汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】

花宵

第三十六話 私にお任せください

 翌日。サーシャに身支度を整えてもらい、フォルティアナは一階にある食堂へ向かっていた。

「ティア様、折角なのでこちらを使いましょう!」

 階段で降りようとしたフォルティアナに、隣の昇降機をキラキラとした眼差しで見つめながらサーシャが言った。

 三階まで吹き抜けの豪華なエントランスホールには、青い絨毯の敷かれた螺旋階段とは別にエレベーターと呼ばれる昇降機が設置されていた。

「ふふっ、サーシャは珍しいものが好きなのね」
「だって人が乗れるものは、滅多にないじゃないですか! 使っておかないと損ですよ!」
「そうね、折角だから使わせてもらいましょう」

 主に荷物の運搬に使われる昇降機はサイズも小さく、人を運ぶ事を想定して作られていない。こうして安全に人を運ぶことが出来る乗り物を作れるのは、アシュリー侯爵領ならではの技術だった。

「エレベーターって不思議ね。ボタンを押すだけで好きな階に移動できるなんて」
「そうですね。アシュリー領の技術開発力だけは、目を見張るものがあります。まるで数世紀先の未来にいるような錯覚を受けますね」

 サーシャの言葉に納得しながら、フォルティアナは悲しそうに目を伏せた。

「どうしてお父様は、外の文化を取り入れるのを嫌がられるのかしらね……」

 隣の領地にいけば、こんなにも文化が栄えている。緑に囲まれたグランデ領が嫌いなわけではない。

 田舎には田舎の良さがあるのは分かっている。けれど都会から田舎に帰るとどうしても、便利さの違いを嫌でも感じてしまう。

(このような乗り物を病院に設置出来れば、体の不自由な人の移動を楽にさせることが出来るわよね……)

 透明なガラス張りの扉から移動する階層の景色を眺めていると、あっという間に一階に付いた。

 エレベーターを降りて目の前に飛び込んで来たのは、車椅子に座るハーネルドの父、カーネルの姿だった。

 フォルティアナはさっとドレスの裾を両手で軽く持ち上げ、礼を尽くし挨拶をする。

「ご無沙汰しております、カーネル様」

 どんな言葉をかけられるのか身構えていると、かけられたのは驚きの言葉だった。

「わー綺麗なお姉ちゃん! まるでお人形みたい!」

 フォルティアナが唖然としていると、カーネルはさらに言葉を続ける。

「よかったら一緒にお庭散歩しよーよ!」
「か、カーネル様! こちらのお嬢様は今から用事がありますので……」

 カーネルの世話をしていた侍従が慌てた様子で言い聞かせる。

(何だか様子がおかしいわ……まるで幼い子供みたい)

「えー少しだけ!」

 だめ? とこちらを悲しそうに見るカーネルの姿に、フォルティアナは笑顔を作ると「ダメじゃありませんよ。行きましょうか」と優しく声をかけた。

(出発までまだ時間はある。最悪朝食を抜けば大丈夫よね)

「やったー!」と無邪気に喜ぶカーネルの姿を見て、「よかったら、お姉ちゃんが押してもいい?」と聞くと「うん、ありがとう!」とカーネルは答えた。

 慌てる侍従に「大丈夫よ」と声をかけて、サーシャに申し訳ないが朝食に遅れると伝えてもらうよう伝言を頼んだ。

(ご病気だとは伺っていたけど、まさかこのようになっていらっしゃったとは予想外だったわ)

 侍従に案内されながら、フォルティアナはカーネルの車椅子を押して中庭にある庭園へと向かった。

「綺麗でしょ! ここにはね、セラの好きな花がいっぱいあるんだよ!」

 赤いのがガーベラで、あのピンク色がアマリリス、白いのがルピナスと、一つ一つ楽しそうに花を紹介してくれるカーネルの姿を見て、こんなにも花に詳しい人だったのだと初めて知った。

(カーネル様にとって、セラ様はきっととても大切な方なのね)

「そうなのね。セラ様もきっと喜んでくれるだろうね」
「うん! でも最近、セラは全然遊びに来てくれないんだ……僕の事、嫌いになっちゃったのかな……」

 しゅんと悲しそうにカーネルは視線を落とした。

(セラ様とはどんな方なのかしら……?)

