【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
5-5 ★ 絶好の機会
夢に現れた〝先生〟の言う「嘘吐き」の一人はまぎれもなく僕だ。
初恋の相手はミミで、自裁を試みた彼女に情も湧いた。
けれど「そんな気持ちは微塵も無い」と嘘を吐いた。
僕も嘘吐きだが、ミミも相当だ。
僕にまつわる根拠無き風評を世間に流したのだから。
複雑な感情を抱いたまま、秘密の箱庭を出て執務室に戻る。
ダーシーは読みかけの本から顔を上げ、僕へ微笑んだ。
「ご気分はどうですか、殿下」
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
彼女の笑顔を見て、心が安らいだ。
コンコンッと扉が鳴ったので「どうぞ」と返答する。
「おや、シモン! 久し振りだな!」
元秘書のシモン・コスネキンだ。賢く仕事の出来る彼を僕は信頼していた。だが【遺書事件】以降は僕を取り巻く金回りの件で世間から不要な詮索をされ、秘書の座を退いたのだ。今は王立裁判所の執行官として勤めている。
「ちょうど良かったわ、シモンに相談したいことがあるのよ」
「なんでしょうか、ダーシー様」
「今、ミミに与えられる最高の罰はなんです? 国教会への干渉もままならず、不敬罪も無いと聞き、途方に暮れていましたの。王立裁判所の人間ならば詳しいでしょう?」
「はい。殿下とダーシー様が裁判をご検討されているのではと思い、助言に参上した次第です」
――裁判か。気乗りしないな。新たな火種を生むだけではないか?
ミミと夫が賞賛されて、僕が酷評を浴びている現状は面白く無いがな。
「不敬罪は難しいですが、チャールズ殿下個人への名誉毀損または侮辱罪に問うことは可能です」
「名前が違うだけで、不敬罪と同じじゃないの?」
ダーシーが眉間に皺を寄せた。
「不敬罪ならば重い刑罰を与えることが可能ですが、ヴェルノーン王国はこの罪を撤廃しました。なので民主的な裁判を通して名誉毀損もしくは侮辱罪を訴えるのです。不敬罪と比べたら罰は軽くなりますが、殿下の名誉は回復されます」
「罰というのは? ミミを逮捕し、禁固刑にできるのかしら?」
喜色満面で問うダーシーに、シモンは首を縦にも横にも振らずにこう言った。
「ミミ嬢を逮捕するのならば刑事告訴ですが、得策とは言えません。ミミ嬢を擁護する者から反発が起こり、チャールズ殿下の立場がますます悪くなってしまいます」
僕よりもミミの方が支持され愛されていることは、新聞の見出しを見れば分かる。
「ですから和解と調停を求めるという名目で、民事的訴訟を執り行うのです」
「王族が民事訴訟を行えるの、シモン?」
「王族が裁判の当事者になれるかどうかは各国で違いがあり、法の解釈も様々です」
シモンはこうも続けた。
「国王陛下以外、王妃、王子をはじめヴェルノーン王族の者は、民事でも刑事でも訴訟に臨むことが可能です。性的問題で民事訴訟真っ最中の王族もいますし、不道徳な風聞を掲載した新聞社と訴訟中の方もいらっしゃいます。すぐにでもチャールズ殿下の名誉回復の為に動きましょう」
シモンは厳かに語り、僕の目をじっと見た。
――この国は何より名誉を重んじる。王子でも、一国民でも。
「僕が訴えたらミミは名誉回復に奮起し、司祭は妻に全力を尽くすだろうな」
新しい秘書ザックは「主教や司祭にとって筆は剣」だと語った。講壇に立つ聖職者は〝先生〟として尊敬され、誰もが弁論に長けている。修辞学を極めた人間がミミの夫というのは脅威だ。
「司祭は弁護士ではありません。法には疎いですよ」
シモンは企むような笑みを浮かべてこうも言った。
「さる筋より得た情報によると、アルフレッド・リンドバーグは殿下から訴訟されることを危惧して、他の司祭に弁護士の紹介を募ったそうです。けれども、どの弁護士からも断られたと聞きました」
「なぜだ?」
人気のあるリンドバーグ夫婦なら、すぐにでも腕の良い弁護士が現れると思ったが。
「自らすすんで一国の王子と法廷で争い、悪名を馳せたい弁護士がいるのでしょうか」
シモンは薄ら笑いを浮かべた。
「だが、キャベンディッシュ家には顧問弁護士がいるだろう? 侯爵夫妻が娘夫婦に力をかさないはずがない」
「顧問弁護士が急死したそうです。侯爵夫妻は新しい弁護士が決まらず頭を抱えているとか。やはりミミ嬢の問題に関わることになるのではと、名のある弁護士でさえ敬遠したそうです」
「まぁ! それはミミを訴える、絶好の機会だわ!」
――人が亡くなったと話したそばで、絶好の機会?
