ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!
第五十七話(最終話)
グラディウス王国は平穏を取り戻した。
新たな王は、かつて最も辛酸をなめた第四王子ルシファーである。そして王妃は、こちらもゴミ屋敷令嬢と蔑まれたベアトリクス・フォン・ブルグント伯爵令嬢だ。
知性と行動力を備えた王と王妃は、戦争で国土を広げることよりも国内の発展と民の幸せを重視した。肥料工場とゴミ処理場を建設し、上下水道も整備した。戦によって利を得る政策を改め、国内で自給自足し豊かになる方針を打ち出した。どん底を味わった国民はこれを大いに歓迎し、若く穏やかな国王夫妻の誕生に近隣国も友好の手を差し出した。
宰相には国民的冒険者であるミカエル・フリザードが抜擢された。国の危機においても勇敢に民を助けたことから、貴族よりも貴族らしいと国民の評判は上々である。持ち前のフットワークを生かし、国内の視察に日々忙しくしている。
平民から成り上がり、真に富も名誉も手に入れたミカエルであるが、しかし奇特なことに、彼が最も嬉しそうな表情をするのは王妃に叱咤されているときだという目撃情報が多数上がっている。
また、王妃の盟友であるカロリナ元伯爵令嬢は女だてらに副宰相に就任した。女性の社会進出の第一歩だと、こちらも女性を中心に大きな支持を得ている。夫ユリウスはかつて騎士団長を務めていたものの、現在は王命により僻地へ単身赴任中である。カロリナの取り成しがあれば穏便な措置が取られたはずだが、それが無かったところ、何か夫婦の間で問題があったのだろうと噂されている。
◇◇◇
ベアトリクスが王城の庭園で休憩していると、ルシファーがやってきた。
「ベアトリクス。ここに居たのか」
「ルシファー。お仕事は?」
「息抜きに我が妃の顔を見に来た」
艶のある黒髪は陽の光を受けてきらめき、こちらを見るアメシストの瞳には穏やかな慈愛の色が満ちている。即位した当初は国の立て直しに奔走していたが、この頃になってようやくゆとりが出て穏やかに毎日を送ることができるようになってきた。
ルシファーはリラックスした表情でベアトリクスの横に腰かける。
「王妃になったのだから、掃除はメイドたちに任せればよいのだ。働きづめでは身体が心配だ」
「ふふっ、心配してくれてありがとう。けれど、わたくしは好きでお城のゴミ拾いをしているの。今までずっとそうして過ごしてきたから、これが一番性に合っているわ」
眼下に広がる景色を眺めながら、ベアトリクスは快活に答える。
庭園は王城の屋上にあり、王都を一望することができる。
一時は『国がゴミ箱になった』と他国から揶揄されていたグラディウスもすっかり元通り。ルシファーの強力な魔法によって離れた運河から水路を引いたため、今では豊かな森林が国を彩っている。そよ風に乗って頬を撫でるのは悪臭ではなく爽やかな初夏の香りだ。
「それに、わたくしに『なんでも拾ってきてしまう』呪いをかけたのはルシファーですわよ? 大魔法使い様の呪いに抗える人間なんていないわ」
「……そのことなんだが」
「どうしたの?」
何か遠慮するような声のトーンに、ベアトリクスは首をかしげる。
ルシファーは膝の上で組み合わせた両手をもじもじさせながら続ける。
「実は……。そなたにかけた呪いは、同居の翌日に解いてしまっていたのだ」
「…………!!」
横でぴたりと動きを止めたベアトリクスに、ルシファーは慌てて言葉を重ねる。
「そなたは解呪を望んでいなかったのに、ほんとうに申し訳ないことをした。あの時はまだゴミに耐性がなくて……。一晩寝てもやっぱり耐えられなくて、こっそり翌朝呪いを解いた」
そこまで言うと、ルシファーはベアトリクスの方に向き直り、頭を下げた。
「ほんとうにすまなかった。勝手に解いたことを、そして今まで黙っていたことを」
