幽霊嬢も夢を見る

3+1

【2章】5話. 貴女の夢は私の夢

 こっそり抜けてきたはずの我が家に、私は大急ぎで帰還し、バタンと勢いよく入口の扉を閉めた。

 色んな要因で起こったぜえぜえした息が止まらない。
 でも早く抑えないと、使用人に変に見られ——
『まあ、美しい内装ですこと』

 不意に隣で声がした。
 見れば女神が鮮やかな目をきょろきょろさせている。
 …私、入ってすぐに閉めた——

「きゃあああ ——ふぐっ」
 悲鳴をあげようとした口がすかさず塞がれる。
 ちょうどその時、奥の戸から出てきたメイドが私にお辞儀をした。
 ぎりぎり叫び声は聞かれなかったみたい。

 声代わりに彼女に軽く手を振ったところで、口は解放される。

『場所、変えましょ』
 囁かれて、こくこくと頷くしかなかった。

 幽霊…、って言ってたわよね? やっぱり本当にそうなの?
 さ、さっき扉をすり抜けてたものね……。

 現実離れしたように綺麗な人だと思っていたら、まさか存在そのものが現実離れしていたとは——。

 幽霊と信じるしかない気持ち半分、すぐには受け入れがたい気持ち半分で部屋に招き、ソファを勧める。
 彼女は素直に腰かけてくれた。すり抜けなければ、生身の人間同然に見える。

『…懐かしい』
「はい?」

 女神…いや幽霊嬢は、脈絡のないことを言った。
 黙っていた私からは素っ頓狂な声が飛び出る。

「何がですか?」
『それ。昔、手放したものなの』

 細い指先が示す先には、私の決意の指輪があった。
 相変わらず、値段に恥じない艶やかな輝き方をしている。

「これの、持ち主……」
 そんなバカな、と思いかけて、指輪を見た時の男君の反応が浮かぶ。

 彼はこの指輪に見覚えがあって、驚いた顔を…?

『かつて私が持っていたからこそ、お嬢さんには私が見えるのかも? ほら、物に持ち主の魂が宿る話、たまに聞くじゃない?』
「見えるどころか触れましたわね…」
『あ、それは私もびっくりよ。“彼”にはいくら試しても触れられなかったのに』
 と、幽霊嬢は少し切ない顔をして手をグーパーさせる。
 その様子を見るに、彼女は幽霊になってまだ間もないように思えた。

「外したらどうなるんだろう…」

 気になって、早速引き抜こうとする。
 …が、全く動かない。
 まるで窪みにハマったかのように、ぴくりともしない!

「と、取れないのだけど 」
『あらまあ。指が太った?』
「太ってません  無理やりはめたわけでもないのに…!」
『それなら———私に呪われちゃった?』
「…………」

 顔色が青白くなるのを感じながら美女を見つめる。
『あら、冗談にならなかったわね』と彼女は軽い調子で言った。

「の、呪ったわけじゃないんですね…?」
『もちろん…いやたぶん?』
「どっちですか」
『さあ、どっちかしら。私もまだ、自分が幽霊であることに驚いている最中なんだもの』

 勘が当たった。やっぱり最近幽霊になったんだ。
 …でも、あんまり戸惑っていなさそう? 艶やかな唇に乗せられた微笑みで、余裕たっぷりに見える。

「どうすれば、外れるのでしょう……まあ、外れなくてものすごく困るということはないですが…」 
『単純に、気味悪いものね?』
「えっ…、ええと、まあ…」

 気を遣って明言しなかった本音をニコニコと言い当てられた。
 たおやかな方だと思いきや、さっきからちょくちょく振り回してくる。

『方法は一緒に考えましょうよ。私も、この身体についてもっと知りたいわ』

 と、幽霊嬢がなぜかウキウキと提案して、話し合ったり試したりした結果——

1.彼女が亡くなってからなんと十五年経っている。が、私が指輪を買った日に急に幽霊になり、この世に戻った。

2.幽霊嬢は私の身体と、私が身に着けている物にだけ触れる。すり抜けは容易だが、無断侵入はまだためらわれるらしい(屋敷の前でうろうろしていたのもこのせい)。

 そして3は——

「…行動範囲が制限されてる?」
『そうみたい。指輪のある場所…、つまりお嬢さんから一定以上の距離は離れられないの。変な壁に阻まれたようになるというか』
「もし範囲ギリギリの所にいた時に、私が移動したら…」
『引きずられるように、勝手に身体が動くわ』

