【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-5 ★ 春と秋の住む不時の庭
満ちた月には叢雲が立ちこめ、美しい花は風が散らす。
月のように輝き、花のように物腰柔らかな少女のことを思い出していた。何気ない仕草からその人の内面や生まれ、賢さはにじみ出る。太陽のように笑う子では無かったが「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉は彼女にこそ相応しい。
――綺麗な花ほど疎まれる。
教育実習が始まって間もなくのこと。
階段の踊り場で、女生徒たちがあの子を悪く言うのが聞こえた。
「合唱の時、あいつの声聞いた?」
「はずれた裏声で歌っていたよね~。もういっそ地声で歌えよ」
「歌い方も気持ち悪いんだよ。ぱくぱく、金魚みたいでさぁ」
――歌う時は、みーんな、ぱくぱく金魚だろーが。
と、言いたいのをぐっとこらえて。
「授業の時間ですよ。早く教室に戻りなさい」
俺が注意すると、屯していた女子は蜘蛛の子散らすように去った。
あの子に意地悪を言うのは、女生徒だけでは無かった。
「また本? 何読んでるの?」
からかうような口調で訊ねる男子に、彼女は「歴史の小説」と短く答えた。
「へぇ。なんか、おばさんみたいな本を読むんだね!」
とても傷ついた様子でうつむく彼女を見て、黙ってはいられなかった。
「君は何を読むんだい? まさか絵本って年でもないだろう?」
背後から俺が声をかけると、意地悪を言った男子は不機嫌そうに顔を歪めた。彼は教室後方に集まる他の男子と、俺の陰口を叩き始めた。
――何故そんなに群れたがる?
教育実習に嫌気が差していた。おまけに俺の指導役となった担任教師は変な男で「おまえの人生は詰んでいる」とか言い出すわ、生徒の前で「何を勉強してきた、大学に帰れ」と説教し出すわ、パワハラは日に日に過激さを増した。そんなに俺が教師失格なら、問題を具体的に箇条書きでまとめてくれよ。
――俺が気に入らないならそう言えば良いのに。嘘吐きばっかりだ。
アンポンタン教師からトンチンカン説教をくらったある日の放課後、学校の図書室へ行くと、閲覧机で本を読むあの子の姿があった。彼女の他に生徒はおらず、司書も不在だった。
「今日は何を読んでいるんだい?」
「英国のファンタジーです。本から紅茶の香りがするんですよ」
「えっ、本当に?」
「冗談です。美味しそうなアフタヌーンティーやハイティーが出てくるから、文字を読んでいるのに、紅茶を飲んでいるような心地になるんです」
――言葉遣いが綺麗な子だな。貴族の令嬢のように上品だ。
だが美しい言葉に似合わず、彼女の面持ちは重く沈んでいた。
「何かあったのかい?」
「いいえ、何も」
彼女は微笑んで、窓の向こうの内庭に視線を遣った。
「秋なのに桜が咲いたんですよ、先生」
「えっ。桜?」
図書室の内庭には、春と秋が同居していた。紅葉と銀杏の絨毯に、満開の桜から花吹雪がひらひらと舞い降りる。
「不時現象か。見るのは初めてだよ。凄く美しいね!」
「不時現象ってなんですか、先生?」
「桜が春以外に狂い咲くことだよ。返り咲きとも言うね。台風や猛暑、様々な要因で発生する」
「なるほど。怪現象じゃ無かったんですね」
「昔は化け桜と言われていたみたいだ」
「先生はお化けを信じますか」
「うん、信じるよ。科学で証明できないものはある。君はお化けを信じる?」
