【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-4 ★ 必殺! 仕掛け人
裁判の準備は恙なく進み、長い夜が明けた。
早朝、お屋敷の食堂へ向かうと、ミミの両親が新聞を読んでいた。「おはようございます」と挨拶をする。ご夫妻は俺を見て、悪戯に成功した子どものように破顔した。
「おはよう、アルフレッドくん。これを仕掛けたのは貴方ね?」
「皮肉節たっぷりの文面だ。鼠にごちそうを提供したね?」
「はい。とても喜んでいましたよ」
昨日キャベンディッシュ邸に向かう道すがら、俺はとある新聞社の支社へ寄り、裁判の情報を一枚の文書にまとめて、記者に渡した。
ミミ嬢の裁判【本日開廷】
本日正午、王立裁判所にてミミ・リンドバーグとチャールズ殿下の裁判が執り行われる。しかしながら被告のリンドバーグ夫人に開廷が通達されたのは前日であった。裁判所からの特別送達を受領しておらず、被告のあずかり知らぬところで手続きが進められたとして不当性を主張。裁判所職員の管理責任を追求する見通しである云々。
――勧善懲悪。この世の醜い悪を成敗するのも司祭の天命さ。
この不平等な開廷を国中に訴えて、裁判に臨んでやろうじゃないか。先手必勝だ。
「おはよう。皆で何を見ているの? 新聞?」
ミミに新聞を見せた。ロビン弁護士、ナンシーにも読んでもらう。全員揃ったところで朝食をとり、各々出発の準備にとりかかった。
俺はいつもの司祭服に着替えるだけだが、被告のミミは違う。支度を終えて出てきたミミは、潔白を主張する為、雪色のドレスを身に纏っていた。顔色が明るく見えるように女中が丁寧にお化粧をほどこしてくれたようだ。上品に編み込まれた亜麻色の髪が、大階段の窓から差し込む朝日に照らされ、なめらかな光沢を帯びる。誠に清楚で可憐だ。
「綺麗だよ、ミミ。今まで見たどんな君より美しい」
「ありがとう、アル」
「さあ、出発の時刻だ。行こう」
「はい」
玄関には二台の箱形馬車が停まっていた。
一台はキャベンディッシュ家所有の馬車で、白塗りの豪奢なつくりである。舞踏会など社交界に赴く時に使用するもののようだ。
もう一台は、俺たちが昨日乗ってきた黒塗りの馬車だが。
――キャベンディッシュ家の馬車と並ぶと、ちょっとな……。
特に扉や窓の汚れが目立つ。御者は馬車の手入れを怠っているようだ。
――さて、どうしたものか。この馬車にミミを乗せるのは気が引ける。
おそらく裁判所には記者がつめかけているだろう。原告と被告。両者の馬車や服装を見て地位や豊かさを天秤にかける者は多い。ミミは被告だからこそ、裁判所に着いた時の第一印象は重要である。彼女はキャベンディッシュ家の一人娘、いわばお姫様なのだから。
「ミミ。君はご両親と一緒の馬車に」
「えっ。私もアルと同じ馬車で良いわよ」
「アルフレッドくんも前の馬車に来たら良いじゃないか。四人乗れるよ」
キャベンディッシュ卿が馬車へ促す。
夫妻の背後に控えていた、オパールという女中が一歩後ずさった。
よそ行きの服を着ているので、夫妻の身辺のお世話係として同乗するつもりだったのだろう。大きな手籠の中には、道中必要なものが入っていると思われた。
女中オパールは二つの馬車へ視線を往復させる。後続の馬車に乗るべきか分からず、夫妻の指示を仰ぎたいようだ。ご夫妻の為に外出の支度を調えたのに、別の馬車に乗っては彼女も手持ち無沙汰だろう。
「折角ですが、俺は後ろの馬車に乗ります」
黒い外套を纏う司祭の俺には、純白の馬車は明るすぎる。
「仮眠をとりたいんです。お義父様とお義母様に、寝顔を見られるのが恥ずかしい」
「アルったら別に気にしなくて良いのに。私もたぶん寝るわよ」
「み……ミミ、寝てはならん! 起こす方の身にもなりなさい」
「ミミは一度寝たら、なかなか起きないから困るわ」
ご夫妻は溜め息を吐いた。
「でも眠いのよ。うっかりこっくりしてしまいそうだわ。お化粧や、せっかく結ってもらった髪が崩れたらどうしましょう」
――寝癖をつけたまま裁判所へ行くわけには……。
「もしもの時は、到着前に御髪やお化粧を整えましょう、お嬢様」
女中オパールが手籠から化粧道具の小箱を出す。やはりこの人はミミと同じ馬車に同乗した方が良い。
