汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】

花宵

第二十話 隠された史実と猫かぶり王子の決意②(side クリストファー)

 静寂に包まれた書物庫に足を踏み入れると、羊皮紙の香りが鼻につく。
 アシュリー領の開発した、木材から作る紙が普及した現代でも、ここに置かれている書物については、耐久性があり湿気に強い保存性に適した羊皮紙が使われている。
 あまり埃を感じさせないのは、こまめに掃除が行き届いているおかげだろう。
 門外不出の重要書類や、代々秘密裏に受け継がれた歴史が記された書物など、オルレンシア王国の全てが書物としてこの部屋に残されている。

 五百年前の史実の一角を、クリストファーは時間が過ぎるのも忘れて、隅から隅まで読み漁った。一番知りたかった聖者の導き手に関する記述を見つけるや否や、熱心に目を通す。

 オルレンシア王国の南方に位置する港町アクアリーフの外れに、小さな修道院があった。そこには現世と常世の狭間に干渉できる力を持った、聖女の一族が住んでいた。何らかの理由で行き場を失い、帰り道を忘れてしまった者達の魂が、彼女達には光り輝いて見えたそうだ。

「どうか、主人の命をお救い下さい。イシュメリダ神のご加護の元に、ご慈悲を……」
「パパをはやくげんきにしてください。かみさま、どうかおねがいします」

 よく休みの日に家族連れで教会へお祈りに来ていた女性が、その日は幼き子だけを連れて訪れた。話を聞くと、主人が事故に遭い意識を取り戻さないそうだ。
 二人の必死な願いを、聖女達はどうしても叶えてあげたかった。女性にご主人との思い出の場所を聞いた聖女達は、手分けして自らその地へと足を運んでご主人を探した。そうしてご主人の魂を見つけた聖女達は、力を用いて交流をはかり、本来のあるべき場所へと誘った。

 目を覚ましたご主人は、奇跡的な回復をとげて見事に生還を果たした。その時の体験を彼はこう語っている。

――まるで聖者に導かれるように、自身の帰り道を思い出させてくれたと。

 その噂は立ち所に広まって、人々を救う『聖者の導き手』として聖女達は町民に慕われるようになった。
 噂を聞きつけた近隣の町の人々が、慈悲を求めて家族を、友人を、恋人を救ってくれと聖女達の修道院へと訪れるようになった。

 しかしあまりにも止まりすぎてしまった人の魂は、本来の帰るべき場所を失ってしまう。帰るべき身体を失った者達は、現世へ戻ることは出来ない。その場合、現世に残してきた人に伝えたいメッセージを、彼等の代わりに届けていた。そうして、魂だけとなってしまった人々を常世へと送り出していた。

 助かる者も居れば、助からない者も居る。それは仕方の無い事であった。聖女達が持っていたのは、万能的に病を治す能力ではないのだから。
 しかし尾ひれ目ひれのついた噂はいつの間にか、聖女達を何の万病でも治せる奇跡の存在だと信じ込ませてしまった。

 幾ばくも余命のない者の家族が、遠路はるばるやってきて、聖女達の修道院へ押し寄せて列をなす。しかしその様な者達を救う術など持ち合わせない。出来るのはあくまでも、迷える魂に干渉し、本来のあるべき場所へ帰してあげる事だけだ。
 たとえ意識を取り戻したとしても、元の身体が弱っていれば治癒する事は出来ない。助けて欲しい者の魂がどこを彷徨っているか分からなければ、誘いようもない。

 そうして、救われなかった者達の関係者が増えていった。奇跡の生還に喜ぶ人の傍らで、願い叶わず儚き人となった故人を偲んで悲しみに暮れる。

 何故、救ってくれなかったんだ。本当に、最善を尽くしてくれたのか? と、最愛の者を失った人達の恨みや僻みが増長して、聖女達に牙を向く。助けられた人々は聖女達を庇い、助けられなかった人々は聖女達を非難するようになった。

 助けを求める需要と、救うことの出来る聖女の供給の均衡が保たれていなかった。さらに加えて、医療技術のそこまで発展していなかった時代、正しい施術で身体を守ることが出来ないことも拍車をかけて、亡くなる人の方が圧倒的に多くなっていった。

 それに拍車をかけ、聖女だと謀り人々を騙す悪者集団の存在が信頼を地の底へ落としていった。どんな病気も怪我も治すと語り多額の金品を要求し、ろくに治療もせず悪者集団は姿をくらます。全ての罪を本物の聖女達に着せて。

 その結果、聖者の導き手として称えられた聖女達は、人を謀る魔女だと罵られるようになり、迫害され町を追われた。
 魔女の一族を許すな、根絶やしにしろと、国民達の怒りは収まらない。

