エッセイを書いてみる

あうるい

05.かなしいこと

人って1人として同じじゃないから

いろんな意見があって楽しいけれど

だからこそ対立は必ず生まれるし、

平和な世の中になることってきっと

厳密には不可能なんだと思う。

平和が好きだし、みんな仲良くして

ほしいと思うけど、身の回りの人の

小さな社会でさえ合う合わないは

あるし、考え方もそれぞれ違うから

全員がベストだってなることって

ほとんどなかったりするから。

とはいえ、21世紀の現代において

話し合ってもダメなら冷静になって

距離や折り合いをつけるのがいいと

わかっていてもできないのが現実で

あって、感情的になる、もしくは

自分の利益や欲しか考えられらない

非情である人がいることも確かで。

その裏に、なにか抱えているものや

事情があるのかもしれないけれど。

純粋がゆえに正しいことだと思って

やっていることもあるかもしれない。

もしくは、幼少期から愛情を与えて

もらえない環境で育つ場合も、逆に

愛情たっぷりに育てられても、理解

出来ずに育つこともあると思うから

環境や愛情だけでもないし、理性や

脳の異常や精神の隔りだと断定する

ことも違うし、誰にでも考えられなく

なったり周りが見えなくなって冷静で

いられないこともあるから、一概に

どうすればよいとも言えないけれど。

もとはといえば、動物的本能で人は

競争心を少なからず持っているし、

絶対だとは言い切れないにしても

嫉妬心も誰だって持っている。

嫉妬心をよい刺激へと変換させる

ことができたらいいけど、それが

マイナスに作用したりもするし、

時に取り返しのつかない事件へと

発展したりもするから、感情って

人のこともだけど、自分のことも

操るのはいつだって難しい。

だから、争いがない世界はきっと

生命がある限り訪れない気がする。

かなしいけどそれは今のところ

事実で、でももしかしたら、将来

科学が進歩して、肉体が死んでも

意志や人となりがプログラムされ

ネットの中に居続けたり、別の

形状で作られたりもするのかも

しれないけど、争いや死がないと

いうことは、成長する時が止まって

しまって、本当にかなしみがない

世界が訪れる気がするから、まだ

かなしいうちが改善できる余地が

あるかもしれないとも思います。

浮遊する、世界。

悲しい気持ちにならないに越した

ことはないけれど、生きてるから

こそ味わえる、かなしみは多少は

あったほうがいいとおもう矛盾。

あたしは人に深入りするのが怖くて

あまり心の芯には近づけない。

知ってしまったら、きっとなにか

力になりたいと思うし、離れたり

辛くも悲しくもなってしまうから。

人はいつか別れがくるものと俯瞰し

諦めることで、進めることもあるし、

受け入れられなくても、かなしみが

いずれやわらぐかもしれない。

でも、全て諦めてしまうことが一番

悲しい気がするから、いつかわかり

あえる時がくるかもしれないという

希望を持ち続けたいと思うのです。

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