【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

7-1 ★ 鏡の中の秘密



【第7章】は、アルフレッドが語り手です。



 鳩は自由に空を飛べるが、重い王冠は地上に縛られる。

 国教会の司祭は例外なく、王冠と鳩の記章をつけ、てんを仰ぎながら地上で救いを説く。

 だから「鳩だけで良い」というのは、逃れられないことへの俺の本音であった。王冠は血と裏切りに汚れている。チャールズ王子はミミを裏切り、濡れ衣を着せて傷つけ、卑劣な方法で彼女を裁こうとしているからだ。

 ――私情をいましめられない。司祭なのに許せないことが、また一つ増えてしまった。

 俺には……一人の母と、二人の父がいる。

 母は、俺を産んですぐに亡くなったと聞いた。

 実父じっぷは存命だ。国教会司祭として勤める以上、実父と縁が切れることは一生無いだろう。

 養父は、厳しく愛情深い人であった。物心ついた時から父と二人暮らし。血の繋がった父だと勘違いしていたある日のこと。五歳の俺は近所の男子と喧嘩をし、相手の頬を思い切り殴った。父と謝りに行くと、相手の親はうすら笑った。

「司祭様は悪くございませんよ」

 平謝りする養父に相手の母親はこうも言った。

「本当の親の顔が見てみたいですわ」
「そうだ、そうだ! このみなしご!」

 親の後ろに隠れていた男子が、俺を指差してあざ笑った。親は息子の言動をとがめようともしない。

 ――俺は、みなしご?

 みなしごという言葉の意味を、俺は絵本で知っていた。空から月と星がいっぺんに落ちたような衝撃だった。

「血のつながりがあるか無いかは関係ありません」

 立つのもやっとな俺の肩を、養父は支えながらこう告げた。

「この子は私の息子です。息子の非は私にございます」

 父とともに深く頭を下げる。帰宅してから俺は自室にこもり、ふてくされていた。心配した父が部屋に入ってきたが、話す気にはなれなかった。

「あっち行ってよ。本当のお父さんじゃないんだろ」
「いいや、おまえの父は私だ」
「でも、血が繋がっていない……って」

 養父は俺の隣に座り、頭を撫でた。

「あの親子に心ない言葉をかけられて、ひどく傷ついたんだね。いいかい、アルフレッド。あのようなことを言う人間になってはいけないよ。言葉が棘のようだっただろう?」

 傷つく言葉をかけられる度に気付く。
 俺が傷ついた言葉を人には言ってはいけない、と。

薔薇ばらの棘は折って贈らなければならない。口から出る言葉に花を咲かせても、棘は折りなさい。だが他人はそうではないだろう。おまえがどんなに花道を歩こうと、どの土地で芽吹いたたねかと生まれを探る者はいる。親は誰だ、故郷はどこだ、と。おまえがそれを気にしてしまうのならば」

 養父は自分を指差した。

「司祭の私を超えれば良い」
「超える?」
「そう超えるのだ。優しく礼儀正しい男になりなさい。司祭の私よりも勉強しなさい。品性と知性はおまえの盾となりつるぎとなる。良いね?」

 ふでつるぎである。
 養父の剣術指導は俺が神学校に合格するまで続いた。
 王都の神学校へ発つ日に、養父は【秘密】を教えてくれた。

「神学校では国教会の祭礼に奉仕することになるだろう。おそらくおまえの実父と、どこかしこで顔を合わせるに違いない」

 養父が実父について語るのはこれが初めてだった。

「俺の実父が国教会にいるのですか?」
「そうだ。おまえが神学校に合格するまでは話すまいとしていた。おまえはもう、自分の心を戒めることができるね?」
「はい。何を聞いても」
「なら良し。おまえは国教会で名の知られた尊い御方の落としだねなのだ」
「もしや主教様のお一人の?」
「誰にせよ、聖者の不義は御法度ごはっとだ。おまえが生まれた時、彼には婚約者がいたからね」
「実父は……その婚約者と結婚を?」

 養父はうなずいた。

「そこで彼の友人であった私がおまえを預かることになった」
「教えてください。実父は誰なのですか?」

 養父は、居間の姿見を指差した。
 縦長い鏡の中に、神学校の制服を着た俺が映っていた。

「真実を知りたければ、鏡を見なさい」
「鏡を? 自分を見るということですか」
「おまえは本当に聡いね、その通りだよ。血縁には抗えない。鏡の中に実父の顔が映るだろう。ただし何を知っても、鏡に映る己に自惚れてはならないよ」
「はい、肝に銘じます」

 神学校に入り実父をさがしていたが、学業が忙しくなり、突き止めたいという情熱は次第に失われた。どうやっても分からなかったからだ。

 ――忘れた頃に、答えは見つかる。

 国教会本部には司祭以上の階級の者しか立ち入れない聖回廊がある。

 執事を経て、司祭の按手礼あんしゅれいを受けた直後、好奇心から足を運んだ。聖者の直筆の書や聖遺物が集められ、歴代主教をはじめ名のある人物の肖像画がずらりと飾られていた。肖像画の中には存命の者も数名おり、そのうち一枚と目が合ったような気がしたのだ。

 肖像画の近くに窓があった。
 あの窓は、全てを映し出す鏡だった。

 窓に映る自分は、肖像画に描かれた彼と似ていたのだ。

貴方あなただったのですね」

 直視し難い事実に全身が震えた。

 ――今すぐ里帰りして養父に会いたい。

 だが矢先に訃報が届く。身体からだが弱っているとは聞いていたが、まさかこんなに早く別れの日が訪れるとは。

 ――早すぎるよ、父さん。お礼を言うも無かった。

 心のよりどころを失い、世界でひとりぼっちのような気がした。

「秘密が分かりました、父さん」

 夕闇の墓地で一人、養父に語りかけた。

「実父は……確かに名のある御方おかたでした。けれども貴方あなたの方が、ずっと尊い。私の父は貴方あなたです」

 俺は祈祷書を開き、養父への弔辞を、お墓の前で唱えた。

「名声は与えられるのではなく、自身の行動によって形作られます。この世に生まれ落ち、どのような名を授けられたとしても、名付けの時は始まりに過ぎず、誰もが真っ白なのです」

 ――俺は昔、同じことを誰かに言ったような。

「名に彩りを与えるのは貴方あなたの言葉です。故人が遺した言葉は、決して色あせず、木漏れ日のような光彩と温もりを与え続けます」

 夕焼けの墓地の光景が霞む。

「故人の美名びめいを広く後世に語り伝えます」

 父の名前と一生が刻まれた墓標を見つめる。ここに書かれた言葉を、後世の誰が読んでくれるのかと思うと空しくなった。実父の名は知られているが、養父は多くいる司祭の一人に過ぎなかった。主教になることを何度も打診されたのに、養父は「身の丈に合わない」と謙虚に拒み続けた。

「語り伝えるなんて綺麗ごとだ。みんな忘れられていく。俺は司祭なのに嘘吐うそつきだ」

 微風そよかぜが「いいえ」と歌いながら頬を撫でた。

「あなたの言葉に私は救われたわ」

 背後から、若い女性の声が聞こえた。

【つづく】

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