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汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない

花宵

第三十話 案内役は心臓に悪いです

 馬車を走らせること数時間、ようやく最初の目的地に着いた。王都の西方にあるウエストプール駅――王都とアシュリー領の主要都市ラパトスを結ぶ鉄道のターミナル駅だ。

「乗車手続きをして参ります。準備が出来たらお呼びしますので、少々お待ちください」
「ありがとう、サーシャ。よろしく頼むわ」
「はい、お任せください!」

 サーシャが馬車を降りた後、窓から外を眺めていたクリストファーが口を開いた。

「この三年で、かなり変わったね」

 街並みを見つめるクリストファーの横顔は憂いを帯び、どこか寂しそうに見えた。

 心配そうなフォルティアナの視線に気付いたクリストファーは「急に変なことを言ってごめんね」と、すぐに表情を戻し笑って誤魔化した。

(三年間もあの庭園に囚われていたから、クリストファー様にとっては変わってしまったと感じる景色が多いのね……)

「クリストファー様、変わらないものもあります!」

 窓の外に視線を移したフォルティアナは、言葉を続ける。

「例えば毎年この時期数量限定で販売される、洋菓子店アナスタシアのりんごのレアチーズタルト! やはり今日も行列が絶えません!」

 クリストファーを元気付けるように、フォルティアナは明るく言いきった。
 フォルティアナの視線の先にある洋菓子店の看板を見て、クリストファーは口元を緩めた。

「まるごと一個、大きなりんごがのってるタルトでしょう? まだあったんだね」
「はい、健在です! それに向かいにある雑貨屋シモールでは、毎年この時期に限定のキラちゃんマスコットを発表して、子供達に大人気なんですよ!」
「キラちゃんマスコット……?」
「一番下の妹が大好な『なごみくまさん』シリーズの人形なんです」

 フォルティアナはポケットからハンカチを取り出して、クリストファーに見せた。

「これが『なごみくまさん』です」
「可愛い刺繍だね。ティアが縫ったの?」
「はい、これは妹へのプレゼントの練習用に縫ったもので……」

(はっ! 拙いものをクリストファー様に見せてしまったわ!)

「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません!」

 慌てて引っ込めようとしたら、クリストファーの手が伸びてきて、やんわりと阻止されてしまった。

「そんなことないよ。もっとよく見せて」
「は、はい!」
「子供に人気があるんだね……なるほど、それは知らなかったな」

 脳裏に刻み込むように、クリストファーは真剣な眼差しでじっとハンカチを見ている。

 クリストファーの手はすぐに離れたものの、触れられた手が熱い。それに拙い刺繍を凝視され、恥ずかしい。

「ありがとう、ティア」

 顔を上げたクリストファーは、フォルティアナの異変に気付く。赤く頬を染め視線を彷徨わせるフォルティアナを見て、思わず目を見張る。

 女性にとって、完璧ではない刺繍を見られるのは恥ずかしい事だろう。知識収集欲の方が勝り、練習用の刺繍を凝視してしまった事を反省しつつクリストファーは口を開いた。

「真心の籠った素敵な刺繍に、ついつい見入ってしまったよ。妹さんもきっと喜ぶだろうね」
「ありがとうございます……!」

 妹の事が本当に大切なのだろう。花が綻んだように嬉しそうな笑顔でお礼を述べるフォルティアナの可憐さに、クリストファーは思わず目を奪われた。

 こうして近くで過ごせるのが嬉しい反面、これから一年間、我慢できるのだろうか……と、クリストファーは激しく脈打つ鼓動をそっと静めていた。

 護衛のラルフは反対側の窓に視線を固定し、そんな二人の様子を必死に見てみぬふりをし続けていた。私は何も見ていませんと言わんばかりに。

「乗車手続き終わりました! 荷物も列車に積み込んでもらいました……って、あれ? 何かありました?」

 ちょうどその時、サーシャが乗車手続きを済ませ呼びに来てくれた。

 頬を赤く染めるフォルティアナとクリストファーに、必死にそれを見ないようにしている護衛のラルフ。馬車内に漂う妙な空気にサーシャは尋ねながら首をかしげる。

「な、何でもないの! サーシャ、ありがとう」

 一行は馬車から蒸気機関車に乗り換え、西方で一番栄えているアシュリー領の主要都市ラパトスを目指す。
 
 王族や国の重鎮しか乗れないVIP専用の貴賓車両に乗せてもらい、フォルティアナは恐縮しまくっていた。

「私が一緒に乗っても、本当によろしいのですか……?」
「勿論だよ。さぁ、おいで」

 クリストファーにエスコートされて、奥の豪華な席に座るよう促される。

「はい、ありがとうございます」

 車両一つが豪華な部屋のような造りをしたVIP専用の貴賓車両。壁側にテーブルが置かれ、窓から外の景色を楽しめるよう大きなソファーが配置されている。

(私もあちらでよかったのに……)

