汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】

花宵

第三十五話 猫かぶり王子は過去の因果を読み解く②(side クリストファー)

 ワインに異様に怯える……か。
 ハーネルドの話を聞いたクリストファーは、目の前のワインボトルを手に取り、ラベルを確認する。

「その当時、カーネル卿が好んで飲んでた銘柄、覚えてる?」
「銘柄までは分からないが、ワインセラーにはこのムートン産のワインが多く貯蔵されている」

 ムートン産はオルレンシア王国の東方、ブリュレーヌ地方で作られたもの。ワインの聖地と呼ばれ、限定農園で作られたブドウを厳選し、味や品質にこだわって数量限定で作られている。どの銘柄のワインも高値で取引されている高級ワインだ。

「そういえば二年前くらいから、ロゼワインも飲んでたな。薄いピンク色のやつ」

 四年前、初めて北方から輸入されたロゼワインは社交界でも話題に上がっていた。透き通ったバラ色はまるで飲む宝石のようだと。

 さらに赤ワインのコクと白ワインの飲みやすさを兼ね揃えたロゼワインは、比較的淡白な味付けの料理との相性が良く、女性を中心に人気を博していたとクリストファーは記憶している。

「ロイヤルクラウンだっけ。確か昔、北方のカイゼル王国で王妃様に献上するために作られたロゼワインの有名なやつ」
「それだ! 上物のローズ・ロイヤルクラウン。それをよくブロッサム公爵家の夜会で土産として貰って来てて、親父が絶賛してた」
「今は亡き前ブロッサム公爵夫人は確か、カイゼル王家に連なる方だったね」
「ああ。この国でカイゼル王家御用達のロゼワインを入手出来るのは、ブロッサム公爵家ぐらいだろうしな」

 オルレンシア王国の北方を治めるブロッサム公爵家は、隣り合うカイゼル王国との繋がりが深い。

 カイゼル王国の先代国王は、姪にあたる前ブロッサム公爵夫人をとても可愛がっていた。

 親善目的の政略結婚としてオルレンシア王国へ嫁ぐ姪の事をとても心配しており、『姪の事をくれぐれも頼む』と、当時ブロッサム公爵にかなりの圧をかけていた。

 それが重荷となったのか、公爵は夫人が第一子ミレーユを産んでからは、裏で癒しを求めて情婦と繋がりを持つようになった。心労が祟ったのか、夫人はミレーユが七歳の時に帰らぬ人となった。

 夫人が病に伏せ逝去してしまった時は、カイゼル王国の先代国王は隣国からわざわざ葬儀に出席したほどだったと記録に残っている。

(婚約者選定の儀も建前上行われただけで、ほぼブロッサム公爵令嬢で決まっていたようなものだったしな……)

 意識を取り戻してからミレーユが兄の婚約者として紹介された時、やっぱりかと納得しただけで特に驚きもしなかった。

 もしミレーユの身に再び不幸が起きようものなら、それは国際問題にも繋がり兼ねない。誠意を見せる上でも、あの婚約はカイゼル王国との繋がりを磐石なものにするために必要な事だった。

 前公爵夫人が若くして逝去したことで、カイゼル王国はオルレンシア王国へ不信感を募らせていた。それに拍車をかけるように起こったミレーユの毒殺未遂事件。もしフォルティアナが彼女を救ってくれていなかったら最悪、戦争が起こっていたかもしれない。

 記憶を辿り、過去に調べた情報をクリストファーは思い出す。

 毒を盛り処刑されたメイドの証言では、あくまでもリリアンヌに冷たく接するミレーユの態度があまりにも酷くて可哀想だったから、らしい。

 裏を調べるとそのメイドは公爵家に迎え入れられて日も浅く、ろくにミレーユと顔も合わせていなかったというのが分かった。

 メイドの家族は事件の前日に一人残らず惨殺されており、その家族を殺したとされる犯人まで後日、不自然な事故死を遂げていた。

 大方、実行犯のメイドは家族を守るために脅されていたのだろう。

 確たる証拠がなかった故に真犯人を捕まえる事は出来なかった。しかしあの事件の首謀者は公爵に取り入り情婦から成り上がったブロッサム公爵夫人アメリア、もしくは婚外子から養子となったリリアンヌだろうとクリストファーは踏んでいる。

(裏社会と関わりを持つ人間なら特殊な毒薬の入手ルートも多々ある。もし僕の仮説が正しければ……)

 顎に手を掛け、クリストファーは目の前のハーネルドを観察するようにじっと見つめる。

「俺の顔に何かついてるのか?」

 視線に耐えきれず、ハーネルドが尋ねる。

「ターゲットは君かもしれないと、ふと思ってね」
「ターゲット!?」

 デリケートな質問だ、いきなり本題を聞き出すとプライドの高いハーネルドの性格上、誤魔化しかねない。少し回りくどくはあるが、誘導尋問をかけていくかと結論を出しクリストファーは口を開いた。

