汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】
第三十八話 夢を見てもよいのでしょうか?
蒸気自動車を走らせること数時間、アシュリー領西部の市街地を抜けグランデ領へ入ろうとしていた。
ハーネルドが用意してくれた最新の蒸気自動車は移動速度も速く、馬車で休憩を挟みながら半日以上かかる道のりをわずか数時間で移動できた。
窓から移り行く景色を眺めながら、フォルティアナは緊張した面持ちで声をかけた。
「クリストファー様」
「どうしたんだい?」
「どうか手すりにお掴まりください」
「手すり?」
クリストファーがそう尋ね返した瞬間、突如ガタガタと大きく揺れる蒸気自動車。
フォルティアナは慣れているが、初めてのクリストファーにとってみれば、ただならぬ事態が発生したと勘違いしてしまってもおかしくなかった。
「ティア!」
咄嗟に手を伸ばしたクリストファーは、正面に座るフォルティアナを守るように抱いて自身の胸の中に閉じ込めつつ、部下に命令を出した。
「ラルフ、すぐに応戦の準備を」
「はっ、殿下!」
(お、応戦!? ち、違うのこれは……!)
「あ、あの……クリストファー様」
「大丈夫、君は必ず僕が守るから」
まるで宝物のように大切に抱かれながら耳元でそう囁かれ、フォルティアナの体温は一気に上昇した。
(道が! アシュリー領みたいに、道が綺麗に舗装されていないんです……!)
バクバクと激しく高鳴る鼓動は焦りからくるものなのか。それとも背中に回された、力強いクリストファーの手の温もりを感じてしまったせいなのか。
「殿下、賊ではありません」
「なら故障かい?」
「い、いえ、その……道が……」
「道がどうしたの?」
「砂利道のために発生した揺れのようでございます」
「砂利道……」
窓から外を確認したクリストファーは、自然豊かな木々の生い茂る景色を見て状況を把握した。どうやら先程の区間がたまたまかなり荒れていた砂利道だったようだ。
「驚かせてしまってごめんね、ティア」
ほっと胸を撫で下ろしながら、クリストファーはフォルティアナを解放した。その手は少し名残惜しそうに見えた。
「い、いえ、こちらこそ! 道路の整備が行き届いておらず申し訳ありません!」
勘違いをさせてしまったのが申し訳なくて、フォルティアナは深く頭を下げた。
市街地の道路は整備されているものの、外までは手が回って居なかった。アシュリー領からグランデ領へ入る林道は、馬車が通れるよう簡易的に作られた砂利道だった。
綺麗に舗装された王都で過ごすクリストファーが、このような田舎の林道を通る機会などそうそうないだろう。
「勘違いした僕の落ち度だよ。ティアは何も悪くない。だから顔を上げてほしいな」
激しい揺れを、賊の襲撃だと判断された。
(クリストファー様は、いつもそのような危険の中に身をおかれていたの……?)
そもそも光る人として庭園に囚われていたのも、そうならざるを得ない事情があったという事だ。
顔を上げると優しく微笑んでくれるクリストファーを正面に捉え、胸の奥にチクリとした痛みが走る。
身を呈して守ってくれたのは、この上なく嬉しい事だった。でもそのせいでクリストファーが傷付く事は、フォルティアナにとって耐えられる事ではなかった。
「クリストファー様。もし危険が迫った時はどうか私を捨て置き、ご自身の安全を一番に優先されてください」
「ごめんね。ティアの頼みでもそれは約束出来ない」
「何故、ですか?」
「君が助けてくれたこの命。出来る事なら僕はこの先、君のために使いたいんだ」
(私のために使いたい……!?)
