汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない
第二十九話 その願い、次こそは必ず叶えてみせます
外は雲一つない晴天だった。窓を開けて朝の澄んだ空気を吸いこみながら、しばらく見られなくなる王都の景色をフォルティアナは目に焼き付けていた。
耳をすませば遠くの方で、人々の活気あふれる賑やかな声が聞こえてくる。朝市でもやっているのだろう。王都の朝はブラウンシュヴァイク領と違ってとても賑やかだった。
(どのような方が一年間療養にいらっしゃるのかしら)
話し相手を頼まれたフォルティアナは、自身にその役目が務まるのか少し緊張していた。両親の反応も、その緊張に拍車をかけていた。
『ティア、ぜ、絶対にお客様に失礼がないようにするのよ?』
普段は優雅で気品のある母オリヴィアの、見たこともないどもりよう。リラックス効果の高いハーブティーを飲んでいるにも関わらず、ティーカップを持つ手が震え、ソーサーの上でカタカタと陶器の触れ合う音が鳴る。マナーや作法にうるさい母が、そんな所作をしてしまうくらい動揺していたのだ、驚かないはずがない。
せめてどんな方なのか聞きたかったものの、これ以上母の心労を増やすのが心苦しくて聞けなかった。『勿論です』と笑顔で返し、母の不安を減らしてあげることをフォルティアナは優先させた。
それなら父レオナルドに聞こう。そう思ったものの──
『ティア、お客様には丁寧に接しなさい。でも、決して心を許してはいけない。不用意に近づいてはいけない。いいかい、これは絶対の約束だ』
険しい顔でそう口にして、準備があるからと逃げるようにレオナルドは席を立った。
忙しい父の手を煩わせるわけにはいかない。結局、お客様がどんな方なのか分からなかった。
母が動揺し、父が距離を置こうとする相手とは一体……フォルティアナが思考を巡らせていた時、来客を告げるベルが鳴った。
呼びに来た執事と共に、出迎えるためエントランスに向かった。そこに現れたのは──
「おはよう、ティア。先日は世話になったね、ありがとう」
眩しい笑顔で挨拶をしてくるクリストファーだった。
「クリストファー様?! お、おはようございます。一年間療養されるというのは……」
「政務に戻るのはまだ早いと兄上に押し切られてしまってね、空気の綺麗な所で療養してこいと言われたんだ。ブラウンシュヴァイク領を薦めてくれてね。そういうことで、一年間お世話になります」
「は、はい! よろしくお願いします」
出発前に最終確認をするのに少し時間がかかるため、フォルティアナはクリストファーを客間へと案内した。
「あの、クリストファー様。長旅になりますので、準備が済むまで少し横になられますか?」
これから馬車と蒸気機関車を乗り継ぎ、長距離の移動で身体に負担をかける事になる。少しでも休んでもらった方がいいかもしれない。すぐにベッドの準備をしなければ、そう焦るフォルティアナにクリストファーは優しく微笑んで声をかける。
「大丈夫だよ。運動をすると少し呼吸が切れるだけで、普通にしている分には問題ないから安心して。気遣ってくれてありがとう。ほら、こっちにおいで。ティアも座りなよ」
促されてフォルティアナも席に着く。テーブルを挟んでクリストファーと向かい合って座るも、フォルティアナはどこか落ち着かない様子でそわそわしていた。
それもそうだろう。しばらく会えないと思っていた憧れの相手が目の前に居る。しかもこれから一年間共に過ごす事になるなんて、思いもしていなかったのだから。
お話相手としての役目を仰せつかった手前、クリストファーを退屈させるわけにはいかない。しかしいざ本人を目の前にして、退屈させない話題とは何か考えるも、頭が真っ白で何も思い浮かばない。
「あの、クリストファー様。不束ながら、ブラウンシュヴァイク領までしっかりとご案内させて頂きます。至らない点も多々あるとは思いますが、精一杯務めさせて頂きます。何かあればすぐにお申し付け下さい」