ダーシーの言葉に耳を疑った。
――敵情とはいえ嬉しそうに話すことだろうか。元は友達だろう?
「悪党のリンドバーグ夫妻に、まともな弁護士がつくわけがないわ!」
「最悪見つからない場合、あちらは弁護士を伴わない本人訴訟で裁判に臨む可能性もありますね。見つかったところで、金儲けしか頭に無い、三流弁護士でしょう」
シモンの言葉に、ダーシーは「そうでしょうとも、そうでしょうとも」と二度肯いた。
「国教会の司祭といえど、チャールズ殿下の仁徳には及びませんわ」
ダーシーは僕を持ち上げてくれるが、なぜだろう、胸がざわざわする。
――本当に裁判を開いても良いのだろうか。
僕は確かにミミの遺書で迷惑を被ったけど、それは舞踏会でミミを裁いたことに起因する。裁判で再度ミミに罪を着せたら、僕は大衆の反感を買ってさらに孤立するのではないか。
「こ、これ以上騒ぎを大きくせず、このまま沈黙を貫いても良いのではないか?」
「何を弱気なことをおっしゃっているのですか、殿下。この好機を逃すわけには参りません!」
ダーシーは僕の頬に手を添え、そっと撫でた。
「貴方は本当にお優しいですから、自裁に臨んだミミに少なからず同情されているのでしょう? でも貴方が凛としていなくてどうするのですか。誤解を解いて、民に勇姿を示さねばなりませんわ。チャールズ殿下の為に力を尽くしてくれるわね、シモン?」
「勿論。私の勤め先の王立裁判所はこの国で最も歴史と名誉ある機関です。あそこでの裁定は王国全土へ広まりますので、殿下の名誉回復の為に最善を尽くします」
最早、訴訟は避けては通れぬ道のようだ。
「分かった。僕はミミを訴える」
名誉回復こそ、王族である僕の優先事項だ。
「今宵の月がもう一度丸くなる頃には、全ての準備が整うでしょう」
シモンの背後の窓には、夜の帳に丸い月が浮かんでいた。
「ミミは重装備で来るだろうな」
鎧兜に身を固め、剣を振るうミミの姿が僕には想像できた。
「案外、ミミは丸腰かもしれませんわよ、チャールズ殿下」
ダーシーがくすくすと笑った。
【6章につづく】
★備考★
不敬罪、弁護士を伴わない本人訴訟、王族の民事裁判権については、実在する国々で制度が異なり、法の解釈も様々です。ヴェルノーンは架空の王国ではありますが、各国の法制度、判例を鑑みて物語を展開させています。
初恋の相手はミミで、自裁を試みた彼女に情も湧いた。
けれど「そんな気持ちは微塵も無い」と嘘を吐いた。
僕も嘘吐きだが、ミミも相当だ。
僕にまつわる根拠無き風評を世間に流したのだから。
複雑な感情を抱いたまま、秘密の箱庭を出て執務室に戻る。
ダーシーは読みかけの本から顔を上げ、僕へ微笑んだ。
「ご気分はどうですか、殿下」
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
彼女の笑顔を見て、心が安らいだ。
コンコンッと扉が鳴ったので「どうぞ」と返答する。
「おや、シモン! 久し振りだな!」
元秘書のシモン・コスネキンだ。賢く仕事の出来る彼を僕は信頼していた。だが【遺書事件】以降は僕を取り巻く金回りの件で世間から不要な詮索をされ、秘書の座を退いたのだ。今は王立裁判所の執行官として勤めている。
「ちょうど良かったわ、シモンに相談したいことがあるのよ」
「なんでしょうか、ダーシー様」
「今、ミミに与えられる最高の罰はなんです? 国教会への干渉もままならず、不敬罪も無いと聞き、途方に暮れていましたの。王立裁判所の人間ならば詳しいでしょう?」
「はい。殿下とダーシー様が裁判をご検討されているのではと思い、助言に参上した次第です」
――裁判か。気乗りしないな。新たな火種を生むだけではないか?
