【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
8-2 ★ 愛琉と英舞
あれは美名姉さんの絵が賞を獲り、校長室近くの廊下に飾られていた時のことでした。私が通っているのは小中一貫校ですので、一年生から中学三年生まで、幅広い年齢の絵が廊下に並んでいました。
美名姉さんの絵には、書庫に一人で佇む、亜麻色の髪の少女の後ろ姿が描かれていました。少女の足元には一面の花畑が広がっており、書庫の奥の扉から細長い光が伸びています。
絵を眺めていると、中等部の生徒が数名、廊下の奥から歩いてきました。その中に、あのポニーテイルの女がいたのです。ポニテは美名姉さんの絵の前で足を止めました。
「誰でも描けそうな絵。こんなのでも賞を獲れるんだ」
ポニテが「くすっ」と笑います。他の二人が「だよね」「よくある感じ」と嘲りました。私は腸が煮えくり返ったものです。
――あの時の女だ。堂々と美名姉さんの葬式にやってくるなんて!
棺に花を手向ける列に、彼女は並んでいます。するとこんな会話が聞こえてきました。
「先生はあんたを見ていたね、奈代」
「人聞きの悪いこと言わないで、愛琉」
その時、彼女が「愛琉」という名前だと知りました。
「美名さんに軽口叩いていたヤツ、人殺しじゃん」
「愛琉がよく悪口を言っていたね」
「わ、私は何も」
――愛琉が、美名姉さんを苦しめたんだ。
私は仇討ちを決意しました。
美名姉さんの遺体が荼毘に付された翌日の昼休み、私は中等部の教室へ向かいました。するとあの愛琉という女が、冴えない面持ちで廊下に出てきたではありませんか。
「貴女、初等部の子? どうしたの?」
愛琉は善人ぶって、私と同じ視線に屈みました。
「この人殺し。よくも美名姉さんを苦しめましたね」
愛琉はひるんで、言葉が出ないようです。
「私は忘れません。貴女の嘘と悪口を」
宿敵に踵を返した時の爽快感と言ったら、もう。私は美名姉さんの仇をとったつもりでいたのです。
――私も、言葉で人を殺してしまいました。
数日後、新聞が真っ赤に染まりました。私にはそのように見えたのです。
――愛琉と奈代が……線路に飛び込んだ?
目撃者の証言によると、愛琉は自殺で、奈代は道連れにされたようです。二人とも美名姉さんのイジメに関与しており、そのことでトラブルになっていた、と。
事件はテレビでも大きく報道され、愛琉、奈代、美名姉さんの写真は遺族の意向などお構いナシにマスメディアに流出し、回収不可能となりました。学校側は言い逃れできず、責任を問われます。全校生徒を前に、校長先生から直接説明があったくらいです。
――私は愛琉の死を望んでいたわけではありません。ただ罪を認めて欲しかっただけなのに。
愛琉と奈代の死を知った後の数日間は、まるで生きている心地がしませんでした。「二人が飛び込んだのは、英舞のせいらしい」と誰かが私を後ろ指でさすのではと。
――怖い。私はただ仇を討ちたかっただけ。それなのに、どうして!