「ティア、そんなにかしこまらないで」
「ですが……」
「丁寧に接してくれるのは君の良い所だと思うけど、肩の力を抜いてもいいんじゃないかな? むしろ僕も気が休める分、そちらの方がありがたいな」
「善処、します」
そうは言ったものの、フォルティアナがそう簡単に肩の力を抜けるわけもなかった。その緊張を感じ取ったクリストファーは、そっと視線をフォルティアナから逸らして外へ向ける。
「それにしても、すごい蔵書の数だね。伯爵の趣味かな?」
王都にあるブラウンシュヴァイク邸の客間には、多くの書物が置かれていた。お客様に楽しんでもらうためというのは建前で、レオナルドの書斎に入りきれないものがこちらに流れてきていたのだ。
「はい。お父様はとても勉強家なのです。暇さえあればいつも本を読んでいるお方で、何がそんなに面白いんだろうって知りたくて、私も本を読むようになったんです」
「そうだったんだ。でも、随分難しそうな本ばかり並んでいるみたいだけど、最初は苦労したんじゃない?」
「そうなんですよ! 文字は読めても内容は全然分からなくて、何が面白いのかさっぱりだったんです。でもそんな時、本に書いてある内容を、父が実際に体験させてくれたんです。私が最初に手をつけたのは農作物の育て方の本だったようで、裏庭にラディッシュの種を植えて、水やりをして、草むしりをして、実を収穫する所まで、忙しい合間を縫って一緒に作業して下さったんです。『本にはこうやって、たくさんの知識が詰め込まれている。本をたくさん読めばそれだけ、自分の中に知識を蓄える事が出来る。それがいつか誰かの役に立てれば、すごく嬉しいことだと思わないかい?』と。だから私は──」
うん、そうなんだ、そんなことがあったんだね と、優しく相槌を打って笑顔で話を聞いてくれるクリストファーのおかげか、いつの間にかフォルティアナの緊張は解れていた。
そのラディッシュで作ったスープがとても美味しかったこと、それから本を読んでは裏庭の一角を借りて自分で実際に作物や花を育ててみたりした事など、子供時代の事に話は発展していく。
スローライフに興味のあったクリストファーは、それをとても楽しそうに聞いていた。本で知識だけ詰め込んでも、実際にやってみないと分からない事もたくさんある。しかし何かを育ててみたいと思っても、周りがそれを許さない。勝手にやろうものなら、怒られるのはその庭を管理している庭師で、迷惑がかかる。結局、頭の中で想像するしかなかった。
「僕も、やってみたいな」
それは、自然とクリストファーから漏れていた声だった。
「それでしたら、温室で実際に育ててみますか?」
「いいの?」
「はい、勿論です」
「やった、すごく嬉しいな」
無邪気に笑って喜ぶクリストファーの姿を見ていたら、フォルティアナはあの庭園で一緒に過ごした時の事を思い出していた。
外の世界に連れ出してあげると期待させて、それが出来なくて悲しませてしまったこと。それがすごく悔しかったのを、今でもよく覚えている。だから今度こそ、この約束だけはきちんと叶えてあげたいと、心から強く思っていた。
そこへ「馬車の準備が整いました」と知らせが入り、フォルティアナとクリストファーは馬車へ乗り込んだ。侍女のサーシャと、クリストファーの護衛を務める青年ラルフも一緒だ。クリストファーと向かい合わせにフォルティアナが座り、その横にサーシャ、その向かい側の席にラルフが座っている。
王家の所有する広い馬車なので四人で座ってもまだかなり余裕がある。座り心地の良い上質なクッションが使用されており、長時間座っていても疲れにくい工夫がされているようだ。揺れや振動さえも、ほぼ感じない。
外の景色を楽しみながら、最初より打ち解けた二人の話題は、面白かった本の話題に移っていた。
クリストファーも毒に倒れる前までは、貪欲に知識を求め多くの本を読んでいた。そんな本の虫である二人が本の話をして、話題がつきるなんて事があるはずもなかった。