すると彼女は「信じます」と肯き、席に着くと、俺の目をじっと見た。
「だって私、死んでいますもの」
彼女の言葉に面食らった。
よく見ると彼女の姿は透けている。
――そうか、俺は夢を見ているのか。
ここから先は〝前世の記憶に無い〟やりとりだ。
「狂い咲きの庭を美しいと言ったのは私と先生だけでした。他の人は気味が悪いって言うんです。頑張って返り咲いても、不確実な存在と言われるなら、早く散ってしまった方が楽だと思った」
彼女は自分の首元に触れた。
昨夜夢で見た時と同じ、縄の食い込んだ痕が浮かび上がった。
「消えて欲しい、死んでしまえと望んだ人は全員、お葬式では嘘吐きでした。皆、私がこんなことをするとは思わなかった、って言うんです」
そうは見えない人ほど突発的に死を選ぶことがある。自裁した芸能人の訃報が出るたびに「まさかあの人が」と皆が口をそろえる。けれどもどこかに故人のSOSは隠れていたのだ。
「同じことを繰り返して、ごめんなさい」
長い黒髪が亜麻色に、制服が白いドレスへ変化する。
現世の俺、アルフレッド・リンドバーグが最も愛する女性だ。
「君は、ミミなんだね」
彼女は小さく肯いた。
「時間ですね。私だけでも先に急がなくては」
学校のチャイムが、ロンドンの時計塔と同じ旋律を奏でる。
彼女が開いていた本をパタンと閉じると、魔法にかけられたように全ての窓が一斉に開いた。風は獣のように唸りながら図書室の静寂を乱した。狂い桜の花弁と紅葉、銀杏、本の紙片が降り注ぐ。
「もう散りたくないわ」
祈る彼女を春風が暴れ散らす。
――お願いだ、神様。俺の大好きな人を散らさないでくれ。
狂い咲きの内庭と、図書室の光景が霞む。
ガタゴトと車輪の音が戻ってきた。
――どうやら夢の終点にたどり着いたようだ。
眠る前の記憶を一つ一つ取り戻しながら、ゆっくりと瞼を開けたその時、馬車が急に停まった。
――王都に着いたのだろうか?
馬車の窓から外をうかがう。
――ここはどこだ?
そこには見覚えの無い町が広がっていた。
【つづく】
月のように輝き、花のように物腰柔らかな少女のことを思い出していた。何気ない仕草からその人の内面や生まれ、賢さはにじみ出る。太陽のように笑う子では無かったが「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉は彼女にこそ相応しい。
――綺麗な花ほど疎まれる。
教育実習が始まって間もなくのこと。
階段の踊り場で、女生徒たちがあの子を悪く言うのが聞こえた。
「合唱の時、あいつの声聞いた?」
「はずれた裏声で歌っていたよね~。もういっそ地声で歌えよ」
「歌い方も気持ち悪いんだよ。ぱくぱく、金魚みたいでさぁ」
――歌う時は、みーんな、ぱくぱく金魚だろーが。
と、言いたいのをぐっとこらえて。
「授業の時間ですよ。早く教室に戻りなさい」
俺が注意すると、屯していた女子は蜘蛛の子散らすように去った。
あの子に意地悪を言うのは、女生徒だけでは無かった。
「また本? 何読んでるの?」
からかうような口調で訊ねる男子に、彼女は「歴史の小説」と短く答えた。
「へぇ。なんか、おばさんみたいな本を読むんだね!」
とても傷ついた様子でうつむく彼女を見て、黙ってはいられなかった。
「君は何を読むんだい? まさか絵本って年でもないだろう?」
背後から俺が声をかけると、意地悪を言った男子は不機嫌そうに顔を歪めた。彼は教室後方に集まる他の男子と、俺の陰口を叩き始めた。
――何故そんなに群れたがる?
