【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
10-6 ★ いつもの抜けているおまえはどこに
王宮への引っ越しの日取りは、年明けに決まった。
冬の年末は何かと教会区の行事が多いのだ。
生まれ変わる前の世界では、冬といえばクリスマスという宗教の一大行事があった。この世界でも冬になると、救いの御子や聖人を祝う行事が目白押しなのだ。
――アンダンテ教会区の司祭として、これらに勤めるのは最後になるな。
旅行から帰って、早一ヶ月。
今後の予定表を確認しながら、感慨深い気持ちがこみ上げてきた。
――王位継承の変動が世間に公表されたら、生活が一変してしまう。
チャールズが王位継承から退くことは、内輪のみの決め事だ。チャールズは舞踏会で公表したいと考えていたが、ギョーム陛下から「然るべき手順がある」と助言があり、延期となった。
この国には〝王位継承評議会〟が存在する。慣例から君主の血縁者が代々継ぐとは云っても、有識者、聖職者、施政者、判事、王侯貴族が集って〝継承者を評議し認めた〟ことを付加し、玉座の価値を高めようとする考えから生まれたものだ。これも立憲君主制さながらといえる。法の下に存在する君主は、国民の代表者であるという考えが根底にあるのだ。
さて。自ら王位継承を退いたチャールズはというと、
「楽しみだなぁ。みんな吃驚するでしょうね」
土曜日の午後、彼は王都の美味しいお菓子を手土産に我が家にやってきた。秋の果物をふんだんに使った生菓子は、我が家の食卓に華を添えた。俺、ミミ、ナンシー、チャールズの四人で食卓を囲み、美味しい紅茶と共にいただく。
「そうそう。アンダンテの次の司祭が決まりましたよ、兄上」
チャールズの嬉しそうな表情から察するに〝彼〟ではないか。
「ザックがアンダンテの後任司祭に決まりました。とはいえまだ秘密ですよ」
「分かっているよ。最初からそうするつもりで、俺たちの新婚旅行の留守を、彼に預けたんじゃないのか、チャールズ」
「あっ、バレましたか」
「バレバレよ。貴方がザックさんを後任に推薦したのでしょう?」
ミミは微笑みながら言うと、ケーキを美味しそうにぱくりと一口食べた。
「僕は、ザックが後任に相応しいと口添えをしただけで、全て父上と大主教が話し合って決めたことだよ」
「俺も、彼以上の後任はいないと思う」
口数は少ないけれど真面目な彼に親しみを抱いた町民は多いようで「ザック先生はもう来ないの?」と訊ねられることが度々あった。
「実は……玉座を辞退したい旨をはじめに相談したのは、ザックだったのです」
「そうだったのか」
そういえば新婚旅行の出発前、ザックが我が家に来た時に言葉を濁(にご)していたっけ。
「ザックの根本は聖職者だと、日々の折々で感じておりました。彼は世話焼きで良い男です。従兄弟のジーニーを紹介してくれたことには感謝しかない。ジーニーは機知に富んだ秘書です」
チャールズは窓から教会の庭を見る。木陰でジーニーが読書に耽っていた。学生時代の光景が蘇る。本好きなところはザックと同じだな。
「ザックさんならきっと、教会区の務めを立派に果たしますわ。知らない人に引き渡すよりもずっと良いですが……やっぱり寂しいですわ。この教会区での暮らしも、残すところ僅かだと思うと……」
「ナンシー。泣いているのかい?」
「だって……ここは私の第二の家でしたもの」
前任司祭の時から家政婦として勤めていたナンシーにとって、俺以上にここは大事な場所だった。
「ザックがここに赴任するから、またいつでも足を運べるよ」
「はい、そうでございますね」
ナンシーはハンカチで涙を拭う。ナンシーは俺の叔母にあたるため、この度ついに家政婦業を引退することとなった。俺たち夫婦と共に王城に住むが、ナンシーの趣味は料理研究なので、暇さえあれば厨房に立ちそうな気がしてならない。
「うっ……」
ミミまでもがハンカチで顔を押さえている。まさか泣いているのかと思いきや、妻の顔色が悪い。
「どうした、ミミ?」
「なんだか気持ち悪いの」
「大丈夫!?」
ミミの背中をさすっていると。
「あ。ひょっとして……悪阻ですか?」
チャールズの一言で、その場が水を打ったような静けさに包まれた。
「ミミは妊娠しているのでしょう? ひょっとしてケーキが合わなかったんですかね」
――ミミが身重だという誤解がまだ続いていた!
