汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】
第十九話 隠された史実と猫かぶり王子の決意①(side クリストファー)
第二王子クリストファーの快気祝いパーティーの翌日、第一王子のライオネルが弟の執務室を訪ねていた。眉間に皺を寄せ、端正な顔つきが見事に歪んでいる。
「なぁ、クリス。お前本当は、まだ身体の調子が万全ではないのだろう? どうしてここに居る? 医者に休めと言われていただろう?」
昨夜、ハーネルドに連れ出されてから少し休んだクリストファーは、その後再びパーティー会場に戻っていた。そうして最後まで来賓に笑顔を振りまいていたクリストファーだが、無理が祟ったのか、会場から自室に戻る途中、倒れてしまった。
弟を労おうと後を追いかけたライオネルがそれに気付き、慌てて医務室へと運んだ。
一日ゆっくり休めと医者に言われていたにも関わらず、翌日から普通に執務に戻ろうとしている弟に対し、ライオネルは抗議しに来たのだ。
「何の事ですか、兄上。僕はいつも通りですよ。昨日はご心配とご迷惑をおかけしました。おかげでこの通り、今は元気です」
笑って誤魔化そうとするクリストファーに、普段は優しいライオネルもさすがに声を荒げてしまった。
「そんなわけないだろう! 三年近く、寝たきりだったのだぞ。半年リハビリをしたとはいえ、政務に戻るのはまだ負担が多いはずだ。昨日だって……」
「昨日は少し張り切りすぎただけです。今はこの通り元気ですから」
最大限の笑顔でそれをアピールするも、ライオネルは納得がいかないようでムッと顔を強張らせている。
「こちらに戻ってきてから、以前より呼吸が浅い。その分、息が切れるのが早いだろう? お前の身体を蝕んだ毒は、呼吸器系に異常をきたすものだった。せめて後一年ぐらいは、空気の綺麗な所で療養した方がいいと思っている」
「大丈夫です。その必要はありません。ただ以前ほど体力が戻っていないだけに過ぎません。ですのでこれ以上、兄上に負担をかけるわけには……」
あくまでもそう言いきるクリストファーに、ライオネルは悲痛な面持ちで問いかける。
「そんなに俺は、お前にとって頼りの無い兄か? お前が俺のために、裏で色々調整してくれていた事を知っている。無理をさせすぎたな」
「無理だなんて、そんな事はありません。僕は自分の意思で兄上の役に立ちたくて……」
「俺のためを思うなら、今はしっかり休んでくれ。お前が倒れてから俺はずっと、生きた心地がしなかったぞ。よく無事に、戻ってきてくれた……」
熱くなる目頭を押さえる兄の姿に、クリストファーは胸が詰まったように苦しくなった。心配をかけた事に対してもだが、ここまで自身の心配をしてもらえていた事が純粋に嬉しかったのだ。
「兄上……心配をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」
自身の体よりも、兄にこれ以上余計な心労をかけたくない思いの方が強かった。せめて今日ぐらいはゆっくり休もう。そうクリストファーが伝えようとした時、調子を取り戻したライオネルが先に口を開いた。
「父上と先方にはすでに話は通してある。一週間で準備を済ませて、ここを発つと良い。療養地として選んだグランデ領は、緑豊かで空気のうまい所だ」
「……今、何と仰いました?」
「ん? だから、グランデ領は緑豊かで空気の澄んだ所だぞと。今のお前が療養するにはぴったりの場所だ。それに何よりあそこには、お前がファーストダンスを申し込んだフォルティアナ嬢が居る。一年後、二人で城に戻って来るのを楽しみにしているぞ」
突拍子のない事をやってのける兄を、よくフォローしてきた。その行動力は、たまにクリストファーの予想をゆうに超えていた。考えるより体が先に動く兄に翻弄されながらも、どうやってそれを上手く処理しようか考えるのは存外楽しかった。しかし、今現在──
何がどうしてそうなった?
