【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
6-7 ★ なんて綺麗な青空かしら
「明日でございますか? 本当に明日?」
居間に通されたロビン弁護士は冷や汗を拭いながら問いを重ねた。
「明日です。つい先ほど、執行官が開廷を告げに来ました。寝耳に水ですよ」
「寝耳に水。それは異国の言葉ですか、司祭様?」
「ああ、はい、確か。寝ている人の耳に水がかかると驚いてしまうでしょう?」
「なるほど。面白い喩えですね」
――アルの前世は、日本人なのでは?
寝耳に水、月が綺麗、敵に塩を送る。
日本人でなければ分からない意味の言葉ばかりだ。
例えば、寝耳に水。日本語で「ミミ」は「耳」と同じ発音だった。この国で「耳」を表す言葉は全く違う響きである。けれど「寝耳」や「水」など、この国の言葉で前世のことわざを再現することは出来る。彼は無意識にそれを行っているとしか思えない。
「どの弁護士にも断られてしまい、頼れるのが貴方しかいないのです」
アルが気落ちして言うと、ロビン弁護士の表情が急に引き締まった。
「こんな田舎町の弁護士が、王立裁判所という大舞台に立つ日が来ようとは。司祭様の奥様を御守りする騎士として全力を尽くします」
「ご承諾、心より感謝申し上げますわ」
「よろしくお願い致します、ロビンさん」
私とアルは、ロビン弁護士と握手を交わした。
――私を救ってくれる人が現れた。これは奇跡かしら。
神がロビン弁護士を私の元へ遣わしたというのだろうか。このように救いの手を差し伸べられたのは一度ではない。自殺未遂をした数日後に、アルが私の寝室を訪れた時のことを思い出す。
〝君を助けたい、ミミ・キャベンディッシュ〟
アルの言葉に、私はどれだけ救われただろう。彼は今、私の夫として隣にいる。これ以上の幸いがあるだろうか。
「今ここにある幸せを私はもう失いたくない」
私はたまらずアルの手を握った。彼は私の手を握り返してくれた。
「俺もこれ以上ミミが傷つくのを見たくない。俺だけでなく皆ミミが好きなんだ。ご両親も君を深く愛しているよ」
両親と聞いて、失念していたことに気付く。
「訴訟の件、実家の両親にも伝えられているのかしら」
シモンは何も言っていなかったけれど。
「伝えられていないと思う。いきなり愛娘が法廷に立たされたと聞いたら、後日ご夫妻がどれだけ心を痛めるか分からない。以前から、裁判の準備に関して君のご両親とやり取りをしていたけどね」
「私はみんなに心配と迷惑をかけていたのね」
――自殺未遂のこと。私は両親にちゃんと謝ったかしら。
自分のことばかりで、両親の心配する気持ちを、私は踏みにじってしまった。ふと脳裏に浮かんだのは、前世で首を吊ったミナの最期だ。リビングで揺れている私の姿を見て、前世の両親はどう思っただろう。
――私は、なんて愚かだったの。
一度も二度も命を投げ捨てた私が、不名誉で理不尽な舞台に招かれたのも然るべき定めだろう。命を軽んじた贖罪の為、試練を与えられたのだ。
「両親に、裁判のことを伝えなくてはいけないわ」
「そうだね、ミミ。キャベンディッシュ家に今から一緒に向かおう」
アルの言葉に、私もナンシーもロビンさんも仰天した。なによりもアルが「一緒に」と言ったことに。
「言伝でしたら、私が奥様の代わりに参りましょうか。ここからキャベンディッシュの領地までは距離がありますでしょう?」
ナンシーが玄関の戸棚から地図を引っ張り出してきた。
「馬車で飛ばしても、着いた頃にはとっくに日が暮れていますわ。裁判は明日ですし、準備が整いません」
「それでも会う必要があるんだ、ナンシー。準備はキャベンディッシュ家で行うしかない。ロビンさんもご一緒に。ミミのご両親が集めた証拠について、夫妻から直接聞いた方が良いと思うのです。お二人はミミの強力な証人ですから」
「なるほど、それで。かしこまりました。今すぐ身支度を調えて参ります」
