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ルー・ガルー〈ジェヴォーダンの獣異聞〉

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第三話

 村はおろか麓の街までも、ジャンの噂はあっという間に広がっていた。
 ジャンの居た場所にあった巨大狼の血だまりはゆうにワイン樽1つ分はあった。 あの巨大狼に襲われた娘をたった一人で救ったと言う武勇伝も合わせて、ジャンの事は半分英雄のように語られていた。
 顔見知りの多い街の中で、片足を引きずりながら駆けるジャンが目立たない訳はなかったが、また「娘のために」「ジェヴォーダンの獣を仕留めるために」教会へ急ぐというジャンを止めるものも居る訳はなかった。

「ダリウス司祭! ジャンだ! 頼みがある!」
 真っ暗な教会の中に飛び込むなり叫ぶジャンの前に、奥の間から長身の男がゆったりとした動作で音も無く現れる。

「どうしました? ジャン。そんなに慌てて」
「おお、ダリウス。貴方以外に頼める人の居ない急ぎの用があるのだ」
 司祭はジャンが心を許す数少ない友人で、若いながらも次のこの教区の司教はこの人だろうと言われていた。

「……ふむ、酒は飲んでいないようですね。わかりました、奥の部屋で聴きましょう」
 ジャンについてぞろぞろと教会に入り込んできた街の人々にニッコリと笑いかけると、ダリウスはジャンを奥の部屋に呼び入れた。

 厚い樫の木のドアを閉め、ジャンに椅子を勧めると、ダリウス司祭はランプを執務机からテーブルに移す。
 向かいの椅子に腰を下ろすと軽く頷き、黙ってジャンが話し始めるのを待った。
 あんなに急いでいたというのに、いざ話し始めようとすると、ジャンは何から話すべきか迷い、悩んだ。

「……娘は……アンヌは悪魔に魅入られている」
 ゴクリとつばを飲み込み、意を決して話し始める。
 司祭はある種の予感に身をすくませ、ジャンの目を見つめたまま次の言葉を待った。

「その……悪魔は……ジェヴォーダンの獣だ」
 その言葉に、沈着冷静なダリウス司祭も驚きを隠せなかった。胸の十字架へ指を当てて十字を切り、二言三言祈りの言葉をつぶやく。ジャンも同じように十字を切った。
 少し落ち着くまで間を置くと、ジャンは今までの経緯をできるかぎり詳しく司祭に説明した。

「……それで、貴方は私に何を頼みに来たのですか?」
「わからない」
 ジャンはダリウス司祭の問に即答する。

「何を頼めばいいのか、俺はどうすればいいのか、それを聞きに来た。神に仕える貴方にしか答えられない話だ。教えてくれダリウス。娘を救うために俺はどうすればいい?」

 暫し沈黙の時が流れる。

 ダリウス司祭は沈黙を守ったまま立ち上がり、執務机に向かう。鍵のかかった引き出しを開けると、沢山のメモが挟まれた赤黒い革製の大きな本を取り出し、ジャンの前に広げた。

「……これは、私がこの9ヶ月研究を続けた、ルー・ガルーについての文献です」
「ルー・ガルー?」
「そう、忌避すべき狼ルー・ガルーです。悪魔憑きの一種で、憑かれたものは狼となり、その人間の何十倍も強大な力と鋭い牙、邪悪な爪で人間をただ殺すのです」
「……確かに……アンヌは狼の姿だった。邪悪で、血まみれで、……それでもなお美しい銀色の狼だった」

 本に描かれた恐ろしい狼の挿絵を見つめながらジャンが呟く。
 司祭が頁をめくると、そこには剣と銃により討ち倒される狼の姿が描かれ、銃を持つ男の頭には光輪が輝いていた。

「この絵に描かれているのはリュドウィック卿。記録上ルー・ガルーを討ち倒した唯一の人物です。……ルー・ガルーは倒すことが出来ます」
「それで? その狼に憑かれていた人間はどうなったのだ?」
 司祭の言葉に希望を見出し、ジャンは勢い込んで尋ねる。
 しかしダリウス司祭はそっと本を閉じ、ゆっくりと本を引き出しに戻した。

「……この時の男は、ルー・ガルーが討ち倒された後、狼の腹の中から現れたそうです。リュドウィック卿の撃った数発の銀の弾丸が中の男にも当たっていて、虫の息だったとか。男は卿の判断により、その場で斬首されました」
 ジェヴォーダンの獣を倒すことは、そのまま娘の死につながる。ある程度は予想していたことだったが、現実を突きつけられたジャンは倒れこむように背もたれに体を預けた。

「……獣を倒し、娘を救うことは出来ないのか? 司祭」
 両手で顔を覆い、絞りだすような声で確認する。
 聞いては見たものの、ジャンは絶望していた。そんな都合の良い話は有るわけがないのだ。