聡明なクリストファーの頭でも、動揺しすぎて処理が追いついていなかった。
昨日医者に言われたのは、明日一日くらいはせめて大事になさって下さいと、それだけだ。それが何故、いきなり一年も療養などと……しかも場所がグランデ領……運命の悪戯にしてはよく出来すぎている。
しかも帰りにはフォルティアナを連れて帰ってこいとの無茶ぶり。既にプロポーズして断られているのに。
兄の期待には何としても応えたい。そう思いつつも、こればっかりは相手ありきの事であり、クリストファーは返答に困っていた。期待に満ちた眼差しで見つめてくる兄に、現状応えられないのが分かっている今、正直に言った方が良いだろう。
そう結論付けたクリストファーは、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「あの、兄上……大変申し上げにくいのですが、フォルティアナ嬢はすでにアシュリー侯爵と婚約をしておりまして……」
「聞くところによれば、それは政略的な意味での当人同士の口約束だというじゃないか。伯爵からの正式な許可はおりていない。クリス、お前の采配があれば、一年でグランデ領を立て直すのは造作ない事であろう? それに侯爵とは昔馴染みだ。代わりに有益な縁談を取り持ってやるといいではないか」
知っていてなお、略奪してこいとおっしゃっている。兄がそんな事を口にするなど、普通ならありえない。一体誰の差し金か気になったクリストファーは、それを尋ねてみた。
「あの……ちなみにその情報はどなたからお聞きに?」
「ミレーユが申しておった。領民のために自らを差し出そうとしている可哀想な親友を、どうかお助け下さいと」
まさかそこが繋がっていたとは……意外な交友関係に、クリストファーはある疑問を持つ。ミレーユとフォルティアナには二歳の年の差がある。王立学園に通っていなかったフォルティアナとの接点が全くと言って良いほど見当たらなかったのだ。
この国において、十歳から十五歳まで学園に通う義務がある。貴族の子息や令嬢は、王都の学園へ通うことが多いが、あまりにも距離がある場合、自領の学園に通う者も居る。ミレーユは前者で、フォルティアナは後者だ。
ライオネルの婚約者候補として上げられた令嬢についてその当時、クリストファーは事細かに調べ上げていた。
ミレーユの生家、ブロッサム公爵家は姉妹仲があまり良くないと報告が上がっていた。過去、姉のミレーユは妹の侍女に毒殺されかけたこともあると、秘密裏に調べさせた調査書には書かれていた。
何の利点があってそんな進言をしたのか、クリストファーはミレーユが白なのか黒なのか判断しかねていた。
「話を聞けば、お前のためにもなる事だと思ってな。あの娘を好いておるのだろう?」
「そ、それは……」
「隠さずとも良い。正直に申してみよ」
「彼女が居なければ、僕は今もあの庭園を彷徨っていた事でしょう。こちらの世界へ戻って来れたのは、彼女と共にありたい……その思いがあったからです」
「ミレーユも昔、お前のようにして救ってもらったそうだ。本当に運がよかったな」
その言葉で、クリストファーはミレーユが白だと判断した。自身のようにして出会ったとすれば、親友と呼べるまで仲良くなっている理由も素直に頷けたからだ。
「クリス、彼女を守る意味でも是非この王城へ招き入れるのだ。フォルティアナ嬢は、聖者の導き手としての力を持っている」
「古い伝承に残っている、あの魔女の一族が人々を謀った架空の力をですか!? あれは偽りだったのでは……」
「偽りではない。彼女達は本当に使えたのだ。聖者の導き手として、現世と常世の狭間に干渉出来る能力を。歴史上は滅びた事にされている。そうしなければ、彼女達の命を守れなかったのだ。もしまたその存在が公になってしまえば、あの悲劇が繰り返さないとも限らない。守るためとはいえ、我々王家が取った処置は、彼女達にとってはあまりにも非道いものだった。だからせめて、彼女達の子孫が健やかに過ごせるよう、我々は努めねばならないのだ」
約五百年前、人々を謀り断罪された魔女の一族が居た。聖者の導き手として人々に慕われていた聖女達は、あたかも特殊能力者であるフリをして善良な市民達を騙していた。その悪逆非道な行いが公となり、魔女と呼ばれて迫害され、滅ぼされたと史実上は伝えられている。
(守るために汚名を着せて、史実上その存在を滅ぼした?)
