幽霊嬢も夢を見る

3+1

【3章】10話.姉様来訪

「お姉様が来る? 午後に?」

 爽やかなある朝のこと。
 両親と朝食をとった帰り道に、メイドが私を呼び止めた。

「はい」と彼女はおしとやかに微笑んで肯定する。
 お父様からもお母様からもそんな話は聞いていない。
 おそらくたった今、伝達があったのだわ。唐突なところは姉様らしい。

 すぐに伝えてくれたことに礼を言い、私は少し歩みを速めて別館に移動する。

 早く教えたいな——そう思って扉を開ける。

『ばあ!』
「ひゃあ 」

『あらあらまた引っかかった』
「…また引っかけられました」

 開けた途端、教えたい相手が逆さまになって現れた。
 鼓動はうるさいまま、きょろきょろ左右を確認してから、中に入りパタンと閉める。

「もー…マキナ姫、ほどほどにしてください。誰かに見られたら私、おかしくなったと思われてしまいます」
『安心なさいな。安全確認済みの上、行っているのよ』
「そうだとしても…ただでさえうっかり話しかけてしまいそうになるのに」
『私の存在が馴染んできたってことでしょ? 嬉しいわ』

 ポジティブ思考のマキナ姫は、床に着地して膝をつき、床に広げた長い紙を見るのに集中し始める。

 そこにはつらつらと私の字で物語が書写してあった。
 本のページがめくれない姫に、どうにかして読書を楽しんでもらえないかと考えた時、『マキモノスタイルなら読める』とアイデアをもらってできた物。
 異国の本の形らしいが、変わっている。

 これのおかげで、マキナ姫は五年前に完結した『わり天悪てんあく』(見た目のそっくりな天使と悪魔が立場を交換するストーリー。一世代前のご令嬢間でヒットした)を読むことができている。

 人目のあるところでもうっかり話しかけてしまいそうになるのは、私がただ不器用なせいだけれど。
 恐れ多くも、マキナ姫が傍にいることは私の日常になった。

 一つ目の望み〈実家を見たい〉は叶ったものの、思った通り指輪が外れるようなことはなく。
 本格的に共同体生活が始まるならば…、姫に「つまらない」と感じさせたくないと思った。

 そうして以前よりも出かける回数が増えて、
 幽霊でも楽しめる娯楽を練りあって、
 密かに王宮に滞在する方法を考えて…、私は良い意味で忙しい毎日になった。
 やるべきことが見えているのは、すっごく楽しくて幸せなことね…。

「マキナ姫。今日の午後、お姉様が来るらしくて」

 姫がキリのいいところまで読み終えた頃。
 私は朝に伝えられたことを彼女にも教えた。

 すると優美な容貌が、ぱあっとさらに輝く。
「まあ…! いよいよお目にかかれるの… 」
「はい、お待たせしました!」
「楽しみ…楽しみだわ…!」
 口元の緩みが、彼女の気持ちを証明している。

『二つ目の望みは——メリナ・メアーさんに会ってみたい』

 …初めにそう聞いた時は、一つ目を経て早くも遠慮されてしまったのかと思った。
 実際遠慮も0ではないのかもしれないけれど…、こんなに喜んでくれているのだから、ちゃんと本心だったみたい。

 マキナ姫は、キール王子と面識があったのをきっかけに、お姉様に興味を持ったらしい。
 王宮入場に比べれば、会う難易度は遥かに簡単。
 お姉様が住む屋敷を訪ねればいいだけなんだもの。
 度々実家、つまりメアー家にも向こうから顔を見せる。

 それならばと、家に来る時を待つことになった。
 そしてその機会が今日やって来たのです!




 ——コンコンコン。

 マキナ姫も私も、読書をしながら過ごすこと数時間。
 控えめなノックが鳴り、応対すると朝に知らせてくれたメイドが来てくれていた。

「あ…!」
 彼女の顔を見た瞬間にもしやと思うと、こくりとうなずかれる。
 が…

「メリナ様がいらっしゃいましたので、お声がけに来ました。ただ…」
 メイドは困ったように視線を脇にずらす。

 …ああ、これはたぶん、そういうことね。

「問題ないわ。すぐに向かう。本館よね?」

 居場所を確認して、マキナ姫と移動を開始する。
 私が住んでいるのは西館、お父様とお母様は東館。
 一番大きな本館はお兄様と婚約者のお嬢様が暮らしている。

「マキナ姫にはまだ、本館は紹介していませんでしたね。あ、お一人で入られたことは?」
『ないない。人様の家を冒険するのははばかられるわ』
「ふふっ、そうでしたか」

 幽霊嬢はまだマナーを気にしているらしい。『冒険』と言うあたり、興味はありそう?

