【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
7-7 ★ 秘密の花園のパンツ
「贈り物がいつも花ばかりで、代わり映えしないと言われたことがあります」
うつむくシモンの面持ちに、木漏れ日の影がちらついた。
「僕が貢ぎ込んでいた女性は、僕が捕まったら知らぬ存ぜぬでした。まぁ、確かに? あの人に非はなかったですけど? 司祭様もご存じでしょう」
シモンは横領していたチャールズの資産を、意中の女性の貢ぎ物などに宛てていた。その女性と家族に気に入られようと必死で、逆玉の輿を狙っていたのだ。
「その人のことが、本当に好きだったのか?」
俺の質問は意地悪だったろうか。おそらくこの悪党のことだから「愚問だ」とか言って流し目をくべるのだろうと予想したら、
「好きでしたよ。世界で一番愛していました」
意外にも彼の口から素直な愛の言葉が出たのである。
「幼い頃は下心ありきの善意と好意の中で育ちました。見返りを求めない純粋な愛情が存在することを僕は知らなかったんです」
――見返りを求めない純粋な愛情、か。
罪人として投獄された彼は今、密命を受けて外へ出されても尚、愛情を遠く捉えている。
「いろいろ欠けている人間なんですよ、僕は」
「欠けていない人間なんていないぞ、シモン」
「人はみんな欠けていると言われても、どこに共感をすれば? 何が欠けているかも分からない不確実な存在なのに」
シモンの言葉は、司祭の俺に突きつけられた課題だ。無神論者から「聖職者の綺麗事が心に響かない」という皮肉をかけられることがある。醜さと悲しみの果てにあるのは虚無だ。
教皇側に存在する「祓魔士」の祈祷文には「悪魔が司祭にあつらえたるは虚無である」と表記がある。
――愛の反対が無関心や虚無であるなら、俺は聖職者である以上、弱者にも罪人にも無関心であってはいけない。
虚無から救い出す言葉を、生涯考え尽くさなくてはならない。
「欠けている僕は、もう二度と心を盗まれることはないですよ。痛い目を見ましたからね」
――シモンは心を奪われることを望んでいるのだろうか?
「あら、心配せずとも私が盗みますわ。シモン様の心を」
パメラが俺たちの間に、ずずいっと割り込んで来た。パメラと王女様はおしゃべりしながら花輪作りに勤しんでいたので、俺たちの会話は聞いていないだろうと思っていた。
「シモン様に差し上げますわ」
そう言うとパメラは、シモンの首に出来たばかりの花輪をかけた。
「あ……ありがとうございます」
「命の恩人のシモン様に感謝の気持ちをこめて作りました。――あっ、そんな花輪くらいで、べ、別に御礼なんて結構ですからね?」
――下心が包み隠さず口から垂れ出ているぞ~。
「私は高い貢ぎ物より、あなたの下着を一枚いただければそれで十分ですわ」
――花輪の代償に、とんでもないものを要求してきた!
「下着……そういえば洗濯に出していたものが、一枚返ってこないんですが」
シモンは青ざめて、カタカタ震えながら俺へ視線をやった。
――まさかすでにシモンの下着を盗んでいるとか?
「あ、あの……お探しの下着というのは……こちらではないですか?」
王女様が花園のすみにある木を指差した。木の枝にかけられた藍色の下着が、ハタハタと風に揺れている。
「僕の下着! なぜここに干されているんですか!」
――秘密の花園に干された、シモンのパンツ。すごい光景だ。
「先ほど、鍵のはまる扉を探して館内を探検していた折に、洗濯室に立ち寄りまして……」
王女様が言いにくそうに、ちらちらとパメラをうかがう。
「パムさんが貴方のお部屋に届けられる下着を見つけたのです」
「シモン様の下着なら、馬車の中で一度見ましたし、忘れようにも忘れませんわ。愛する人のものですもの」
パメラは自分の胸をポンッと叩いた。
「染みがあって、洗い方が不十分でしたの。私がきちんと洗い直して、こちらでお日様に当てていたのです。あとで私が責任をもって、シモン様のお部屋まで届けますわ!」
「とかなんとか言って、ちゃっかり自分のものにする気だったでしょう?」
「それは誤解ですわ、司祭様」
「俺の下着をあらかた盗んでおいて、今さらなにを言うんですか。俺の下着を返してくださいよ!」
「あれは鞄ごと山賊に奪われてしまったので」
「な、なんだって!」
「なぜ鞄に男の下着ばかり入っているのかと驚かれました。亡くなった恋人の使用済み下着で、彼のニオイが残っている唯一無二の遺品だと答えました。嘘も方便です。その後、下着の行方は知りません。だいぶくたびれていたから雑巾に再利用されたかもしれませんね。けれどもう過去のことですわ、司祭様」
――ああ、神よ。司祭の俺ともあろうものが、この下着泥棒に説く言葉が何一つ浮かびません。
全身の脱力感が半端ない。溜め息を繰り返していると、背後でキィと扉が軋む音がした。風で扉が開いたのだろうと思ったが、草を踏みしめる誰かの足音と息遣いが聞こえた。
「ここから人の声が……。ひょっとして司祭様?」
秘密の花園へ顔を出したのは、亜麻色の髪に、空よりも薄い碧眼の、若い男性だった。一瞬誰だか分からなかったが、新聞で見た「彼の写真」と男の姿が重なる。
――ハ、ハハ、ハンター殿下!
