汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない
第二十五話 私と同じだったのですね
あのハーネルドにこのような弱点があったとは──
だから蒸気自動車を降りてからやけにへっぴり腰になっていたのだと、フォルティアナは冷静に状況を分析して受け止めつつも、妙な親近感を覚えていた。
肩の力が抜けた様な、ホッとするような不思議な感覚に包まれる。
(ハーネルド様にも、苦手なものがあったのね)
フォルティアナにとって、自信に満ちあふれ何でもスマートにこなしてしまうハーネルドは、どこか超人的な人間離れした存在に思えていた。
弱音を吐く姿も、こうして子供のように怯える姿も、今まで一度も見た事がない。そんな彼の隣りに相応しくあるためには、自身もそのようにならなければいけないと、無意識のうちにプレッシャーをかけていた。
だからハーネルドの傍に居ると、常に気を張っておかねばならず、彼が帰った後はどっと疲れが押し寄せてきていた。ダンスが苦手な事も、フォルティアナは必死に隠していた。
普通の人間らしい感情を露わにしているハーネルドの姿を目前にして、もしかすると彼も、自分と同じだったのかもしれないとフォルティアナは気付いた。
こちらに苦手なものを悟らせないように、必死に仮面を被って、誤魔化していたのではないかと。
そうでなければ、この世の終わりと言わんばかりに悲痛な面持ちを浮かべて、こちらを見ているハーネルドの姿の説明がつかない。
「す、少し……苦手なだけだ」
そんなフォルティアナの胸中などつゆ知らず、ハーネルドは絶望のど真ん中に居た。今更どう取り繕ったとしても、情けない悲鳴を上げて逃げ出した事実は消えない。
ハーネルドはもはや、跡形も無くすっかり焼け落ちた灰燼になってしまったかのような心境だった。終わった。もう何もかも。こんな情けない、頼りない姿を見られてしまって、きっと愛想を尽かされたに違いないと。
そんな彼の前に、突如女神が舞い降りてきた。
妹達に諭すのと同じように、フォルティアナがしゃがみこんでいるハーネルドの目線の高さまで屈んで、優しく声をかけたのだ。
「ハーネルド様、ご安心下さい。彼等は私達に害はなしません。何らかの理由で身体と心が分離してしまい、帰るべき場所を忘れてその場所に囚われてしまった人々なのです。何故か昔から私には彼等が光り輝いて見えて、触れる事が出来ました」
光る人達が怖い存在ではないと、フォルティアナはハーネルドに分かって欲しかった。そうすれば、彼の苦手意識も弱まるかもしれないと思ったのだ。
「じゃあ、お前がたまに同じ方向を見てボーッとしていたのは……」
「気になって、眺めていたのです。この力の事は、幼い頃から両親に他言しないようきつく言われておりまして……」
「そんな大事な秘密を、俺に話しても良かったのか?」
驚いたように瞳を丸くして、ハーネルドが尋ねてくる。
「出来ればこの事は、秘密にしてもらえると助かります」
そう言ってフォルティアナは、自身の口元に人差し指をあてる。わざとおどけてみせるそんなフォルティアナの可憐な仕草に、ハーネルドは心を奪われつつも「わ、分かった」となんとか言葉を紡ぎ出した。
「ハーネルド様なら、もしかするとクリストファー様から何かお聞きになっているのではないかと思いまして」
クリストファーとフォルティアナがどこで出会ったのか、ハーネルドは不思議に思っていた。普通なら、二人に接点などありはしない。
あの庭園で感動の再会を果たしたらしい二人を観察していたものの、その答えに辿りつかなかった。正確に言うと、辿り着かせたくなかったのだ。
クリストファーが何らかの要因で霊的な何かとして彷徨っていたのを、フォルティアナが見つけた。それを事実と認めてしまえば、霊的な何かが存在することを認めねばならなくなる。
だから、深く聞かなかったのだ。しかし、ついに向き合う時が来た。ハーネルドは思考を巡らせて、クリストファーの言葉を思い出す。
「お前があの庭園に本をよく持ってきて、外の世界の事を教えてくれたと、そのおかげで色んな感情を思い出して、本当の自分を取り戻すことが出来たと、クリスは言っていた。まさか、クリスも同じように?」