「僕の作った色味表のせいで、グランデ領がカーネル卿に目をつけられちゃったんでしょ?」
「突然何を?!」
「道中ティアから色々領地の事を聞いてね、ちょっと引っ掛かる事があってさ」
「引っ掛かる事?」
「色落ちしにくい顔料を作るための色彩実験。約十年前、カーネル卿が一番力を入れていた事だよね」
「ああ。当時ティアとの婚約条件の一つとして、顔料の元となる作物を大量に買い付ける事が含まれていた」
「カーネル卿は利益よりもプライドを取った。でも本当は、手放したく無かったんでしょう? ティアもあの自然豊かな領地も」

 緑豊かで肥沃な大地。カーネルにとってグランデ領は、自領では作れないものを作らせるのにとても便利な領地だったはずだ。しかもそこには、将来のアシュリー侯爵夫人として申し分ない頭脳と美貌を持った令嬢まで居る。

 フォルティアナを娶ることで、よりグランデ領を支配下における。普通なら手放したくなかっただろう。

 しかし跡取り息子であるハーネルドの失態を、こちら側の有責で終わらせるにはあまりにも外聞が悪かった。利益とプライドを天秤にかけ、カーネルは名誉の回復を選んだ。

 山と森に囲まれたグランデ領は、アシュリー領を通らなければ別の地へは行けない。たとえこの婚約を破棄しても、従わせる方法はいくらでもあると踏んだのだろう。

「そうだな。デビュタントの後、俺は親父に本気で殺されると思った」

 当時の事を思い出したのか、グラスのワインを眺めるハーネルドの瞳には暗い影が落ちていた。
 クリストファーは、本来ならその場で転ぶ事がまずありえないと思っていた。

「大体何で転んだの? 昔から体格良かったのに、ティアのこと支えられないわけないよね?」

 何か理由があったんでしょ? と、ハーネルドが話しやすいようクリストファーは付け足す。

 ハーネルドは昔から背が高く体格が良い。二歳年下のフォルティアナを抱えるくらい、造作ない事だろう。ましてやダンスでよろめいた体を支えるくらい、普通なら簡単に出来たはずだ。

「あの時、ダンスの途中から何故か視界が霞み出し目眩を感じていたのだ」
「今までそんなことは?」
「一度たりともない」
「会場で誰かに何かもらったりした?」
「ティアと一緒に祝杯をもらって飲んだくらいだな」
「それ、誰に貰ったの?」
「ブロッサム公爵令嬢、妹の方だ」

 ああ、やっぱりか……クリストファーの中で、欠けたピースの一欠片が綺麗にはまった瞬間だった。

「その時、何か盛られてたのかもね」
「そうだったのか!?」
「可能性が高いのは遅延系の軽い麻痺毒。極少量を摂取して始めに現れる症状がそんな感じ」
「何故そんな事を……」
「だから言ったでしょ、ターゲットは君だって。デビュタントを失敗させて、ティアとの婚約を破棄させようとしてたんじゃないの?」
「わざわざそんな事のために……」

 ギリッと悔しそうにハーネルドは自身の唇を噛んだ。

「僕はその場に居なかったから、絶対とは言いきれない。ただその話を聞いて、限りなく黒に近いなーと思っただけ」
「許せねぇ……!」

 固く拳を握りしめて怒りを露にするハーネルドから怒気が抜けるよう、クリストファーはおどけてみせる。

「やっと邪魔物が居なくなったわ! これでハーネルド様は私のものよ!」

 突然リリアンヌの声真似をするクリストファーに、ハーネルドは「な、何だよ急に……」とこぼしながら背筋に悪寒を感じていた。

「でも結局、リリアンヌ嬢はカーネル卿のお眼鏡には敵わなかったんでしょ?」
「当たり前だ! 秒で却下されていた」
「ほら、動機も出てきたね。どうしても君を手に入れたいリリアンヌ嬢が、次に何をするか想像つかない?」
「邪魔物を消す……まさか!」
「カーネル卿の件に絡んでいてもおかしくなさそうだよね。とりあえず調べておくよ」
「何か分かったら教えてくれ」
「もちろん」

 パチンと指を鳴らすと控えていた護衛騎士ラルフが「お呼びでしょうか、殿下」と駆けつけた。

「ブロッサム公爵夫人と令嬢リリアンヌについて詳しく調べるよう、シャドウに命令を出しておいて」
「かしこまりました」

 特務工作部隊。通称シャドウは、裏社会でくすぶっていた行き場のない優秀な人材を支援してスカウトし、クリストファーが密かに作った組織だった。暗殺、諜報、偽装など、それぞれの得意分野を生かして与えた任務を確実にこなしてくれる。

(もうこれ以上、好き勝手にはさせないよ)

 放っておけば大切な者達が被害に遭う可能性がある。その日、クリストファーの粛清リストにリリアンヌの名前が追加された。

「あのおっかなおっさんは呼ばないでくれよ?」
「リリスに会いたいの?」
「会いたくねーよ!」
「ふふっ、遠慮しなくてもいいのに」

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