隣では「まぁ!」とサーシャが嬉々とした声を上げ、斜め前方ではラルフがひたすら窓に視線を固定し空気と化していた。
「君を慕う一人の男としても、この国の第二王子としても、そこは絶対に譲れない事なんだ。だから説得しようとしても無駄だよ」
「で、ですが……」
爽やかな笑顔でそんな事を言われ、恥ずかしくてフォルティアナは言葉がうまく出てこない。
「三ヶ月はネルとの仲が進展するよう協力するとは言ったけど、僕は一言も『諦めた』とは言ってないからね?」
けたたましくなり続ける鼓動を静めるべく、フォルティアナは思わず胸を押さえる。
(ダメ、これ以上期待を持ってはいけないわ)
あの庭園でリヒトと過ごした夢の時間は終わった。私はグランデ伯爵家の長女なのだからと、フォルティアナは抱きかけた希望を心の本の中に閉じ込めパタンと閉じる。
「クリストファー様のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが私は……」
窓からそっと視線を外に移す。林道を抜けた蒸気自動車は田畑の広がる農道を走っていた。
国の方針で減反政策を受けた一部の小麦畑は草が生い茂り、今は何も作られていない。そんな荒れた田畑を見ながら、フォルティアナは膝の上でぎゅっとスカートの裾を掴む。
フォルティアナにつられ窓の外に視線を移したクリストファーは、グランデ領の置かれた状況を瞬時に汲み取った。
「僕は君に誰よりも幸せになって欲しい。その幸せの中に領民達の幸せが含まれるのなら、僕はそれを全力で手伝うよ。そのために、ここまで来たのだから」
「療養をしに来られたのでは……?」
「建前上はね。でも本当の目的はティア、君にもう一度夢を追いかけて欲しいと思ったんだ」
「夢を、ですか?」
「僕に外の世界を教えてくれていた時の君は、本当に楽しそうだった。領民のために心を殺して身を捧げる不幸な結婚だけは、して欲しくないんだ」
「ですが貴族として生まれた私に、相手を選ぶ権利など……」
私欲のために我が儘を通すなど、そんなおこがましい事が出来るわけなかった。
ハーネルドとの婚約が破棄され、他領との安定した取引が出来なくなってからの数年間はかなり苦境に立たされた。
婚約していたよしみでそれまで安くしてもらっていた輸送コストも増大し、作物を出荷してもほとんど利益が出なかった。
定期的に減反政策を受ける農業を続けるよりも他領に出稼ぎに行った方が収入もよく、多くの若者がグランデ領を離れていった。その中にはフォルティアナの学友も多く居て、断腸の思いで見送るしかなかった。
病を患った親の治療費を稼ぎに行く者、幼い弟や妹の学費を稼ぎに行く者など理由はそれぞれ違うが、そうせざるを得ない状況を中々改善出来なかった。
そんな状況下でアシュリー領との継続的な縁を結べる婚姻が再び舞い込んできたのだ。私情で断るなど、フォルティアナに出来るわけがなかった。
「領民達の生活の不安が無くなれば、君は無理して結婚しなくても良いでしょう?」
「それはそうですが……」
「だからこの一年で、僕と一緒に領地を改革しよう。領民達が夢を持って幸せに暮らせる領地に!」
窓から射す陽光が、きらびやかにクリストファーを照らす。光が反射して青みがかった銀髪が輝き、柔らかな笑みを浮かべて手を差し出すその姿はまるで慈愛に満ちた美しい天使のようだった。
(皆が夢を持って幸せに暮らせる領地。実現出来たらどんなに幸せだろうか……)
まるで夢物語のような言葉だと分かっている。それでも差し出されたその手を取れば、本当に叶えられそうな気がした。
『僕と一曲、踊ってくれませんか?』
ふと、脳裏にリヒトと初めて出会った時の事が頭をよぎる。
(あの時も、こうして手をさしのべてくださったわね)
リヒトのおかげで苦手だったダンスの楽しさを知れたし、自信を持つ事が出来た。
差し出されたクリストファーの右手が、まるで不可能を可能にする魔法の手のように見えた。吸い寄せられるように、気がつけばフォルティアナは両手で握りしめていた。
「もし許されるのならば、私もそんな領地にしたいです」
「うん、一緒に頑張って叶えよう」
「はい! よろしくお願いします……!」
温かい希望の光をともしてくれるクリストファーに、夢の時間の中で過ごしたリヒトの面影を感じていた。
(やはりクリストファー様は、リヒト様なのね)
身分や立場は違えども、本質は変わらない。第二王子であるクリストファーに抱いていた隔たりが、フォルティアナの中で少しだけ和らいでいた。
ハーネルドが用意してくれた最新の蒸気自動車は移動速度も速く、馬車で休憩を挟みながら半日以上かかる道のりをわずか数時間で移動できた。
窓から移り行く景色を眺めながら、フォルティアナは緊張した面持ちで声をかけた。
「クリストファー様」
「どうしたんだい?」
「どうか手すりにお掴まりください」
「手すり?」
クリストファーがそう尋ね返した瞬間、突如ガタガタと大きく揺れる蒸気自動車。
フォルティアナは慣れているが、初めてのクリストファーにとってみれば、ただならぬ事態が発生したと勘違いしてしまってもおかしくなかった。
「ティア!」
咄嗟に手を伸ばしたクリストファーは、正面に座るフォルティアナを守るように抱いて自身の胸の中に閉じ込めつつ、部下に命令を出した。
「ラルフ、すぐに応戦の準備を」
「はっ、殿下!」
(お、応戦!? ち、違うのこれは……!)