「はい。あの庭園に、囚われていらっしゃいました」
ハーネルドはゆっくりと現実を受け止める。やはり、霊的な何かは居る。存在するのだ。どういう原理でそういう状態に陥っているのかは分からないが、確かに存在する。
容態も安定しているのに、意識だけを取り戻さなかったクリストファー。それは肝心の中身があの庭園に囚われ、帰り道が分からなくなっていたせいであると、ハーネルドは心を落ち着かせて現実を受け止めた。すると、不思議とハーネルドの中から恐怖心が消え、探究心の方が強くなっていた。
「クリストファー様のおかげで、私はその光り輝く人達の正体が分かりました。何らかの理由で身体と心が分離して迷子になってしまった方々であると。このルーブレイク美術館には今、多くの帰るべき場所を忘れた人達が、囚われてしまっています。今もどこかで、不安な気持ちを抱えながら心配して、彼等の帰りを待っている人達が居ます。ですので私は……」
「帰してやりたいのだろう? 本来のあるべき場所へ」
フォルティアナの気持ちを代弁するかのように、ハーネルドが言葉を重ねた。
「はい。出来ることならば……」
「分かった、それなら俺も手伝おう」
「よろしいのですか? その、ハーネルド様は彼等のことが苦手、なのですよね? 無理をなさらない方が……」
フォルティアナの心配をよそに、ハーネルドは軽く笑みをもらして答えた。
「今はもう大丈夫だ。正体が分かれば、何という事も無い。それに解決しなければ、気になって鑑賞も出来ないのであろう? 全て片付けて、美術館はその後に回れば良い」
「ありがとうございます!」
フォルティアナの花が綻ぶような笑顔を間近で見たハーネルドは、思わずその美しさに視線を奪われていた。少ししてハッとしたように立ち上がると、慌てて視線逸らした。
「す、少し実験をしたい。ティア、出来れば通訳を頼む。そこに居る少年と、コンタクトをとりたい」
「分かりました」
ハーネルドは、男の子が座っているだろうソファの前まで近付くと声をかけた。
「少年よ、そこに居るのだろう?」
「どうしたの? お兄ちゃん」
フォルティアナが男の子の言葉を通訳してあげると、さらにハーネルドは男の子へと声をかける。フォルティアナは、二人の会話が成り立つように、間で通訳をしてあげた。
「何故、お前はそこに居る? そんなに、この美術館は楽しいのか?」
「楽しいよ、すごく。大好きな絵がいっぱい飾ってあるからね」
「絵が、好きなのか?」
「うん、大好き。だってこの絵が、僕と父さんを繫いでくれるから」
「お前の父さんは今、どこに居る?」
「分からないんだ。国中を旅してるから」
「会えなくて、寂しいか?」
「うん、本当は寂しい。でもここに来たら、父さんの描いた絵がいつでも見れるから、大丈夫だよ」
「父親が好きなのだな」
「うん、父さんは僕の憧れだから! いつか僕も父さんのように立派な画家になりたいって思ってるんだ!」
「そうか。だったらこんな所で油を打っていていいのか? その父さんもきっと、お前の帰りを心配して待ってるぞ」
「父さんが……僕を待ってる……僕、帰らなきゃ! お兄ちゃんと話してたら、帰る場所を思い出したよ!」
「それは良かった。気を付けて帰るのだぞ?」
「うん、分かった! またね、お兄ちゃん! ありがとう!」
男の子は大きく手を振ると、一際まばゆい光を放った後、その場から姿を消した。その旨をフォルティアナはハーネルドに伝える。
「なるほど……」
小さく呟いてハーネルドは腕を組みながら考える。一通り思考を巡らせた所で口を開いた。
「どうやら興味を外に向けて、忘れたことを思い出させてやれば良いみたいだな。ティア、光る者達をこの部屋へ集めてきてもらえないか?」
「それは構いませんが、どうなさるおつもりですか?」
「一人ずつ相手をしていては時間が勿体ない。一気に片づけるぞ」
自信を取り戻したハーネルドには何か考えがあるようで、ニヤリと口角を持ち上げて不敵な笑みを浮かべている。
彼のその顔は間違いなく自信の現れで、有言実行を体現するハーネルドの辞書に、不可能という文字がないことをフォルティアナは知っている。