 聖女達は町を転々とし、森の奥でひっそりと隠れ住むようになった。しかしその平穏も長くは続かない。一人、また一人と犠牲になり、仲間の犠牲の下に何とか逃がされた最後の一人の少女は、最西端、現在のグランデ領まで逃げた。しかしろくに食事も睡眠もとることが出来ず、逃げ続けた少女の身体は限界だった。その場で倒れてしまったのだ。

 何も知らないその地の領主が、行き倒れの少女を哀れに思い屋敷へと連れ帰って療養させた。
 少しして、辺境の片田舎にあるグランデ領にも悪の魔女の存在が伝えられるようになった。聖女に恨みを持つ貴族が、魔女の首に懸賞金をかけ、魔女狩りに拍車が掛かったせいである。
 懸賞金目当てに、国全土が魔女を吊るし上げようとしていた。中には、言われ無き罪を着せられ犠牲になった女性も多数存在した。恐ろしくて、女性達は安心して家の外を歩けなくなっていた。

 聖女が西方へ逃げていくのを見たとの目撃情報が広まり、多くの者が懸賞金欲しさにオルレンシア王国の最西端に位置するグランデ領を訪れた。

 その当時、とある聖女に命を救われた経験のある王様は、言われ無き罪を着せられ、虐殺された聖女達のあまりにも悲惨な現状を知り、ひどく胸を痛めていた。

 一刻の猶予もないと事態を重く見た王様はそれを静めるため、苦渋の決断を下した。騎士団を動かし、怪しい力で人々を騙していた魔女の一族は滅ぼしたとお触れを出して、歴史的に彼女達の存在を抹消したのだ。国民の怒りを一刻も早く沈下するために。

 その後、王様は自らグランデ領を訪れて、そこを治める領主だけに真実を話した。もしどこかで聖女達を見つけたら、どうか温かく迎え入れてやって欲しいと。彼女達は、決して悪の存在ではないと。

 そこで王様は、最後の聖女である少女と対面した。城に招き入れようとするも、多くの人々が居る都会は怖いと、少女はその申し出を断った。その地を治めていた領主の伯爵は、彼女の面倒はこちらで見るからご安心下さいと王様に進言し、少女はグランデ領でひっそりと暮らすようになった。

 もう二度とこのような悲しい犠牲が出ることがないよう、国を統治する者と、グランデ領を治める領主だけに、代々その事実を引き継いでいった。

 やがて少女は、伯爵の子息と結ばれて生涯幸せに暮らしたという。
 聖者の導き手は、その血筋によって能力に目覚める。そのため、グランデ伯爵家では、時折その力に目覚める娘が生まれるようになった。
 もし能力に目覚めた娘が生まれた場合、決してその力を他言しないようきつく言い聞かせて育てている。二度と、あの悲劇を繰り返さないように。

 こうしてオルレンシア王国が今存続しているのは、聖女の一族に助けられたからである。命の恩人に対し、魔女という汚名を着せ悪の存在であったという史実を残してしまった罪を、我々は決して忘れてはならない。
 どうか彼女達の子孫が平穏に過ごせるよう取りはからうようにと、その書物は締めくくられていた。

(ティアが、迫害された聖女の末裔……あの時、危険を冒してまで僕の所に通ってくれていたんだ……)

 フォルティアナが楽しそうに外の世界の話をしてくれた事を思い出す。彼女をあんな笑顔にする、外の世界をクリストファーは見てみたいと思った。あの本に描かれていた世界を、共に巡ってみたいと思った。

 自分が何者なのか、どうしてここに居るのか分からない。それでも、この囲われた檻の中から出たいと強く願った。今度は自分が、彼女を笑顔にしてあげたいと。

 そうしたら、自分が何者なのかを思い出した。どうして自分がこの場所に囚われていたのかも。

 あの庭園は、兄であるライオネルが、クリストファーを危険から守ってくれた場所だった。そして友人ハーネルドと、初めて言葉を交わした場所だった。

 大切な人達との思い出の詰まったあの場所が、クリストファーにとって一番縁のある思い出深い場所だったのだ。
 肉体と魂が分断されても、知らず知らずのうちにその場所へと繋ぎ止められていた。
 フォルティアナとの思い出が増えた今、クリストファーにとってあの庭園は、かけがえのない場所となっていた。

 書物庫を後にしたクリストファーは、その庭園に足を運んでいた。
 よく手入れの行き届いた庭園は、いつも季節の花々が綺麗に植え揃えられている。中心にはこじんまりとした噴水があって、穏やかな水音を奏でていた。
 客人を迎え入れる中央に位置した立派な中庭には劣るものの、慎ましい雰囲気を持つこの場所がクリストファーは好きだった。

「クリス!」

 その時、遠くからこちらへ足早に近付いてくる男の姿が視界に入った。その男は、綺麗な庭園に足を踏み入れるのにはあまりにも似合わない、漆黒の髪に黒のロングコートを着た全身真っ黒な出で立ちをしていた。

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