「奥様が妊娠? まあまあまあ! どうして私に教えてくださらなかったんです? ああ神様、ありがとうございます。キャロル姉様が聞いたらどれほどお喜びになられたことか!」
ナンシーが喜色満面、少女のようにはしゃいでいる。
「そうだった。僕としたことがすっかり失念しておりました! 今日こちらにうかがったのは、王都の名医にかかっていただこうと、お二人に良い産婦人科をご紹介する為だったのです」
――なぜ今思い出すんだ、チャールズ。いつもの抜けているおまえはどこにいったんだ。
「旅行から帰国後、僕が王位継承の辞退を申し出た為に、ご対応が遅れてしまいました。陛下にも怒られたばかりなのです。なぜそんな大事なことを先に教えないのか、と」
――ついに陛下の耳にも! さらにさらに言い出しにくい状況になってしまったぞ!
「僕からのお詫びとして、特に評判の良い病院をいくつか見つけました。料理が美味しい病院、空気が綺麗な病院、最新設備が整った病院。兄上が納得できるようにと、ジーニーに頼んで各病院の分娩成功率と利用者の声もまとめて持参しております」
ここまで気遣ってもらって申し訳無いが、真実を打ち明けるしかないだろうとミミをうかがうと、青ざめていた彼女の顔がなぜか桜色に染まっている。
「ミミ、熱があるんじゃ……」
「え?」
「顔が赤いよ」
「そ、そう?」
ミミは自分の頬をぺたぺたと触った。
「悪阻……なのかしら」
「えっ」
ミミは自分のお腹をさすった。俺とミミは無言で見つめ合う。お互いの口元がほんの少し笑みにゆるむ。彼女の両手をすくい取った。
「すぐに先生に診てもらおう。ええと……チャールズ、病院だ、病院! チャールズ!」
「えっ……あ、は、はい。ええと、どこの病院に?」
「近場だ近場! すぐに馬車を!」
「は、はいぃい――!」
チャールズが乗ってきた王家の馬車で、俺たちはすぐに最寄りの産婦人科へ向かった。幸いにも病院は空いており、すぐに診察室へ通される。ひょっとするとこちらのぬか喜びで、別の病気ではないかと不安が募ったが。
「ご懐妊おめでとうございます」
俺は診察室でミミをぎゅっと抱きしめた。神様ありがとう!
【つづく】
次話の更新は【10月13日 日曜日】を予定しています。
冬の年末は何かと教会区の行事が多いのだ。
生まれ変わる前の世界では、冬といえばクリスマスという宗教の一大行事があった。この世界でも冬になると、救いの御子や聖人を祝う行事が目白押しなのだ。
――アンダンテ教会区の司祭として、これらに勤めるのは最後になるな。
旅行から帰って、早一ヶ月。
今後の予定表を確認しながら、感慨深い気持ちがこみ上げてきた。
――王位継承の変動が世間に公表されたら、生活が一変してしまう。
チャールズが王位継承から退くことは、内輪のみの決め事だ。チャールズは舞踏会で公表したいと考えていたが、ギョーム陛下から「然るべき手順がある」と助言があり、延期となった。
この国には〝王位継承評議会〟が存在する。慣例から君主の血縁者が代々継ぐとは云っても、有識者、聖職者、施政者、判事、王侯貴族が集って〝継承者を評議し認めた〟ことを付加し、玉座の価値を高めようとする考えから生まれたものだ。これも立憲君主制さながらといえる。法の下に存在する君主は、国民の代表者であるという考えが根底にあるのだ。
さて。自ら王位継承を退いたチャールズはというと、
「楽しみだなぁ。みんな吃驚するでしょうね」
土曜日の午後、彼は王都の美味しいお菓子を手土産に我が家にやってきた。秋の果物をふんだんに使った生菓子は、我が家の食卓に華を添えた。俺、ミミ、ナンシー、チャールズの四人で食卓を囲み、美味しい紅茶と共にいただく。
「そうそう。アンダンテの次の司祭が決まりましたよ、兄上」
チャールズの嬉しそうな表情から察するに〝彼〟ではないか。
「ザックがアンダンテの後任司祭に決まりました。とはいえまだ秘密ですよ」
「分かっているよ。最初からそうするつもりで、俺たちの新婚旅行の留守を、彼に預けたんじゃないのか、チャールズ」
「あっ、バレましたか」
「バレバレよ。貴方がザックさんを後任に推薦したのでしょう?」
ミミは微笑みながら言うと、ケーキを美味しそうにぱくりと一口食べた。
「僕は、ザックが後任に相応しいと口添えをしただけで、全て父上と大主教が話し合って決めたことだよ」
