【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
3-3 ★ 塩、塩、塩
事件は現場で起こっている。
現場は家、被害者はうちの旦那様。
それから私たちは今まで以上に周囲へ警戒を怠らぬようにした。たとえ火の中、水の中、藪や茂みで記者が写真機を構えていたって、潜伏場所を見つけ出し、ネズミ捕りのように罠を仕掛け、ヤツラの名前と出版社を突き止めてきた。うちの旦那様に手を出そうものなら、ただじゃおかないわ。懲らしめなければ元悪女の名が廃る。
「悪女の名は廃っていいんじゃないかな?」
私の意気込みを聞いたアルは、苦笑いを浮かべていた。
「悪名は上手く利用しなければ」
「美名を後世に残しても……良いのでは?」
「甘い。美しさの裏には醜さがあるのです。美名なんて胡散臭さ極まりないわ」
「さ……左様ですか」
「私だってそりゃぁ〝司祭の奥様は美人で優しい〟と評判が立ったら、嬉しいですけど」
「残念なことに〝司祭夫婦は破壊的味覚の持ち主だ〟と専らの噂だ」
「そのおかげで、毒入り菓子の差し入れは無くなったではないですか。ちなみにどのくらいの期間、差し入れは続いていたのですか?」
「半年……かな」
「半年間、貴方に毒や惚れ薬を盛ったけれど、ちっとも効果が無かったので、あちらが諦めたのかもしれないですね。そこに私が嫁いできて、舌が干からびそうな不味い菓子をしこたま作り、貴方が〝美味い、美味い〟と食べたものだから、百年の恋も冷めたのでは? 大きなトドメになったのは確実でしょう」
アルは机に突っ伏し、笑いに肩を震わせていた。
「アル。そろそろ時間では?」
町役場の会議の時間だ。司祭は町と人とを繋げる役割を担う。司祭の口を通すことで、要望や嘆願がお役所へ届きやすい為、様々な会合や催し物に招かれていた。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。お気を付けて、アル」
書斎を出て行こうとしたアルが、扉の前で急に立ち止まり、私へ振り向いた。
「どうされました?」
「ああ……いや、その」
アルは口籠もり、視線を落とす。
「もう一度、言ってくれないかな」
「もう一度? 何を?」
「見送りの言葉。気丈夫なミミの言葉は何よりの御守りだから」
アルの頬は俄に赤みを帯びていた。
「行ってらっしゃい……で良いのですか?」
「うん」
「あっ、そうだわ。この御守りも持って行ってください」
紙で包んだ手作りの飴玉をアルに握らせた。アルはぽかんとして飴玉を見下ろしている。
「私とナンシーの手作りです。蜂蜜、水飴、檸檬をまぜて作りましたの。疲れがとれますよ」
「まぜたのは……それだけ?」
「あら、塩飴が良かったですか?」
「いえいえ、とんでもない」
「遠慮なさらず。塩飴も持っていってくださいな。嫌いな敵に差し上げて」
塩飴を二粒、彼の手に握らせた。
「塩を送ったら、敵を助けることになってしまうよ、ミミ」
「えっ、今なんて?」
「だから。塩を送るというのは、敵を助けることの例えさ」
アルと会話をしながら違和感を覚えた。
――「敵に塩を送る」ということわざは、この世界にもあったかしら。生まれ変わる前の「日本」だけだと思っていたけれど。
「御守りをありがとう、ミミ。それじゃあ」
「行ってらっしゃい、アル」
アルを見送ったあと台所へ行くと、ナンシーがお湯を沸かしていた。
「奥様。お茶の時間にしませんか」
「そうしましょう」
紅茶を飲みながら、夕食の献立をナンシーと相談する。
「塩をきかせるか、きかせないか」という話題になったので。
「ねぇ、ナンシー。敵に塩を送るって、どういう意味か知っている?」
本好きのナンシーなら、ことわざに詳しいと思って訊ねてみた。
「敵に塩なら、たっぷり送ったではないですか。岩塩クッキーを」
「そうだったわね」
ナンシーは「塩を送る」は敵対する相手を懲らしめるという意味で解釈している。
「本当は、苦しんでいる敵を助けることの意味なのよ」
「へぇ、それはなぜですか?」
「塩不足で困っていた敵に送ったのが始まりとされているの」
「奥様は歴史にもお詳しいのですね」
「そうね。昔々、遠い国の物語だけど」
前世、日本人だった時に、歴史の授業で習ったことだ。
「ところで奥様。誠に申し訳ありませんが、私、夕時まで外出しても構わないでしょうか」
「勿論よ。何か買い物?」
「はい。友人の退院祝いの品を揃えたいのです。休日に準備をする予定だったのですが、退院の日取りが早まりましてね」
「そうだったの。ゆっくり選んでいらして」
「何か御入り用のものはありませんか。揃えて参ります」
「大丈夫よ。気を付けて。ステキな贈り物が見つかると良いわね」
「ありがとうございます」
ナンシーも出かけてしまい、私一人が館に残されてしまった。
「一人ぼっちというのは……寂しいわね」
一人で飲む紅茶は美味しくない。
「そうだわ」
アルの書斎へ向かうと、棚から数冊の辞書を引っ張り出す。生まれ変わる前の日本では、インターネットですぐに検索できたが、この異世界で頼れるのは辞書のみ。
「塩……塩……塩……」
塩に関する項目をひたすら調べ始めた。
【つづく】
現場は家、被害者はうちの旦那様。