仲良くお喋りを続けるフォルティアナとクリストファーの姿を、馬車を共にしている侍女のサーシャは微笑ましく見守っていた。
耳をすませば遠くの方で、人々の活気あふれる賑やかな声が聞こえてくる。朝市でもやっているのだろう。王都の朝はブラウンシュヴァイク領と違ってとても賑やかだった。
(どのような方が一年間療養にいらっしゃるのかしら)
話し相手を頼まれたフォルティアナは、自身にその役目が務まるのか少し緊張していた。両親の反応も、その緊張に拍車をかけていた。
『ティア、ぜ、絶対にお客様に失礼がないようにするのよ?』
普段は優雅で気品のある母オリヴィアの、見たこともないどもりよう。リラックス効果の高いハーブティーを飲んでいるにも関わらず、ティーカップを持つ手が震え、ソーサーの上でカタカタと陶器の触れ合う音が鳴る。マナーや作法にうるさい母が、そんな所作をしてしまうくらい動揺していたのだ、驚かないはずがない。
せめてどんな方なのか聞きたかったものの、これ以上母の心労を増やすのが心苦しくて聞けなかった。『勿論です』と笑顔で返し、母の不安を減らしてあげることをフォルティアナは優先させた。
それなら父レオナルドに聞こう。そう思ったものの──
『ティア、お客様には丁寧に接しなさい。でも、決して心を許してはいけない。不用意に近づいてはいけない。いいかい、これは絶対の約束だ』
険しい顔でそう口にして、準備があるからと逃げるようにレオナルドは席を立った。
忙しい父の手を煩わせるわけにはいかない。結局、お客様がどんな方なのか分からなかった。
母が動揺し、父が距離を置こうとする相手とは一体……フォルティアナが思考を巡らせていた時、来客を告げるベルが鳴った。
呼びに来た執事と共に、出迎えるためエントランスに向かった。そこに現れたのは──
「おはよう、ティア。先日は世話になったね、ありがとう」
眩しい笑顔で挨拶をしてくるクリストファーだった。
「クリストファー様?! お、おはようございます。一年間療養されるというのは……」
「政務に戻るのはまだ早いと兄上に押し切られてしまってね、空気の綺麗な所で療養してこいと言われたんだ。ブラウンシュヴァイク領を薦めてくれてね。そういうことで、一年間お世話になります」
「は、はい! よろしくお願いします」
出発前に最終確認をするのに少し時間がかかるため、フォルティアナはクリストファーを客間へと案内した。
「あの、クリストファー様。長旅になりますので、準備が済むまで少し横になられますか?」
これから馬車と蒸気機関車を乗り継ぎ、長距離の移動で身体に負担をかける事になる。少しでも休んでもらった方がいいかもしれない。すぐにベッドの準備をしなければ、そう焦るフォルティアナにクリストファーは優しく微笑んで声をかける。
「大丈夫だよ。運動をすると少し呼吸が切れるだけで、普通にしている分には問題ないから安心して。気遣ってくれてありがとう。ほら、こっちにおいで。ティアも座りなよ」
促されてフォルティアナも席に着く。テーブルを挟んでクリストファーと向かい合って座るも、フォルティアナはどこか落ち着かない様子でそわそわしていた。
それもそうだろう。しばらく会えないと思っていた憧れの相手が目の前に居る。しかもこれから一年間共に過ごす事になるなんて、思いもしていなかったのだから。
お話相手としての役目を仰せつかった手前、クリストファーを退屈させるわけにはいかない。しかしいざ本人を目の前にして、退屈させない話題とは何か考えるも、頭が真っ白で何も思い浮かばない。
「あの、クリストファー様。不束ながら、ブラウンシュヴァイク領までしっかりとご案内させて頂きます。至らない点も多々あるとは思いますが、精一杯務めさせて頂きます。何かあればすぐにお申し付け下さい」
「ティア、そんなにかしこまらないで」
「ですが……」