ハーネルドを信じて、今は自分に出来る事をやろうと、フォルティアナは休憩室を後にした。
だから蒸気自動車を降りてからやけにへっぴり腰になっていたのだと、フォルティアナは冷静に状況を分析して受け止めつつも、妙な親近感を覚えていた。
肩の力が抜けた様な、ホッとするような不思議な感覚に包まれる。
(ハーネルド様にも、苦手なものがあったのね)
フォルティアナにとって、自信に満ちあふれ何でもスマートにこなしてしまうハーネルドは、どこか超人的な人間離れした存在に思えていた。
弱音を吐く姿も、こうして子供のように怯える姿も、今まで一度も見た事がない。そんな彼の隣りに相応しくあるためには、自身もそのようにならなければいけないと、無意識のうちにプレッシャーをかけていた。
だからハーネルドの傍に居ると、常に気を張っておかねばならず、彼が帰った後はどっと疲れが押し寄せてきていた。ダンスが苦手な事も、フォルティアナは必死に隠していた。
普通の人間らしい感情を露わにしているハーネルドの姿を目前にして、もしかすると彼も、自分と同じだったのかもしれないとフォルティアナは気付いた。
こちらに苦手なものを悟らせないように、必死に仮面を被って、誤魔化していたのではないかと。
そうでなければ、この世の終わりと言わんばかりに悲痛な面持ちを浮かべて、こちらを見ているハーネルドの姿の説明がつかない。
「す、少し……苦手なだけだ」
そんなフォルティアナの胸中などつゆ知らず、ハーネルドは絶望のど真ん中に居た。今更どう取り繕ったとしても、情けない悲鳴を上げて逃げ出した事実は消えない。
ハーネルドはもはや、跡形も無くすっかり焼け落ちた灰燼になってしまったかのような心境だった。終わった。もう何もかも。こんな情けない、頼りない姿を見られてしまって、きっと愛想を尽かされたに違いないと。
そんな彼の前に、突如女神が舞い降りてきた。
妹達に諭すのと同じように、フォルティアナがしゃがみこんでいるハーネルドの目線の高さまで屈んで、優しく声をかけたのだ。
「ハーネルド様、ご安心下さい。彼等は私達に害はなしません。何らかの理由で身体と心が分離してしまい、帰るべき場所を忘れてその場所に囚われてしまった人々なのです。何故か昔から私には彼等が光り輝いて見えて、触れる事が出来ました」
光る人達が怖い存在ではないと、フォルティアナはハーネルドに分かって欲しかった。そうすれば、彼の苦手意識も弱まるかもしれないと思ったのだ。
「じゃあ、お前がたまに同じ方向を見てボーッとしていたのは……」
「気になって、眺めていたのです。この力の事は、幼い頃から両親に他言しないようきつく言われておりまして……」
「そんな大事な秘密を、俺に話しても良かったのか?」
驚いたように瞳を丸くして、ハーネルドが尋ねてくる。
「出来ればこの事は、秘密にしてもらえると助かります」
そう言ってフォルティアナは、自身の口元に人差し指をあてる。わざとおどけてみせるそんなフォルティアナの可憐な仕草に、ハーネルドは心を奪われつつも「わ、分かった」となんとか言葉を紡ぎ出した。
「ハーネルド様なら、もしかするとクリストファー様から何かお聞きになっているのではないかと思いまして」
クリストファーとフォルティアナがどこで出会ったのか、ハーネルドは不思議に思っていた。普通なら、二人に接点などありはしない。
あの庭園で感動の再会を果たしたらしい二人を観察していたものの、その答えに辿りつかなかった。正確に言うと、辿り着かせたくなかったのだ。
クリストファーが何らかの要因で霊的な何かとして彷徨っていたのを、フォルティアナが見つけた。それを事実と認めてしまえば、霊的な何かが存在することを認めねばならなくなる。
だから、深く聞かなかったのだ。しかし、ついに向き合う時が来た。ハーネルドは思考を巡らせて、クリストファーの言葉を思い出す。
「お前があの庭園に本をよく持ってきて、外の世界の事を教えてくれたと、そのおかげで色んな感情を思い出して、本当の自分を取り戻すことが出来たと、クリスは言っていた。まさか、クリスも同じように?」
「はい。あの庭園に、囚われていらっしゃいました」