「セラ様はカーネル様の亡き妻、セラフィーナ様の事でございます」と、侍従がこっそりと耳打ちして教えてくれた。

(そういえばハーネルド様に、お母様の事を伺った事は無かったわね……)

 幼い頃に病気で亡くなっているとだけ父に聞いていて、悲しみを助長させるといけないと思って尋ねた事がなかった。

「ティア! 親父が迷惑をかけてすまない!」

 その時、ひどく慌てた様子でハーネルドがこちらへ駆けてきた。

「ほら、部屋に戻るぞ」
「嫌だ! まだここに居たい!」
「我が儘言ってないで戻るぞ!」
「嫌だ! セラが来てくれるまでここで待つ!」
「来るわけないだろう! いつまでも外にいたら風邪を引く。部屋に戻るぞ」

 カーネルに話しかけるハーネルドの横顔は、憔悴しているように見えた。

「お待ちください、ハーネルド様!」

 無理やり車椅子を押して連れていこうとするハーネルドを止めるべく、フォルティアナは彼の腕にしがみついた。

「て、ティア!?」

 突然ぎゅっと腕にしがみついてきたフォルティアナに、ハーネルドは驚きで体を硬直させた。状況を理解し、みるみるうちにハーネルドの体温が上昇する。

 何とか足を止めてくれたハーネルドに、背伸びをしてこそっと耳打ちする。

「私、子供の扱いには慣れているのでお任せください」
「わ、分かった……」

 フォルティアナは車椅子に座るカーネルの目線の高さまで腰を落として、優しい口調で話しかけた。

「カーネル様、素敵なお庭を案内してくれてありがとう」
「お姉ちゃん、助けて! あのお兄ちゃん、いつも僕にきつく当たるの!」

(ハーネルド様の事も、分かっておられないのね……)

 父親が自分の事を忘れてしまった。それはきっとハーネルドにとって、かなりショックな事だろう。フォルティアナは少しでも、そんなハーネルドの気苦労を減らしてあげたかった。

「ハーネルドお兄ちゃんは、カーネル様の事を心配しているんだよ」
「僕の事を……?」
「お天気は良いけど、今日は少し冷たい風が吹いてるね。部屋着のまま外で長く遊んでると、風邪を引いちゃうかもしれないの。だからお部屋に戻ろうとしてたんだよ」
「いつも怖い顔して睨んでくるから、僕の事嫌いなんだと思ってた」
「怖い顔に見えるのはカーネル様のことを心配して、ここに皺が寄っちゃうだけなの」

 トントンと眉間に手を当て、フォルティアナは分かりやすいように説明した。

 フォルティアナ自身もクリストファーに言われて気付いた事だったが、ハーネルドが意地悪でカーネルを部屋に連れ戻そうとしていないのだけは、一連のやり取りを見ていて分かっていた。

「そうだったんだ……ハーネルドお兄ちゃん、勘違いしてごめんなさい」

 謝られた事にハーネルドは驚きつつも、「こちらこそ、怖がらせて悪かった。すまない」と謝罪の言葉を口にした。

「部屋に戻るよ。今度はきちんと寒くないようにして出てくる」
「ええ、それならハーネルドお兄ちゃんもきっと安心してくれるわ」
「教えてくれてありがとう。お姉ちゃんは、ハーネルドお兄ちゃんの恋人?」