「その間にこちらは馬車の手配をします。ナンシー、君も自宅に戻って身支度を。明日の裁判に同行して欲しい。ミミの人柄を誰よりも知る証人として」
「はい、勿論ですとも!」
「身支度が済んだら、馬車を頼んできてくれるかい? 四人乗りの、大きめの馬車が良い。明日はキャベンディッシュ家から直接裁判所へ向かうことになるだろう。今日と明日、時間に余裕のある御者をと伝えてくれ」
「はい、そう伝えます」
ナンシーとロビン弁護士はすぐに家を飛び出した。
「ありがとう、アル。何から何まで」
「いいんだよ、ミミ。さぁ支度を始めよう」
「はい!」
私たちは必要なものを旅行鞄に詰め込んだ。
衣類、道中の軽食、飲み物、明日の裁判に必要な書類と筆記用具。荷物をまとめ終えると、私とアルは手分けして戸締まりを行う。住まい、礼拝堂、納屋、窓という窓。アルが最後の戸締まりをしたちょうどその時、蹄の音が近づいてきた。箱形の馬車が玄関先に停まる。
「お待たせしました、旦那様、奥様!」
ナンシーが馬車の扉を開けて、外に出てきた。アルは「馬車をありがとう」とナンシーに礼を言い、御者に近づく。御者は二十代後半と見られる黒髪の若い男であった。
「長旅になりますが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。お荷物を馬車に乗せますね」
御者とアルは荷物を馬車の屋根上に積み、縄で固定する。書類鞄だけはアルが座席のそばに置くことにした。
「お客様は三人ですか?」
御者が訊ねたその時だった。
「すみません! 思いのほか、準備に手間取ってしまいまして」
ロビン弁護士が鞄を携え、大急ぎで駆けてきた。
「さあ、乗ってください」
アルは先にロビン弁護士を馬車へ通した。ナンシー、私、最後にアルが乗車すると、御者が扉を閉じる。
馬車の窓から、赤煉瓦の住まいと、礼拝堂の鐘塔が小さく遠ざかるのを眺めていた。
真っ白な鳩が翼を広げ、太陽の方角へ飛び去っていく。
――なんて綺麗な青空かしら。
自分が〝裁判の被告〟とは思えぬほど、殊に清々しい旅立ちだった。
【つづく】
居間に通されたロビン弁護士は冷や汗を拭いながら問いを重ねた。
「明日です。つい先ほど、執行官が開廷を告げに来ました。寝耳に水ですよ」
「寝耳に水。それは異国の言葉ですか、司祭様?」
「ああ、はい、確か。寝ている人の耳に水がかかると驚いてしまうでしょう?」
「なるほど。面白い喩えですね」
――アルの前世は、日本人なのでは?
寝耳に水、月が綺麗、敵に塩を送る。
日本人でなければ分からない意味の言葉ばかりだ。
例えば、寝耳に水。日本語で「ミミ」は「耳」と同じ発音だった。この国で「耳」を表す言葉は全く違う響きである。けれど「寝耳」や「水」など、この国の言葉で前世のことわざを再現することは出来る。彼は無意識にそれを行っているとしか思えない。
「どの弁護士にも断られてしまい、頼れるのが貴方しかいないのです」
アルが気落ちして言うと、ロビン弁護士の表情が急に引き締まった。
「こんな田舎町の弁護士が、王立裁判所という大舞台に立つ日が来ようとは。司祭様の奥様を御守りする騎士として全力を尽くします」
「ご承諾、心より感謝申し上げますわ」
「よろしくお願い致します、ロビンさん」
私とアルは、ロビン弁護士と握手を交わした。
――私を救ってくれる人が現れた。これは奇跡かしら。
神がロビン弁護士を私の元へ遣わしたというのだろうか。このように救いの手を差し伸べられたのは一度ではない。自殺未遂をした数日後に、アルが私の寝室を訪れた時のことを思い出す。
〝君を助けたい、ミミ・キャベンディッシュ〟
アルの言葉に、私はどれだけ救われただろう。彼は今、私の夫として隣にいる。これ以上の幸いがあるだろうか。
「今ここにある幸せを私はもう失いたくない」
私はたまらずアルの手を握った。彼は私の手を握り返してくれた。
「俺もこれ以上ミミが傷つくのを見たくない。俺だけでなく皆ミミが好きなんだ。ご両親も君を深く愛しているよ」
両親と聞いて、失念していたことに気付く。