「まさか、グランデ領は……聖女達が迫害を受け追いやられた領土なのですか?」
「詳しく知りたければ、書物庫の鍵を貸そう。お前も知っておく義務があるからな。この国の王子として。その後で、此度の件を受けるかどうか考えて欲しい」
「分かりました、兄上」
部屋を退室したクリストファーはその足でそのまま、王族の成人男児しか入ることを許されない、王国の真実の歴史が記された書物庫へと向かった。
「なぁ、クリス。お前本当は、まだ身体の調子が万全ではないのだろう? どうしてここに居る? 医者に休めと言われていただろう?」
昨夜、ハーネルドに連れ出されてから少し休んだクリストファーは、その後再びパーティー会場に戻っていた。そうして最後まで来賓に笑顔を振りまいていたクリストファーだが、無理が祟ったのか、会場から自室に戻る途中、倒れてしまった。
弟を労おうと後を追いかけたライオネルがそれに気付き、慌てて医務室へと運んだ。
一日ゆっくり休めと医者に言われていたにも関わらず、翌日から普通に執務に戻ろうとしている弟に対し、ライオネルは抗議しに来たのだ。
「何の事ですか、兄上。僕はいつも通りですよ。昨日はご心配とご迷惑をおかけしました。おかげでこの通り、今は元気です」
笑って誤魔化そうとするクリストファーに、普段は優しいライオネルもさすがに声を荒げてしまった。
「そんなわけないだろう! 三年近く、寝たきりだったのだぞ。半年リハビリをしたとはいえ、政務に戻るのはまだ負担が多いはずだ。昨日だって……」
「昨日は少し張り切りすぎただけです。今はこの通り元気ですから」
最大限の笑顔でそれをアピールするも、ライオネルは納得がいかないようでムッと顔を強張らせている。
「こちらに戻ってきてから、以前より呼吸が浅い。その分、息が切れるのが早いだろう? お前の身体を蝕んだ毒は、呼吸器系に異常をきたすものだった。せめて後一年ぐらいは、空気の綺麗な所で療養した方がいいと思っている」
「大丈夫です。その必要はありません。ただ以前ほど体力が戻っていないだけに過ぎません。ですのでこれ以上、兄上に負担をかけるわけには……」
あくまでもそう言いきるクリストファーに、ライオネルは悲痛な面持ちで問いかける。
「そんなに俺は、お前にとって頼りの無い兄か? お前が俺のために、裏で色々調整してくれていた事を知っている。無理をさせすぎたな」
「無理だなんて、そんな事はありません。僕は自分の意思で兄上の役に立ちたくて……」
「俺のためを思うなら、今はしっかり休んでくれ。お前が倒れてから俺はずっと、生きた心地がしなかったぞ。よく無事に、戻ってきてくれた……」
熱くなる目頭を押さえる兄の姿に、クリストファーは胸が詰まったように苦しくなった。心配をかけた事に対してもだが、ここまで自身の心配をしてもらえていた事が純粋に嬉しかったのだ。
「兄上……心配をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」
自身の体よりも、兄にこれ以上余計な心労をかけたくない思いの方が強かった。せめて今日ぐらいはゆっくり休もう。そうクリストファーが伝えようとした時、調子を取り戻したライオネルが先に口を開いた。
「父上と先方にはすでに話は通してある。一週間で準備を済ませて、ここを発つと良い。療養地として選んだグランデ領は、緑豊かで空気のうまい所だ」
「……今、何と仰いました?」
「ん? だから、グランデ領は緑豊かで空気の澄んだ所だぞと。今のお前が療養するにはぴったりの場所だ。それに何よりあそこには、お前がファーストダンスを申し込んだフォルティアナ嬢が居る。一年後、二人で城に戻って来るのを楽しみにしているぞ」
突拍子のない事をやってのける兄を、よくフォローしてきた。その行動力は、たまにクリストファーの予想をゆうに超えていた。考えるより体が先に動く兄に翻弄されながらも、どうやってそれを上手く処理しようか考えるのは存外楽しかった。しかし、今現在──
何がどうしてそうなった?
