【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
9-6 ★ 新しい時代の価値観
「アニータ様に、ぜひ見ていただきたいものがございますの」
ダーシーは鞄から小箱を取り出し、正面をアニータへ向け、蓋を開いた。
「こちらはヴェルノーンにて取引された、エーデルシュタインの鉱石を用いた指輪でございます。実は、イメルダ夫人が買い求めたものでしたの」
――げげっ、あの悪党が!
あの派手好きのイメルダ夫人なら欲しそうね。
「イメルダ夫人というと……チャールズ殿下のお命を狙ったという? トーマ殿下の奥方でしたわね。新聞で読んだわ」
アニータが聞き返すと、ダーシーは「はい」と満面の笑顔で肯いた。別の悪党が、自分より重い罪科で裁かれたのが面白くてたまらないらしい。
「トーマ殿下とイメルダ夫人のご自宅に保管されていたものですわ。鑑定書も付いていたので、エーデルシュタインの鉱山加工物であることは間違いございません」
ダーシーは署名のされた書簡を一部、宝石箱の隣に並べた。
「そして、こちらは私が独自に買い求めたものでございます」
ダーシーは鞄から別の小さな木箱を取り出した。そこにはイメルダ夫人が買い求めたものと同じ色の鉱石がついた指輪が一つおさめられていた。
「同じようにエーデルシュタインの鉱石を使用していますの。違いが、お分かりで?」
アニータは無言で二つの指輪を見比べた。一瞬その眉がぴくりと吊り上がる。
――気付いたわね。
「アニータ様なら、一目でお分かりになるでしょう?」
「同じ価値ですわ」
「いいえ」
ダーシーは笑顔できっぱりと言い放った。
「イメルダ夫人が購入したものよりも、鑑定士の私がこの目で見て買い求めた物の方が、はるかに価値が高いのです」
――イメルダ夫人が聞いたら、どんな顔をしたかしら。
同じ悪女でも、ダーシーの方が目利きだったなんてね。
「イメルダ夫人が買い求めたエーデルシュタインの宝石は、元王族といえど、高貴な方が身につけるには相応しくない劣化品だったということです」
三人目の悪女、アニータ・エーデルシュタインは鉄火の如き怒りの形相だ。
「鑑定士如きが……私の鉱山の名に傷をつけるつもり?」
「貴女の鉱山? 領主はジャービス様でしょう?」
「おだまり! ジャービスにかわって、私が領地経営を担っているようなものよ」
「それは殊勝な。なら尚のこと知る必要がありますわね。エーデルシュタインの鉱石が、以前のような輝きを失っていることに。採掘量の減少とともに、鉱石の希少価値が高まるならまだしも、質の悪い鉱石までをも市場に流していたとは」
アニータは痛いところを突かれたと言う風に黙った。
「そ、そんな……アニータ姉様、本当に……気付いていなかったのですか?」
領主ジャービスは初耳といった様子だ。どうやら本当に姉の傀儡、名前だけの領主だったらしい。
――まるで昔のチャールズを見ているみたいだわ。
ダーシーに騙されたチャールズ。
そのダーシーが別の悪女を詰問している。なんという光景かしら。
「これからの時代、量より質ですわよ、アニータ様?」
ダーシーからその言葉が出たことが一番の驚きだった。豚箱に入って悟ったことか、それともその前から知っていたのか。
「古い時代には目をつぶりましょう」
ダーシーに代わり、交渉の前面に出たのはジーニーさんだった。
「新しい時代の価値観に沿うとお約束いただけるのなら、その証明として、古い過ちも精算致しませんか?」
――過ち。ジーニーさんはやっぱり優秀ね。言質を取ってくれたわ。
「ご姉妹にかけた冤罪は、貴女のお母様と先代のエーデルシュタイン伯が間違えたことであり、貴女と領主様、ご姉弟には全く非はないのですから。――どうです?」
アニータは首を縦にも横にも振らず、唇をぎゅっと噛みしめた。
――往生際が悪いとは、このことだわ。
「ところでアニータ様は、ビアンカ・シュタインという手配犯の名をご存じですか?」
トドメを一つさそうと思ったら、侍女に扮したマーガレット王女様がそのように口を開いた。私の考えが丸ごと王女様に伝わったようで驚いたわ。まるで以心伝心ね。
「風の噂によれば、彼女は存在しない人間だそうですよ」
マーガレット王女様が「ふふっ」と笑うと、アニータの表情に恐怖の色が浮かんだ。
「なにを……馬鹿な……。ビアンカは凶悪な指名手配犯でしょう? 新聞で読んだわ」