「……私の仮説が正しければ、あるいは救うことが出来るかも知れません」
 しかしダリウス司祭の答えは予想に反して希望の有る答だった。

「なにっ? 本当か?」
「ええ、あくまでも仮説ですが」
 勢い込むジャンを制し、ダリウス司祭はもう一度「仮説ですが」と前置きして、話を続ける。

「まず疑問に思ったのはリュドウィック卿の記録です。ルー・ガルーは銃弾により討ち倒されましたが、死体の中から出てきた男は生きていた。つまり狼に憑かれたものがルー・ガルーになるのではなく、ルー・ガルーの中に取り込まれて居る、別々に存在しているのではないかと言うことです」
 ジャンは無言で頷き、話の先を促す。

「そしてアンヌの話を貴方から聞いて確信に近づきました。数十発の銃弾をその身に受けたはずのジェヴォーダンの獣から現れたアンヌの体には、数発の銃弾しか当たっていなかった。間違いありませんね?」
 ジェヴォーダンの獣が追われたあの日、10人ほどの狩猟団の男たちがそれぞれ10発ほど発砲している。半分……いや、3分の1しか命中しなかったとしても20発程度の銃弾が獣に命中しているはずだった。
しかし、アンヌの体にあった銃創は7発。
 体中にあった擦り傷で、体をかすっただけのような銃弾までは分からなかったが、アンヌの体に命中したと言える銃弾は、確かに7発だけだった。

「……間違いない」
 少しずつ分かり始めたジャンが頷くのを見て、ダリウス司祭も頷く。

「ではもう分かったでしょう。ルー・ガルーに当たった銃弾が全てそのまま中の人間に当たるわけではないのです。アンヌの体はルー・ガルーに比べて小さい。それもいい方向に働くでしょう。……しかしルー・ガルーに致命傷を与える事ができて、アンヌに怪我を負わせない場所となると限られます」

「頭か」

 狼の弱点は知っていた。今思い返せばアンヌが現れた時には狼の体の中心、心臓の辺りから現れた。ジャンには頭以外の選択肢はなかった。

「そうです。しかも眉間の中心を正面から撃ち抜かねばなりません。……そしてもう一つ問題があります」
 胸の十字架に指を当てて神の名をつぶやき、一度目を閉じた司祭はジャンの目をまっすぐに見つめる。

「ルー・ガルーには銀の銃弾でしか止めを刺すことは出来ません。しかも長い時間をかけて聖別された銀でなければならないのです。この教会にはそんな銀を買うお金はありませんし、あったとしても、聖別には数年の歳月がかかるでしょう」

「……あなたの知っている教会に、その清められた銀を借りるわけにはいけないのか?」

「銀を常に聖別している教会などは殆どありません。探し出し、交渉し、送ってもらうまでに、上手く行ったとしても数ヶ月はかかるでしょう。……それまでアンヌの心が持つとは思えません。ルー・ガルーは憑依した人間の心を糧とし、13回目の満月を迎える前には食い尽くしてしまうのです。10歳の子供がそこまで耐えられるとは……」
「っ! それではっ! 結局娘は助からないではないか!」
 ダリウス司祭の言葉を遮り、ジャンは握りしめた拳をテーブルに叩きつける。噛み締めた奥歯から歯の軋む音が聞こえた。

「まぁ話は最後まで聞くものです。ジャン」
「なにがっ……」
「銀は有ります」
 今度は司祭がジャンの言葉を遮る。

「私が神に仕える身となってから20年。毎日欠かさず聖別し続けた銀が……」
 首から十字架を取り外す。

「ここに……あります。この十字架を鋳溶かして銀の銃弾をお作りなさい。ただし、この十字架では銃弾1発分にしかならないでしょう」
 十字架をジャンの手に握らせ、諭すように言葉をつなぐ。

「聖別された銀の銃弾は1発のみ。狙う場所はルー・ガルーの正面、目と目の間の握りこぶし1つ分ほどの場所。体に当たればルー・ガルーと共にアンヌは死に、当たらなければアンヌはルー・ガルーに飲み込まれる。ルー・ガルーをおびき出す役目は私がやりましょう。失敗すれば貴方も私も死ぬでしょう。それでも……」

「無論だ」

 左手で十字架を握り、右手で司祭の手を握り、ジャンは初めて笑顔を見せた。

「ダリウス司祭、どう感謝していいのか分からない。この恩は一生かけて返させていただく」

「全ては終わってからにしましょう。それに……私への恩と言うのなら、貴方がお酒をやめて、家族と共に神に祝福された幸せな生活を送ってくれるだけで十分です」
 ニッコリと笑顔で返すダリウス司祭に少し困ったような苦笑いを見せ、ジャンは「酒か……」と呟く。

「分かった、貴方がそれを望むのなら是非もない。すべての酒を断ち、神と家族のために残りの人生を使うことを誓おう」
 ガッチリと抱擁を交わした2人は、その後、夜が明けるまで計画を話し合った。


 翌日の夕方、銀の銃弾の鋳造を終えたジャンが家に帰ると、元気な声が迎えてくれた。

「おかえりなさい! お父様!」
 弾が貫通していたとはいえ重症だったはずのアンヌが、歩きこそしないまでも、ベッドの上に半身を起こし、マリアの作ったミートパイを頬張っていた。

