【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
4-2 ★ どうして死んでしまったんだい?
「嫌な予感がする」
「まさか奥様の身に何か……」
「そうかもしれない。ここに靴ベラが落ちている理由さ。彼女が咄嗟につかんだものだったとしたら? なにか追い払う為に、自分の身を守ろうと……」
ナンシーは忽ち真っ青になった。
「け……警察を……」
「いや、待って。近所の人から情報を聞いてみよう」
俺は隣家のモリソンさんの玄関を鳴らした。半袖に半ズボン姿の中年男性が欠伸をしながら現れた。
「はい、どちらさまで……おや、司祭様じゃないですか。何用でしょう?」
「お訊ねしたいことがあって。実は……」
手短に現状を話す。
「なるほど。奥様がいなくなったのは何時頃ですか」
「俺が外出したのが一時、ナンシーが二時でした。二時以降ということしか……」
「二時以降……」
モリソンさんは口ひげを撫でながら考えた。
「ちょうど寝ていた頃です。二時以降でしたら、郵便が届く時間のはず。郵便屋が見たという可能性はありますよ」
「私が家を出た時には、郵便は届いていなかったわ。先ほど帰ってきたら、郵便受けに入っていたけれど」
ナンシーはエプロンのポケットに入れたままの郵便物を出す。
「でしたら……もしかするとですよ、お宅にやってきた郵便屋が何か見たかもしれねぇ。悪いね、おとなりに住んでいて、何も力になれなくて。そうだ、ブロッサムさんにはもう訊ねたのかい?」
「これから向かうところです。情報ありがとうございます」
俺とナンシーは、もう一軒の隣家、ブロッサムさんのところへ急ぎ向かった。呼び鈴を鳴らすと、杖を突いた高齢の女性が現れた。
「あら、司祭様。何か御用ですか?」
俺はこれまでの経緯を伝えた。
「二時頃といえば、司祭様の庭から、話し声が聞こえたねぇ」
「何を話していたか分かりますか」
「いや。声のトーンが高かったから、女性だと思うけどね。一人じゃなかったよ。三、四人はいたと思うけど」
「女性の客……」
二つの状況が頭に浮かんだ。
その一。勝手口で、ミミが女性客を出迎えた。それはおかしい。普通玄関だろう。それは絶対にあり得ない。
その二。勝手口から庭に出て、土いじりに勤しんでいたミミが女性客と話していた。しかしミミは靴ベラを持って庭にいた。庭いじりに靴ベラを使うくらいなら納屋にある他の道具の方が便利だ。靴ベラに泥は付着していなかった。俺は咄嗟につかんだという気がしてならない。
他にもいろいろな状況を考えたが、どれもしっくりこない。
「郵便局に行こう」
「おともします、旦那様」
「いや、君は家にいてくれないか、ナンシー。ひょっとするとこちらの杞憂で、ミミが帰ってくるかもしれないからね。その時は俺に報せてくれるかい?」
「分かりました。旦那様、お気を付けて」
俺は急ぎ郵便局へ向かった。午後二時以降に郵便を届けに来た配達員を探そう。何の情報も得られなかったとしても決して無駄ではない。胸騒ぎがする。嫌な予感がしてならない。
――もしも何か手遅れになってしまったら。
背筋に悪寒が走り、彼女の首吊りの現場を見た時のことが蘇る。あの時もしも……俺が数分遅れていたら? 読みたかった本は「別の日で良い」と図書館へ赴かなかったら?
それでも俺は泣いただろう。言葉も交わせなかった彼女の死を悼んだ。他者の不幸は蜜の味と、恐ろしい言葉が世の中にはあったものだ。誰かにとって彼女の死は歓迎されたとしても、俺はそれを苦いと取る人間でありたい。自殺を止められなかった未来であったとしても、彼女の骸を前に、俺はどんな弔辞を述べただろうか。
――どうして死んでしまったんだい?
魂の深海から水泡のように浮上した言葉は、愛や慰めの言葉ではなく、子どもでも口に出来る平易な「死への問い」であった。
不吉な予感を連れた夕風の中に〝別の俺〟の気配を感じた。
――誰だ? 胸の奥で、これを呟いたのは、一体どの自分だ?
