【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

6-5 ★ さて、誰が裁かれるのやら

「お待ちください」

 アルはシモンを引き止め、封筒から訴状を出した。書面にサッと目を通すと「おかしいな」とつぶやく。

「何か書類に不備でも?」

 シモンが怪訝そうに訊ねた。

貴方あなたが先ほど、妻をミミ・キャベンディッシュと旧姓でお呼びになったものですから、気になって。訴状そじょうにはちゃんと〝ミミ・リンドバーグ殿へ〟と書いてある」

 アルが訴状に書かれた私の名を指差すと、シモンの表情に緊張が走った。

「殿下の秘書をしていたので、ミミ様ともよく顔を合わせておりました。旧姓が馴染み深く、先ほどは間違えてしまっただけです」

「いいえ。貴方あなたは人の名前を間違えるようなことはなさらないでしょう。なんせ、殿下の元秘書で裁判所の執行官ですからね」

「何が言いたいのですか?」

「裁判所からの特別送達の受領署名は、ミミ・キャベンディッシュと書いてあった。けれど妻は現在、ミミ・リンドバーグと署名をするはずだ。そうだね、ミミ?」

「ええ。そうしているわ」

「訴訟に驚かれたミミ様が、うっかり旧姓で署名されたのではないですか」

「いいえ」

 私はきっぱりとシモンの目を見て反論した。確かにキャベンディッシュ姓の方が馴染み深く、たまに旧姓で呼ばれても違和感が無い。我が家にやってくる記者の中には未だに「キャベンディッシュさん」と呼ぶ人もいる。この国は夫婦別姓も選択できるので、一生名前が変わらない人もいるのだ。けれどもアルの言う通り「元秘書で、現在は裁判所の執行官」ならあり得ない間違いだ。

「ここに来て、妻をわざわざ旧姓で呼んだのは、ミミ直筆と思われる署名を見せて、開廷に有無を言わせぬ為。実に狡猾こうかつな心理誘導だ。リンドバーグ夫人の署名は手に入れられなかったが、婚前の署名はあちこちに残っているのでしょうね?」

 アルの鋭い指摘にどきりとする。一体どの署名を抜かれて写されたのだろう。

「司祭様は想像力が豊かですね。百通りの憶測おくそくが浮かびそうだ」

 このに及んで私の旦那様に毒を吐くとは。こいつ許さん。

「貴方は悪知恵が豊かね、シモン。百通りの法螺話ほらばなしが聞けそうよ」

 私が反論すると、シモンに怒りの色が浮かんだ。

「奥様が旧姓で署名したのに、この開廷は許されるのですか?」

 ナンシーが問うと、シモンの目がたちまち据わった。

「特別送達の訴状を、ミミ様が受け取ったという事実があれば十分ですので」

「果たしてそうかな。明日の裁判で話し合うことが増えた。さて、誰が裁かれるのやら」

 アルがとどめの一言を放つ。シモンは「これ以上付き合っていられません」と吐き捨てた。玄関先に停めていた馬車で逃げるように我が家を去る。アルは玄関扉を閉め、深いため息をついた。

「やれやれ、ザックから聞いた話と違って、驚いた」

「ザックって誰なの、アル?」

「チャールズ殿下の新しい秘書、ザック・ブロンテ。チャールズ殿下の愚策と愚行が目に余るので、主教たちが送り込んだ国教会の諜報員ちょうほういんさ」

 ――さらっと諜報員ちょうほういんって言ったわ。極秘事項じゃないの?

「ザックは隣室からいつも聞き耳を立ててくれているよ。チャールズ殿下が阿呆なことを言おうものなら、これ以上過ちを犯さないように、お目付役としても動いてくれている」

 ――ザックさんの苦労が目に浮かぶわ。

「ザックによると、シモンがチャールズ殿下に裁判を提案したのが先月。シモンは〝一ヶ月で準備が整う〟と語ったそうだ。そろそろ訴状が届く頃だとザックは話していたけど、まさかシモンがこんなことを仕掛けるとは予想外だったよ。一ヶ月後に訴状を送達ではなく、一ヶ月後に開廷とは」

 アルは額に手をあててうなった。

「チャールズ殿下が、俺の異動を国教会に求めるつもりだと聞いた時も、肝が冷えたけど」
「な、なんですって! アルをどこへ飛ばす気よ!」
「旦那様を辺境の教会に送る気ですか!」

 私とナンシーは同時に叫んでいた。

「ザックがその話はうまく流してくれたそうだ。もとより今の状況では、チャールズ殿下が国教会の人事に干渉するのは到底無理だけどね。ザックには感謝している。彼のおかげで完全に丸腰というわけじゃない。準備はしていたんだ」

 アルは二階の書斎から、革製の大きな書類挟みを持ってきた。

「ミミの遺書の件で、関係各所から集めた証拠と証言、それに基づく反証の下書きさ」

「こんなに沢山! いつの間に?」

「こつこつとね。ミミを守る証拠が沢山集まって、俺も嬉しいんだ」

「ありがとう、アル。大変だったでしょう?」

「気にしないで。論文は得意なんだ」

 微笑むアルに既視感があった。

 ――論文は得意。夢で見た〝良樹よしき先生〟も似たことを言っていたわ。

 アルと雰囲気が似ている。前世も現世も私は〝先生〟と縁があるらしい。国教会の司祭は「先生」と親しみと尊敬を以て呼ばれることが多々あるからだ。

「準備は出来ているが、まだ足りないものがある」

「足りないものとはなんですか、旦那様?」

 ナンシーがたずねた。

「弁護士さ」

 アルは苦い顔で唇を噛んだ。

【つづく】

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