私の恋は前世から!

黒鉦サクヤ

01-002

 この世界は転生前の世界と似ていることが多い。近世を舞台としながらも、ものの名前はそのままだったりするし魔法を使った水洗トイレなどもある。色々とご都合主義な設定ではあるけれど、そこに放り込まれた身としては、自分の暮らしていた場所と似ているというところに少し安心感があった。
 また、中世を模しているのに舞踏会のマナーはどちらかといえば現代のプロムに近い。若い女性に付き添うのはシャペロンではない。男性が女性を迎えにいきそのままエスコートするというのが通常のパターンだ。大抵、幼馴染や婚約者がエスコートを申し出るのだけれど、誰もいない場合は兄弟などがその役を買って出る。
 婚約者がいて、尚且つその相手が参加しているのにエスコートをしないというのは悪い噂の対象となった。そして、皇太子殿下と私の噂話はどの舞踏会でも囁かれている。ここ最近はずっと、皇太子殿下は私ではなく、美しく着飾ったイーナ嬢をエスコートしているからだ。国王陛下たちから何度注意を受けても止めないので、私が言ったところで聞き入れるはずがない。


 あの日も美しい音楽が流れ、華やかなドレスを身に纏った人々が集まる舞踏会に、私は一番上の兄であるカールレとともに参加していた。
 婚約者のいる身でありながら、舞踏会のエスコートを何度も断り他の令嬢と現れる皇太子殿下に毎度辟易する私。
 申し入れること自体が馬鹿らしく思え、その度に項垂れるけれど、あとで何か言われるのも癪なので一応その時も声をかけた。それは見事な空振りに終わり、私はすぐさまお兄様たちにエスコートをお願いするべく動いた。皇太子殿下に対しては色々と諦めているので、断られても傷つくことはなく、ただ溜め息が漏れるだけだ。

 婚約者だというのに私をエスコートをする気のない皇太子殿下に激怒しながらも、カールレ兄様はエスコート役を買って出てくれた。怒り心頭のカールレ兄様は文句を言いたいと屋敷で騒いでいたけれど、相手が皇太子殿下であるために口を噤んでくれている。
 私の立場がこれ以上悪くならないように。
 今や、パルヴィアイネン家での皇太子殿下の評判はガタ落ちで、私を苦しめる憎むべき存在となっていた。
 世間では相手が皇太子殿下ということもあり、そちらを悪く言う人は居ない。悪い噂話は、すべて私に関するものだった。愛嬌がないから愛想を尽かされたのだとか、性根が悪いからだとか色々悪い噂が広まっている。私のことを言うのは勝手だけれど、私を大切にしてくれている家族に関する事を言われたら徹底的に潰してやろうと思っているのは内緒だ。

 周りの視線がうるさいけれど、私はそんなそぶりを見せずにホールへと向かう。歩く度にたっぷりとドレープのきいたドレスの裾が、シャンデリアが照らすホールに優雅に揺れた。

「挨拶で少し離れるけど大丈夫かい?」
「子供じゃありませんし、お兄様が戻ってくるまでおとなしくしていますわ」

 挨拶をしてくるというカールレ兄様にニッコリと微笑む。悪意ある視線なんて痛くも痒くもない。どうせいつも遠巻きに噂話をしているだけなんだから。
 それでも心配そうに私を見つめたカールレ兄様は、周りにそれとなく視線を投げて牽制してくれた。一斉に視線を逸らす人々に思わず笑みが漏れそうになる。
 カールレ兄様が私を溺愛しているというのは有名だ。私と同じ赤髪で、普段は冷たく見える視線が家族の前では柔らかくなるのが素敵だと人気がある。見目が良く頭も切れるお兄様に気に入られようとする者は多く、わざわざ私に手を出して自らの評価を落とすような愚か者はいないだろう。

「じゃあ、行ってくるね」

 そう言って、私の結い上げられた髪を優しく撫でると、お兄様はとろけるような甘い微笑みを浮かべた。その甘ったるい笑顔の余波を喰らった背後にいる女性陣から小さな悲鳴が上がる。いつものことだと思いつつ、私は苦笑しながらお兄様の後ろ姿を見送った。


 ダンスをする者たちを横目に壁の花になっていた私は、遠くから皇太子殿下たちがやってくるのをみつけ思わず顔を顰めそうになる。きっとお兄様が私の側を離れたのを見計らってやってきたに違いない。
 そんなところも小物臭が漂っていて気に入らないのだけれど、私に優しく接してくれていた以前の皇太子殿下ならばこんなことはしなかっただろう。本当にどうしてこんな性格になってしまったのか残念で仕方が無い。

