっかりの出廷を求められます」
「被告が先に到着し、弁護士や証人が遅刻した場合はどうなりますか?」
「基本認められませんが、多少ならば許されます。お恥ずかしいことに以前、事故で開廷に遅れたことがあるのです。謝罪を重ねた上で、勝訴しましたよ」
「ある程度ならば温情ある処置をしていただけるし、判決には影響が無いということですね」
――正午まであと一時間。馬車を飛ばしても、この辺境の村から王都まで二時間はかかるだろう。開廷に間に合わない。
「それにしても腑に落ちませんわ」
「何がだい、ナンシー?」
「奥様を敗訴させたいのなら、シモンを寄越して開廷を通達もしなかったでしょうに。出廷を求めたのはあちらなのに、何故わざわざ遅刻させるのです?」
――確かにそうだ。裁判所に来て欲しくないならば、シモンがわざわざ開廷の告知には来ないはず。
「〝被告欠席〟のまま判決が下されたとしたら、不自然さを指摘されるからでしょう。答弁書が間に合わなくても、リンドバーグ夫妻が一言も無く裁判を欠席し反論もしないなんて、あり得ないことだ」
ロビン弁護士は俺の目を見て、こうも話す。
「違法な開廷を後々探られることを憂慮したのでは? 〝執行官が答弁書の確認を取るも、被告は特別送達を受領した覚えが無いと主張した上に、裁判に遅刻〟が敵の筋書きでしょう」
「俺は今日の朝刊に、違法な開廷を訴えましたが、どれだけ効力があるでしょう?」
「世間に醜聞は広まりましたが、シモンという男が執行官という立場を利用して関係書類を偽造しています。だからこそ証拠を以て裁判で闘う必要があるのです!」
「でも開廷に間に合わず、原告の不戦勝となったら闘うこともできない……か」
被告のミミだけが開廷時刻に間に合ったとしても、俺やロビン弁護士が裁判所に到着しなければ不利な状況は変わらない。重要な書類は全てこちらの鞄の中だ。
――急いで裁判所へ向かわなければ!
【つづく】
馬車の窓の外に、見覚えの無い町が広がっていた。
建物に囲まれた噴水のある広場には荷馬車や幌馬車が停まっている。馬に水を飲ませる商人たちの姿はあるが。
――ミミの馬車が無い!
前方を走っていたはずの、キャベンディッシュの白馬車が見当たらないのだ。
「あの! ミミの馬車はどこに?」
馬車の外に出て訊ねると、御者がすまなそうに振り向いた。
「申し訳ございません。道が混雑していて、奥様の馬車とはぐれてしまい……」
「えっ。ああ……そうですか」
交通量の多い道では二台前後に走行するのが困難なこともある。仕方ないか。
「裁判所への道順は心得ています。それよりも気になることが」
「気になること?」
「車輪の調子が悪いようなんです」
御者は席を降りると、馬車の車輪をちらっと見た。
「ネジがゆるんでいるのかもしれない。工具を借りてきます」
「え? 借りるったってどこへ?」
「知り合いの店です」
「あっ、ちょっと!」
御者は質問に答えずに、路地の奥へ走り去ってしまった。
「昨夜のうちに馬車を点検しておけば、こんなことにはならなかったでしょうに、まったく! 旦那様、申し訳ございません」
「君のせいじゃないよ、ナンシー。誰が馬車を借りに行っても同じだったさ」
ナンシーが怒るのは当然だ。ただでさえ急いでいるのに、このような事態を招いたのだから。
――それにさっきの御者の態度。なんだか変だ。
御者は何か隠しているようなそぶりだった。
――どこの車輪がおかしいって?