「それがどうも違うそうなのです。ビアンカ・シュタインは、家出した王女の偽名という噂があるのをご存じ?」
マーガレット王女様が鋭い視線でアニータを射貫く。
「逃亡している王女様を別人として抹殺しようとしたという噂なら聞いたわ」
私はそう言うと、侍女に扮したマーガレット王女様と目配せする。王女様の身を危険にさらす不穏因子を取り除くこと。それがここに来た第二の目的だ。
――こちらは全部知っているのよ、全部ね。
「噂が本当だとしたら。誰が王女様を悪人に仕立て上げようとしたのでしょうね? 怖いわ」
世間話をするような口調で私はわざとマーガレット王女様へ問う。
「王女がいなくなれば、誰が次のモンスーンの王妃に立候補したのでしょうね」
マーガレット王女様は、再びアニータを見る。
アニータは私たちと目を合わせるのを拒否し、僅かに俯いた。
「まさか……うちの娘だとでもおっしゃる気ですか?」
「いいえ。貴女とヴェロニカ御嬢様は、夫の血縁にあたりますから。けれど赤の他人ならば……」
私はあえて言葉を濁した。
――他人ならば情などかけない。裁くことだってできるわ。
それをあえてしないのは、アルフレッドがエーデルシュタインの血縁だから。これに尽きる。亡き姑キャロル、ナンシー、アルフレッドの名誉を守る為(ため)には、エーデルシュタインが今回の件で取り潰しになっては困る。ただその為だけに「古い時代には目を瞑る」と持ちかけた。
――よほどの阿呆でなければ気付くはずよ。「アルフレッド」がいるから、エーデルシュタインの罪が許されるということに。
「領主様が〝先代の判断〟を訂正してくだされば、貴女もヴェロニカ御嬢様も、ヴェルノーン王家の親戚筋となります。王子との結婚は叶わずとも、社交界の花道を歩くことができるでしょう」
――歩かせたいなんて毛頭思わないけれど。
「それ以上、何を望まれるのかしら?」
――格の違いを思い知りなさい。
「いいえ……何も」
アニータはそれきり沈黙に徹した。
その日のうちに、領主ジャービスは「ナンシーとキャロルの冤罪は先代の過ちであったっこと」を書簡にしたためた。その書簡を、アルフレッドの母、キャロル・エーデルシュタインの出自と共に、ヴェルノーン王室が世間に公表することを認めた。
【つづく】
次話の更新は【8月20日(火)】を予定しています。
ダーシーは鞄から小箱を取り出し、正面をアニータへ向け、蓋を開いた。
「こちらはヴェルノーンにて取引された、エーデルシュタインの鉱石を用いた指輪でございます。実は、イメルダ夫人が買い求めたものでしたの」
――げげっ、あの悪党が!
あの派手好きのイメルダ夫人なら欲しそうね。
「イメルダ夫人というと……チャールズ殿下のお命を狙ったという? トーマ殿下の奥方でしたわね。新聞で読んだわ」
アニータが聞き返すと、ダーシーは「はい」と満面の笑顔で肯いた。別の悪党が、自分より重い罪科で裁かれたのが面白くてたまらないらしい。
「トーマ殿下とイメルダ夫人のご自宅に保管されていたものですわ。鑑定書も付いていたので、エーデルシュタインの鉱山加工物であることは間違いございません」
ダーシーは署名のされた書簡を一部、宝石箱の隣に並べた。
「そして、こちらは私が独自に買い求めたものでございます」
ダーシーは鞄から別の小さな木箱を取り出した。そこにはイメルダ夫人が買い求めたものと同じ色の鉱石がついた指輪が一つおさめられていた。
「同じようにエーデルシュタインの鉱石を使用していますの。違いが、お分かりで?」
アニータは無言で二つの指輪を見比べた。一瞬その眉がぴくりと吊り上がる。
――気付いたわね。
「アニータ様なら、一目でお分かりになるでしょう?」
「同じ価値ですわ」
「いいえ」
ダーシーは笑顔できっぱりと言い放った。
「イメルダ夫人が購入したものよりも、鑑定士の私がこの目で見て買い求めた物の方が、はるかに価値が高いのです」
――イメルダ夫人が聞いたら、どんな顔をしたかしら。
同じ悪女でも、ダーシーの方が目利きだったなんてね。
「イメルダ夫人が買い求めたエーデルシュタインの宝石は、元王族といえど、高貴な方が身につけるには相応しくない劣化品だったということです」
三人目の悪女、アニータ・エーデルシュタインは鉄火の如き怒りの形相だ。
「鑑定士如きが……私の鉱山の名に傷をつけるつもり?」
「貴女の鉱山? 領主はジャービス様でしょう?」
「おだまり! ジャービスにかわって、私が領地経営を担っているようなものよ」