ハーネルドはゆっくりと現実を受け止める。やはり、霊的な何かは居る。存在するのだ。どういう原理でそういう状態に陥っているのかは分からないが、確かに存在する。
容態も安定しているのに、意識だけを取り戻さなかったクリストファー。それは肝心の中身があの庭園に囚われ、帰り道が分からなくなっていたせいであると、ハーネルドは心を落ち着かせて現実を受け止めた。すると、不思議とハーネルドの中から恐怖心が消え、探究心の方が強くなっていた。
「クリストファー様のおかげで、私はその光り輝く人達の正体が分かりました。何らかの理由で身体と心が分離して迷子になってしまった方々であると。このルーブレイク美術館には今、多くの帰るべき場所を忘れた人達が、囚われてしまっています。今もどこかで、不安な気持ちを抱えながら心配して、彼等の帰りを待っている人達が居ます。ですので私は……」
「帰してやりたいのだろう? 本来のあるべき場所へ」
フォルティアナの気持ちを代弁するかのように、ハーネルドが言葉を重ねた。
「はい。出来ることならば……」
「分かった、それなら俺も手伝おう」
「よろしいのですか? その、ハーネルド様は彼等のことが苦手、なのですよね? 無理をなさらない方が……」
フォルティアナの心配をよそに、ハーネルドは軽く笑みをもらして答えた。
「今はもう大丈夫だ。正体が分かれば、何という事も無い。それに解決しなければ、気になって鑑賞も出来ないのであろう? 全て片付けて、美術館はその後に回れば良い」
「ありがとうございます!」
フォルティアナの花が綻ぶような笑顔を間近で見たハーネルドは、思わずその美しさに視線を奪われていた。少ししてハッとしたように立ち上がると、慌てて視線逸らした。
「す、少し実験をしたい。ティア、出来れば通訳を頼む。そこに居る少年と、コンタクトをとりたい」
「分かりました」
ハーネルドは、男の子が座っているだろうソファの前まで近付くと声をかけた。
「少年よ、そこに居るのだろう?」
「どうしたの? お兄ちゃん」
フォルティアナが男の子の言葉を通訳してあげると、さらにハーネルドは男の子へと声をかける。フォルティアナは、二人の会話が成り立つように、間で通訳をしてあげた。
「何故、お前はそこに居る? そんなに、この美術館は楽しいのか?」
「楽しいよ、すごく。大好きな絵がいっぱい飾ってあるからね」
「絵が、好きなのか?」
「うん、大好き。だってこの絵が、僕と父さんを繫いでくれるから」
「お前の父さんは今、どこに居る?」
「分からないんだ。国中を旅してるから」
「会えなくて、寂しいか?」
「うん、本当は寂しい。でもここに来たら、父さんの描いた絵がいつでも見れるから、大丈夫だよ」
「父親が好きなのだな」
「うん、父さんは僕の憧れだから! いつか僕も父さんのように立派な画家になりたいって思ってるんだ!」
「そうか。だったらこんな所で油を打っていていいのか? その父さんもきっと、お前の帰りを心配して待ってるぞ」
「父さんが……僕を待ってる……僕、帰らなきゃ! お兄ちゃんと話してたら、帰る場所を思い出したよ!」
「それは良かった。気を付けて帰るのだぞ?」
「うん、分かった! またね、お兄ちゃん! ありがとう!」
男の子は大きく手を振ると、一際まばゆい光を放った後、その場から姿を消した。その旨をフォルティアナはハーネルドに伝える。
「なるほど……」
小さく呟いてハーネルドは腕を組みながら考える。一通り思考を巡らせた所で口を開いた。
「どうやら興味を外に向けて、忘れたことを思い出させてやれば良いみたいだな。ティア、光る者達をこの部屋へ集めてきてもらえないか?」
「それは構いませんが、どうなさるおつもりですか?」
「一人ずつ相手をしていては時間が勿体ない。一気に片づけるぞ」
自信を取り戻したハーネルドには何か考えがあるようで、ニヤリと口角を持ち上げて不敵な笑みを浮かべている。
彼のその顔は間違いなく自信の現れで、有言実行を体現するハーネルドの辞書に、不可能という文字がないことをフォルティアナは知っている。
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