屈んで車輪を一つ一つ確認する。
「この車輪、歪んでいないか? ――あっ、亀裂だ!」
車軸に今にも折れそうな亀裂が入っていたのだ。
「このまま走り続けるのは危険だ」
「ど、どうすれば良いのですか、旦那様!」
「車輪を修理している時間も無いし、別の馬車を手配するしかないな。けれどこれも借り物だし、御者が戻ってこないことには身動きがとれないよ」
懐中時計の秒針がチクタクチクタクと回った。
待てども暮らせども御者は帰ってこない。
――まさかあの御者……。
嫌な予感がする。
俺は近くを通りかかった男性に「すみません」と声をかけた。
「おや、その格好……あんた司祭様かい?」
「ええ、そうです。ところでここは何という町でしょうか?」
「町? 見ての通り、ナセルドソルは小さな村さ」
村の男はそれだけ答えると「それじゃ」と会釈してその場を去った。
――ナセルドソル? おいおい、嘘だろう!
「王都から、だいぶ離れた村ですよね、確か」
ロビン弁護士がぽかーんとした表情でつぶやく。
「しまった、あの御者にはめられた! これは罠だ!」
御者の本性を見抜けなかった自分が腹立たしい。
「おそらくこちらが馬車を借りることを想定して、先回りしていたんだ!」
「奥様は……ご無事でしょうか」
ナンシーが両手を組み合わせ、肩をふるわせた。
「キャベンディッシュ家の馬車と御者だし、問題無く裁判所に到着するだろうと思う」
「でも旦那様。道中に罠が仕掛けられているかもしれないじゃないですか」
「確かにそうだけど。不安探しをしたらきりが無いよ、ナンシー」
「でも……でも奥様が……」
「この馬車に奥様が乗っていなくて良かった。敵は奥様がこの馬車に乗ると想定して、裁判に遅刻させる為にあの御者を仕掛けたのでしょう」
ロビン弁護士の「遅刻」という言葉に背筋がぞっとした。
「裁判に被告が遅刻した場合はどうなるのですか、ロビンさん」
俺が訊ねると、彼は俯いた。
「以前、依頼人の被告が遅刻をして、力及ばず敗訴となったことがあります。ヴェルノーン王国の法廷において遅刻は御法度なのです。たとえ親族に急病人が出ても、ひどい悪天候に見舞われても、時間きっかりの出廷を求められます」
「被告が先に到着し、弁護士や証人が遅刻した場合はどうなりますか?」
「基本認められませんが、多少ならば許されます。お恥ずかしいことに以前、事故で開廷に遅れたことがあるのです。謝罪を重ねた上で、勝訴しましたよ」
「ある程度ならば温情ある処置をしていただけるし、判決には影響が無いということですね」
――正午まであと一時間。馬車を飛ばしても、この辺境の村から王都まで二時間はかかるだろう。開廷に間に合わない。
「それにしても腑に落ちませんわ」
「何がだい、ナンシー?」
「奥様を敗訴させたいのなら、シモンを寄越して開廷を通達もしなかったでしょうに。出廷を求めたのはあちらなのに、何故わざわざ遅刻させるのです?」
――確かにそうだ。裁判所に来て欲しくないならば、シモンがわざわざ開廷の告知には来ないはず。
「〝被告欠席〟のまま判決が下されたとしたら、不自然さを指摘されるからでしょう。答弁書が間に合わなくても、リンドバーグ夫妻が一言も無く裁判を欠席し反論もしないなんて、あり得ないことだ」
ロビン弁護士は俺の目を見て、こうも話す。
「違法な開廷を後々探られることを憂慮したのでは? 〝執行官が答弁書の確認を取るも、被告は特別送達を受領した覚えが無いと主張した上に、裁判に遅刻〟が敵の筋書きでしょう」
「俺は今日の朝刊に、違法な開廷を訴えましたが、どれだけ効力があるでしょう?」
「世間に醜聞は広まりましたが、シモンという男が執行官という立場を利用して関係書類を偽造しています。だからこそ証拠を以て裁判で闘う必要があるのです!」
「でも開廷に間に合わず、原告の不戦勝となったら闘うこともできない……か」
被告のミミだけが開廷時刻に間に合ったとしても、俺やロビン弁護士が裁判所に到着しなければ不利な状況は変わらない。重要な書類は全てこちらの鞄の中だ。
――急いで裁判所へ向かわなければ!
【つづく】
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