 サーシャやラルフが腰掛ける、使用人用の一人掛けの座席を見ながら、案内された席へ座る。

 華美な座席はソファーのようでふかふかしていてとても気持ちが良い。見た目もさることながら、長時間座っていても疲れにくいよう配慮して作られているようだ。

 緊張した面持ちで座席にちょこんと浅く腰掛け、姿勢をピンとただして動かないフォルティアナを見て、「ティア、借りてきた猫みたいで可愛いね」とクリストファーは口元に笑みを浮かべる。

「どうしたら僕に懐いて、ゆっくりとくつろいでくれるかな?」

 隣に座るクリストファーが冗談めかして問いかけてきた時、列車はちょうどカーブに差し掛かった。遠心力で浅くしか腰掛けていなかったフォルティアナの体が浮き前に傾く。

「ティア!」

 倒れないようフォルティアナの体を、クリストファーは何とか抱き止めた。

「大丈夫? 怪我はない?」

 目の前には心配そうにこちらを見つめるクリストファーの姿がある。至近距離で顔を覗き込まれ、フォルティアナの顔は一気に赤くなる。

「は、はい! 大丈夫です!」

 慌てて離れようとした時、フォルティアナの手がクリストファーの手首に触れた。

――キィーン

 共鳴するかのように、頭に響く不協和音。霞みがかっていたモヤが鮮明になるかのような、奇妙な感覚を抱く。

(今のは一体……)

「クリストファー様、左手に何かつけていらっしゃいますか?」
「左手……もしかしてこれの事かな?」

 上着の袖をずらして、クリストファーは左腕につけた装身具を見せてくれた。そこには美しく輝くブルーサファイアの嵌め込まれた腕輪が装着されていた。

(魔女の一族の怨念が籠った禁忌の宝石。触れると大変な事になるとハーネルド様が仰っていたわね……)

「怖い……かな?」
「い、いえ!」
「大丈夫、ティアにとっては害になるものじゃないよ。もしかして、伯爵から何も聞いてないのかな?」

(もし父がブルーサファイアの首飾りを持っているかもしれないとバレたら大変だわ!)

「な、何も聞いておりませんし、見てもおりません!」
「なるほど…………一度、伯爵とよく話をする必要があるようだね」

 動揺するフォルティアナを見て、クリストファーは意味深な言葉を発した。

(はっ! 余計に怪しまれてしまったわ! ここは話題を変えないと!)

「く、クリストファー様、お弁当を持ってきたんです! そろそろお昼にしませんか?!」
「確かに、もうそんな時間だね」
「サーシャ、ランチの用意をお願いしてもいいかしら?」
「はい、かしこまりました!」

(よかった、なんとか誤魔化せたわね……)

 移動中でも食べやすい軽食をお弁当として、シェフが事前に準備してくれていた。

 サンドイッチや肉料理、魚介のパイ包み焼きにカットフルーツなど、サーシャがバスケットから取り出し綺麗にテーブルに並べていく。
 飲み物はワインやブドウジュース、水筒には紅茶やコーヒーも用意している。

「折角だし、皆で食べようか」

 クリストファーはラルフやサーシャにも声をかけ、窓から美しい景色を眺めつつ、皆で美味しく昼食をいただいた。

 列車は各領地の主要都市で時折止まり、アシュリー領の主要都市ラパトスに着いた頃には、夕日が沈み空には月が浮かんでいた。

「ティア、足元気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」

 フォルティアナが転ばないように、先に降りたクリストファーが自然に手を差し出しエスコートしてくれた。

 王都からここに来るまで、クリストファーのさりげないエスコートはまさに完璧だった。

 いつもハーネルドの背中を追いかけて、遅れを取らないようフォルティアナは必死に足を動かしていた。

 それとは真逆で寄り添うように、こちらのペースに合わせて歩いてくれる。段差があれば手を差しのべ、転ばないように配慮してくれる。
 クリストファーのさりげない優しさに胸がじんわりと温かくなる。

(もう少しだけ、この夢のような時間が続けばいいな……)

 繋いだ手を離したくないなんて、罰当たりな事を考えてしまったせいだろうか――

「やっと来たか、遅くて待ちくたびれたぞ!」

 列車から降りると、ムッと顔をしかめながらこちらを睨むハーネルドの姿があった。

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