「俺も、彼以上の後任はいないと思う」
口数は少ないけれど真面目な彼に親しみを抱いた町民は多いようで「ザック先生はもう来ないの?」と訊ねられることが度々あった。
「実は……玉座を辞退したい旨をはじめに相談したのは、ザックだったのです」
「そうだったのか」
そういえば新婚旅行の出発前、ザックが我が家に来た時に言葉を濁(にご)していたっけ。
「ザックの根本は聖職者だと、日々の折々で感じておりました。彼は世話焼きで良い男です。従兄弟のジーニーを紹介してくれたことには感謝しかない。ジーニーは機知に富んだ秘書です」
チャールズは窓から教会の庭を見る。木陰でジーニーが読書に耽っていた。学生時代の光景が蘇る。本好きなところはザックと同じだな。
「ザックさんならきっと、教会区の務めを立派に果たしますわ。知らない人に引き渡すよりもずっと良いですが……やっぱり寂しいですわ。この教会区での暮らしも、残すところ僅かだと思うと……」
「ナンシー。泣いているのかい?」
「だって……ここは私の第二の家でしたもの」
前任司祭の時から家政婦として勤めていたナンシーにとって、俺以上にここは大事な場所だった。
「ザックがここに赴任するから、またいつでも足を運べるよ」
「はい、そうでございますね」
ナンシーはハンカチで涙を拭う。ナンシーは俺の叔母にあたるため、この度ついに家政婦業を引退することとなった。俺たち夫婦と共に王城に住むが、ナンシーの趣味は料理研究なので、暇さえあれば厨房に立ちそうな気がしてならない。
「うっ……」
ミミまでもがハンカチで顔を押さえている。まさか泣いているのかと思いきや、妻の顔色が悪い。
「どうした、ミミ?」
「なんだか気持ち悪いの」
「大丈夫!?」
ミミの背中をさすっていると。
「あ。ひょっとして……悪阻ですか?」
チャールズの一言で、その場が水を打ったような静けさに包まれた。
「ミミは妊娠しているのでしょう? ひょっとしてケーキが合わなかったんですかね」
――ミミが身重だという誤解がまだ続いていた!
「奥様が妊娠? まあまあまあ! どうして私に教えてくださらなかったんです? ああ神様、ありがとうございます。キャロル姉様が聞いたらどれほどお喜びになられたことか!」
ナンシーが喜色満面、少女のようにはしゃいでいる。
「そうだった。僕としたことがすっかり失念しておりました! 今日こちらにうかがったのは、王都の名医にかかっていただこうと、お二人に良い産婦人科をご紹介する為だったのです」
――なぜ今思い出すんだ、チャールズ。いつもの抜けているおまえはどこにいったんだ。
「旅行から帰国後、僕が王位継承の辞退を申し出た為に、ご対応が遅れてしまいました。陛下にも怒られたばかりなのです。なぜそんな大事なことを先に教えないのか、と」
――ついに陛下の耳にも! さらにさらに言い出しにくい状況になってしまったぞ!
「僕からのお詫びとして、特に評判の良い病院をいくつか見つけました。料理が美味しい病院、空気が綺麗な病院、最新設備が整った病院。兄上が納得できるようにと、ジーニーに頼んで各病院の分娩成功率と利用者の声もまとめて持参しております」
ここまで気遣ってもらって申し訳無いが、真実を打ち明けるしかないだろうとミミをうかがうと、青ざめていた彼女の顔がなぜか桜色に染まっている。
「ミミ、熱があるんじゃ……」
「え?」
「顔が赤いよ」
「そ、そう?」
ミミは自分の頬をぺたぺたと触った。
「悪阻……なのかしら」
「えっ」
ミミは自分のお腹をさすった。俺とミミは無言で見つめ合う。お互いの口元がほんの少し笑みにゆるむ。彼女の両手をすくい取った。
「すぐに先生に診てもらおう。ええと……チャールズ、病院だ、病院! チャールズ!」
「えっ……あ、は、はい。ええと、どこの病院に?」
「近場だ近場! すぐに馬車を!」
「は、はいぃい――!」
チャールズが乗ってきた王家の馬車で、俺たちはすぐに最寄りの産婦人科へ向かった。幸いにも病院は空いており、すぐに診察室へ通される。ひょっとするとこちらのぬか喜びで、別の病気ではないかと不安が募ったが。
「ご懐妊おめでとうございます」
俺は診察室でミミをぎゅっと抱きしめた。神様ありがとう!
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