「訴訟の件、実家の両親にも伝えられているのかしら」
シモンは何も言っていなかったけれど。
「伝えられていないと思う。いきなり愛娘が法廷に立たされたと聞いたら、後日ご夫妻がどれだけ心を痛めるか分からない。以前から、裁判の準備に関して君のご両親とやり取りをしていたけどね」
「私はみんなに心配と迷惑をかけていたのね」
――自殺未遂のこと。私は両親にちゃんと謝ったかしら。
自分のことばかりで、両親の心配する気持ちを、私は踏みにじってしまった。ふと脳裏に浮かんだのは、前世で首を吊ったミナの最期だ。リビングで揺れている私の姿を見て、前世の両親はどう思っただろう。
――私は、なんて愚かだったの。
一度も二度も命を投げ捨てた私が、不名誉で理不尽な舞台に招かれたのも然るべき定めだろう。命を軽んじた贖罪の為、試練を与えられたのだ。
「両親に、裁判のことを伝えなくてはいけないわ」
「そうだね、ミミ。キャベンディッシュ家に今から一緒に向かおう」
アルの言葉に、私もナンシーもロビンさんも仰天した。なによりもアルが「一緒に」と言ったことに。
「言伝でしたら、私が奥様の代わりに参りましょうか。ここからキャベンディッシュの領地までは距離がありますでしょう?」
ナンシーが玄関の戸棚から地図を引っ張り出してきた。
「馬車で飛ばしても、着いた頃にはとっくに日が暮れていますわ。裁判は明日ですし、準備が整いません」
「それでも会う必要があるんだ、ナンシー。準備はキャベンディッシュ家で行うしかない。ロビンさんもご一緒に。ミミのご両親が集めた証拠について、夫妻から直接聞いた方が良いと思うのです。お二人はミミの強力な証人ですから」
「なるほど、それで。かしこまりました。今すぐ身支度を調えて参ります」
「その間にこちらは馬車の手配をします。ナンシー、君も自宅に戻って身支度を。明日の裁判に同行して欲しい。ミミの人柄を誰よりも知る証人として」
「はい、勿論ですとも!」
「身支度が済んだら、馬車を頼んできてくれるかい? 四人乗りの、大きめの馬車が良い。明日はキャベンディッシュ家から直接裁判所へ向かうことになるだろう。今日と明日、時間に余裕のある御者をと伝えてくれ」
「はい、そう伝えます」
ナンシーとロビン弁護士はすぐに家を飛び出した。
「ありがとう、アル。何から何まで」
「いいんだよ、ミミ。さぁ支度を始めよう」
「はい!」
私たちは必要なものを旅行鞄に詰め込んだ。
衣類、道中の軽食、飲み物、明日の裁判に必要な書類と筆記用具。荷物をまとめ終えると、私とアルは手分けして戸締まりを行う。住まい、礼拝堂、納屋、窓という窓。アルが最後の戸締まりをしたちょうどその時、蹄の音が近づいてきた。箱形の馬車が玄関先に停まる。
「お待たせしました、旦那様、奥様!」
ナンシーが馬車の扉を開けて、外に出てきた。アルは「馬車をありがとう」とナンシーに礼を言い、御者に近づく。御者は二十代後半と見られる黒髪の若い男であった。
「長旅になりますが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。お荷物を馬車に乗せますね」
御者とアルは荷物を馬車の屋根上に積み、縄で固定する。書類鞄だけはアルが座席のそばに置くことにした。
「お客様は三人ですか?」
御者が訊ねたその時だった。
「すみません! 思いのほか、準備に手間取ってしまいまして」
ロビン弁護士が鞄を携え、大急ぎで駆けてきた。
「さあ、乗ってください」
アルは先にロビン弁護士を馬車へ通した。ナンシー、私、最後にアルが乗車すると、御者が扉を閉じる。
馬車の窓から、赤煉瓦の住まいと、礼拝堂の鐘塔が小さく遠ざかるのを眺めていた。
真っ白な鳩が翼を広げ、太陽の方角へ飛び去っていく。
――なんて綺麗な青空かしら。
自分が〝裁判の被告〟とは思えぬほど、殊に清々しい旅立ちだった。
【つづく】
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