【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
5-3 ★ ミミの遺書は可愛い?
「私は殿下を信じているのに、貴方は私を信じず、ミミの戯れ言を取るのですか」
ダーシーは、拗ねた表情で僕の目をじっと見つめた。
「誰よりも殿下に心を砕いている私を疑うなんて、あんまりですわ」
「すまない、ダーシー。君を傷つけるつもりは無かったんだ」
「あの女はチャールズ様の顔に泥を塗ったのですよ。あろうことか一国の王子である貴方に。これは立派な不敬罪ですのよ。まさかミミに情でも湧いたのですか」
「違うよ、ダーシー。それは誤解だ」
「ではなぜミミを投獄し、刑罰を与えないのですか! 彼女も遺書に書いたではないですか。不敬罪を絞首で償う、と。彼女の願い通り、縛り首にしたらよろしいのに」
――ミミを絞首刑にだって?
ダーシーの口からその言葉が出たことに、背筋がぞっと震えた。彼女も相当世間から白眼視され、さすがに気が立っているのだろう。
「ミミを極刑に処すことはできないよ、ダーシー」
「なぜですか!」
――自裁に臨んだ女性に絞首刑を望むほど、僕は残忍になれない。
刑罰を求められない理由は他にもある。
「ヴェルノーン王国に、王室への不敬罪を裁く法律が無いからですよ」
僕の言葉を代弁したのは、執務室の戸口から顔をのぞかせたザックだった。
「ザック! おまえいつからそこにいたんだ?」
「先程から。扉がちゃんと閉まっていなくて、お二人の口論が廊下へ筒抜けでしたよ」
国教会への手紙をザックに拒否されて戻って来た時、乱暴に扉を閉めたからだ、きっと。
「不敬罪を裁けないとは、どういうことですか、ザック?」
「今、申した通りです、ダーシー様。〝王のいる国ならば必ず不敬罪がある〟というのは間違った認識です。ミミ様も遺書において勘違いをなされていましたね」
「では、ミミを投獄も処刑もできないというのですか?」
「そういうことになります」
「納得いかないわ。次期国王が名誉を傷つけられたというのに権力を行使できないなんて」
「ダーシー様もご存じでしょうが」 
ザックは眼鏡をかけ直す。
「我が国はかつて、絶対君主制でした。今は、立憲君主制です。別名は……制限君主制といいます」
ダーシーがぎゅっと唇を引き結ぶ。
ザックの言葉が耳に痛い。王子の口から説明するのは少々悔しい。
「ただしヴェルノーン王国では、陛下は単なる名目でも象徴でもなく、国政に参加する権利を与えられています。同じ立憲君主制の他の王国でも、拒否権や政治に関われる幅は異なります。我が国の君主に対する制限は、他国ほど厳格ではありません」
「いいえ、厳格だわ。一体誰が、そんな面倒くさい体制に変えたのです?」
「善政を敷いた、先代国王ですよ、ダーシー様」
ザックはあきれた表情でダーシーを見て、溜め息を落とす。本当に癪に障る男だ。
「ミミを、確実に裁ける罪は他に無いのですか!」
ダーシーは不勉強だと馬鹿にされていると思ったのか、今まで見たことの無い怖い顔で息巻いた。
「不敬罪はなくとも、大逆罪はあります。ミミ様は……遺書において殿下を批難しましたが、お命に物理的な危害を与えておりません。それに我が国には表現の自由があり、巷には、王室批判の記事があふれています。辛口のものから、低俗なものまで。品性に欠けた記者の駄文と比べれば、ミミ様の遺書は可愛い方ですよ」
ザックの言葉に面食らった。
「あれが……可愛い? どこが?」
僕の心に深い爪痕を残したぞ、彼女は。
「ザック! 少々口が過ぎるわよ。殿下とミミ、貴方はどちらの味方なのよ!」
ダーシーは眦をつり上げて、ザックへ詰め寄る。
「殿下の秘書なので、殿下だと思うのですが?」
「おい。僕を見ながら疑問形で言うな」
我が国に不敬罪があったら、こいつはその対象である。なんでこいつを採用してしまったのだろうか、僕は。
