【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
9-4 ★ アニータ・エーデルシュタイン
「なぜ……それを……ご存じで?」
ただでさえ優れないジャービスの面持ちがさらに青みを帯びた。
「風の噂で聞いたものですから。エーデルシュタイン姉妹の悲話を」
「悲話……。貴方が聞いたのは……どこまで?」
「ご姉妹が領主の怒りを買い、追い出された、と。けれどもご姉妹は冤罪であったのでは、とも」
ジーニーさんが重々しく告げると、領主ジャービスは深く項垂れた。
「もうずっと昔のことです。亡き父が……腹違いの姉二人を勘当されたのです。でも私がまだ六つの時ですから。亡き父にいくら訊ねても教えてもらえませんでした」
「その後、ご姉妹がどうなったか、貴方はご存じではない?」
「まさかご存じなのですか! キャロル姉さんと、ナンシー姉さんは今どこに?」
――キャロル姉さんと、ナンシー姉さん?
姉様ではなく姉さん。子どもの頃にそう呼んでいたのかしら。
――この人……泣いている?
ついさっきまで虚ろで覇気がなかった領主の目は、透明な水で揺らめいていた。
「キャロル様はお亡くなりになり、ナンシー様は現在もご存命です」
ジーニーさんが答えると、領主の目から輝きが失われ、翠眼に影が差す。椅子から半分腰を浮かせ、話に身を乗り出していた彼は、ストンと脱力気味に座り直した。
「そう……でしたか。喜びと悲しみが半々……ですね。私はキャロル姉さん……失礼、キャロル姉様とナンシー姉様を慕っておりました」
彼はハンカチを出すと目頭を押さえた。その言葉に嘘はないようだ。この領主が演技上手には到底見えない。
「けれどある日、午後のお茶を嗜んだ時に、激しい熱と痺れに見舞われましてね。どうやら毒を盛られたようだ、とお医者様が仰って……」
彼は机に並べられた紅茶を、じっと見下ろした。
「キャロル姉様とナンシー姉様が毒を盛ったのだ、と。亡き母が父に訴えて……二人が正妻の子であるから、妾の自分と子どもたちに嫉妬して手を出したのだ、と」
――本当に嫉妬していたのはどちらかしら?
私は妾の方であったという気がしてならない。致死量に至らない微量の毒か、不調を来してもすぐに体内で分解する薬を、わざと我が子に盛ったのではないかしら。医者の診断というのも怪しい。ひょっとすると妾と口裏を合わせていたのではないかしら。
「その時には……正妻は亡くなっておりました。キャロル姉様とナンシー姉様を弁護してくれる者は誰もいなかったのです。父は……私と実の姉を可愛がってくれましたが……」
彼は言葉を濁した。
――ナンシーの発言と全て一致するわ。
父が愛情を傾けたのは妾の子どもたちだった、と彼女は語った。
「私にはとても信じられませんでした。キャロル姉様とナンシー姉様は本当にお優しかった。二人が私を殺そうとしたなどと、今も到底思えません!」
――意外だわ。この人はナンシーと義母キャロルを好いていたのね。
「我々は、お二人の冤罪を解きたいのです」
ジーニーさんが厳かに語ると、ジャービスは俯いた面持ちを急に上げた。
「我々?」
ここに集まった一同の顔ぶれを、ジャービスは改めて見回した。
「極めて早急に。でないと、ご存命のナンシー様だけでなく、ご姉妹のご家族に影響があるのです」
「ご家族? 姉様方はどなたかとご縁があって結婚したのですか」
「いいえ、どちらも。けれど……」
ジーニーさんの目が、アルフレッドに留まった。領主ジャービスも視線の先を追い、私の夫を注視する。
「アルフレッド殿下、あなたの目の色……」
夫の目は翠眼。領主ジャービスも同じ色。何の因果か、この地方で採掘される希少な鉱石もまた、翡翠色だ。
「アルフレッド殿下は、キャロル・エーデルシュタイン様と、ギョーム国王陛下の間に生まれたご子息でございます」
領主ジャービスは穴があくほどアルを見つめ、