「それじゃあ、またあとでね、ミミ」
ミミがしょんぼりとした表情で俺をじっと見つめた。
「そんな寂しそうな顔しないで。君の真後ろの馬車にいるのだから」
ミミの手を握り、頬にキスをする。それでも不安そうなので、俺は御者にこうお願いした。
「なるべく、前の馬車から離れないようにお願いします」
御者は「承知しました」と笑顔で肯いて、馬車の扉を開けた。ロビン弁護士、ナンシー、俺の三人が座席に着く。
「司祭様、こちらを。お飲み物と軽食、酔い止めのお薬や、必要なものが入っています」
留守を任された執事が、手籠を車内へ差し出した。
「ご厚意に感謝致します」
「旦那様、それは私が」
ナンシーが受け取り、座席に置いた。
「それでは出発します」
御者が扉を閉じる。間もなく馬車が動き出した。
「すみません、旦那様。馬車のことですが……」
「どうしたんだい?」
「〝清潔な馬車を〟と頼んだのですが、細かいところが気になっていて。奥様の美しさが、ボロ馬車で霞んでしまうところでしたわ」
座席の綿埃をつまみ、眉をひそめるナンシー。ガタガタンッと馬車が縦に大きく揺れた。
「愛想の良い御者ですが、こんなに乗り心地が悪いとは思いませんでしたわ」
ナンシーは窓越しに御者を見ると、馬車の揺れでずり下がった眼鏡をかけ直した。
「まだ若いし、新人の御者なのでしょうね」
ロビン弁護士の眼鏡も、馬車の振動でどんどん下がっていく。
「実は、馬車だけ借りて俺が手綱を握ろうかとも考えたのですが、ここのところあまり寝ていないので安全を期したくて」
ミミの人生の大事を前に、俺が居眠り運転をするわけにはいかなかった。
「司祭様。こちらの座席を広くお使いください」
ロビン弁護士が、ナンシーの隣に移動した。四人がけの箱形馬車は、二人がけの椅子が向かい合う形でつくられている。俺は二人がけの椅子に一人で座る贅沢を提供された。
「すみません、では、少しだけ」
綿のつまった腰当てを枕代わりにして、身体を寄りかからせる。
「王都に着いたら起こしますね」
「ありがとう、ナンシー」
睡魔が全身を支配し、俺は夢世の深淵に落ちた。
【つづく】
早朝、お屋敷の食堂へ向かうと、ミミの両親が新聞を読んでいた。「おはようございます」と挨拶をする。ご夫妻は俺を見て、悪戯に成功した子どものように破顔した。
「おはよう、アルフレッドくん。これを仕掛けたのは貴方ね?」
「皮肉節たっぷりの文面だ。鼠にごちそうを提供したね?」
「はい。とても喜んでいましたよ」
昨日キャベンディッシュ邸に向かう道すがら、俺はとある新聞社の支社へ寄り、裁判の情報を一枚の文書にまとめて、記者に渡した。
ミミ嬢の裁判【本日開廷】
本日正午、王立裁判所にてミミ・リンドバーグとチャールズ殿下の裁判が執り行われる。しかしながら被告のリンドバーグ夫人に開廷が通達されたのは前日であった。裁判所からの特別送達を受領しておらず、被告のあずかり知らぬところで手続きが進められたとして不当性を主張。裁判所職員の管理責任を追求する見通しである云々。
――勧善懲悪。この世の醜い悪を成敗するのも司祭の天命さ。
この不平等な開廷を国中に訴えて、裁判に臨んでやろうじゃないか。先手必勝だ。
「おはよう。皆で何を見ているの? 新聞?」
ミミに新聞を見せた。ロビン弁護士、ナンシーにも読んでもらう。全員揃ったところで朝食をとり、各々出発の準備にとりかかった。
俺はいつもの司祭服に着替えるだけだが、被告のミミは違う。支度を終えて出てきたミミは、潔白を主張する為、雪色のドレスを身に纏っていた。顔色が明るく見えるように女中が丁寧にお化粧をほどこしてくれたようだ。上品に編み込まれた亜麻色の髪が、大階段の窓から差し込む朝日に照らされ、なめらかな光沢を帯びる。誠に清楚で可憐だ。
「綺麗だよ、ミミ。今まで見たどんな君より美しい」
「ありがとう、アル」
「さあ、出発の時刻だ。行こう」
「はい」
玄関には二台の箱形馬車が停まっていた。
一台はキャベンディッシュ家所有の馬車で、白塗りの豪奢なつくりである。舞踏会など社交界に赴く時に使用するもののようだ。
もう一台は、俺たちが昨日乗ってきた黒塗りの馬車だが。
――キャベンディッシュ家の馬車と並ぶと、ちょっとな……。
