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汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない

花宵

第十二話 毒された狼は猫かぶり王子に教えをこう(side ハーネルド)

 あの日から、行く先々でクリストファーに絡まれるようになったハーネルドは内心辟易していた。
 周囲の視線がある状況で、第二王子であるクリストファーを蔑ろにはできない。必然的に、付き従うしかなくなるのだ。しかもそれが分かっていて確信犯的にやられているから、余計にたちが悪い。そんな生活を続けた結果──

「あー、疲れたー」
「最近お前……俺の前じゃ猫さえ被らなくなったな」
「だって君に笑顔振りまいても意味ないでしょ」
「まぁ、そうだな」
「ネルだって、敬語使うの忘れてるじゃん」
「今のお前に敬語使うの、勿体ない」
「そうだねー、いえてるー……」

 他に人が居ない時、こうやって軽口を叩けるほどには毒されていた。
 パーティー会場を抜け出して、小休憩のために備えてある個室に入ったハーネルドとクリストファーは、どっさりとソファーに座り込んでいた。
 急に静かになった隣を見ると、クリストファーは椅子の背にもたれかかって寝入る寸前だった。

「おい、寝るな!」
「少しだけ-、誰か来る前に起こしてー」

 そう言うなり、クリストファーはスースーと健やかな寝息をたて始めた。

「まったく、少しだけだからな」

 誰も入って来ないよう鍵をかけて、またソファーに座り込んだハーネルドは、思わずはぁっと大きくため息をついた。
 最近振り回されてばかりだと、思わず漏れてしまったのだ。
 
 ことあるごとに絡んできて、相手しきれなくなった令嬢の群れを押しつけてきたり、話の長い面倒な貴婦人を押しつけてきたりと、色んな厄介な女を押しつけられ、最初は鬱陶しいと思っていた。
 しかし本当にハーネルドが困っている時は、その場から連れ出し助けてくれた。

『どう? 少しは良い情報聞けた? 女の人って噂話が好きだからね。たまに掘り出し物の情報聞けたりするよ』

 無邪気な笑顔でそう言われ、ただ嫌がらせをされていたわけじゃない事に、ハーネルドはそこでようやく気付いた。
 どうやらクリストファーは、集まる女性を情報収集に使っているらしい。それらの女性を押しつけてくるのは、ハーネルドにも有益な情報を与えてあげようという善意がわずかに含まれていた事を、そこで初めて知ったのだ。

 ただクリストファーのように笑顔の仮面をうまく被れないハーネルドが、彼と同じように情報を引き出せるかと言うと、無理な話だろう。その鬱陶しさに使う労力の方に圧倒的な軍配が上がり、ハーネルド的には多大な疲労感が残るのみだった。

 そうやって振り回される事も多いけれど、最近はこうやってクリストファーと過ごす時間も悪くないと思い始めていた。

 家に居ても、ピリピリした空気が漂っていて心安まる気がしない。
 いつも苛々しているアシュリー侯爵に、使用人達も怯え覇気がない。何か一つでも粗相をしようものなら、烈火のごとく怒られる。それだけで済めばよいが、酷い時はその場で首だ。
 そんな場に居合わせたりしたら、余計に息が詰まる。

 同じ年頃の子息達は、脳天気な奴等ばかりで話が合わない。結局、博識なクリストファーと共に居る方が楽だし、色々ためになるのだった。
 クリストファーは、各地方の地理や情勢にも詳しい。挨拶にくる貴族と話している時などに聞き耳を立てると、その豊富な知識量はさることながら、相手の真意をかわしつつ不快にさせない話術など、結構ためになることも多い。

 さらに王族として、常に優しい王子の仮面を被っているため、皆の前では決してボロを出さない。
 苛ついたりすると、わりかし感情が表に出やすいハーネルドは、何を言われても始終笑顔で対応するクリストファーのその姿勢を間近で見続け、素直にすごいと認めざるをえなかった。

 すやすやと眠るクリストファーに視線を向けたハーネルドは、彼の目元にうっすらと隈があるのを見つけた。それは寝る間を惜しんで、影ながら努力している証だった。

(こいつも色々、苦労してるんだな……)

 その時、突然パチリと瞼が開いた。クリストファーの大きな青い瞳が、訝しげにハーネルドを横目にとらえた。

「なーに、人の顔ジロジロ見てるの?」
「なっ、お前、起きてたのか?!」

 突然の事に驚いたハーネルドは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「僕、人の視線とかに敏感なんだよね。ネル、特に君の視線は鋭いから分かりやすい」
「そうか。ならもう見ないから寝てろ」
「……てっきり、どっか行っちゃったかと思ってたんだけど。そんなに僕と一緒に居たかったんだ?」

(しまった!)

 よく考えたら逃げれるチャンスだったんじゃないかと、その言葉でハーネルドは初めて気付いた。それなのに誰か入って来ないようわざわざ鍵まで閉めて……

「今更気付いても手遅れだよ。もう寝ないから」

 徐々にクリストファーのペースにはめられていくのが、無性に腹立たしい。

「ネル、君って結構負の感情が顔に出やすいよね。もう少し、色んな事隠す練習したがいいんじゃない? 誤魔化すのに最適なのは、笑顔だよ。ほら、笑ってごらん」

 急に笑えと言われても、表情筋の硬いハーネルドには無理な注文だった。せいぜい動くのは口角が少し上がるくらいといったところだ。

(俺もコイツのように笑顔で誤魔化す事が出来れば……)