「そう……だったのですね。では貴方が、キャロル姉様の……」
心底嬉しそうに目を細めた。
――王族の子だから喜んでいる? いや、違う、これは……。
疑った目で見てしまったけれど、慕っていた姉の忘れ形見と出会えたことを、心の底から喜んでいるようにしか見えない。
「すぐにでも二人の冤罪を解くよう動いてくださいますか」
ジーニーさんの申し出に、彼は快く肯いてくださると思ったが。
「それは……」
領主ジャービスは首を縦には振らず、唇をきゅっと引き結んだ。
「できることならそうしたいですが……我が家にはキャロル姉様とナンシー姉様を今も心の底から憎んでいる者がいます。私は……その人に頭が上がらないのです」
「どなたです?」
その時、応接間がコンコンッとノックされた。領主ジャービスの返事も聞かずに扉が開く。そこに現れたのは、退室したヴェロニカとよく似た目鼻立ちの女性だった。年は領主と変わらないか、それより年上とみえる。夜会用とみえる深紅のドレスを纏った彼女は、意気揚々と部屋の中へ飛び込んだ。
「ジャービス! 王族の方々がみえているとうかがったわ! まあ、これはこれは!」
そのご婦人は急に立ち止まると、私たちへ深々とお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。アニータ・エーデルシュタインです」
紅を差した唇が笑みを描く。とても目力のある女性だ。
「私の……姉でございます」
領主ジャービスが沈んだ面持ちで彼女を紹介し、小さな溜め息を零した。
――この人ね。亡くなったお妾さんと、そっくりだと噂の人は……。
強かそうな性格が服装や表情に滲み出ている。
――ナンシーと、義母キャロルを許していないのは、この人かしら?
見るからに気が強そう。娘同様に派手な装いから、ナンシーのように慎ましやかな品性は感じられない。おそらくその真逆だろう。
【つづく】
次話の更新は【8月12日(月曜日)】を予定しております。
ただでさえ優れないジャービスの面持ちがさらに青みを帯びた。
「風の噂で聞いたものですから。エーデルシュタイン姉妹の悲話を」
「悲話……。貴方が聞いたのは……どこまで?」
「ご姉妹が領主の怒りを買い、追い出された、と。けれどもご姉妹は冤罪であったのでは、とも」
ジーニーさんが重々しく告げると、領主ジャービスは深く項垂れた。
「もうずっと昔のことです。亡き父が……腹違いの姉二人を勘当されたのです。でも私がまだ六つの時ですから。亡き父にいくら訊ねても教えてもらえませんでした」
「その後、ご姉妹がどうなったか、貴方はご存じではない?」
「まさかご存じなのですか! キャロル姉さんと、ナンシー姉さんは今どこに?」
――キャロル姉さんと、ナンシー姉さん?
姉様ではなく姉さん。子どもの頃にそう呼んでいたのかしら。
――この人……泣いている?
ついさっきまで虚ろで覇気がなかった領主の目は、透明な水で揺らめいていた。
「キャロル様はお亡くなりになり、ナンシー様は現在もご存命です」
ジーニーさんが答えると、領主の目から輝きが失われ、翠眼に影が差す。椅子から半分腰を浮かせ、話に身を乗り出していた彼は、ストンと脱力気味に座り直した。
「そう……でしたか。喜びと悲しみが半々……ですね。私はキャロル姉さん……失礼、キャロル姉様とナンシー姉様を慕っておりました」
彼はハンカチを出すと目頭を押さえた。その言葉に嘘はないようだ。この領主が演技上手には到底見えない。
「けれどある日、午後のお茶を嗜んだ時に、激しい熱と痺れに見舞われましてね。どうやら毒を盛られたようだ、とお医者様が仰って……」
彼は机に並べられた紅茶を、じっと見下ろした。
「キャロル姉様とナンシー姉様が毒を盛ったのだ、と。亡き母が父に訴えて……二人が正妻の子であるから、妾の自分と子どもたちに嫉妬して手を出したのだ、と」
――本当に嫉妬していたのはどちらかしら?