 皮肉めいた笑みを浮かべて近付いてきた皇太子殿下に寄り添い腕を組んでいるのは、腰まであるストレートの金髪をなびかせた可愛らしい少女だ。大きく潤んだ瞳が庇護欲をかき立てると評判のイーナ・ロユッテュ。金髪同士で仲の良いこと。
 今回もイーナ嬢のエスコートを嬉々としている皇太子殿下たちを、私は無表情で見つめた。こんなに大勢でたった一人の女性をエスコートしているなんてバカなの、と思うのは私だけだろうか。
 せめて形だけでも繕えば皇太子殿下を支援する貴族たちへの体裁を保つこともできるのに、そんなことはまったく考えていないのだろう。国を背負う者としての自覚が足りなすぎる。皇太子殿下を諫めることもせずに、好きなようにさせている取り巻きたちも問題だ。この者たちが次の政権を担うなんて地獄だろう。あまりにも愚か、と小さな溜め息が漏れてしまう。

「オマエも来ていたのか」

 その言い草に私は笑いそうになりながら、それを隠すために扇子を広げた。エスコートを断ってきたのだから来ることは知っていただろうに、このバカ王子は何を言っているのだろう。

「エスコートをお願いしたと思いましたけれど」

 すました顔で発言したのが気にいらなかったのか、皇太子殿下は扇子を持った私の腕を掴む。力任せに握られた手首に痛みが走り、顔が歪んだ。

「っ……何をなさいますの」
「今日は言いたいことがあってきたのだ。オマエとの婚約を解消する」

 予想は大当たり、と思った瞬間、私は皇太子殿下に突き飛ばされその場に倒れ込んだ。
 結い上げていた髪は衝撃で崩れ、長く赤い髪が床に波打つ。猫っ毛で絡まりやすいから面倒なんだけれど、と私はどうでもいいことを考えながら皇太子殿下を静かに見つめた。
 予想できていたことだから心は傷つかなかった。床に打ち付けた体が痛いけれど、脳内ではようやく解放されたと拍手喝采だ。この後の私には、ヴィルヘルム様が待っている。これで厳しかった妃教育からも逃れる事ができるし、何もしていないのに悪女認定されることもなくなるだろう。

 しかし、今後のこの国を思うと頭が痛い。ゲームの攻略対象者メイン五人は、ヴィルヘルム様を抜かすと目の前にいるバカ王子と取り巻きたちだ。王子の周りにいる者たちは意地の悪い笑みを浮かべ、倒れた私に手を貸すことすらせずに見つめている。昔はその者たちも聡明であったはずなのに、何が彼らを変えてしまったのだろう。
 皇太子殿下がおかしくなったのも、取り巻きたちが愚かなのも、きっとイーナ嬢が逆ハーレムルートに突入したせいに違いない。なんらかの力が働いているのだ、きっと。
 本当にこのままでは魔獣がどうとかいう前に、他国から攻められて簡単にこの国は終わってしまう。ただ、これはゲームではなく私にとって現実世界なのでそれは全力で避けたい。そのためには彼らにはフェードアウトしてもらうしかない。残念だけれど、頭がお花畑の皆さんでは国を守ることはできないし、命を預けることもできない。多くの人を巻き込む悲劇なんて誰も望んでいないだろう。
 皆、この世界に生きていて、ゲームでプレイするように間違えたからコンテニューなんてことはできないのだ。一つの間違いが命取りになる。

 体が弱くてずっとベッドの上の住人だった前世でも精一杯生きたから、今世でも精一杯生きると前世の記憶が戻ったときに誓った。前世のように体は弱くないし、どこにでも行ける。ずっと想像し憧れていた世界を、自由に動き回れる体があるのだ。私は私にできることをする。そのために、国王陛下に根回しをお願いしたのだから。

 よし、さっさと立ち上がって、何でもない顔をしてここを出よう。
 心を決めて立ち上がろうとしたとき、横から手を差し出された。確認もせずに、私は癖で流れるままにその手を取ってしまう。
 助けられながら立ち上がり、ドレスの裾を直し前を向いたときには、手を貸してくれた人物は消えていた。自分では冷静だと思っていたけれど思いの外動揺していたのか、手を貸してくれた人物にお礼を言うタイミングも、顔を見るのも逃してしまった。
 誰か見ていた人がいたらあとで教えてもらおうと思いつつ、私は清々しい笑顔で皇太子殿下に別れを告げる。
 ここがシナリオの分岐点と知っていても、ゲームのように選択肢が現れるわけではない。ここからどうなるかは自分次第だ。

「それでは殿下、良いお方が見つかりますようお祈りしておりますわ。ごきげんよう」

 暗にイーナ嬢はその器にないと言ったようなものだったが、そんな返しを受けるとは思っていなかった者たちがそれに気づくのはもっとずっと先のことだろう。
 呆気にとられた様子の皇太子殿下たちを残し、私は胸を張り歩き出す。そこには彼らが想像していた、婚約破棄をされて悲しみに暮れる私の姿はない。
 お兄様がやって来ないということは、この場面は見られていなかったということだ。もし見ていたらどうなったことか。
 安堵の溜め息を吐きつつ、私は柔らかに波打つ真紅の髪をなびかせ堂々とホールを後にしたのだった。

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