 な、なんということでしょう…、浮遊もすり抜けもできるのに、行ける場所が私のせいで限られるなんて…。

 変なプレッシャーをずしずし感じ始めた。
 けれども幽霊嬢の魅惑的な笑顔は崩れない。

『まるで私たち、運命共同体ねっ?』
「う、嬉しそうにしないでください…、むしろ幽霊として焦るべきです」
 幽霊嬢はかわいらしくこてんと首を傾げる。「どうして?」

「私、あまり家から離れないから…。取柄がなくて、努力もできなくて、社交場に赴く覚悟があるわけもなくて……」

 喜ぶ状況じゃないことを伝えるだけでよかったのに、気づけば卑屈な言葉を並べていた。
 だけどもやけ食い前まで沈みきっていた自分の口は、もう止まれない。

「私なんかと共同体になったら…、つまらない毎日に、なりますわ」

 声にしたのを聞くと、心がずきりと痛んだ。
 唇が細かに震えそうで、拳をぐっと握って堪える。
 …自分で言って、ちゃんと傷ついてるなんて、何やってるんだか…。

 だけど落ち込んでいると思われたいわけじゃないから、忠告が伝わるように真っすぐ前を見た。

「!」
 するとびくりと身体が強張る。

 幽霊嬢の暗紅の瞳が、冗談も愛らしさも混じらない、鋭い真剣さを帯びていた。
 それはぴりぴりと、逆らえない威厳までも備わっている風で…、〈彼〉が纏う空気に似ている。

『——それらは自己評価? それとも、誰かに言われたのを気にしてる?』

 目つきに比例して、声にも静かな迫力が表れている。
 到底、誤魔化しや嘘は吐けそうにない。

「…どちらも、でしょうか」
『そう。ならば見誤ったのね、その誰かも、貴女も』

 戸惑う私に、幽霊嬢は強気な顔で微笑んだ。
 あまりにきっぱりと言うものだから…、自分のことなのに、自分の考えが間違ってるんじゃないかとさえ思えてくる。

『幽霊の私はこの世のモノに触れないし、声を届けることもできない。だけど貴女がこの声を聞き取り、私の代わりに彼を助けてくれた。貴女のおかげで、私はこの身体に価値を見出せた』
「……」
『いい? 私が貴女と一緒にいてつまらないかどうかは——私が決めるのよ』

 否定する隙はなかった。

 知らなかったわ——「優しい」と「偉そう」は、一体になれるのね。

「…一つ、聞かせてください」
『なあに?』
「何を望みますか? もし元の身体で、この世に戻ることができたなら」
『望み…? …なるほど、幽霊は心残りが消えると、あの世に帰るのが王道よね』

 えっと、そこまで考えてはなくて……でも「役に立ちたい」なんて恥ずかしくて言えないし、いいか。

『うーん…、でも困った』

 幽霊嬢は悩ましげに頬に手をあてた。あらもしや、何も浮かばないパターン?

 勝手に親近感を覚えかけた時、彼女はニコッと無邪気に笑う。

『いっぱいありすぎて、一つに絞れない!』
「あっ、そっち側ですか…」

 親近感、秒で消失。
 気を取り直して…

「ひ、一つじゃなくてもいいです。何でも致しますわ!」
『ふ~ん? 〈何でも〉なんて、もし幽霊に結婚を頼まれたら大変ねえ』
 と、幽霊嬢は絵にかいたようなニヤリ顔。
 私があの男君に心配するならともかく、それはないない…!

「お手柔らかに頼みます…ですが、全力は尽くしますから」
『これで本当に指輪が外れるかわからないのに、ずいぶん親切にしてくれるのね。…ふふっ、貴族らしく、他に何か魂胆があってのことかしら?』
「私はっ、そんな貴族らしくは……あ、魂胆がないとは言えないかも…」

 言葉を濁すと、幽霊嬢は愉快そうに目を細める。

『というと?』
「私には夢がなくて…、ないことを『つまらない』と言われても、反論できなくて…。だけど貴女の夢を私の夢にしてしまえば、たとえ仮初かりそめでも、空虚な毎日を価値あるものにできる…そういう、魂胆ですわ」

 正直に告げながら、純粋な優しさだけでは動いていないなと実感する。

 けれども目の前の彼女は、不快になるどころか満足そうに口元で弧を描いた。

『最高の取引だわ。私は夢を欲している貴女に夢を与えて、貴女は幽霊の夢を出来る限り叶えてくれるのね——すっごく面白そう』

 心底楽しみでたまらない、そんな表情で、幽霊嬢は右手を差し出す。
 その時、私は大切なことを思い出した。

「い、言いそびれていましたわ。私はステラ・メアー。メアー家の次女です」
『あ、それなら私も。名前はマキナ。死んで十五年の、新参幽霊よ』

 言い回しにくすりと笑ってから、こちらも右手を伸ばす。
 その細い手には確かに体温を感じた。私にとってははっきり存在感があって、また幽霊を疑いそうになってしまう。

 マキナさん、か……あれ? どうしてだろう、妙に頭の奥に引っ掛かりが…。

 ふとした違和感は、次の彼女の言葉にかき消される。

『早速だけどステラお嬢さん。私決めましたわ。一つ目の望みは————』

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