「あ、あの……クリストファー様」
「大丈夫、君は必ず僕が守るから」
まるで宝物のように大切に抱かれながら耳元でそう囁かれ、フォルティアナの体温は一気に上昇した。
(道が! アシュリー領みたいに、道が綺麗に舗装されていないんです……!)
バクバクと激しく高鳴る鼓動は焦りからくるものなのか。それとも背中に回された、力強いクリストファーの手の温もりを感じてしまったせいなのか。
「殿下、賊ではありません」
「なら故障かい?」
「い、いえ、その……道が……」
「道がどうしたの?」
「砂利道のために発生した揺れのようでございます」
「砂利道……」
窓から外を確認したクリストファーは、自然豊かな木々の生い茂る景色を見て状況を把握した。どうやら先程の区間がたまたまかなり荒れていた砂利道だったようだ。
「驚かせてしまってごめんね、ティア」
ほっと胸を撫で下ろしながら、クリストファーはフォルティアナを解放した。その手は少し名残惜しそうに見えた。
「い、いえ、こちらこそ! 道路の整備が行き届いておらず申し訳ありません!」
勘違いをさせてしまったのが申し訳なくて、フォルティアナは深く頭を下げた。
市街地の道路は整備されているものの、外までは手が回って居なかった。アシュリー領からグランデ領へ入る林道は、馬車が通れるよう簡易的に作られた砂利道だった。
綺麗に舗装された王都で過ごすクリストファーが、このような田舎の林道を通る機会などそうそうないだろう。
「勘違いした僕の落ち度だよ。ティアは何も悪くない。だから顔を上げてほしいな」
激しい揺れを、賊の襲撃だと判断された。
(クリストファー様は、いつもそのような危険の中に身をおかれていたの……?)
そもそも光る人として庭園に囚われていたのも、そうならざるを得ない事情があったという事だ。
顔を上げると優しく微笑んでくれるクリストファーを正面に捉え、胸の奥にチクリとした痛みが走る。
身を呈して守ってくれたのは、この上なく嬉しい事だった。でもそのせいでクリストファーが傷付く事は、フォルティアナにとって耐えられる事ではなかった。
「クリストファー様。もし危険が迫った時はどうか私を捨て置き、ご自身の安全を一番に優先されてください」
「ごめんね。ティアの頼みでもそれは約束出来ない」
「何故、ですか?」
「君が助けてくれたこの命。出来る事なら僕はこの先、君のために使いたいんだ」
(私のために使いたい……!?)