さらりと揺れる黒髪と、普段見ることのないつむじを珍しく眺めながら、ベアトリクスは微笑む。
「……知っておりましたわよ」
「えっ!?」
驚いて頭を上げるルシファー。いたずらっぽく笑うベアトリクスの青い瞳と視線が絡む。
「自分の身体のことですもの。前の日までの感覚と何かが違いましたので、ああ、ルシファーは呪いを解いたのねと薄々気が付いていたわ」
「では……なぜ怒らなかったのだ?」
「それはね」
ベアトリクスは前に向き直り、再び美しい王都の街並みに目線を向ける。
「結局、わたくしがしたいと思うことは変わらなかったからですわ。呪いがなくてもゴミを拾いたいと思いましたし、肥料工場を作って国の役に立ちたいという意志は変わらなかったのよ」
「そ、そうだったのか」
「むしろ、感謝していると言ったほうがいいかもしれないわ。だって、わたくしはわたくしの意志でやりたいことをやれているのだと気付かせてもらったのだもの」
何かを思い出すように遠い目をして微笑むベアトリクス。
「……というと?」
「わたくしは立派な淑女になるべく厳しい教育を受けて育ったわ。その過程で、自分自身とは何者なのかということを見失っていたの」
そのブルグント伯爵家は先の混乱で解体したが、ルシファーの計らいで別れの場は設けられた。伯爵夫妻は「屋敷の件はすまなかった」と一言だけ謝罪し、ベアトリクスはそれを受け入れた。今では折に触れて手紙のやりとりをするようになっている。
「そんなときにルシファーの呪いを受けたわけですわね。けれど、呪いが解けたらゴミ拾いの熱が冷め、肥料工場に対する熱意も消えてしまうのではないかという恐怖があったの。また何者でもない自分に戻ってしまうのではないかと。……けれど、結果的にそういうことにはならなかった。その時、わたくしはわたくし自身を見つけられた気がして感激したのですわ」
快活で行動力の塊のようだったベアトリクスも悩みを抱えて生きていた。出会ったばかりの頃は全く理解できなかったが、今のルシファーは彼女の言っていることに深く共感することができた。なぜなら彼も自分を見失っていた一人だったから。
「そうだったのだな。俺が言えた立場じゃないが、あんな呪いで人生が変わるとは、数奇なものだな」
「まったくね」
思春期のこじらせで放った呪いが、一人の貴族令嬢の人生を変え、ひいては国の未来も変えたのである。
このような結末は誰が予想できただろう。
「ルシファー」
「!」
気が付けばベアトリクスはルシファーの正面に跪き、まっすぐにこちらを見つめている。
ゴミ屋敷令嬢というあだ名には似つかわしくない、人形のように整った、それでいて健康的な美貌。二十代になって大人の色香が加わったそれは誰もが見惚れる輝きである。
自分だけに向けられる愛情のこもった眼差しに、ルシファーの胸はどくんと高鳴った。
「ほんとうにありがとう。あなたのお陰でわたくしの夢は全て叶ったわ。肥料工場も作れましたし、飢える民はいなくなった。自分自身が何を幸せに思い、何に生きがいを感じる人間なのか知ることもできたわ」
「ベアトリクス」
海のように美しい瞳が水面のようにゆらめく。出会った時から心惹かれてやまない、ルシファーを癒す優しい瞳だ。
彼女の白く柔らかい手が、ルシファーのそれを温かく包む。
「ねえルシファー。実はわたくし、新しい夢がありますの」
「それは初耳だ。そなたの願いならば何でも叶えたい。教えてくれるか?」
くす、と笑ったベアトリクスは上半身を起こし、ルシファーの耳元でささやく。
「……そろそろ赤ちゃんがほしいです」
「…………っ!」
一気に耳まで真っ赤になったルシファーを見て、ベアトリクスは顔いっぱいに弾ける笑顔をたたえた。
そして素早く立ち上がり、ふわりとドレスを翻しながらこう言うのである。
「では、午後のゴミ拾いに行ってきますわね!」
ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています! (了)
