【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
10-5 ★ 誰もが待ち望んでいた守護者
「それでは私の努力が水の泡ではないですか」
――私の努力?
ダーシーは見積もり書にグシャリと皺を寄せると、目を三角にした。
「呆れた。賢王の器と聞いてみれば、玉座を前に足踏みですか。馬で法廷に乗り込むほどの勇気は持ちながら、玉座に座る度胸は無い腰抜けだと?」
元悪女さながらに、態度が豹変したので、呆気にとられてしまう。
「司祭様は臆病なのね。そうね、聖職者のほとんどは臆病よね。筆を剣のように執れても、本物の太刀は振るえませんもの。教養の盾は、知略以外に役に立ちませんわ」
「少々、お口が過ぎるのではなくて?」
ミミがダーシーを睨みつけた。
「王冠の重責を理解するが故に、司祭様は真剣に悩まれて、ご決断なされたのよ」
アラベラさんも眉をつり上げ、苛立ちを露わにした。
「ハッ。ミミが言うならともかく、赤の他人が綺麗事を」
ダーシーはアラベラさんに嘲笑をくべると、チャールズへちらりと視線を遣った。
「それで? 噂の弁護士の娘さん。貴女がチャールズの新しい恋人ってわけ?」
「へっ」
アラベラさんの顔が真っ赤になる。
「な、なな、そんな畏れ多い! ち、違うわよ」
「へー、そう。まぁどっちでもいいけど」
――また鼻で嗤ったよ、この女は。相変わらず性格が根腐れしている。
「貴女、一体なんなの! チャールズ殿下を呼び捨てなんて無礼だわ」
アラベラさんが何を咎めようと、ダーシーはどこ吹く風である。
「私は鑑定士マリンダよ。王宮の宝飾品を扱っているの。まがい物を二度とつかまされないようにね。私……目だけは肥えているから」
陛下も陛下だ。ダーシーの鑑定眼は確かなものだが、他に雇う人間はいただろうに。
「ミミとご主人は似た者同士ね。玉座を前に二の足を踏む臆病なところなんて、生きることから逃げた脆い貴女とそっくりだわ」
「何ですって!」
「それともなに? ご主人を踏みとどまらせているのは貴女なの?」
――この期に及んでまだミミを責める気か、この女は!
「俺の意思です」
「そのように仰いつつ、ミミの身を案じてのことでは?」
ダーシーに自分の心を見抜かれる時が来るとは不覚。図星と察して、彼女は底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「私なら諸手を挙げて王妃の座を望みますわ。ミミは夫が王に望まれて嬉しくないの? 王妃になれば一生左うちわで贅沢できるのに」
「ダーシー、貴女と一緒にしないでちょうだい」
「ダーシーですって? この女が……ダーシー・ハーパー?」
アラベラさんは目を剥いた。
「な、なな、なぜダーシーが王宮にいるのです?」
ナンシーも吃驚仰天、ぽかんと口を開く。
「罪滅ぼしという名目の社会奉仕ですわ」
なんて天晴れな態度だろう。奉仕と口にしながら、そこに反省の色は一切無い。これにはギョーム陛下も「やれやれ」と言った様子で肩をすくめた。
「諸事情で名と姿を偽っていますが、臆病な生き方は私の望むところではございませんの。堂々と、草の根を張ってでも生き抜きますわ」
ダーシーはすっかり皺だらけになった書類の束を、ギョーム陛下の脇にそっと置いた。
「一度、目をお通しくださいませ、陛下。ご家族で、じっくりご検討いただきたく存じます。――それでは私は忙しいので失礼致します」
ダーシーは踵を返し、ツカツカとした足取りで広間を去った。まるで嵐のようにやってきて、言いたいことをぶちまけていった。本当になんて女だろう。
「ハハッ……アハハ」
「アルフレッド? どうして笑っているの?」