「丁寧に接してくれるのは君の良い所だと思うけど、肩の力を抜いてもいいんじゃないかな? むしろ僕も気が休める分、そちらの方がありがたいな」
「善処、します」
そうは言ったものの、フォルティアナがそう簡単に肩の力を抜けるわけもなかった。その緊張を感じ取ったクリストファーは、そっと視線をフォルティアナから逸らして外へ向ける。
「それにしても、すごい蔵書の数だね。伯爵の趣味かな?」
王都にあるブラウンシュヴァイク邸の客間には、多くの書物が置かれていた。お客様に楽しんでもらうためというのは建前で、レオナルドの書斎に入りきれないものがこちらに流れてきていたのだ。
「はい。お父様はとても勉強家なのです。暇さえあればいつも本を読んでいるお方で、何がそんなに面白いんだろうって知りたくて、私も本を読むようになったんです」
「そうだったんだ。でも、随分難しそうな本ばかり並んでいるみたいだけど、最初は苦労したんじゃない?」
「そうなんですよ! 文字は読めても内容は全然分からなくて、何が面白いのかさっぱりだったんです。でもそんな時、本に書いてある内容を、父が実際に体験させてくれたんです。私が最初に手をつけたのは農作物の育て方の本だったようで、裏庭にラディッシュの種を植えて、水やりをして、草むしりをして、実を収穫する所まで、忙しい合間を縫って一緒に作業して下さったんです。『本にはこうやって、たくさんの知識が詰め込まれている。本をたくさん読めばそれだけ、自分の中に知識を蓄える事が出来る。それがいつか誰かの役に立てれば、すごく嬉しいことだと思わないかい?』と。だから私は──」
うん、そうなんだ、そんなことがあったんだね と、優しく相槌を打って笑顔で話を聞いてくれるクリストファーのおかげか、いつの間にかフォルティアナの緊張は解れていた。
そのラディッシュで作ったスープがとても美味しかったこと、それから本を読んでは裏庭の一角を借りて自分で実際に作物や花を育ててみたりした事など、子供時代の事に話は発展していく。
スローライフに興味のあったクリストファーは、それをとても楽しそうに聞いていた。本で知識だけ詰め込んでも、実際にやってみないと分からない事もたくさんある。しかし何かを育ててみたいと思っても、周りがそれを許さない。勝手にやろうものなら、怒られるのはその庭を管理している庭師で、迷惑がかかる。結局、頭の中で想像するしかなかった。
「僕も、やってみたいな」
それは、自然とクリストファーから漏れていた声だった。
「それでしたら、温室で実際に育ててみますか?」
「いいの?」
「はい、勿論です」
「やった、すごく嬉しいな」
無邪気に笑って喜ぶクリストファーの姿を見ていたら、フォルティアナはあの庭園で一緒に過ごした時の事を思い出していた。
外の世界に連れ出してあげると期待させて、それが出来なくて悲しませてしまったこと。それがすごく悔しかったのを、今でもよく覚えている。だから今度こそ、この約束だけはきちんと叶えてあげたいと、心から強く思っていた。
そこへ「馬車の準備が整いました」と知らせが入り、フォルティアナとクリストファーは馬車へ乗り込んだ。侍女のサーシャと、クリストファーの護衛を務める青年ラルフも一緒だ。クリストファーと向かい合わせにフォルティアナが座り、その横にサーシャ、その向かい側の席にラルフが座っている。
王家の所有する広い馬車なので四人で座ってもまだかなり余裕がある。座り心地の良い上質なクッションが使用されており、長時間座っていても疲れにくい工夫がされているようだ。揺れや振動さえも、ほぼ感じない。
外の景色を楽しみながら、最初より打ち解けた二人の話題は、面白かった本の話題に移っていた。
クリストファーも毒に倒れる前までは、貪欲に知識を求め多くの本を読んでいた。そんな本の虫である二人が本の話をして、話題がつきるなんて事があるはずもなかった。
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