それから私たちは今まで以上に周囲へ警戒を怠らぬようにした。たとえ火の中、水の中、藪や茂みで記者が写真機を構えていたって、潜伏場所を見つけ出し、ネズミ捕りのように罠を仕掛け、ヤツラの名前と出版社を突き止めてきた。うちの旦那様に手を出そうものなら、ただじゃおかないわ。懲らしめなければ元悪女の名が廃る。
「悪女の名は廃っていいんじゃないかな?」
私の意気込みを聞いたアルは、苦笑いを浮かべていた。
「悪名は上手く利用しなければ」
「美名を後世に残しても……良いのでは?」
「甘い。美しさの裏には醜さがあるのです。美名なんて胡散臭さ極まりないわ」
「さ……左様ですか」
「私だってそりゃぁ〝司祭の奥様は美人で優しい〟と評判が立ったら、嬉しいですけど」
「残念なことに〝司祭夫婦は破壊的味覚の持ち主だ〟と専らの噂だ」
「そのおかげで、毒入り菓子の差し入れは無くなったではないですか。ちなみにどのくらいの期間、差し入れは続いていたのですか?」
「半年……かな」
「半年間、貴方に毒や惚れ薬を盛ったけれど、ちっとも効果が無かったので、あちらが諦めたのかもしれないですね。そこに私が嫁いできて、舌が干からびそうな不味い菓子をしこたま作り、貴方が〝美味い、美味い〟と食べたものだから、百年の恋も冷めたのでは? 大きなトドメになったのは確実でしょう」
アルは机に突っ伏し、笑いに肩を震わせていた。
「アル。そろそろ時間では?」
町役場の会議の時間だ。司祭は町と人とを繋げる役割を担う。司祭の口を通すことで、要望や嘆願がお役所へ届きやすい為、様々な会合や催し物に招かれていた。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。お気を付けて、アル」
書斎を出て行こうとしたアルが、扉の前で急に立ち止まり、私へ振り向いた。
「どうされました?」
「ああ……いや、その」
アルは口籠もり、視線を落とす。
「もう一度、言ってくれないかな」
「もう一度? 何を?」
「見送りの言葉。気丈夫なミミの言葉は何よりの御守りだから」
アルの頬は俄に赤みを帯びていた。
「行ってらっしゃい……で良いのですか?」
「うん」
「あっ、そうだわ。この御守りも持って行ってください」
紙で包んだ手作りの飴玉をアルに握らせた。アルはぽかんとして飴玉を見下ろしている。
「私とナンシーの手作りです。蜂蜜、水飴、檸檬をまぜて作りましたの。疲れがとれますよ」
「まぜたのは……それだけ?」
「あら、塩飴が良かったですか?」
「いえいえ、とんでもない」
「遠慮なさらず。塩飴も持っていってくださいな。嫌いな敵に差し上げて」
塩飴を二粒、彼の手に握らせた。
「塩を送ったら、敵を助けることになってしまうよ、ミミ」
「えっ、今なんて?」
「だから。塩を送るというのは、敵を助けることの例えさ」
アルと会話をしながら違和感を覚えた。
――「敵に塩を送る」ということわざは、この世界にもあったかしら。生まれ変わる前の「日本」だけだと思っていたけれど。
「御守りをありがとう、ミミ。それじゃあ」
「行ってらっしゃい、アル」
アルを見送ったあと台所へ行くと、ナンシーがお湯を沸かしていた。
「奥様。お茶の時間にしませんか」
「そうしましょう」
紅茶を飲みながら、夕食の献立をナンシーと相談する。
「塩をきかせるか、きかせないか」という話題になったので。
「ねぇ、ナンシー。敵に塩を送るって、どういう意味か知っている?」
本好きのナンシーなら、ことわざに詳しいと思って訊ねてみた。
「敵に塩なら、たっぷり送ったではないですか。岩塩クッキーを」
「そうだったわね」
ナンシーは「塩を送る」は敵対する相手を懲らしめるという意味で解釈している。
「本当は、苦しんでいる敵を助けることの意味なのよ」
「へぇ、それはなぜですか?」
「塩不足で困っていた敵に送ったのが始まりとされているの」
「奥様は歴史にもお詳しいのですね」
「そうね。昔々、遠い国の物語だけど」
前世、日本人だった時に、歴史の授業で習ったことだ。
「ところで奥様。誠に申し訳ありませんが、私、夕時まで外出しても構わないでしょうか」
「勿論よ。何か買い物?」
「はい。友人の退院祝いの品を揃えたいのです。休日に準備をする予定だったのですが、退院の日取りが早まりましてね」
「そうだったの。ゆっくり選んでいらして」
「何か御入り用のものはありませんか。揃えて参ります」
「大丈夫よ。気を付けて。ステキな贈り物が見つかると良いわね」
「ありがとうございます」
ナンシーも出かけてしまい、私一人が館に残されてしまった。
「一人ぼっちというのは……寂しいわね」
一人で飲む紅茶は美味しくない。
「そうだわ」
アルの書斎へ向かうと、棚から数冊の辞書を引っ張り出す。生まれ変わる前の日本では、インターネットですぐに検索できたが、この異世界で頼れるのは辞書のみ。
「塩……塩……塩……」
塩に関する項目をひたすら調べ始めた。
【つづく】
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コメント
旭山リサ
★清水漱平さんへ★ 甘塩っぱいものが好きなんですよ~。塩飴とか、塩豆大福とかが大好物です。コメントありがとうございます。
清水レモン
いよいよいよいよな予感がします。
あ、塩飴