「それはそうとチャールズ殿下。こちらの書類に署名をいただきたいのですが」
ザックは抱えていた紙束を僕へ差し出した。
「急ぎの書類か?」
「明日までには」
「分かった。あとでまとめて署名するから机に置いてくれ」
ザックのそばをスッと横切る。
「チャールズ殿下、どちらへ?」
「少し風に当たってくる。気持ちに整理をつけたい。一人にしてくれ」
「かしこまりました」
僕は足早に執務室を出た。
城の倉庫へ向かうと、衛兵が敬礼をした。
「今、誰か中にいるかい?」
「いいえ、どなたも」
「そうかい。僕は探し物をする。僕が中にいる間は、誰も通さないように」
「かしこまりました」
倉庫へ入る。はめ殺しの天窓から細い光が差し込む他は明かりの無い暗い部屋だ。昼間は陽光を、夜は月光を頼りに中を探索できるが、新月の夜には立ち入りを禁じられている。ランタンを灯しても暗い為、保管された貴重な品々を傷つける可能性があるからだ。
人の言葉に疲弊していた為か、物言わぬモノに囲まれていると不思議な安心感がある。図書室ではダメだ。本に口は無いが文字を語る。目から他者の声が入ってくる。本は時に、読者の不安を駆り立てるからだ。
――言葉の無い世界なら、良いのに。言葉が怖い。言葉は剣だと誰が言ったのか。
目の前に、宝飾の立派な太刀が飾られていた。
その剣が今にも動き出し、僕の心臓を突くような錯覚に見舞われた。僕は倉庫の奥へと足早に向かう。子どもの背丈ほどしかない小さな鉄扉の錠を解き、押し開ける。木漏れ日が降り注ぎ、葉擦れと鳥の囀が耳をくすぐった。
王族以外に知る人はほとんどいない、城の秘密の箱庭だ。この場所の存在を知る庭師が時々手を入れてくれていると聞く。刈られたばかりであろう均等に揃った草の絨毯に横になる。陽光と風が久しく心地良い。
――そういえば昔、ミミをここに連れてきたことがあった。
瞼の裏に、幼き日の光景が蘇った。
【つづく】
ダーシーは、拗ねた表情で僕の目をじっと見つめた。
「誰よりも殿下に心を砕いている私を疑うなんて、あんまりですわ」
「すまない、ダーシー。君を傷つけるつもりは無かったんだ」
「あの女はチャールズ様の顔に泥を塗ったのですよ。あろうことか一国の王子である貴方に。これは立派な不敬罪ですのよ。まさかミミに情でも湧いたのですか」
「違うよ、ダーシー。それは誤解だ」
「ではなぜミミを投獄し、刑罰を与えないのですか! 彼女も遺書に書いたではないですか。不敬罪を絞首で償う、と。彼女の願い通り、縛り首にしたらよろしいのに」
――ミミを絞首刑にだって?
ダーシーの口からその言葉が出たことに、背筋がぞっと震えた。彼女も相当世間から白眼視され、さすがに気が立っているのだろう。
「ミミを極刑に処すことはできないよ、ダーシー」
「なぜですか!」
――自裁に臨んだ女性に絞首刑を望むほど、僕は残忍になれない。
刑罰を求められない理由は他にもある。
「ヴェルノーン王国に、王室への不敬罪を裁く法律が無いからですよ」
僕の言葉を代弁したのは、執務室の戸口から顔をのぞかせたザックだった。
「ザック! おまえいつからそこにいたんだ?」
「先程から。扉がちゃんと閉まっていなくて、お二人の口論が廊下へ筒抜けでしたよ」
国教会への手紙をザックに拒否されて戻って来た時、乱暴に扉を閉めたからだ、きっと。
「不敬罪を裁けないとは、どういうことですか、ザック?」
「今、申した通りです、ダーシー様。〝王のいる国ならば必ず不敬罪がある〟というのは間違った認識です。ミミ様も遺書において勘違いをなされていましたね」
「では、ミミを投獄も処刑もできないというのですか?」
「そういうことになります」
「納得いかないわ。次期国王が名誉を傷つけられたというのに権力を行使できないなんて」