 言われたとおりにやるのは癪だが、身につけておいて損はしないスキルだ。そう腹を括ったハーネルドは、自分に出来る最大限の笑顔を作ってみせる。

「どうだ、俺だってこれくらい……」
「ごめん。人には向き不向きがあったよね。なんかほんと、無理言ってごめんね」

 クリストファーは、愛想笑いしながらサーッと視線を逸らした。

「マジで引くのやめろ!」
「だって君が笑うと、怪しいこと企む極悪人にしか見えない。何かあったら真っ先に疑われそうな顔してる……」

 薄々それには気付いていた。だが改めて指摘されると何とも言えない気持ちになる。

「だったら、教えろ」
「え、何を?」
「お前みたいに、笑顔で誤魔化す方法をだ」
「……本気?」
「俺が冗談を言うように見えるか?」
「まったく」
「分かってるなら、さっさと教えろ」
「そうだね……せめて爽やかに笑えるようになれば、君は顔も整ってるし行ける可能性もあるけど……」
「けど?」
「そこまでの道のりがものすごーく遠そう」
「三日でマスターしてやる」
「言うねぇーだったら早速、苦手なもの教えて」
「は? 何故お前に俺の弱みを握らせなければならない?」
「嫌なものでも何でも笑って誤魔化せるようになりたいんでしょ? だったら目の前に嫌なもの用意する方が早いじゃん」

 自分から弱みをさらけ出すのは癪だが、正論をつかれ納得せざるを得ない。

「高い所から……真下を見下ろすのが、苦手だ」
「よし、じゃあ早速行くよ。ついてきて」

 東の外れにある離宮。その最上階の部屋のバルコニーの前に連れてこられたハーネルドは、恐怖でガクガクと震えていた。

「ほら、笑顔」

 バルコニーに立つクリストファーの少し青みがかった銀髪が、風になびいてサラサラと揺れている。光の加減でアクアマリンのように輝くその銀髪はとても美しかった。
 空から舞い降りてきた天使のような少年に笑顔で誘われれば、拒否するものなど普通は居ない。たとえその先が崖だったとしても、騙されて人はその先へ足を踏み出すだろう。
 しかしハーネルドの目には、小悪魔が意地悪く罠にはめようとしているようにしか見えなかった。騙されて一歩でも踏み出せば最後、もろい足場がバラバラに崩れ落ちる情景が脳裏をよぎる。

「こ、こんな所で笑ってられるわけないだろ! 落ちたら、もし万一このバルコニーが落ちたら……死ぬんだぞ?!」

 高い上に風まで吹いている。この窓枠から手を離したら最後、命の保証がない。恐怖に震えるハーネルドはてこでもその場から動かない。

「落ちないから死なないよ。大丈夫。それよりほら、ここから外を眺めて笑ってごらんよ」
「や、やめろ! 引っ張るな!」

 窓枠にしがみついて離れないハーネルドを前に、クリストファーは大きなため息をついた。

「ネル、君って高い所から地上を眺めて『フン、この愚民共が……』とか言ってそうなのに、なんかみかけだおしだね」
「か、勝手な想像で決めつけるな!」
「そうだね。人は見かけによらない。ほんとそう思うよ」
「……何かあったのか?」
「べーつに、何もないよ」

 ハーネルドの問いかけに、クリストファーは視線を右方向に流した。

「知ってたか? お前、嘘つくとき無意識に右側に視線逸らす癖があるんだぞ」
「……よく、見てるね。まさか、君に指摘されるとは思わなかった」

 自身でも気づいていなかった癖を見破られたクリストファーは、驚きを隠せなかったようで一瞬だけ大きく目を見開いた。

「お前の粗を探してやろうと日夜努力しているからな」
「そんな無駄なことしてる暇があったら、もっと有意義に時間使いなよ。君には大きな野望があるんでしょ」
「お前には、無いのか?」
「あるように見える?」
「これっぽっちも。宝の持ち腐れだな。お前が本気出せば、人を操り王位を奪い、この国を牛耳ることだって造作ないだろうに」
「興味ないんだ。無駄な争いごとには。平穏が一番だよ」
「隠居したジジイみたいだな」
「そうだねー。兄上が王位を継承したら、どこかの片田舎にでも行ってのんびり過ごしたいよ」
「侘しい余生だな」
「そうかな? 田舎でのスローライフ。結構楽しそうだけど。嘘にまみれた都会なんて、疲れるだけで何の面白みもないよ。それより、早くこっちに来なよ」

 なんとか話を誤魔化そうと試みたが、そう簡単には許してもらえない。自分から教えを請うた手前、途中で投げ出すことも出来ないハーネルドは意を決して足を前へ進めた。

「え、たったそれだけ?」

 ハーネルドが進んだその距離、窓枠からほんの一歩。

「無理だ。ここが俺が妥協できるギリギリラインだ」
「情けないこと言ってないで、頑張んなよ!」

 このままじゃ日が暮れる。そう思ったクリストファーはハーネルドの後ろに回り込んで容赦なく背中を押した。

「うわっ! お、押すな! 落ちたらどうする?!」
「そうしないために手すりがついてるでしょ。はい、そこを掴んで笑って」
「む、無理だー!」
「そういば、ネル。東国の方では体にロープを付けて高い所から飛び降りるスポーツが流行ってるらしいよ。やってみる?」
「お、お前! 俺を殺す気か?!」
「あっれー? 三日でマスターしてくれるんじゃなかったの?」

(あ、悪魔だ。目の前に居るのは間違いなく、天使の仮面を被った悪魔だ)

 そんなクリストファーのスパルタ式笑顔訓練を経て、ハーネルドの高所恐怖症は若干治った。人前で、ポーカーフェイスを崩さない程度には。
 
 苦手なものを前に、笑顔で誤魔化す事の難しさをハーネルドは身をもって知った。

(まだまだ到底、アイツには敵わないな)

 改めて、そう実感させられたハーネルドであった。

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