新たな王は、かつて最も辛酸をなめた第四王子ルシファーである。そして王妃は、こちらもゴミ屋敷令嬢と蔑まれたベアトリクス・フォン・ブルグント伯爵令嬢だ。
知性と行動力を備えた王と王妃は、戦争で国土を広げることよりも国内の発展と民の幸せを重視した。肥料工場とゴミ処理場を建設し、上下水道も整備した。戦によって利を得る政策を改め、国内で自給自足し豊かになる方針を打ち出した。どん底を味わった国民はこれを大いに歓迎し、若く穏やかな国王夫妻の誕生に近隣国も友好の手を差し出した。
宰相には国民的冒険者であるミカエル・フリザードが抜擢された。国の危機においても勇敢に民を助けたことから、貴族よりも貴族らしいと国民の評判は上々である。持ち前のフットワークを生かし、国内の視察に日々忙しくしている。
平民から成り上がり、真に富も名誉も手に入れたミカエルであるが、しかし奇特なことに、彼が最も嬉しそうな表情をするのは王妃に叱咤されているときだという目撃情報が多数上がっている。
また、王妃の盟友であるカロリナ元伯爵令嬢は女だてらに副宰相に就任した。女性の社会進出の第一歩だと、こちらも女性を中心に大きな支持を得ている。夫ユリウスはかつて騎士団長を務めていたものの、現在は王命により僻地へ単身赴任中である。カロリナの取り成しがあれば穏便な措置が取られたはずだが、それが無かったところ、何か夫婦の間で問題があったのだろうと噂されている。
◇◇◇
ベアトリクスが王城の庭園で休憩していると、ルシファーがやってきた。
「ベアトリクス。ここに居たのか」
「ルシファー。お仕事は?」
「息抜きに我が妃の顔を見に来た」
艶のある黒髪は陽の光を受けてきらめき、こちらを見るアメシストの瞳には穏やかな慈愛の色が満ちている。即位した当初は国の立て直しに奔走していたが、この頃になってようやくゆとりが出て穏やかに毎日を送ることができるようになってきた。
ルシファーはリラックスした表情でベアトリクスの横に腰かける。
「王妃になったのだから、掃除はメイドたちに任せればよいのだ。働きづめでは身体が心配だ」
「ふふっ、心配してくれてありがとう。けれど、わたくしは好きでお城のゴミ拾いをしているの。今までずっとそうして過ごしてきたから、これが一番性に合っているわ」
眼下に広がる景色を眺めながら、ベアトリクスは快活に答える。
庭園は王城の屋上にあり、王都を一望することができる。
一時は『国がゴミ箱になった』と他国から揶揄されていたグラディウスもすっかり元通り。ルシファーの強力な魔法によって離れた運河から水路を引いたため、今では豊かな森林が国を彩っている。そよ風に乗って頬を撫でるのは悪臭ではなく爽やかな初夏の香りだ。
「それに、わたくしに『なんでも拾ってきてしまう』呪いをかけたのはルシファーですわよ? 大魔法使い様の呪いに抗える人間なんていないわ」
「……そのことなんだが」
「どうしたの?」
何か遠慮するような声のトーンに、ベアトリクスは首をかしげる。
ルシファーは膝の上で組み合わせた両手をもじもじさせながら続ける。
「実は……。そなたにかけた呪いは、同居の翌日に解いてしまっていたのだ」
「…………!!」
横でぴたりと動きを止めたベアトリクスに、ルシファーは慌てて言葉を重ねる。
「そなたは解呪を望んでいなかったのに、ほんとうに申し訳ないことをした。あの時はまだゴミに耐性がなくて……。一晩寝てもやっぱり耐えられなくて、こっそり翌朝呪いを解いた」
そこまで言うと、ルシファーはベアトリクスの方に向き直り、頭を下げた。
「ほんとうにすまなかった。勝手に解いたことを、そして今まで黙っていたことを」
さらりと揺れる黒髪と、普段見ることのないつむじを珍しく眺めながら、ベアトリクスは微笑む。
「……知っておりましたわよ」
「えっ!?」
驚いて頭を上げるルシファー。いたずらっぽく笑うベアトリクスの青い瞳と視線が絡む。