まるでもう、ミミは死んでしまったように落胆している。
死の理由を問いかけるだけの無力な自分に苛立ちを覚えた。
自己嫌悪を振り払うように駆け出す。郵便局に着くと、すぐさま受付へ飛んだ。
「おや、司祭様。一体どうされたんですか。走ってきたのですか? 汗だくじゃないですか」
「急用で……」
俺は滴る汗を袖で拭うと、事の次第を局長に話す。
「司祭様のお宅へ郵便を届ける担当といえば」
「はい、僕ですが」
俺と局長の会話を耳に入れていた青年が立ち上がる。顔にそばかすのある十代後半とみられる若い男性だった。
「二時十五分くらいだと思います。司祭様のお宅へ郵便を届けましたよ。配達の時間は決まっているので、時計をこまめに確認していますから、間違いありません」
「その時、誰かうちに来ていませんでしたか。隣のブロッサムさんによると、庭から複数の女性の声が聞こえたということなのですが」
「複数の女性……。そういえば郵便物をお届けした後、次の区に移る時に……」
「誰か見たんですか!」
「は……はい。若い女性が三人、司祭様のお宅の方角へ向かうのを見ました。方角が一緒なだけで、司祭様のお宅へ入ったかどうかは分かりませんが」
「その三人とは?」
「アラベラと、もう一人はたぶん……エロイーズかな。あの二人はよく一緒にいますし。三人目は……誰だっただろう。すみません、自転車で通りすがっただけなので、顔をよく見ていなくて。でも、アラベラだけはハッキリ分かりましたよ」
――アラベラ。エロイーズ。要注意人物が揃って我が家へ来た!? 三人目は誰だ? ミミが消えたのと、絶対無関係じゃないだろ!
「情報ありがとうございます!」
俺は郵便局を飛び出し、アラベラの家へ急いだ。
【つづく】
「まさか奥様の身に何か……」
「そうかもしれない。ここに靴ベラが落ちている理由さ。彼女が咄嗟につかんだものだったとしたら? なにか追い払う為に、自分の身を守ろうと……」
ナンシーは忽ち真っ青になった。
「け……警察を……」
「いや、待って。近所の人から情報を聞いてみよう」
俺は隣家のモリソンさんの玄関を鳴らした。半袖に半ズボン姿の中年男性が欠伸をしながら現れた。
「はい、どちらさまで……おや、司祭様じゃないですか。何用でしょう?」
「お訊ねしたいことがあって。実は……」
手短に現状を話す。
「なるほど。奥様がいなくなったのは何時頃ですか」
「俺が外出したのが一時、ナンシーが二時でした。二時以降ということしか……」
「二時以降……」
モリソンさんは口ひげを撫でながら考えた。
「ちょうど寝ていた頃です。二時以降でしたら、郵便が届く時間のはず。郵便屋が見たという可能性はありますよ」
「私が家を出た時には、郵便は届いていなかったわ。先ほど帰ってきたら、郵便受けに入っていたけれど」
ナンシーはエプロンのポケットに入れたままの郵便物を出す。
「でしたら……もしかするとですよ、お宅にやってきた郵便屋が何か見たかもしれねぇ。悪いね、おとなりに住んでいて、何も力になれなくて。そうだ、ブロッサムさんにはもう訊ねたのかい?」
「これから向かうところです。情報ありがとうございます」
俺とナンシーは、もう一軒の隣家、ブロッサムさんのところへ急ぎ向かった。呼び鈴を鳴らすと、杖を突いた高齢の女性が現れた。
「あら、司祭様。何か御用ですか?」
俺はこれまでの経緯を伝えた。
「二時頃といえば、司祭様の庭から、話し声が聞こえたねぇ」
「何を話していたか分かりますか」
「いや。声のトーンが高かったから、女性だと思うけどね。一人じゃなかったよ。三、四人はいたと思うけど」
「女性の客……」
二つの状況が頭に浮かんだ。
その一。勝手口で、ミミが女性客を出迎えた。それはおかしい。普通玄関だろう。それは絶対にあり得ない。