隣では「まぁ!」とサーシャが嬉々とした声を上げ、斜め前方ではラルフがひたすら窓に視線を固定し空気と化していた。
「君を慕う一人の男としても、この国の第二王子としても、そこは絶対に譲れない事なんだ。だから説得しようとしても無駄だよ」
「で、ですが……」
爽やかな笑顔でそんな事を言われ、恥ずかしくてフォルティアナは言葉がうまく出てこない。
「三ヶ月はネルとの仲が進展するよう協力するとは言ったけど、僕は一言も『諦めた』とは言ってないからね?」
けたたましくなり続ける鼓動を静めるべく、フォルティアナは思わず胸を押さえる。
(ダメ、これ以上期待を持ってはいけないわ)
あの庭園でリヒトと過ごした夢の時間は終わった。私はグランデ伯爵家の長女なのだからと、フォルティアナは抱きかけた希望を心の本の中に閉じ込めパタンと閉じる。
「クリストファー様のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが私は……」
窓からそっと視線を外に移す。林道を抜けた蒸気自動車は田畑の広がる農道を走っていた。
国の方針で減反政策を受けた一部の小麦畑は草が生い茂り、今は何も作られていない。そんな荒れた田畑を見ながら、フォルティアナは膝の上でぎゅっとスカートの裾を掴む。
フォルティアナにつられ窓の外に視線を移したクリストファーは、グランデ領の置かれた状況を瞬時に汲み取った。
「僕は君に誰よりも幸せになって欲しい。その幸せの中に領民達の幸せが含まれるのなら、僕はそれを全力で手伝うよ。そのために、ここまで来たのだから」
「療養をしに来られたのでは……?」
「建前上はね。でも本当の目的はティア、君にもう一度夢を追いかけて欲しいと思ったんだ」
「夢を、ですか?」
「僕に外の世界を教えてくれていた時の君は、本当に楽しそうだった。領民のために心を殺して身を捧げる不幸な結婚だけは、して欲しくないんだ」
「ですが貴族として生まれた私に、相手を選ぶ権利など……」
私欲のために我が儘を通すなど、そんなおこがましい事が出来るわけなかった。
ハーネルドとの婚約が破棄され、他領との安定した取引が出来なくなってからの数年間はかなり苦境に立たされた。
婚約していたよしみでそれまで安くしてもらっていた輸送コストも増大し、作物を出荷してもほとんど利益が出なかった。
定期的に減反政策を受ける農業を続けるよりも他領に出稼ぎに行った方が収入もよく、多くの若者がグランデ領を離れていった。その中にはフォルティアナの学友も多く居て、断腸の思いで見送るしかなかった。
病を患った親の治療費を稼ぎに行く者、幼い弟や妹の学費を稼ぎに行く者など理由はそれぞれ違うが、そうせざるを得ない状況を中々改善出来なかった。
そんな状況下でアシュリー領との継続的な縁を結べる婚姻が再び舞い込んできたのだ。私情で断るなど、フォルティアナに出来るわけがなかった。
「領民達の生活の不安が無くなれば、君は無理して結婚しなくても良いでしょう?」
「それはそうですが……」
「だからこの一年で、僕と一緒に領地を改革しよう。領民達が夢を持って幸せに暮らせる領地に!」
窓から射す陽光が、きらびやかにクリストファーを照らす。光が反射して青みがかった銀髪が輝き、柔らかな笑みを浮かべて手を差し出すその姿はまるで慈愛に満ちた美しい天使のようだった。
(皆が夢を持って幸せに暮らせる領地。実現出来たらどんなに幸せだろうか……)
まるで夢物語のような言葉だと分かっている。それでも差し出されたその手を取れば、本当に叶えられそうな気がした。
『僕と一曲、踊ってくれませんか?』
ふと、脳裏にリヒトと初めて出会った時の事が頭をよぎる。
(あの時も、こうして手をさしのべてくださったわね)
リヒトのおかげで苦手だったダンスの楽しさを知れたし、自信を持つ事が出来た。
差し出されたクリストファーの右手が、まるで不可能を可能にする魔法の手のように見えた。吸い寄せられるように、気がつけばフォルティアナは両手で握りしめていた。
「もし許されるのならば、私もそんな領地にしたいです」
「うん、一緒に頑張って叶えよう」
「はい! よろしくお願いします……!」
温かい希望の光をともしてくれるクリストファーに、夢の時間の中で過ごしたリヒトの面影を感じていた。
(やはりクリストファー様は、リヒト様なのね)
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