特に扉や窓の汚れが目立つ。御者は馬車の手入れを怠っているようだ。
――さて、どうしたものか。この馬車にミミを乗せるのは気が引ける。
おそらく裁判所には記者がつめかけているだろう。原告と被告。両者の馬車や服装を見て地位や豊かさを天秤にかける者は多い。ミミは被告だからこそ、裁判所に着いた時の第一印象は重要である。彼女はキャベンディッシュ家の一人娘、いわばお姫様なのだから。
「ミミ。君はご両親と一緒の馬車に」
「えっ。私もアルと同じ馬車で良いわよ」
「アルフレッドくんも前の馬車に来たら良いじゃないか。四人乗れるよ」
キャベンディッシュ卿が馬車へ促す。
夫妻の背後に控えていた、オパールという女中が一歩後ずさった。
よそ行きの服を着ているので、夫妻の身辺のお世話係として同乗するつもりだったのだろう。大きな手籠の中には、道中必要なものが入っていると思われた。
女中オパールは二つの馬車へ視線を往復させる。後続の馬車に乗るべきか分からず、夫妻の指示を仰ぎたいようだ。ご夫妻の為に外出の支度を調えたのに、別の馬車に乗っては彼女も手持ち無沙汰だろう。
「折角ですが、俺は後ろの馬車に乗ります」
黒い外套を纏う司祭の俺には、純白の馬車は明るすぎる。
「仮眠をとりたいんです。お義父様とお義母様に、寝顔を見られるのが恥ずかしい」
「アルったら別に気にしなくて良いのに。私もたぶん寝るわよ」
「み……ミミ、寝てはならん! 起こす方の身にもなりなさい」
「ミミは一度寝たら、なかなか起きないから困るわ」
ご夫妻は溜め息を吐いた。
「でも眠いのよ。うっかりこっくりしてしまいそうだわ。お化粧や、せっかく結ってもらった髪が崩れたらどうしましょう」
――寝癖をつけたまま裁判所へ行くわけには……。
「もしもの時は、到着前に御髪やお化粧を整えましょう、お嬢様」
女中オパールが手籠から化粧道具の小箱を出す。やはりこの人はミミと同じ馬車に同乗した方が良い。
「それじゃあ、またあとでね、ミミ」
ミミがしょんぼりとした表情で俺をじっと見つめた。
「そんな寂しそうな顔しないで。君の真後ろの馬車にいるのだから」
ミミの手を握り、頬にキスをする。それでも不安そうなので、俺は御者にこうお願いした。
「なるべく、前の馬車から離れないようにお願いします」
御者は「承知しました」と笑顔で肯いて、馬車の扉を開けた。ロビン弁護士、ナンシー、俺の三人が座席に着く。
「司祭様、こちらを。お飲み物と軽食、酔い止めのお薬や、必要なものが入っています」
留守を任された執事が、手籠を車内へ差し出した。
「ご厚意に感謝致します」
「旦那様、それは私が」
ナンシーが受け取り、座席に置いた。
「それでは出発します」
御者が扉を閉じる。間もなく馬車が動き出した。
「すみません、旦那様。馬車のことですが……」
「どうしたんだい?」
「〝清潔な馬車を〟と頼んだのですが、細かいところが気になっていて。奥様の美しさが、ボロ馬車で霞んでしまうところでしたわ」
座席の綿埃をつまみ、眉をひそめるナンシー。ガタガタンッと馬車が縦に大きく揺れた。
「愛想の良い御者ですが、こんなに乗り心地が悪いとは思いませんでしたわ」
ナンシーは窓越しに御者を見ると、馬車の揺れでずり下がった眼鏡をかけ直した。
「まだ若いし、新人の御者なのでしょうね」
ロビン弁護士の眼鏡も、馬車の振動でどんどん下がっていく。
「実は、馬車だけ借りて俺が手綱を握ろうかとも考えたのですが、ここのところあまり寝ていないので安全を期したくて」
ミミの人生の大事を前に、俺が居眠り運転をするわけにはいかなかった。
「司祭様。こちらの座席を広くお使いください」
ロビン弁護士が、ナンシーの隣に移動した。四人がけの箱形馬車は、二人がけの椅子が向かい合う形でつくられている。俺は二人がけの椅子に一人で座る贅沢を提供された。
「すみません、では、少しだけ」
綿のつまった腰当てを枕代わりにして、身体を寄りかからせる。
「王都に着いたら起こしますね」
「ありがとう、ナンシー」
睡魔が全身を支配し、俺は夢世の深淵に落ちた。
【つづく】
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