「アンヌ! もう体はいいのか?」
「はいお父様。……私、どうしてこんな怪我をしたのか覚えてないの。お父様が助けてくださったんでしょう?」

 無邪気に笑う娘を見て、ジャンはアンヌに近づくと髪を撫でる。
 この愛らしい娘が獣に魅入られているのだ。
 数ヶ月もしないうちにとり殺されてしまうのだ。

「あぁそうだよ。お前は森の動物に襲われて気を失っていたのだ。気をつけなくてはいけないよ」
「はい。ごめんなさい。お父様」
「あら、おかえりなさい。あなた」
 台所からスープの器を持ったマリアが現れる。その顔は幸せに満ちていた。

「あなた、見てください。アンヌったらミートパイを2つも食べて、スープも2杯目なんですのよ! すっかり元気になって……」
「お母様やめて。恥ずかしいわ」
 微笑み合ってはしゃぐ2人を見て、ジャンは改めて必ずアンヌを救うと心に誓うのだった。


 それから数日間、ジャンは毎日銃の訓練を続けた。
 足が不自由になる前は軍でも十指に入るほどの銃の名手と言われたジャンだが、長いブランクは確実に腕を鈍らせている。
 自らの不甲斐なさを呪い、しかし神と家族のために生きると誓ったジャンは、だんだんと昔の感を取り戻していった。

 10日ほど経ったある晴れた日、マリアは久しぶりにアンヌを村の市場への買い物に同行させた。
 驚くことにこの頃には、アンヌの傷は殆ど癒え、歩き回れるほどになっていたのだ。
 市場でアンヌたちは、数日前から村の教会に来ているダリウス司祭に会った。

「おや、おはようございます。マリアさん。アンヌの怪我はもういいのですか?」
 ダリウス司祭の笑顔の中で鋭く目が光り、アンヌを睨みつけるように見つめる。

「おはようございます司祭様。ええ、もう全然じっとしていなくて困ってしまいますわ」
 挨拶は返したものの、いつもの優しいダリウス司祭とは違う雰囲気に、2人は戸惑いを隠せない。

「そうですか、それは良かった。ではこれで」
 胸の木製の十字架に手を添わせ、軽く頭を下げたダリウス司祭が通り過ぎる。

「ごきげんよう。司祭様」
 こちらも挨拶をして通りすぎようとした2人に、司祭が思い出したように声をかけた。

「あぁ、そうそう。酒飲みのジャンに言っておいてもらえませんか? ジェヴォーダンの獣は今夜私が神の名において退治すると。あの酒飲みの堕落した男に必ず伝えてください。よろしいですね?」
 アンヌもマリアも、周囲に居た村人たちも一斉にざわついた。
 あの温厚なダリウス司祭が名指しで人を貶めるような事を言ったのももちろんだが、ジェヴォーダンの獣を退治すると、たしかにそう言ったのだ。

「司祭様、どうやって退治するので?」
 近くでチーズを売っていた男が司祭に尋ねる。

「もちろん、神の聖名において調伏するのです。ちょうどいい、皆さん知り合いに伝えてください。今夜私はジェヴォーダンの獣を退治するために山に入ります。危険なので誰も立ち入らぬように」
 どよめきが広がる市場の中で、マリアは信じられない言葉を耳にして呆然としていた。
 その横でアンヌが胸を抑えてうずくまる。

「……お父……様……は、堕落……した男じゃ……ない……」
「……アンヌ? どうしたの?!」

(サバカレルベキハ……コノ……シサイダ)

 急激に周囲の音が消え、心臓の音だけが耳障りに響きまわる。アンヌの心が軋み、心臓から四肢へ冷たい液体が送り出されるような感覚が体を襲った。

「アンヌ!」
 母親に抱きしめられ、アンヌの心は市場に戻る。

「……お母様……」
 ざわつく市場の中で抱きしめ合う親子を一瞥すると、ダリウス司祭はゆっくりと立ち去った。
 マリアは娘を立ち上がらせると、周囲からの好奇の目を無視しながら市場での買い物を済ませ、なるべくいつもと変わらないように振る舞い、ジャンの待つ家へと帰っていった。

「ダリウスがそう言ったのだな?」
 家に帰るなり糸が切れたように眠ったアンヌをベッドに寝かせると、ありのままを語ったマリアに、庭で銃の訓練をしていたジャンが聞き返した。

「はい、私もまだ信じられません。あのダリウス司祭が貴方の事をあんな風に言うなんて……」
「いや、そこは重要ではない。確かに今夜と言ったんだな?」

「……はい。間違いありませんわ」
「アンヌも聞いたのか?」

「……はい」
「そうか。マリア、ダリウスのあれは真意ではない、気にするな。アンヌの傷が癒えた祝いだ、今夜はうまい飯が食いたいな」

 そう話すとジャンは銃の訓練をやめ、手入れをするために部屋へ戻る。
マリアは腑に落ちないように首を傾げたが、夫の言葉を信じる事にして部屋へと戻っていった。

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