聡明なクリストファーの頭でも、動揺しすぎて処理が追いついていなかった。
昨日医者に言われたのは、明日一日くらいはせめて大事になさって下さいと、それだけだ。それが何故、いきなり一年も療養などと……しかも場所がグランデ領……運命の悪戯にしてはよく出来すぎている。
しかも帰りにはフォルティアナを連れて帰ってこいとの無茶ぶり。既にプロポーズして断られているのに。
兄の期待には何としても応えたい。そう思いつつも、こればっかりは相手ありきの事であり、クリストファーは返答に困っていた。期待に満ちた眼差しで見つめてくる兄に、現状応えられないのが分かっている今、正直に言った方が良いだろう。
そう結論付けたクリストファーは、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「あの、兄上……大変申し上げにくいのですが、フォルティアナ嬢はすでにアシュリー侯爵と婚約をしておりまして……」
「聞くところによれば、それは政略的な意味での当人同士の口約束だというじゃないか。伯爵からの正式な許可はおりていない。クリス、お前の采配があれば、一年でグランデ領を立て直すのは造作ない事であろう? それに侯爵とは昔馴染みだ。代わりに有益な縁談を取り持ってやるといいではないか」
知っていてなお、略奪してこいとおっしゃっている。兄がそんな事を口にするなど、普通ならありえない。一体誰の差し金か気になったクリストファーは、それを尋ねてみた。
「あの……ちなみにその情報はどなたからお聞きに?」
「ミレーユが申しておった。領民のために自らを差し出そうとしている可哀想な親友を、どうかお助け下さいと」
まさかそこが繋がっていたとは……意外な交友関係に、クリストファーはある疑問を持つ。ミレーユとフォルティアナには二歳の年の差がある。王立学園に通っていなかったフォルティアナとの接点が全くと言って良いほど見当たらなかったのだ。
この国において、十歳から十五歳まで学園に通う義務がある。貴族の子息や令嬢は、王都の学園へ通うことが多いが、あまりにも距離がある場合、自領の学園に通う者も居る。ミレーユは前者で、フォルティアナは後者だ。
ライオネルの婚約者候補として上げられた令嬢についてその当時、クリストファーは事細かに調べ上げていた。
ミレーユの生家、ブロッサム公爵家は姉妹仲があまり良くないと報告が上がっていた。過去、姉のミレーユは妹の侍女に毒殺されかけたこともあると、秘密裏に調べさせた調査書には書かれていた。
何の利点があってそんな進言をしたのか、クリストファーはミレーユが白なのか黒なのか判断しかねていた。
「話を聞けば、お前のためにもなる事だと思ってな。あの娘を好いておるのだろう?」
「そ、それは……」
「隠さずとも良い。正直に申してみよ」
「彼女が居なければ、僕は今もあの庭園を彷徨っていた事でしょう。こちらの世界へ戻って来れたのは、彼女と共にありたい……その思いがあったからです」
「ミレーユも昔、お前のようにして救ってもらったそうだ。本当に運がよかったな」
その言葉で、クリストファーはミレーユが白だと判断した。自身のようにして出会ったとすれば、親友と呼べるまで仲良くなっている理由も素直に頷けたからだ。
「クリス、彼女を守る意味でも是非この王城へ招き入れるのだ。フォルティアナ嬢は、聖者の導き手としての力を持っている」
「古い伝承に残っている、あの魔女の一族が人々を謀った架空の力をですか!? あれは偽りだったのでは……」
「偽りではない。彼女達は本当に使えたのだ。聖者の導き手として、現世と常世の狭間に干渉出来る能力を。歴史上は滅びた事にされている。そうしなければ、彼女達の命を守れなかったのだ。もしまたその存在が公になってしまえば、あの悲劇が繰り返さないとも限らない。守るためとはいえ、我々王家が取った処置は、彼女達にとってはあまりにも非道いものだった。だからせめて、彼女達の子孫が健やかに過ごせるよう、我々は努めねばならないのだ」
約五百年前、人々を謀り断罪された魔女の一族が居た。聖者の導き手として人々に慕われていた聖女達は、あたかも特殊能力者であるフリをして善良な市民達を騙していた。その悪逆非道な行いが公となり、魔女と呼ばれて迫害され、滅ぼされたと史実上は伝えられている。
(守るために汚名を着せて、史実上その存在を滅ぼした?)
「まさか、グランデ領は……聖女達が迫害を受け追いやられた領土なのですか?」
「詳しく知りたければ、書物庫の鍵を貸そう。お前も知っておく義務があるからな。この国の王子として。その後で、此度の件を受けるかどうか考えて欲しい」
「分かりました、兄上」
部屋を退室したクリストファーはその足でそのまま、王族の成人男児しか入ることを許されない、王国の真実の歴史が記された書物庫へと向かった。
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