「あそこまで悪の華を咲かせては何も言えない。散っても散っても返り咲くだろう。おまけに腰抜けに臆病者呼ばわりとは。くっ……アハハハハ! ダーシーに罵られるのは悔しいな!」
――俺の人生は大きく舵を切らねばならないようだ。
人生はしばしば船旅に喩えられる。行く先は運命の女神次第。女神は妻のミミだ。彼女の救済こそが俺の人生の目的と言っても過言ではないのだから。
「ミミ」
「はい」
「俺が王様になったら、君はまた社交界を出入りすることになってしまう」
「承知しています」
「君が再び死に臨むことにならないか、それが心配でならない」
「ありがとう、アルフレッド。けれど私も、悪女から臆病者と嗤われて悔しいです。私のことよりも、愛する貴方が侮辱されたことにです」
「俺も。自分が貶されるより、君が嫌な目に遭う方が辛い」
これまでミミが経験した受難を思い返すだけで胸が痛い。
「前にも申し上げたでしょう、アル。貴方の祈りで私は生かされています。貴方が他者の幸いを祈る司祭であることを、私は誰よりも知っています。その祈りは国を今よりさらに善い方へ導くことができるでしょう」
「できるだろうか、俺に。臆病な俺の為に祈ってくれるかい?」
「はい、永遠に。貴方は司祭であり、私の夫であり、誰もが待ち望んでいた守護者です」
ミミは、俺の手の甲に口付けを落とした。
「貴方の伴侶として、病める時も健やかなる時も、生涯愛を捧げ、幸いを祈ります」
「ありがとう、ミミ」
俺はミミの左手の薬指に口付けを落とした。
「陛下」
俺たちは同時に席を立った。
「アルフレッド・ヴェルノーンは、謹んで次の玉座を拝領致します」
「夫と共に、国の最善に、心を尽くして参ります」
はじめから王子でなかったことに意味があるのだろう。
司祭として按手され、愛と救済を説いたことは決して遠回りではなく、幸せの近道であった。
【つづく】
次話の更新は10月6日【日曜日】を予定しています。
――私の努力?
ダーシーは見積もり書にグシャリと皺を寄せると、目を三角にした。
「呆れた。賢王の器と聞いてみれば、玉座を前に足踏みですか。馬で法廷に乗り込むほどの勇気は持ちながら、玉座に座る度胸は無い腰抜けだと?」
元悪女さながらに、態度が豹変したので、呆気にとられてしまう。
「司祭様は臆病なのね。そうね、聖職者のほとんどは臆病よね。筆を剣のように執れても、本物の太刀は振るえませんもの。教養の盾は、知略以外に役に立ちませんわ」
「少々、お口が過ぎるのではなくて?」
ミミがダーシーを睨みつけた。
「王冠の重責を理解するが故に、司祭様は真剣に悩まれて、ご決断なされたのよ」
アラベラさんも眉をつり上げ、苛立ちを露わにした。
「ハッ。ミミが言うならともかく、赤の他人が綺麗事を」
ダーシーはアラベラさんに嘲笑をくべると、チャールズへちらりと視線を遣った。
「それで? 噂の弁護士の娘さん。貴女がチャールズの新しい恋人ってわけ?」
「へっ」
アラベラさんの顔が真っ赤になる。
「な、なな、そんな畏れ多い! ち、違うわよ」
「へー、そう。まぁどっちでもいいけど」
――また鼻で嗤ったよ、この女は。相変わらず性格が根腐れしている。
「貴女、一体なんなの! チャールズ殿下を呼び捨てなんて無礼だわ」
アラベラさんが何を咎めようと、ダーシーはどこ吹く風である。
「私は鑑定士マリンダよ。王宮の宝飾品を扱っているの。まがい物を二度とつかまされないようにね。私……目だけは肥えているから」
陛下も陛下だ。ダーシーの鑑定眼は確かなものだが、他に雇う人間はいただろうに。
「ミミとご主人は似た者同士ね。玉座を前に二の足を踏む臆病なところなんて、生きることから逃げた脆い貴女とそっくりだわ」
「何ですって!」
「それともなに? ご主人を踏みとどまらせているのは貴女なの?」
――この期に及んでまだミミを責める気か、この女は!