「ダーシー様もご存じでしょうが」 
ザックは眼鏡をかけ直す。
「我が国はかつて、絶対君主制でした。今は、立憲君主制です。別名は……制限君主制といいます」
ダーシーがぎゅっと唇を引き結ぶ。
ザックの言葉が耳に痛い。王子の口から説明するのは少々悔しい。
「ただしヴェルノーン王国では、陛下は単なる名目でも象徴でもなく、国政に参加する権利を与えられています。同じ立憲君主制の他の王国でも、拒否権や政治に関われる幅は異なります。我が国の君主に対する制限は、他国ほど厳格ではありません」
「いいえ、厳格だわ。一体誰が、そんな面倒くさい体制に変えたのです?」
「善政を敷いた、先代国王ですよ、ダーシー様」
ザックはあきれた表情でダーシーを見て、溜め息を落とす。本当に癪に障る男だ。
「ミミを、確実に裁ける罪は他に無いのですか!」
ダーシーは不勉強だと馬鹿にされていると思ったのか、今まで見たことの無い怖い顔で息巻いた。
「不敬罪はなくとも、大逆罪はあります。ミミ様は……遺書において殿下を批難しましたが、お命に物理的な危害を与えておりません。それに我が国には表現の自由があり、巷には、王室批判の記事があふれています。辛口のものから、低俗なものまで。品性に欠けた記者の駄文と比べれば、ミミ様の遺書は可愛い方ですよ」
ザックの言葉に面食らった。
「あれが……可愛い? どこが?」
僕の心に深い爪痕を残したぞ、彼女は。
「ザック! 少々口が過ぎるわよ。殿下とミミ、貴方はどちらの味方なのよ!」
ダーシーは眦をつり上げて、ザックへ詰め寄る。
「殿下の秘書なので、殿下だと思うのですが?」
「おい。僕を見ながら疑問形で言うな」
我が国に不敬罪があったら、こいつはその対象である。なんでこいつを採用してしまったのだろうか、僕は。
「それはそうとチャールズ殿下。こちらの書類に署名をいただきたいのですが」
ザックは抱えていた紙束を僕へ差し出した。
「急ぎの書類か?」
「明日までには」
「分かった。あとでまとめて署名するから机に置いてくれ」
ザックのそばをスッと横切る。
「チャールズ殿下、どちらへ?」
「少し風に当たってくる。気持ちに整理をつけたい。一人にしてくれ」
「かしこまりました」
僕は足早に執務室を出た。
城の倉庫へ向かうと、衛兵が敬礼をした。
「今、誰か中にいるかい?」
「いいえ、どなたも」
「そうかい。僕は探し物をする。僕が中にいる間は、誰も通さないように」
「かしこまりました」
倉庫へ入る。はめ殺しの天窓から細い光が差し込む他は明かりの無い暗い部屋だ。昼間は陽光を、夜は月光を頼りに中を探索できるが、新月の夜には立ち入りを禁じられている。ランタンを灯しても暗い為、保管された貴重な品々を傷つける可能性があるからだ。
人の言葉に疲弊していた為か、物言わぬモノに囲まれていると不思議な安心感がある。図書室ではダメだ。本に口は無いが文字を語る。目から他者の声が入ってくる。本は時に、読者の不安を駆り立てるからだ。
――言葉の無い世界なら、良いのに。言葉が怖い。言葉は剣だと誰が言ったのか。
目の前に、宝飾の立派な太刀が飾られていた。
その剣が今にも動き出し、僕の心臓を突くような錯覚に見舞われた。僕は倉庫の奥へと足早に向かう。子どもの背丈ほどしかない小さな鉄扉の錠を解き、押し開ける。木漏れ日が降り注ぎ、葉擦れと鳥の囀が耳をくすぐった。
王族以外に知る人はほとんどいない、城の秘密の箱庭だ。この場所の存在を知る庭師が時々手を入れてくれていると聞く。刈られたばかりであろう均等に揃った草の絨毯に横になる。陽光と風が久しく心地良い。
――そういえば昔、ミミをここに連れてきたことがあった。
瞼の裏に、幼き日の光景が蘇った。
【つづく】
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