『ステラ嬢も、お家なのにあちら側には滅多に行かないのね』
「正式な婚儀はまだですが、新婚夫婦同然の二人が住んでいますから。両親が『義理の家族が頻繁に顔を出してはストレスになるだろう』って」
『へえ、理解のあるご両親ね。嫁・姑問題は物語でも現実でも、長年発生し続けてる厄介なものなのに』

 …それをマキナ姫が言うとなんだか重みがある。
 〈皆に愛されたお姫様〉という印象が根付いているけど、やっぱり王宮に住んでいると闇の深い人間関係を目にすることもあったのかしら。

 かの場所は華やかには違いないものの、人の思惑がどこよりも渦巻いているはずだから…。

『兄君の婚約者はどんな方? たしか、位が高いところの娘さんだとは聞いたわ』
「そうなんです。最高位のお大臣の」
「待てこのバカ弟!」

 私の台詞は唐突な叫び声にかき消された。

 口を閉ざすと廊下は静まるが、

「ああっ痛い  引っ張るな 」
 すぐにまた次の叫び声が聞こえてわんわん響く。

『……』
「……」

 聞こえてくるのはどれも幼稚な言い合いで、じわじわ恥ずかしくなってきた。
 「バカ」とか「アホ」とか、ここは子どもの集う空き地でしょうか…。

「…えー、マキナ姫。もうお察しだと思いますが——」

 強引に歩を進めて、開けた場所に出る。
 二階で繋がれた通路からやって来た私たちは、玄関ホールを見下ろした。

「あそこで喧嘩しているのが、私の姉:メリナ・メアーと、兄:ルキル・メアーです…」

 本日のお姉様は編み込みシニヨンヘアに、スカートがアシンメトリーのライトブルードレス。
 …で、その格好なのに構わずお兄様と取っ組み合っている。

 対抗するお兄様は、蜂蜜色の髪がサラサラなのを密かに誇りに思っている人なのに、今は嵐に巻き込まれたようにボサボサに乱れていた。

「ちょっとはおしとやかさを足したらどうなんだ~? そんな我の強さだからいつまで経っても恋愛できないんだ!」
「恋愛できないんじゃなくてしないんですう~! 私が勝てない人に会ったら告白するんですう~」
「出た、男に近寄られない女の言い訳!」

 争いはピークを迎えている模様。
 今さらだけど、こんなのマキナ姫のお耳に入れていいんだろうか。
 私は慣れてしまったけれども、世間様の目に触れたらメアー家の立場が危うくなる可能性もなくはない光景だ。

 心配になりつつ、マキナ姫を横目で見る。

 すると——驚くほど、柔らかい表情で眼下を見つめていた。

 私の目線を感じ取ったのか、彼女が尋ねてくる。
『姉弟喧嘩は、よくあるの?』
「は、はい…、歳の近さのせいでしょうか。個々で話せば二人とも大人っぽいのですけれど」
『賑やかね……羨ましい』
「羨ましい?」
 思わぬ一言で、少し大きな声が出てしまう。
 下がうるさいおかげで、私の独り言・・・に気づく者はいなかった。

『私はあんな風に気持ちをぶつけ合ったこと、一度もなかったから』
「あったらびっくりですよ…! マキナ姫があんな兄弟喧嘩をするところは想像もつきません」
『そうかしら? 王族ほど兄弟喧嘩する生き物はいないわよ』
「……」

 妙に毒のある言い方な気がした。
 マキナ姫の紅い瞳もどことなく光が薄い。

 かと思いきや、またすぐにさっきの柔らかい目つきに戻った。
『私は末っ子で、兄姉とはずいぶん歳が離れていたせいね』
「…そ、そうでしたわね。大人びていらっしゃるから、末のお姫様だったのを忘れてしまいそうになります」

