汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】

花宵

第二十二話 騙された狼は女装男子にたじろぐ(side ハーネルド)

 数日後、ハーネルドはクリストファーの元を訪れた。侍従に案内されたのはいつものプライベートサロンではなく、何故かクリストファーの私室だった。

「クリストファー殿下がお待ちです。どうぞお入り下さい」

 ご丁寧に開けてもらった扉から中に入って目にしたのは、窓枠で佇む一人の令嬢だった。綺麗なシャンパンゴールドの長い金糸が印象的なとても見覚えのあるその後ろ姿に、はやる気持ちを抑えて、ハーネルドはその令嬢の元へ足を運んだ。
 こちらに気付いた令嬢が振り向いた瞬間、ハーネルドは驚きで心臓が止まりそうだった。

 何故、フォルティアナがここに居る?! と。

 こちらを見て、フォルティアナは可笑しそうにクスクス笑っている。しかし、どこかその笑顔がいつもと違う。何がと言われても上手く説明できないが、何か違和感を感じるのだ。

 こちらに近付いてきたフォルティアナは、そっと手を伸ばしてきた。その手がハーネルドの頬に触れ、驚きで硬直して動けなくなった時、彼女が口を開いた。

「びっくりした? 凄いでしょ。進化した特殊メイク変装技術」

 その声は、どう聞き間違ってもフォルティアナのものではない。そしてよく見ると、瞳の色が青みがかっている。

「ティアの綺麗な淡いシャンパンゴールドの色を出すのに、中々苦労したんだよね。このウィッグ」

 そう言いつつ、サラリと流れる綺麗な長髪に手を通す目の前の偽フォルティアナ。その正体に気付いた瞬間、ハーネルドは思わず声を荒げた。

「た、達の悪い冗談やめろ!」

 顔を真っ赤にさせて怒るハーネルドに、クリストファーはにっこりと笑顔を浮かべる。

「この前言ったでしょ。練習台になってあげるって。適当に聞き流しておくからほら、僕に向かって気の利いた台詞の一つや二つ、言ってごらんよ」
「誰が言うか!」
「そうやってすぐ怒る所、マイナス十点。女の子には、優しく接してあげなきゃダメだよ」
「そんな茶番に付きあってられるわけないだろ! 早く着替えて来い!」
「本当にいいの? こんな機会二度とないんだよ? 一度口に出してしまった言葉は、取り消す事は出来ない。君がティアに吐いてきた暴言の数々を、彼女は今も胸に抱えて傷付いている。それなのに君は……」
「やる! やればいいんだろ! だからそれ以上、その姿でそんな悲しそうにこっちを見るな!」

 ズキズキと痛む胸をハーネルドは必死に抑えた。

「じゃあ、早速いってみよう。テイク1、女性は些細な変化でも気付いて褒めてあげると喜ぶよ。というわけで、まずは褒める練習から」
「ちょっと待て! その前にクリス、お前も態度を改めろ!」
「どうして?」
「背もたれに寄りかかり、ひじ掛けに手を置いて、足を組み、お前はどこの女王様だ?! その格好で、ティアの品位を貶める行動は慎め!」
「……それもそうだね」

 椅子から立ち上がったクリストファーは、窓際へと足を進めた。

「じゃあ、ここに立ってるから。君が呼んだら振り向くよ。そこからスタートね」
「分かった」

 ハーネルドは頭の中で考える。何をどう褒めたらフォルティアナが喜ぶのか、思考を巡らす。
 美しいシャンパンゴールドの髪も、エメラルドのように綺麗な大きな瞳も、陶器のように透き通った白い肌も。何もかも完璧な造形だった。

『お初にお目にかかります、ハーネルド様。フォルティアナ・グランデです。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします』

 初めて彼女を目にした時、本当に人間なのか疑ったほどに美しかった。自身が近付けば、フォルティアナは汚れて消えてしまうんじゃないかと真面目に思った。
 一目惚れだったのだろう。あの笑顔を見ていると心臓を鷲掴みされたかのように苦しくなり、せわしく鼓動が鳴り続ける。

 折角だから二人で庭でも散歩してきなさいと父に言われたハーネルドは、緊張しすぎてその時何を話したのか、正直よく覚えていない。
 唯一覚えているのは、少しでも退屈させたくなくて、面白みのない、頼りない男だと思われたくなくて、必死に言葉を紡いだ自身に対し、笑顔で相槌を打ってくれるフォルティアナの可愛さだけだった。