「あっ、やはり司祭様ですね。良かった、違う人だったらどうしようかと」
不安そうな面持ちのハンター殿下は、少しだけ表情をほころばせた。
「あ、いや、その! カカ、カツラは?」
「ああ……コレですか?」
ハンター殿下は、右手にもっていたカツラと眼鏡(めがね)を持ち上げた。
「頭が蒸れて気持ちが悪くなったので、脱いだところです。庭で風に当たっていたら、何やら話し声が聞こえるものですから。おや、そちらの皆さんは……」
時既に遅し。
彼は目が合ってしまったのだ。
恐る恐る背後を振り返る。
「ハンター……殿下」
王女様は花束を持ったまま、ドサッと膝をついた。
「ど、どど、どどどうしてここに貴方が……」
身を竦める王女様から血の気が引き、急に両の目蓋が下がる。
「マーガレット!」
花邑に倒れた彼女をハンター殿下が抱きかかえた。
「き、気絶してる! い、い、医者を! だ、だだ、誰か!」
――おお、神よ。
王子様と王女様が出会ってしまった。
シモンのパンツが干された秘密の花園で。
【8章:マーガレット編 に つづく】
第7章をお読みいただきありがとうございます。
第8章は【6月22日(土曜日)】のスタートを予定しています。
うつむくシモンの面持ちに、木漏れ日の影がちらついた。
「僕が貢ぎ込んでいた女性は、僕が捕まったら知らぬ存ぜぬでした。まぁ、確かに? あの人に非はなかったですけど? 司祭様もご存じでしょう」
シモンは横領していたチャールズの資産を、意中の女性の貢ぎ物などに宛てていた。その女性と家族に気に入られようと必死で、逆玉の輿を狙っていたのだ。
「その人のことが、本当に好きだったのか?」
俺の質問は意地悪だったろうか。おそらくこの悪党のことだから「愚問だ」とか言って流し目をくべるのだろうと予想したら、
「好きでしたよ。世界で一番愛していました」
意外にも彼の口から素直な愛の言葉が出たのである。
「幼い頃は下心ありきの善意と好意の中で育ちました。見返りを求めない純粋な愛情が存在することを僕は知らなかったんです」
――見返りを求めない純粋な愛情、か。
罪人として投獄された彼は今、密命を受けて外へ出されても尚、愛情を遠く捉えている。
「いろいろ欠けている人間なんですよ、僕は」
「欠けていない人間なんていないぞ、シモン」
「人はみんな欠けていると言われても、どこに共感をすれば? 何が欠けているかも分からない不確実な存在なのに」
シモンの言葉は、司祭の俺に突きつけられた課題だ。無神論者から「聖職者の綺麗事が心に響かない」という皮肉をかけられることがある。醜さと悲しみの果てにあるのは虚無だ。
教皇側に存在する「祓魔士」の祈祷文には「悪魔が司祭にあつらえたるは虚無である」と表記がある。
――愛の反対が無関心や虚無であるなら、俺は聖職者である以上、弱者にも罪人にも無関心であってはいけない。
虚無から救い出す言葉を、生涯考え尽くさなくてはならない。
「欠けている僕は、もう二度と心を盗まれることはないですよ。痛い目を見ましたからね」
――シモンは心を奪われることを望んでいるのだろうか?
