汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】

花宵

第三十四話 猫かぶり王子は過去の因果を読み解く①(side クリストファー&ハーネルド)

 アシュリー侯爵邸の静寂に包まれた地下にある書物庫で、クリストファーは雑念を払うかのように読書に耽っていた。

 テーブルには既に読み終えた何冊もの本が高く積まれ、ページをめくる紙の擦れる音に混じって、時折大きなため息が混じる。

(ティアにおかしな奴だって思われてたらどうしよう……)

 工房での失態を思い出しては、それを振り払うかのように本を読み進めていた。何か違うことを考えていないと、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。

(涙なんて、とうの昔に枯れたと思っていたのに……)

「ここに居たのか」

 苛立ちを含んだような低い声が耳に届く。顔を上げると、テーブルに積まれた本の数にぎょっと顔をしかめるハーネルドの姿があった。

「僕に見られちゃいけないものでも、置いてあるのかい?」

 茶化して声をかけると秒で否定された。

「んなわけねーだろ! お前、静養する自覚あるのか?」
「本を読んでる間は、頭に栄養を与えてるんだよ」
「それはただの屁理屈だ。いつまでもこんな所に居ないでさっさと休め」

 謎の理屈を述べるクリストファーに、ハーネルドの眉間に刻まれた皺が深くなった。

 心配してかけられた言葉だと言うのは分かっているが、思わずクリストファーの視線がハーネルドの左手に注がれる。

「じゃあその左手に持つ籠は、何て言い訳するのー?」
「こ、これは……!」

 ワインボトルにグラスが二つとチーズやナッツ、生ハムのつまみまで。そこから導きだした結論は――

「晩酌に付き合って欲しいなら、最初から素直に誘えばいいのに」

 全てを見透かした笑みを浮かべるクリストファーに、ハーネルドが遠慮がちに尋ねた。

「飲めるのか……?」
「問題ないよ」

 それよりもと前置きして、いつまでも立ってないで座りなよと、クリストファーはハーネルドを正面のソファーに腰かけるよう促した。

 本の山をテーブルの隅に寄せるクリストファーを見て、「それ全部読んだのか?」とハーネルドが尋ねる。

「機械工学に関しては、ここが一番充実してるからね。色々勉強させてもらったよ」

 テーブルにグラスを並べて、ハーネルドは慣れた手つきでワインのコルクを抜いた。

「お前の速読技術が恐ろしすぎる……」

 そう呟きながら、明るく透き通ったルビー色のワインをグラスに注いだ。熟れた果実の芳醇な香りが書物庫に広がる。

「知識だけあっても、君のように僕は作れないよ? 機械工学より科学の方が好きだし」
「昔お前に作ってもらった化学反応の色味表、今でも現役だぞ」

 そう言ってハーネルドはワイングラスをクリストファーに差し出した。

「ふふっ、役に立ってるなら光栄だね」

 にっこりと笑顔を浮かべながら受け取る。グラスを軽く回して色と香りを楽しみつつ、クリストファーはワインを口に含んだ。

「中々の上物だね」
「親父のワインセラーに腐るほどあるからな」
「カーネル卿の具合はどう?」
「あまり芳しくない。記憶さえ曖昧で、まるで別人のように感じる」

 目覚めたかと思えばベッドの上でヘラヘラしてて、親父のあんな子供みたいな笑顔、今まで見たことないとハーネルドはため息混じりにこぼす。

「そっか」
「あんなに好きだったワインさえ、今は飲めやしない。だから腹いせに、俺が全部飲み干してやる」
「それは仕返しかい?」
「どうだろうな……思うことは色々あるが、今の親父を見てると何故か、胸が痛む」
「治療法はまだ見つからないのかい?」
「ああ。壊れていく親父をただ、見てる事しか出来ない」
「よかったらその当時のこと、少し聞いてもいい?」

 僕の持ってる知識で何か役に立てるなら、とクリストファーは付け加える。
 ハーネルドは昔の事を思い出しながら、父に起こった事を話した。





 約一年半前――何かがおかしい。

 そう気付いた時には既に手遅れだった。
 時間に厳しく一秒でも遅れると叱りつけてくる父が、新商品の品評会に現れなかった。

 一言嫌味を言ってやろうと呼びに行くと、ぐしゃぐしゃに荒らされた執務室の真ん中で、子供のように笑いながら物を散らかす父の姿が目に飛び込んできた。

『何をやっているんだ、やめろ!』

 駆け寄って父を物理的に止めたら、父はしゃくりを上げて泣き出した。まるで叱られた子供のように。

 すぐに医者を呼び診察を受けさせたものの、何故そうなってしまったのか原因は分からずじまい。

 大人の時間に子供の時間が混在するようになり、次第にその時間は逆転していった。自分で散らかした部屋を覚えていないと言う大人の時間の父は、酷く憔悴しているように見えた。

 好きだったワインを見て異様に怯えるようになり、子供のように破天荒な行動を繰り返す時間が増えていった。そうして無茶な行動に体が追い付かなくなった結果、階段から足を滑らせて歩けなくなってしまった。

 仕事人間だった父は一切の妥協を許さず、ストイックな性格故に自分にも他人にも完璧を求める厳しい人だった。

 何度も何度も企画書を書き直し、優位性を伝えて説得しても、『お前にはまだ早い』と認めてもらえなかった。

 今思えばそんな数字に厳しく几帳面だった父がある日、『好きにしたらいい』と言うようになった。

 口の悪い父の事だ。言い方は悪いが、認めて任せてもらえたのだと当時は喜んでいた。

 しかし実際は任されたのではなく、判断の可否も出来ないほど父の脳がおかしくなっていただけだったと気付かされた。

 食事の栄養管理は医師とシェフが念入りに行い、休みの日には趣味の乗馬に出掛けたりと健康にもかなり気を配っていた。まさかそのような病気にかかるなど夢にも思っていなかった。

 あらゆる医者を呼び寄せ診察を受けても、原因が分からない。有効な治療の手立ても薬もなく、日に日に言動や行動が幼くなる父をただ見守る事しか出来なかった。

 奇声を上げ、突然泣き出したり笑い出したり。部屋中に花を飾れだの、甘いお菓子を持って来いだの、思い付いた欲望のまま拙い命令をする。

 食う、寝る、遊ぶ。
 判断能力も落ち、記憶も薄れ、思考能力は幼子と変わらない。そんな童心に返ってしまった父の背中は、とても小さく見えた。

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