 フォルティアナと初めての顔合わせを終えて屋敷に帰ったハーネルドは、害でしかなかった完璧主義の父に初めて感謝した。

 見た目がよければ、あの腹黒王子のように性格が歪んでいるのが世の常だと、ハーネルドは思っていた。しかしフォルティアナは、謙虚で慎ましく、努力家で優しい心の持ち主だった。たまに同じ方向をボーッと眺めている変な癖はあるものの、欠点らしい欠点は何一つ見つからない。

 ハーネルドの成績は、王立学園でも不動の一位をキープする第二王子のクリストファーに次いで、二位の成績だった。
 フォルティアナは、二歳の年の差があるにも関わらず、ハーネルドの難しい話を共に論議する事が出来た。同じ学年の貴族令嬢達ですら、クリストファーとハーネルドが治政の話をしているとついていけず遠目で見やるだけだったのに。そんな頭の緩い同学の貴族令嬢達より、ハーネルドにとってはフォルティアナと話す方が何倍も有意義だった。
 フォルティアナは、ハーネルドが持ち合わせない着眼点から意見を出してくる。それがヒントになり、新商品のアイデアが浮かんできた事も多々ある。まさに侯爵夫人として共に領地を運営していくのに、ベストなパートナーだとハーネルドは確信していた。

 学園が長期休暇になる度に、ハーネルドはグランデ領を訪れた。笑顔で出迎えてくれるフォルティアナに一目でいいから会いたかったのだ。
 日を重ねる毎に、フォルティアナの美しさには磨きがかかっていった。あの腹黒王子のように気の利いた言葉の一つや二つ言えればよかったのだが、あの澄んだ眼差しがこちらを見つめてくると、恥ずかしくなって上手く言葉が出て来ない。
 フォルティアナに似合うだろうと王都の装飾屋で何時間もかけて選んだプレゼントも、皮肉を交えてしか渡せない。それでも笑顔で受け取ってくれるフォルティアナに、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 たった一言で良い。素直な言葉を口に出せたら、フォルティアナはこの気持ちに気付いてくれるだろうか。

 フォルティアナの事を考えるうちに、ハーネルドの思考は脱線しまくりで、当初の目的を完璧に見失っていた。

「…………………………ねぇ、まだ?」

 待てど暮らせど声をかけてこない。いい加減痺れを切らしたクリストファーが振り返ってハーネルドに問いかける。

「まだだ! 今考えているんだから、あっち向いてろ!」
「はい、失格!」
「はぁ?!」
「あのさ、ネル。褒めるところを予め考えておくのがおかしいんだよ。女性を視界に捉えて、褒める箇所を探すのが正解。前回と違うところを見つけて褒める。それが常套句だよ。一番分かりやすいのは髪型。次にドレスや装飾品。ただしその場合は、ドレスが素晴らしいと褒めるんじゃなくて、そのドレスを着こなしている女性を素晴らしいと褒めること。流行に敏感な女性なんかはすごく喜ぶよ。後は香りなんかも分かりやすいね」
「お前……出会った女全ての過去の状態を覚えているのか?」
「勿論。女性だけに限らず男性もね」

 無理だ。そんな芸当こいつにしか出来ないと、ハーネルドは改めて思った。

「お前に、新星のタラシの称号を授けよう」
「やだな、それはあくまでも社交辞令。本当に大切な人の事なら余計な事考えなくても、見た瞬間に分かるでしょ? 素直にそれを口にしてあげたらいいのさ。例えば……」

 おろしていた髪を、クリストファーが無造作に掴んでアップスタイルに変えた。

「こうやって髪型が変わるだけでも、女性の場合は印象がガラリと変わるでしょ? 前回の髪形も良かったけど、今回は大人っぽく見えて一段と綺麗だよ、とか。難しく考えずにやってごらんよ。試しに髪を褒める練習してごらん」
「分かった…………ティア」

 ハーネルドの呼びかけに、フォルティアナに扮したクリストファーが振り向く。窓から差し込んでくる日差しに反射して、キラキラと淡いシャンパンゴールドの金糸が輝いてふわりと宙を舞った。