 何故かキラキラとした眼差しで問い掛けられた。

 恋人などと甘い空気を漂わせた関係性ではない。フォルティアナが何て答えたら良いのか戸惑っていると、カーネルはさらに言葉を続けた。

「もしそうなら、将来結婚してこの家に住んでくれるでしょ? いつでも会えるから嬉しいなと思ったんだけど……」

 カーネルの質問の意図が分かったフォルティアナは、にっこりと笑顔を作って答えた。

「ハーネルドお兄ちゃんとは、結婚のお約束をした仲なんだよ。だからこのお屋敷に来た時は、私ともまた遊んでくれる?」
「うん、勿論だよ! セラの事も紹介してあげる!」
「ありがとう、嬉しいわ」
「それじゃあ、またね!」

 侍従に連れられて、カーネルは邸の中へ戻っていった。バイバイと手を振ってくるカーネルに、フォルティアナも手を振り返す。

「驚いた、だろう? 迷惑をかけてすまなかった」
「どうか謝らないでください。それよりも私、不敬ではありませんでしたか!?」

 馴れ馴れしい態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした! と、フォルティアナは深く頭を下げた。

「正直俺は親父とどう接したら良いか分からなかったから、色々参考になった。どうか顔を上げてくれ」

(ハーネルド様は一人っ子だったわね……)

 余計なお世話かもしれない。けれど少しでも役に立つならと、フォルティアナは口を開いた。

「ハーネルド様。子供と仲良くなるコツは、壁を作らないことです。実は昔、マナーの授業で言葉遣いの練習をしていた時に、妹達に泣かれてしまったことがあるんです」
「あのじゃじゃ馬達にか……?!」
「丁寧な言葉を壁のように感じてしまって怖かったみたいで……怒っていると勘違いされてしまったんです」

 これをあげるから許して、ティアねーさまと、妹達は当時自分の大切にしていた玩具を差し出してきた。そこで初めて、フォルティアナは妹達を怯えさせてしまっていた事に気付いた。

「誤解を解いたら、今度は妹達が言葉遣いの真似を始めて、ハーネルド様にも色々ご迷惑をおかけしてしまいましたね……」

 何故か高飛車なお姉様口調になってしまった妹達が、ハーネルドに対し不躾な物言いをしてしまった。

『ふっ、とくべつにあんないしてあげてもよくってよ』

 邸に来たハーネルドを出迎えた次女カトリーナがそう言ってプライベートサロンへと案内し

『ふっ、あたちのかれいなえんそうをきかせてあげてもよくってよ』

 部屋で待ち構えていた三女シルヴィアナが、でたらめに鍵盤を押してひどいピアノ演奏を聞かせていた。

 侍女がその事を教えに来てくれて、妹達を別の所で遊んできてねと追い出した後、『伯爵家では随分、ユニークな教育を施してるんだな』と怖い顔で睨まれ、謝り続けるしかなかった。

(あの時は本当に、生きた心地がしなかったわね……)

「ククッ、確かにそんな事もあったな」

 思い出したのか、喉の奥を鳴らしてハーネルドが笑った。

「今度親父と接する時は、意識してみよう」
「はい! 是非試されてみてください」





 楽しそうに談笑する二人の様子を、クリストファーは食堂の窓からそっと眺めていた。

「少しは壁、取れたみたいだね」

 そう呟いたクリストファーの顔は、複雑な胸中を抱えているように見えた。

「ご覧になっているだけで、よろしいのですか?」
「乱入しろとでも言いたいのかい? ラルフ」
「い、いえ……」
「ティアと過ごした時間は、ネルの方が圧倒的に長いからね」

 当然、自身の知らない思い出も多々ある事だろう。三ヶ月は協力してあげると言った手前、ギクシャクしていない彼等の間に割って入るのは、野暮というもの。

「僕はこれから頑張るよ」

 部下の手前、そう強がってはみたものの――何で昨晩みっともない姿を見せちゃったんだと恥ずかしくて、思い出しては軽く自己嫌悪に陥る。

(泣いて女の子を困らせる男なんて、情けなさすぎる……)

 それでも予想外に嬉しいものを手に入れた。

(このハンカチは、一生の宝物にしよう)

 ハンカチをしまった胸ポケットに手を当てるクリストファーの口元からは、嬉しそうな笑みがこぼれていた。

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