「自分の身体のことですもの。前の日までの感覚と何かが違いましたので、ああ、ルシファーは呪いを解いたのねと薄々気が付いていたわ」
「では……なぜ怒らなかったのだ?」
「それはね」
ベアトリクスは前に向き直り、再び美しい王都の街並みに目線を向ける。
「結局、わたくしがしたいと思うことは変わらなかったからですわ。呪いがなくてもゴミを拾いたいと思いましたし、肥料工場を作って国の役に立ちたいという意志は変わらなかったのよ」
「そ、そうだったのか」
「むしろ、感謝していると言ったほうがいいかもしれないわ。だって、わたくしはわたくしの意志でやりたいことをやれているのだと気付かせてもらったのだもの」
何かを思い出すように遠い目をして微笑むベアトリクス。
「……というと?」
「わたくしは立派な淑女になるべく厳しい教育を受けて育ったわ。その過程で、自分自身とは何者なのかということを見失っていたの」
そのブルグント伯爵家は先の混乱で解体したが、ルシファーの計らいで別れの場は設けられた。伯爵夫妻は「屋敷の件はすまなかった」と一言だけ謝罪し、ベアトリクスはそれを受け入れた。今では折に触れて手紙のやりとりをするようになっている。
「そんなときにルシファーの呪いを受けたわけですわね。けれど、呪いが解けたらゴミ拾いの熱が冷め、肥料工場に対する熱意も消えてしまうのではないかという恐怖があったの。また何者でもない自分に戻ってしまうのではないかと。……けれど、結果的にそういうことにはならなかった。その時、わたくしはわたくし自身を見つけられた気がして感激したのですわ」
快活で行動力の塊のようだったベアトリクスも悩みを抱えて生きていた。出会ったばかりの頃は全く理解できなかったが、今のルシファーは彼女の言っていることに深く共感することができた。なぜなら彼も自分を見失っていた一人だったから。
「そうだったのだな。俺が言えた立場じゃないが、あんな呪いで人生が変わるとは、数奇なものだな」
「まったくね」
思春期のこじらせで放った呪いが、一人の貴族令嬢の人生を変え、ひいては国の未来も変えたのである。
このような結末は誰が予想できただろう。
「ルシファー」
「!」
気が付けばベアトリクスはルシファーの正面に跪き、まっすぐにこちらを見つめている。
ゴミ屋敷令嬢というあだ名には似つかわしくない、人形のように整った、それでいて健康的な美貌。二十代になって大人の色香が加わったそれは誰もが見惚れる輝きである。
自分だけに向けられる愛情のこもった眼差しに、ルシファーの胸はどくんと高鳴った。
「ほんとうにありがとう。あなたのお陰でわたくしの夢は全て叶ったわ。肥料工場も作れましたし、飢える民はいなくなった。自分自身が何を幸せに思い、何に生きがいを感じる人間なのか知ることもできたわ」
「ベアトリクス」
海のように美しい瞳が水面のようにゆらめく。出会った時から心惹かれてやまない、ルシファーを癒す優しい瞳だ。
彼女の白く柔らかい手が、ルシファーのそれを温かく包む。
「ねえルシファー。実はわたくし、新しい夢がありますの」
「それは初耳だ。そなたの願いならば何でも叶えたい。教えてくれるか?」
くす、と笑ったベアトリクスは上半身を起こし、ルシファーの耳元でささやく。
「……そろそろ赤ちゃんがほしいです」
「…………っ!」
一気に耳まで真っ赤になったルシファーを見て、ベアトリクスは顔いっぱいに弾ける笑顔をたたえた。
そして素早く立ち上がり、ふわりとドレスを翻しながらこう言うのである。
「では、午後のゴミ拾いに行ってきますわね!」
ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています! (了)
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