「あら、心配せずとも私が盗みますわ。シモン様の心を」
パメラが俺たちの間に、ずずいっと割り込んで来た。パメラと王女様はおしゃべりしながら花輪作りに勤しんでいたので、俺たちの会話は聞いていないだろうと思っていた。
「シモン様に差し上げますわ」
そう言うとパメラは、シモンの首に出来たばかりの花輪をかけた。
「あ……ありがとうございます」
「命の恩人のシモン様に感謝の気持ちをこめて作りました。――あっ、そんな花輪くらいで、べ、別に御礼なんて結構ですからね?」
――下心が包み隠さず口から垂れ出ているぞ~。
「私は高い貢ぎ物より、あなたの下着を一枚いただければそれで十分ですわ」
――花輪の代償に、とんでもないものを要求してきた!
「下着……そういえば洗濯に出していたものが、一枚返ってこないんですが」
シモンは青ざめて、カタカタ震えながら俺へ視線をやった。
――まさかすでにシモンの下着を盗んでいるとか?
「あ、あの……お探しの下着というのは……こちらではないですか?」
王女様が花園のすみにある木を指差した。木の枝にかけられた藍色の下着が、ハタハタと風に揺れている。
「僕の下着! なぜここに干されているんですか!」
――秘密の花園に干された、シモンのパンツ。すごい光景だ。
「先ほど、鍵のはまる扉を探して館内を探検していた折に、洗濯室に立ち寄りまして……」
王女様が言いにくそうに、ちらちらとパメラをうかがう。
「パムさんが貴方のお部屋に届けられる下着を見つけたのです」
「シモン様の下着なら、馬車の中で一度見ましたし、忘れようにも忘れませんわ。愛する人のものですもの」
パメラは自分の胸をポンッと叩いた。
「染みがあって、洗い方が不十分でしたの。私がきちんと洗い直して、こちらでお日様に当てていたのです。あとで私が責任をもって、シモン様のお部屋まで届けますわ!」
「とかなんとか言って、ちゃっかり自分のものにする気だったでしょう?」
「それは誤解ですわ、司祭様」
「俺の下着をあらかた盗んでおいて、今さらなにを言うんですか。俺の下着を返してくださいよ!」
「あれは鞄ごと山賊に奪われてしまったので」
「な、なんだって!」
「なぜ鞄に男の下着ばかり入っているのかと驚かれました。亡くなった恋人の使用済み下着で、彼のニオイが残っている唯一無二の遺品だと答えました。嘘も方便です。その後、下着の行方は知りません。だいぶくたびれていたから雑巾に再利用されたかもしれませんね。けれどもう過去のことですわ、司祭様」
――ああ、神よ。司祭の俺ともあろうものが、この下着泥棒に説く言葉が何一つ浮かびません。
全身の脱力感が半端ない。溜め息を繰り返していると、背後でキィと扉が軋む音がした。風で扉が開いたのだろうと思ったが、草を踏みしめる誰かの足音と息遣いが聞こえた。
「ここから人の声が……。ひょっとして司祭様?」
秘密の花園へ顔を出したのは、亜麻色の髪に、空よりも薄い碧眼の、若い男性だった。一瞬誰だか分からなかったが、新聞で見た「彼の写真」と男の姿が重なる。
――ハ、ハハ、ハンター殿下!
「あっ、やはり司祭様ですね。良かった、違う人だったらどうしようかと」
不安そうな面持ちのハンター殿下は、少しだけ表情をほころばせた。
「あ、いや、その! カカ、カツラは?」
「ああ……コレですか?」
ハンター殿下は、右手にもっていたカツラと眼鏡(めがね)を持ち上げた。
「頭が蒸れて気持ちが悪くなったので、脱いだところです。庭で風に当たっていたら、何やら話し声が聞こえるものですから。おや、そちらの皆さんは……」
時既に遅し。
彼は目が合ってしまったのだ。
恐る恐る背後を振り返る。
「ハンター……殿下」
王女様は花束を持ったまま、ドサッと膝をついた。
「ど、どど、どどどうしてここに貴方が……」
身を竦める王女様から血の気が引き、急に両の目蓋が下がる。
「マーガレット!」
花邑に倒れた彼女をハンター殿下が抱きかかえた。
「き、気絶してる! い、い、医者を! だ、だだ、誰か!」
――おお、神よ。
王子様と王女様が出会ってしまった。
シモンのパンツが干された秘密の花園で。
【8章:マーガレット編 に つづく】
第7章をお読みいただきありがとうございます。
第8章は【6月22日(土曜日)】のスタートを予定しています。
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