「ひ……光りが反射して眩しいだろ! その無駄に長い髪は結んでおけ!」

 流石のクリストファーも、ハーネルドのその言葉に、唖然とするほかなかった。

「えぇ……僕の話ちゃんと聞いてた? どうしてそうなっちゃうの?」

 ハーネルドは物わかりが悪いわけではない。むしろ、頭の機転は利く方だ。それなのに、何故こうなってしまうのか。照れ隠しにしては、あまりにも不器用すぎる。

「日差しに反射して、綺麗に髪が舞ったのだ。それを褒めたかった……」

 しかしいざフォルティアナを目の前にすると、澄んだ瞳に己の悪しき心全てを見透かされているような気がして、ハーネルドは壁を作ってしまう。その度に後悔するも、発してしまった言葉は取り返しがつかない。

「褒めてないよね? さっきのどう考えても苦情だよね? 君達の温度差の原因がよーく分かったよ。ネル、どうやら君には一から分かりやすく教えてあげないといけないようだね」
「……お、お前の真似なんて出来るわけないだろ! そんな口から砂糖を吐けるか!」
「別に僕の真似はしなくていいんだよ。君の言葉で褒めてあげたらいいだけ。ただし、今のそれじゃどう考えても暴言にしか聞こえない。本気でティアに気持ちを伝えたいなら、恥も外聞もプライドも、全て捨てなよ。女性が人前に出るために着飾るのがどれほど大変か、まずは君自身が体験してみる事だね」
「まさか……」

 嫌な予感しかしなかった。クリストファーが机に置かれたベルを鳴らすと、待ってましたと言わんばかりに、控えていたらしい強烈な出で立ちの男性? が現れた。見た目はどう見ても、強面のおじさんだ。しかし、その服装は女性もので何ともミスマッチだった。

「あーら、私好みの色男ねん。殿下、本当に好きにしちゃっていいのん?」
「勿論だよ、リリス。彼を絶世の美女に仕立ててあげて」
「分かったわん。さぁ行くわよ」

 リリスと呼ばれたおじさんは、指をカキコキと鳴らしながらハーネルドに近付く。背の高いハーネルドをゆうに越えるデカさだ。ハーネルドが相手を見上げることなど、大人になってからはほぼ皆無に近かった。
 そんなガタイの良いリリスに、がっちりヘッドロックされたハーネルドはそのまま引きずられて別室へと連れて行かれる。

「さぁ、今から貴方に美しくなれる魔法をかけてあげるわよーん」
「止めろー! 離せー!」
「威勢がいいじゃじゃ馬ちゃんね。でもあんまり動くと……怪我するぜ?」 

 恐ろしくドスの効いた声が耳に響く。裏の世界の人間だと、ハーネルドは瞬時に悟った。
 そこで何ともおぞましい恐怖体験をして帰ってきたハーネルドは、げんなりと疲れ切った顔をしていた。その傍らに居る「どお? 殿下、中々の力作でしょお」と上機嫌のリリスとは対照的に。

「流石はリリス。また技術が上がったね。君の特殊メイク変装技術は本当にすごいよ」
「あらやだ、誉めても何も出ないわよ。また何かあったら呼んでちょうだいね」
「ありがとう、リリス」

 リリスが退室した後、ハーネルドはクリストファーに詰め寄った。着慣れないドレスを身に纏わされ、歩きにくくて仕方ない。

「何なんだあいつは?!」
「彼はリリス。変装技術のスペシャリストさ。技術者は貴重な存在だからね。昔、城下でくすぶっていた才能を見つけて伸ばしてあげたんだ。彼が新しく身につけていた特殊メイク技術、性別さえも誤魔化せる優れものさ。凄いでしょ」
「確かに凄いが……」

 今のハーネルドは誰がどう見ても、令嬢にしか見えなかった。漆黒の艶のあるウィッグを被せられ、男らしい角張った骨格は特殊メイクで隠されて、女性らしい丸みのあるフェイスラインにされている。体型カバー用に特殊肌着を着せられて、腰はこれでもかと言わんばかりにコルセットで締め上げられていた。
 その結果、体格の良い見事な悪の女帝が出来上がっていた。

「それよりもどうだった? 女性になった気分は。よーく似合ってるね、ハーネルシアちゃん」
「……………………屈辱だ」
「女性はね、その美しさを保つためにいつも努力してるんだよ。それを労ってあげる意味でも、褒め言葉の一つや二つ、サラッと言えるようになりなよ」

 先ほどの地獄のような所業を思い出し、ハーネルドは納得せざるを得なかった。

「くっ……善処、しよう」

 こいつに勝てる日は来るのだろうか。改めてクリストファーの規格外さを実感したハーネルドであった。

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