その二。勝手口から庭に出て、土いじりに勤しんでいたミミが女性客と話していた。しかしミミは靴ベラを持って庭にいた。庭いじりに靴ベラを使うくらいなら納屋にある他の道具の方が便利だ。靴ベラに泥は付着していなかった。俺は咄嗟につかんだという気がしてならない。
他にもいろいろな状況を考えたが、どれもしっくりこない。
「郵便局に行こう」
「おともします、旦那様」
「いや、君は家にいてくれないか、ナンシー。ひょっとするとこちらの杞憂で、ミミが帰ってくるかもしれないからね。その時は俺に報せてくれるかい?」
「分かりました。旦那様、お気を付けて」
俺は急ぎ郵便局へ向かった。午後二時以降に郵便を届けに来た配達員を探そう。何の情報も得られなかったとしても決して無駄ではない。胸騒ぎがする。嫌な予感がしてならない。
――もしも何か手遅れになってしまったら。
背筋に悪寒が走り、彼女の首吊りの現場を見た時のことが蘇る。あの時もしも……俺が数分遅れていたら? 読みたかった本は「別の日で良い」と図書館へ赴かなかったら?
それでも俺は泣いただろう。言葉も交わせなかった彼女の死を悼んだ。他者の不幸は蜜の味と、恐ろしい言葉が世の中にはあったものだ。誰かにとって彼女の死は歓迎されたとしても、俺はそれを苦いと取る人間でありたい。自殺を止められなかった未来であったとしても、彼女の骸を前に、俺はどんな弔辞を述べただろうか。
――どうして死んでしまったんだい?
魂の深海から水泡のように浮上した言葉は、愛や慰めの言葉ではなく、子どもでも口に出来る平易な「死への問い」であった。
不吉な予感を連れた夕風の中に〝別の俺〟の気配を感じた。
――誰だ? 胸の奥で、これを呟いたのは、一体どの自分だ?
まるでもう、ミミは死んでしまったように落胆している。
死の理由を問いかけるだけの無力な自分に苛立ちを覚えた。
自己嫌悪を振り払うように駆け出す。郵便局に着くと、すぐさま受付へ飛んだ。
「おや、司祭様。一体どうされたんですか。走ってきたのですか? 汗だくじゃないですか」
「急用で……」
俺は滴る汗を袖で拭うと、事の次第を局長に話す。
「司祭様のお宅へ郵便を届ける担当といえば」
「はい、僕ですが」
俺と局長の会話を耳に入れていた青年が立ち上がる。顔にそばかすのある十代後半とみられる若い男性だった。
「二時十五分くらいだと思います。司祭様のお宅へ郵便を届けましたよ。配達の時間は決まっているので、時計をこまめに確認していますから、間違いありません」
「その時、誰かうちに来ていませんでしたか。隣のブロッサムさんによると、庭から複数の女性の声が聞こえたということなのですが」
「複数の女性……。そういえば郵便物をお届けした後、次の区に移る時に……」
「誰か見たんですか!」
「は……はい。若い女性が三人、司祭様のお宅の方角へ向かうのを見ました。方角が一緒なだけで、司祭様のお宅へ入ったかどうかは分かりませんが」
「その三人とは?」
「アラベラと、もう一人はたぶん……エロイーズかな。あの二人はよく一緒にいますし。三人目は……誰だっただろう。すみません、自転車で通りすがっただけなので、顔をよく見ていなくて。でも、アラベラだけはハッキリ分かりましたよ」
――アラベラ。エロイーズ。要注意人物が揃って我が家へ来た!? 三人目は誰だ? ミミが消えたのと、絶対無関係じゃないだろ!
「情報ありがとうございます!」
俺は郵便局を飛び出し、アラベラの家へ急いだ。
【つづく】
「恋愛」の人気作品
書籍化作品
-
-
49989
-
-
4114
-
-
755
-
-
140
-
-
841
-
-
39
-
-
11128
-
-
2813
-
-
107
コメント