金曜日の昼のこと。電気工事のトラックが入り、校門の扉は大きく開け放たれていました。出るなら今しかないと思ったのです。通学鞄も水筒も何もかも学校に置いたまま、私は校門を出て、あてもなく周辺をぐるぐると歩き始めました。
「あれは……」
十字架の立った教会が目に飛び込んできました。木々に囲まれたその教会は煉瓦造りで、とても古い建物だと分かりました。
教会は水中を漂うような静かな空間でした。誰もいないと思ったのですが、入ってすぐ右手に若い青年が腰掛けていました。癖のある黒髪の青年は、読んでいた本から顔を上げると、眼鏡の奥の茶色い目を笑みに細めました。
「こ、こんにちは。勝手に入って、その、すみません」
「謝ることはなにも。好きなところにどうぞ」
私は、青年の近くに腰掛けました。通路を隔てた位置に。
「お嬢さんは初めて見る顔だね?」
「はい。偶然ここに辿り着いて……一人になりたくて……」
「そう。そんな時はあるよね。彼のように」
優しい青年は微笑むと、視線を前の方へ留めました。中学生でしょうか。学ランを着た男子が最前列に腰掛けていて、ステンドグラスを見上げています。
「好きなだけ、いて良いよ。夕方に礼拝堂の扉を閉じるまでね」
「貴方は……この教会の関係者ですか」
「司祭の息子だよ」
聖職者の子どもさんと聞いて、彼をまとう独特の雰囲気に納得しました。しばらく私は何をすることもなく、教会の椅子に腰掛けて、マリア様の像や十字架、天井の梁やステンドグラスの光を見つめ続けました。歴史ある建物だということは分かります。この建物は私より何倍も年上で、長い年月を過ごしてきた「古い伝統が残る教会」なのでしょう。本来お祈りをする場所は、こういう静かな場所なのではないでしょうか。
礼拝堂が黄昏色に染まる頃、前列にいた中学生が急に立ち上がりました。その人は司祭の息子さんの前で足を止めます。
「ありがとう、ケンジ。落ち着いたよ」
司祭の息子さんは「ケンジ」というようです。
「いいんだよ、ハルキ」
ハルキと呼ばれた彼の視線が私へ留まり、その目が驚きに見開かれます。
「君は親族席にいた……美名にそっくりの……」
「私は……美名姉さんの従姉妹です」
ハルキさんは、しばらく呆然と私を見つめていました。
「貴方は……美名姉さんのクラスメイトの方ですね」
ーー棺の前で泣いた先生の後を追って飛び出した男の子だわ。
ハルキさんはしばらく経ってから、びしょ濡れの姿で葬祭場へ戻り、最後に棺へ花を手向けました。泣いた先生と知り合いだったのでしょうか。気になりますが、今は訊ねられる雰囲気ではありません。
「彼女を助けられなくて……ごめん。クラスメイトだったのに」
「貴方のせいでは……ないと思います」
ハルキさんの目に小さな涙の玉が浮かびました。
「美名姉さんの死を悼んでくださり、ありがとうございます」
あの時口にした「ありがとう」を私は短い生涯のうちで忘れることはありませんでした。人の命は本当に短いです。あの大地震がなければ私は命を落とすことはありませんでした。
――毒を吐くより、感謝を口にすることを、前世と今世の私は身に染みて学ぶ必要があったのですね。
別の世界に生まれ変わり、大人になった今だからこそ分かります。私の幼さ、至らなさ、無知を。
【つづく】
今回のエピソードと関わりの深いバックナンバー
【第2幕】
6章-6【アラベラ章】悪魔を道連れに
https://novelba.com/indies/works/936658/episodes/9942742
次話の更新は【2024/06/30 18:30】を予定しています。
美名姉さんの絵には、書庫に一人で佇む、亜麻色の髪の少女の後ろ姿が描かれていました。少女の足元には一面の花畑が広がっており、書庫の奥の扉から細長い光が伸びています。
絵を眺めていると、中等部の生徒が数名、廊下の奥から歩いてきました。その中に、あのポニーテイルの女がいたのです。ポニテは美名姉さんの絵の前で足を止めました。
「誰でも描けそうな絵。こんなのでも賞を獲れるんだ」
ポニテが「くすっ」と笑います。他の二人が「だよね」「よくある感じ」と嘲りました。私は腸が煮えくり返ったものです。
――あの時の女だ。堂々と美名姉さんの葬式にやってくるなんて!
棺に花を手向ける列に、彼女は並んでいます。するとこんな会話が聞こえてきました。
「先生はあんたを見ていたね、奈代」
「人聞きの悪いこと言わないで、愛琉」
その時、彼女が「愛琉」という名前だと知りました。
「美名さんに軽口叩いていたヤツ、人殺しじゃん」
「愛琉がよく悪口を言っていたね」
「わ、私は何も」
――愛琉が、美名姉さんを苦しめたんだ。
私は仇討ちを決意しました。
美名姉さんの遺体が荼毘に付された翌日の昼休み、私は中等部の教室へ向かいました。するとあの愛琉という女が、冴えない面持ちで廊下に出てきたではありませんか。
「貴女、初等部の子? どうしたの?」
愛琉は善人ぶって、私と同じ視線に屈みました。
「この人殺し。よくも美名姉さんを苦しめましたね」
愛琉はひるんで、言葉が出ないようです。
「私は忘れません。貴女の嘘と悪口を」
宿敵に踵を返した時の爽快感と言ったら、もう。私は美名姉さんの仇をとったつもりでいたのです。
――私も、言葉で人を殺してしまいました。
数日後、新聞が真っ赤に染まりました。私にはそのように見えたのです。
――愛琉と奈代が……線路に飛び込んだ?