「俺の意思です」
「そのように仰いつつ、ミミの身を案じてのことでは?」
ダーシーに自分の心を見抜かれる時が来るとは不覚。図星と察して、彼女は底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「私なら諸手を挙げて王妃の座を望みますわ。ミミは夫が王に望まれて嬉しくないの? 王妃になれば一生左うちわで贅沢できるのに」
「ダーシー、貴女と一緒にしないでちょうだい」
「ダーシーですって? この女が……ダーシー・ハーパー?」
アラベラさんは目を剥いた。
「な、なな、なぜダーシーが王宮にいるのです?」
ナンシーも吃驚仰天、ぽかんと口を開く。
「罪滅ぼしという名目の社会奉仕ですわ」
なんて天晴れな態度だろう。奉仕と口にしながら、そこに反省の色は一切無い。これにはギョーム陛下も「やれやれ」と言った様子で肩をすくめた。
「諸事情で名と姿を偽っていますが、臆病な生き方は私の望むところではございませんの。堂々と、草の根を張ってでも生き抜きますわ」
ダーシーはすっかり皺だらけになった書類の束を、ギョーム陛下の脇にそっと置いた。
「一度、目をお通しくださいませ、陛下。ご家族で、じっくりご検討いただきたく存じます。――それでは私は忙しいので失礼致します」
ダーシーは踵を返し、ツカツカとした足取りで広間を去った。まるで嵐のようにやってきて、言いたいことをぶちまけていった。本当になんて女だろう。
「ハハッ……アハハ」
「アルフレッド? どうして笑っているの?」
「あそこまで悪の華を咲かせては何も言えない。散っても散っても返り咲くだろう。おまけに腰抜けに臆病者呼ばわりとは。くっ……アハハハハ! ダーシーに罵られるのは悔しいな!」
――俺の人生は大きく舵を切らねばならないようだ。
人生はしばしば船旅に喩えられる。行く先は運命の女神次第。女神は妻のミミだ。彼女の救済こそが俺の人生の目的と言っても過言ではないのだから。
「ミミ」
「はい」
「俺が王様になったら、君はまた社交界を出入りすることになってしまう」
「承知しています」
「君が再び死に臨むことにならないか、それが心配でならない」
「ありがとう、アルフレッド。けれど私も、悪女から臆病者と嗤われて悔しいです。私のことよりも、愛する貴方が侮辱されたことにです」
「俺も。自分が貶されるより、君が嫌な目に遭う方が辛い」
これまでミミが経験した受難を思い返すだけで胸が痛い。
「前にも申し上げたでしょう、アル。貴方の祈りで私は生かされています。貴方が他者の幸いを祈る司祭であることを、私は誰よりも知っています。その祈りは国を今よりさらに善い方へ導くことができるでしょう」
「できるだろうか、俺に。臆病な俺の為に祈ってくれるかい?」
「はい、永遠に。貴方は司祭であり、私の夫であり、誰もが待ち望んでいた守護者です」
ミミは、俺の手の甲に口付けを落とした。
「貴方の伴侶として、病める時も健やかなる時も、生涯愛を捧げ、幸いを祈ります」
「ありがとう、ミミ」
俺はミミの左手の薬指に口付けを落とした。
「陛下」
俺たちは同時に席を立った。
「アルフレッド・ヴェルノーンは、謹んで次の玉座を拝領致します」
「夫と共に、国の最善に、心を尽くして参ります」
はじめから王子でなかったことに意味があるのだろう。
司祭として按手され、愛と救済を説いたことは決して遠回りではなく、幸せの近道であった。
【つづく】
次話の更新は10月6日【日曜日】を予定しています。
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