「それは殊勝な。なら尚のこと知る必要がありますわね。エーデルシュタインの鉱石が、以前のような輝きを失っていることに。採掘量の減少とともに、鉱石の希少価値が高まるならまだしも、質の悪い鉱石までをも市場に流していたとは」
アニータは痛いところを突かれたと言う風に黙った。
「そ、そんな……アニータ姉様、本当に……気付いていなかったのですか?」
領主ジャービスは初耳といった様子だ。どうやら本当に姉の傀儡、名前だけの領主だったらしい。
――まるで昔のチャールズを見ているみたいだわ。
ダーシーに騙されたチャールズ。
そのダーシーが別の悪女を詰問している。なんという光景かしら。
「これからの時代、量より質ですわよ、アニータ様?」
ダーシーからその言葉が出たことが一番の驚きだった。豚箱に入って悟ったことか、それともその前から知っていたのか。
「古い時代には目をつぶりましょう」
ダーシーに代わり、交渉の前面に出たのはジーニーさんだった。
「新しい時代の価値観に沿うとお約束いただけるのなら、その証明として、古い過ちも精算致しませんか?」
――過ち。ジーニーさんはやっぱり優秀ね。言質を取ってくれたわ。
「ご姉妹にかけた冤罪は、貴女のお母様と先代のエーデルシュタイン伯が間違えたことであり、貴女と領主様、ご姉弟には全く非はないのですから。――どうです?」
アニータは首を縦にも横にも振らず、唇をぎゅっと噛みしめた。
――往生際が悪いとは、このことだわ。
「ところでアニータ様は、ビアンカ・シュタインという手配犯の名をご存じですか?」
トドメを一つさそうと思ったら、侍女に扮したマーガレット王女様がそのように口を開いた。私の考えが丸ごと王女様に伝わったようで驚いたわ。まるで以心伝心ね。
「風の噂によれば、彼女は存在しない人間だそうですよ」
マーガレット王女様が「ふふっ」と笑うと、アニータの表情に恐怖の色が浮かんだ。
「なにを……馬鹿な……。ビアンカは凶悪な指名手配犯でしょう? 新聞で読んだわ」
「それがどうも違うそうなのです。ビアンカ・シュタインは、家出した王女の偽名という噂があるのをご存じ?」
マーガレット王女様が鋭い視線でアニータを射貫く。
「逃亡している王女様を別人として抹殺しようとしたという噂なら聞いたわ」
私はそう言うと、侍女に扮したマーガレット王女様と目配せする。王女様の身を危険にさらす不穏因子を取り除くこと。それがここに来た第二の目的だ。
――こちらは全部知っているのよ、全部ね。
「噂が本当だとしたら。誰が王女様を悪人に仕立て上げようとしたのでしょうね? 怖いわ」
世間話をするような口調で私はわざとマーガレット王女様へ問う。
「王女がいなくなれば、誰が次のモンスーンの王妃に立候補したのでしょうね」
マーガレット王女様は、再びアニータを見る。
アニータは私たちと目を合わせるのを拒否し、僅かに俯いた。
「まさか……うちの娘だとでもおっしゃる気ですか?」
「いいえ。貴女とヴェロニカ御嬢様は、夫の血縁にあたりますから。けれど赤の他人ならば……」
私はあえて言葉を濁した。
――他人ならば情などかけない。裁くことだってできるわ。
それをあえてしないのは、アルフレッドがエーデルシュタインの血縁だから。これに尽きる。亡き姑キャロル、ナンシー、アルフレッドの名誉を守る為(ため)には、エーデルシュタインが今回の件で取り潰しになっては困る。ただその為だけに「古い時代には目を瞑る」と持ちかけた。
――よほどの阿呆でなければ気付くはずよ。「アルフレッド」がいるから、エーデルシュタインの罪が許されるということに。
「領主様が〝先代の判断〟を訂正してくだされば、貴女もヴェロニカ御嬢様も、ヴェルノーン王家の親戚筋となります。王子との結婚は叶わずとも、社交界の花道を歩くことができるでしょう」
――歩かせたいなんて毛頭思わないけれど。
「それ以上、何を望まれるのかしら?」
――格の違いを思い知りなさい。
「いいえ……何も」
アニータはそれきり沈黙に徹した。
その日のうちに、領主ジャービスは「ナンシーとキャロルの冤罪は先代の過ちであったっこと」を書簡にしたためた。その書簡を、アルフレッドの母、キャロル・エーデルシュタインの出自と共に、ヴェルノーン王室が世間に公表することを認めた。
【つづく】
次話の更新は【8月20日(火)】を予定しています。
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