教育実習に嫌気が差していた。おまけに俺の指導役となった担任教師は変な男で「おまえの人生は詰んでいる」とか言い出すわ、生徒の前で「何を勉強してきた、大学に帰れ」と説教し出すわ、パワハラは日に日に過激さを増した。そんなに俺が教師失格なら、問題を具体的に箇条書きでまとめてくれよ。
――俺が気に入らないならそう言えば良いのに。嘘吐きばっかりだ。
アンポンタン教師からトンチンカン説教をくらったある日の放課後、学校の図書室へ行くと、閲覧机で本を読むあの子の姿があった。彼女の他に生徒はおらず、司書も不在だった。
「今日は何を読んでいるんだい?」
「英国のファンタジーです。本から紅茶の香りがするんですよ」
「えっ、本当に?」
「冗談です。美味しそうなアフタヌーンティーやハイティーが出てくるから、文字を読んでいるのに、紅茶を飲んでいるような心地になるんです」
――言葉遣いが綺麗な子だな。貴族の令嬢のように上品だ。
だが美しい言葉に似合わず、彼女の面持ちは重く沈んでいた。
「何かあったのかい?」
「いいえ、何も」
彼女は微笑んで、窓の向こうの内庭に視線を遣った。
「秋なのに桜が咲いたんですよ、先生」
「えっ。桜?」
図書室の内庭には、春と秋が同居していた。紅葉と銀杏の絨毯に、満開の桜から花吹雪がひらひらと舞い降りる。
「不時現象か。見るのは初めてだよ。凄く美しいね!」
「不時現象ってなんですか、先生?」
「桜が春以外に狂い咲くことだよ。返り咲きとも言うね。台風や猛暑、様々な要因で発生する」
「なるほど。怪現象じゃ無かったんですね」
「昔は化け桜と言われていたみたいだ」
「先生はお化けを信じますか」
「うん、信じるよ。科学で証明できないものはある。君はお化けを信じる?」
すると彼女は「信じます」と肯き、席に着くと、俺の目をじっと見た。
「だって私、死んでいますもの」
彼女の言葉に面食らった。
よく見ると彼女の姿は透けている。
――そうか、俺は夢を見ているのか。
ここから先は〝前世の記憶に無い〟やりとりだ。
「狂い咲きの庭を美しいと言ったのは私と先生だけでした。他の人は気味が悪いって言うんです。頑張って返り咲いても、不確実な存在と言われるなら、早く散ってしまった方が楽だと思った」
彼女は自分の首元に触れた。
昨夜夢で見た時と同じ、縄の食い込んだ痕が浮かび上がった。
「消えて欲しい、死んでしまえと望んだ人は全員、お葬式では嘘吐きでした。皆、私がこんなことをするとは思わなかった、って言うんです」
そうは見えない人ほど突発的に死を選ぶことがある。自裁した芸能人の訃報が出るたびに「まさかあの人が」と皆が口をそろえる。けれどもどこかに故人のSOSは隠れていたのだ。
「同じことを繰り返して、ごめんなさい」
長い黒髪が亜麻色に、制服が白いドレスへ変化する。
現世の俺、アルフレッド・リンドバーグが最も愛する女性だ。
「君は、ミミなんだね」
彼女は小さく肯いた。
「時間ですね。私だけでも先に急がなくては」
学校のチャイムが、ロンドンの時計塔と同じ旋律を奏でる。
彼女が開いていた本をパタンと閉じると、魔法にかけられたように全ての窓が一斉に開いた。風は獣のように唸りながら図書室の静寂を乱した。狂い桜の花弁と紅葉、銀杏、本の紙片が降り注ぐ。
「もう散りたくないわ」
祈る彼女を春風が暴れ散らす。
――お願いだ、神様。俺の大好きな人を散らさないでくれ。
狂い咲きの内庭と、図書室の光景が霞む。
ガタゴトと車輪の音が戻ってきた。
――どうやら夢の終点にたどり着いたようだ。
眠る前の記憶を一つ一つ取り戻しながら、ゆっくりと瞼を開けたその時、馬車が急に停まった。
――王都に着いたのだろうか?
馬車の窓から外をうかがう。
――ここはどこだ?
そこには見覚えの無い町が広がっていた。
【つづく】
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