ミミと夫が賞賛されて、僕が酷評を浴びている現状は面白く無いがな。
「不敬罪は難しいですが、チャールズ殿下個人への名誉毀損または侮辱罪に問うことは可能です」
「名前が違うだけで、不敬罪と同じじゃないの?」
ダーシーが眉間に皺を寄せた。
「不敬罪ならば重い刑罰を与えることが可能ですが、ヴェルノーン王国はこの罪を撤廃しました。なので民主的な裁判を通して名誉毀損もしくは侮辱罪を訴えるのです。不敬罪と比べたら罰は軽くなりますが、殿下の名誉は回復されます」
「罰というのは? ミミを逮捕し、禁固刑にできるのかしら?」
喜色満面で問うダーシーに、シモンは首を縦にも横にも振らずにこう言った。
「ミミ嬢を逮捕するのならば刑事告訴ですが、得策とは言えません。ミミ嬢を擁護する者から反発が起こり、チャールズ殿下の立場がますます悪くなってしまいます」
僕よりもミミの方が支持され愛されていることは、新聞の見出しを見れば分かる。
「ですから和解と調停を求めるという名目で、民事的訴訟を執り行うのです」
「王族が民事訴訟を行えるの、シモン?」
「王族が裁判の当事者になれるかどうかは各国で違いがあり、法の解釈も様々です」
シモンはこうも続けた。
「国王陛下以外、王妃、王子をはじめヴェルノーン王族の者は、民事でも刑事でも訴訟に臨むことが可能です。性的問題で民事訴訟真っ最中の王族もいますし、不道徳な風聞を掲載した新聞社と訴訟中の方もいらっしゃいます。すぐにでもチャールズ殿下の名誉回復の為に動きましょう」
シモンは厳かに語り、僕の目をじっと見た。
――この国は何より名誉を重んじる。王子でも、一国民でも。
「僕が訴えたらミミは名誉回復に奮起し、司祭は妻に全力を尽くすだろうな」
新しい秘書ザックは「主教や司祭にとって筆は剣」だと語った。講壇に立つ聖職者は〝先生〟として尊敬され、誰もが弁論に長けている。修辞学を極めた人間がミミの夫というのは脅威だ。
「司祭は弁護士ではありません。法には疎いですよ」
シモンは企むような笑みを浮かべてこうも言った。
「さる筋より得た情報によると、アルフレッド・リンドバーグは殿下から訴訟されることを危惧して、他の司祭に弁護士の紹介を募ったそうです。けれども、どの弁護士からも断られたと聞きました」
「なぜだ?」
人気のあるリンドバーグ夫婦なら、すぐにでも腕の良い弁護士が現れると思ったが。
「自らすすんで一国の王子と法廷で争い、悪名を馳せたい弁護士がいるのでしょうか」
シモンは薄ら笑いを浮かべた。
「だが、キャベンディッシュ家には顧問弁護士がいるだろう? 侯爵夫妻が娘夫婦に力をかさないはずがない」
「顧問弁護士が急死したそうです。侯爵夫妻は新しい弁護士が決まらず頭を抱えているとか。やはりミミ嬢の問題に関わることになるのではと、名のある弁護士でさえ敬遠したそうです」
「まぁ! それはミミを訴える、絶好の機会だわ!」
――人が亡くなったと話したそばで、絶好の機会?
ダーシーの言葉に耳を疑った。
――敵情とはいえ嬉しそうに話すことだろうか。元は友達だろう?
「悪党のリンドバーグ夫妻に、まともな弁護士がつくわけがないわ!」
「最悪見つからない場合、あちらは弁護士を伴わない本人訴訟で裁判に臨む可能性もありますね。見つかったところで、金儲けしか頭に無い、三流弁護士でしょう」
シモンの言葉に、ダーシーは「そうでしょうとも、そうでしょうとも」と二度肯いた。
「国教会の司祭といえど、チャールズ殿下の仁徳には及びませんわ」
ダーシーは僕を持ち上げてくれるが、なぜだろう、胸がざわざわする。
――本当に裁判を開いても良いのだろうか。
僕は確かにミミの遺書で迷惑を被ったけど、それは舞踏会でミミを裁いたことに起因する。裁判で再度ミミに罪を着せたら、僕は大衆の反感を買ってさらに孤立するのではないか。
「こ、これ以上騒ぎを大きくせず、このまま沈黙を貫いても良いのではないか?」
「何を弱気なことをおっしゃっているのですか、殿下。この好機を逃すわけには参りません!」
ダーシーは僕の頬に手を添え、そっと撫でた。
「貴方は本当にお優しいですから、自裁に臨んだミミに少なからず同情されているのでしょう? でも貴方が凛としていなくてどうするのですか。誤解を解いて、民に勇姿を示さねばなりませんわ。チャールズ殿下の為に力を尽くしてくれるわね、シモン?」
「勿論。私の勤め先の王立裁判所はこの国で最も歴史と名誉ある機関です。あそこでの裁定は王国全土へ広まりますので、殿下の名誉回復の為に最善を尽くします」
最早、訴訟は避けては通れぬ道のようだ。
「分かった。僕はミミを訴える」
名誉回復こそ、王族である僕の優先事項だ。
「今宵の月がもう一度丸くなる頃には、全ての準備が整うでしょう」
シモンの背後の窓には、夜の帳に丸い月が浮かんでいた。
「ミミは重装備で来るだろうな」
鎧兜に身を固め、剣を振るうミミの姿が僕には想像できた。
「案外、ミミは丸腰かもしれませんわよ、チャールズ殿下」
ダーシーがくすくすと笑った。
【6章につづく】
★備考★
不敬罪、弁護士を伴わない本人訴訟、王族の民事裁判権については、実在する国々で制度が異なり、法の解釈も様々です。ヴェルノーンは架空の王国ではありますが、各国の法制度、判例を鑑みて物語を展開させています。
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