目撃者の証言によると、愛琉は自殺で、奈代は道連れにされたようです。二人とも美名姉さんのイジメに関与しており、そのことでトラブルになっていた、と。
事件はテレビでも大きく報道され、愛琉、奈代、美名姉さんの写真は遺族の意向などお構いナシにマスメディアに流出し、回収不可能となりました。学校側は言い逃れできず、責任を問われます。全校生徒を前に、校長先生から直接説明があったくらいです。
――私は愛琉の死を望んでいたわけではありません。ただ罪を認めて欲しかっただけなのに。
愛琉と奈代の死を知った後の数日間は、まるで生きている心地がしませんでした。「二人が飛び込んだのは、英舞のせいらしい」と誰かが私を後ろ指でさすのではと。
――怖い。私はただ仇を討ちたかっただけ。それなのに、どうして!
金曜日の昼のこと。電気工事のトラックが入り、校門の扉は大きく開け放たれていました。出るなら今しかないと思ったのです。通学鞄も水筒も何もかも学校に置いたまま、私は校門を出て、あてもなく周辺をぐるぐると歩き始めました。
「あれは……」
十字架の立った教会が目に飛び込んできました。木々に囲まれたその教会は煉瓦造りで、とても古い建物だと分かりました。
教会は水中を漂うような静かな空間でした。誰もいないと思ったのですが、入ってすぐ右手に若い青年が腰掛けていました。癖のある黒髪の青年は、読んでいた本から顔を上げると、眼鏡の奥の茶色い目を笑みに細めました。
「こ、こんにちは。勝手に入って、その、すみません」
「謝ることはなにも。好きなところにどうぞ」
私は、青年の近くに腰掛けました。通路を隔てた位置に。
「お嬢さんは初めて見る顔だね?」
「はい。偶然ここに辿り着いて……一人になりたくて……」
「そう。そんな時はあるよね。彼のように」
優しい青年は微笑むと、視線を前の方へ留めました。中学生でしょうか。学ランを着た男子が最前列に腰掛けていて、ステンドグラスを見上げています。
「好きなだけ、いて良いよ。夕方に礼拝堂の扉を閉じるまでね」
「貴方は……この教会の関係者ですか」
「司祭の息子だよ」
聖職者の子どもさんと聞いて、彼をまとう独特の雰囲気に納得しました。しばらく私は何をすることもなく、教会の椅子に腰掛けて、マリア様の像や十字架、天井の梁やステンドグラスの光を見つめ続けました。歴史ある建物だということは分かります。この建物は私より何倍も年上で、長い年月を過ごしてきた「古い伝統が残る教会」なのでしょう。本来お祈りをする場所は、こういう静かな場所なのではないでしょうか。
礼拝堂が黄昏色に染まる頃、前列にいた中学生が急に立ち上がりました。その人は司祭の息子さんの前で足を止めます。
「ありがとう、ケンジ。落ち着いたよ」
司祭の息子さんは「ケンジ」というようです。
「いいんだよ、ハルキ」
ハルキと呼ばれた彼の視線が私へ留まり、その目が驚きに見開かれます。
「君は親族席にいた……美名にそっくりの……」
「私は……美名姉さんの従姉妹です」
ハルキさんは、しばらく呆然と私を見つめていました。
「貴方は……美名姉さんのクラスメイトの方ですね」
ーー棺の前で泣いた先生の後を追って飛び出した男の子だわ。
ハルキさんはしばらく経ってから、びしょ濡れの姿で葬祭場へ戻り、最後に棺へ花を手向けました。泣いた先生と知り合いだったのでしょうか。気になりますが、今は訊ねられる雰囲気ではありません。
「彼女を助けられなくて……ごめん。クラスメイトだったのに」
「貴方のせいでは……ないと思います」
ハルキさんの目に小さな涙の玉が浮かびました。
「美名姉さんの死を悼んでくださり、ありがとうございます」
あの時口にした「ありがとう」を私は短い生涯のうちで忘れることはありませんでした。人の命は本当に短いです。あの大地震がなければ私は命を落とすことはありませんでした。
――毒を吐くより、感謝を口にすることを、前世と今世の私は身に染みて学ぶ必要があったのですね。
別の世界に生まれ変わり、大人になった今だからこそ分かります。私の幼さ、至らなさ、無知を。
【つづく】
今回のエピソードと関わりの深いバックナンバー
【第2幕】
6章-6【アラベラ章】悪魔を道連れに
https://novelba.com/indies/works/936658/episodes/9942742
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