 と言うと、ある姿が脳裏に浮かぶ——
 そういえば、あの方もマキナ姫と似たことを仰っていた。

『私はお兄様たちよりかなり年下ですから。喧嘩しているルキル様を見ていると、もし歳が近かったら、お兄様たちも私にこんな顔をしたのかしらとつい想像しちゃって』

 と、喧嘩とは程遠い、お人形さんのような愛らしい微笑みで話してくれた。

『喧嘩しているルキル様も、子どもっぽくてかわいらしいですわ』
 なんて寛大かんだいな心と惚気のろけも披露してくれたっけ…。

「あ、マキナ姫。ご紹介が遅れました。あそこの柱で喧嘩を見守っているお方、兄の婚約者様ですわ」
『…あの子が? へえ…、美少女じゃないの。やるわねえ、お兄さん』
「兄をけなすつもりはありませんが…、本当に奇跡ですわ」

 華奢きゃしゃな身体つきに、ふわふわのフリルドレスを身に纏い、
 目の前で繰り広げられているのは幼稚な言い争いなのに、日向ひなたのような穏やかな顔。

 その姿は女の私でも庇護欲というものを感じさせられた。
 三つ年上らしいけれど、そうは思えない。

 金髪碧眼という物語のお姫様のような女性。
 初めてお会いした時、厳しい人と話に聞く大臣様がさぞ大切に育てたんだろうなと思った。
 そういうところも、マキナ姫に似ているかも。

「さっき言いそびれましたが、リコトン・ラティニーユ公の御息女、ルミナス様です」
『……ルミナス?』

 名を口にした私にマキナ姫が怪訝けげんな顔を向けた。
 つられてこちらも首を傾げてしまう。

「お知り合い…でしたか?」
『…いいえ?』

 答えた直後、マキナ姫はトンと軽く背中を叩いてくる。

『十五年前に死んでる私があんな若い子と知り合いなわけないわ。ラティニーユの男性陣営ならともかく』
「それは、まあそうですわね」

 簡単だけれど全員の紹介が終わったところで、私は玄関ホールに繋がる階段を降りていく。
 ここからはマキナ姫とうっかりお話しないようにしないと。

 すう、と息を吸って…

「お兄様。お姉様」

 声高に呼ぶと、二人はピタッと動きを止め、またピタッと息ぴったりに首を動かした。

「「ステラ 」」

 返事もばっちり同時。
 …仲が良いんだか悪いんだか。

「待ってたわよ~! ねえねえお茶にしましょ? お姉様、貴重な茶葉を持ってきたの」
「いいや、兄と談笑しようではないか。ちょうどお前と話したいことがあるんだ」
「は? どうしてそうなるのよ。私のほうがステラと話したいんだから。今日来たのもそのため!」
「知るかよ、馬車で三十分もかからないくせに、遠路はるばる来ました~って顔するな!」
「そっちは徒歩五分なのに、妹の部屋に話しかけに行く勇気もないわけ~?」

 ま、まだ続くか。…そうなのよね、私が間に入ったところで、二人の気が済むまで終わらないのよね……末っ子は無力だわ。

 しばし微妙な顔をしながら収まるのを待つことにする。

「兄が先!」
「姉が先!」
「ああもういい! ここで聞く!」
「抜け駆け  止めなさいったら!」
「「ステラッ 」」
「はいっ 」

 急に叫ばれてビクッと肩が跳ねた。
 間髪入れず、ずずいと二人の顔がアップになる。

 蜂蜜色の髪と琥珀色の目。私にはない特徴、揃っているのは家族で二人だけの共通点。
 それらで視界がいっぱいだ。

「あなた、王子に興味持たれたかも!」「お前、王宮に興味があるのか 」
「え…」

 二人同時に話しかけられた。
 それでも「王子」「王宮」「興味」という単語はしっかり聞こえて、私を呆然とさせる。

 相手の話したいことを知った兄様と姉様も、喧嘩腰はしぼんできょとんと顔を見合わせた。

「姉さん…『王子に興味』って……」
「ルキルこそ…『王宮に興味』って……」

 二人から視線を逸らすと、まず不思議そうにしているルミナス様が見えた。

 次にそっと左側を見ると、少し離れたところで「あらまあ」と言いたげな顔をしているマキナ姫と目が合った。

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