私は妾の方であったという気がしてならない。致死量に至らない微量の毒か、不調を来してもすぐに体内で分解する薬を、わざと我が子に盛ったのではないかしら。医者の診断というのも怪しい。ひょっとすると妾と口裏を合わせていたのではないかしら。
「その時には……正妻は亡くなっておりました。キャロル姉様とナンシー姉様を弁護してくれる者は誰もいなかったのです。父は……私と実の姉を可愛がってくれましたが……」
彼は言葉を濁した。
――ナンシーの発言と全て一致するわ。
父が愛情を傾けたのは妾の子どもたちだった、と彼女は語った。
「私にはとても信じられませんでした。キャロル姉様とナンシー姉様は本当にお優しかった。二人が私を殺そうとしたなどと、今も到底思えません!」
――意外だわ。この人はナンシーと義母キャロルを好いていたのね。
「我々は、お二人の冤罪を解きたいのです」
ジーニーさんが厳かに語ると、ジャービスは俯いた面持ちを急に上げた。
「我々?」
ここに集まった一同の顔ぶれを、ジャービスは改めて見回した。
「極めて早急に。でないと、ご存命のナンシー様だけでなく、ご姉妹のご家族に影響があるのです」
「ご家族? 姉様方はどなたかとご縁があって結婚したのですか」
「いいえ、どちらも。けれど……」
ジーニーさんの目が、アルフレッドに留まった。領主ジャービスも視線の先を追い、私の夫を注視する。
「アルフレッド殿下、あなたの目の色……」
夫の目は翠眼。領主ジャービスも同じ色。何の因果か、この地方で採掘される希少な鉱石もまた、翡翠色だ。
「アルフレッド殿下は、キャロル・エーデルシュタイン様と、ギョーム国王陛下の間に生まれたご子息でございます」
領主ジャービスは穴があくほどアルを見つめ、
「そう……だったのですね。では貴方が、キャロル姉様の……」
心底嬉しそうに目を細めた。
――王族の子だから喜んでいる? いや、違う、これは……。
疑った目で見てしまったけれど、慕っていた姉の忘れ形見と出会えたことを、心の底から喜んでいるようにしか見えない。
「すぐにでも二人の冤罪を解くよう動いてくださいますか」
ジーニーさんの申し出に、彼は快く肯いてくださると思ったが。
「それは……」
領主ジャービスは首を縦には振らず、唇をきゅっと引き結んだ。
「できることならそうしたいですが……我が家にはキャロル姉様とナンシー姉様を今も心の底から憎んでいる者がいます。私は……その人に頭が上がらないのです」
「どなたです?」
その時、応接間がコンコンッとノックされた。領主ジャービスの返事も聞かずに扉が開く。そこに現れたのは、退室したヴェロニカとよく似た目鼻立ちの女性だった。年は領主と変わらないか、それより年上とみえる。夜会用とみえる深紅のドレスを纏った彼女は、意気揚々と部屋の中へ飛び込んだ。
「ジャービス! 王族の方々がみえているとうかがったわ! まあ、これはこれは!」
そのご婦人は急に立ち止まると、私たちへ深々とお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。アニータ・エーデルシュタインです」
紅を差した唇が笑みを描く。とても目力のある女性だ。
「私の……姉でございます」
領主ジャービスが沈んだ面持ちで彼女を紹介し、小さな溜め息を零した。
――この人ね。亡くなったお妾さんと、そっくりだと噂の人は……。
強かそうな性格が服装や表情に滲み出ている。
――ナンシーと、義母キャロルを許していないのは、この人かしら?
見るからに気が強そう。娘同様に派手な装いから、ナンシーのように慎ましやかな品性は感じられない。おそらくその真逆だろう。
【つづく】
次話の更新は【8月12日(月曜日)】を予定しております。
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