【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

4-5 ★ 不幸の只中で出会ったことが運命ならば

 夜の森へは不用意に入るなと昔から伝えられている。鳥や虫の音が聞こえるだけなら良いのだが、雄々しい獣が突如襲いかかってきたらひとたまりもないだろう。安全を期した装いでここへ入るべきだったかもしれない。けれどもアラベラ達に何か頼むのも嫌だった。ランタンを一つ借りただけで十分だ。

 小道に沿ってしばらく歩くと、小さな家が見えてきた。おそらくあそこが離れだろう。カーテンの隙間から中をのぞく。ひっくり返ったたくは部屋のすみに転がされたまま、台所には割れた茶器や食器が積み重なっている。

「ミミは、どんなひどい目に遭わされたんだ」

 ミミの身が心配だ。ひょっとすると怪我をしているのではないか。

「ミミ! ミミ、聞こえるかい!」

 離れを過ぎた先へも道は続いていた。大声で呼びかけながら歩く。月明かりが雲間から降り注いだ。先ほどより視界がきくが、彼女の姿を見つけるのは難しそうだ。

「ずっと一本道だし、迷いそうな道ではないけれど……ん?」

 ガサ……ガサガサ……

「ミミ?」

 振り返るが、辺りは木と雑草ばかりで人の気配は無い。すると突然、ものすごい速さで何かがこちらへ突進、茂みから飛び出した。

「わあ!」

 獣かと思ったが、そこにいたのはなんと一羽の野うさぎであった。

「はぁ、吃驚びっくりさせないでくれよ」

 再び歩き出そうとしたその時、近くの草むらから微かな音が聞こえた。

「また、野うさぎかな?」

 けれども油断ならない。うさぎより恐ろしい獣かもしれない。音の聞こえた方をおそるおそるうかがう。よく見ると木陰でなにかが微かに動いているのが分かった。もう少し近付いてみる。宵風が長い亜麻色の髪を靡かせる。木々が揺れると、空の丸い明かりが流星のように散り、眠る彼女の面持ちを照らした。

「ミミ?」

 名前を呼ぶと、ぴくりと長い睫毛まつげが揺れ、二重ふたえまぶたがゆっくりと開かれた。ミミはぼんやりと俺を見つめた後、柔和な笑みを浮かべた。

l「ああ……良い夢」

 彼女はとろけそうな眼差しで夜空を仰ぐと、再び俺と目を合わせた。

「満月の夜に……アルがそばにいるのだもの」

 木に寄りかかったまま、ミミは再び目を閉じた。夜の森に取り込まれて、そのまま魔法のように消えてしまいそうなほど儚い。

「起きて」

 俺の声は届かないようで、ミミは幸せな気持ちを抱いたまま、深い眠りに落ちていく。月光浴を楽しむ妖精のような、見とれるほど美しい寝姿だというのに心がかき乱された。なぜなら、美し過ぎる死に顔にも見えたからだ。

 ――彼女に生きて欲しい。

 生を望むだけの相手か? ――いや違う。

「好きだよ、ミミ」

 好きという言葉はなんて軽いのだろう。
 そしてなんて幼いのだろう。
 頬を伝う、一筋の涙の方が重い。

「俺……どうして……泣いているんだ」

 なぜ彼女の死に顔が浮かぶのだろう。
 なぜこれほど強く、彼女に生きて欲しいと願うのだろう。「なぜ」「なに」「どうして」疑問がぐちゃぐちゃの心情で、ただ一つ分かるのは成り行きや同情、友情でもなく、今ここにいる自分が妻を深く愛しているということだけだ。

「病める時も、健やかなる時も……」

 傷つき、病み、健やかでない時に君と縁があった。

 不幸の只中ただなかで、出会であったことが運命ならば。

「慰め、助け、命ある限りきみに心を尽くそう」

 月光の下、眠るミミにそっと口付くちづけをした。果たして彼女の呪いは解けるだろうか。

「ん?  あれ、私……」

 すると魔法がかかったように、深い眠りに落ちていた彼女が再び目を開けたのだった。

「アル……?」
「お目覚めですか、御姫様」

 ミミは頬を真っ赤に染め、自分の唇に手を添えた。

「どうしたの、ミミ。顔が赤いよ?」

 ランタンを掲げてミミの顔を照らすと、彼女は急に俺から視線を逸らした。

「実は……良い夢を見たの」
「どんな夢?」
御伽噺おとぎばなしみたいな夢。ステキな王子様が出てきたわ」
「へえ。その王子様は、こんな顔じゃなかったかい?」

 俺は自分を指差す。

「ええ。王子様はアルだったわよ」

 真っ向否定されると思ったのに、あっさり肯定されてしまった。

「ところで、ここはどこかしら?」
「迷子の迷子のミミさん。ここは森の中だけど一体どうしてこんなところでうたた寝なんかしていたんだい?」
「えっ、迷子?」
「そう。勝手口は開いているし、庭に謎の靴ベラは落ちているし、怪しい証拠や証言が山ほどあったから、心配で探し回って、ようやくここに辿り着いたんだよ」
「そ、そうだったの。心配かけてごめんなさい。実は……その……」
「詳しい事情は後で。夜の森は危険だ。さあ、帰ろう。俺達の家へ」

 俺はミミへ手を差し出した。
 ミミは俺の手を取ると、ゆっくり立ち上がり、

「迎えに来てくれてありがとう、王子様」

 泣き出しそうな声を必死に平常に装いながら、しなやかにお辞儀をした。

「俺は王子様じゃなくて司祭だよ。あっ、足元に気を付けて」

 ランタンを携え、暗い夜道を並んで歩く。
 彼女の行く先に闇が待ち受けていたとしても、こうして夜道を照らす存在でありますように。


【つづく】

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