ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!
第五十三話
ベアトリクスはおよそ四年ぶりにグラディウスに帰ってきた。
あっという間の四年間だったが、母国はまるで変わってしまっていた。
「これは……。想像の百倍、いいえ、千倍は悪い状況ですわ……」
街はもはや、街の体をなしていなかった。そこかしこにゴミが積み上がり道路を遮っている。
建物は修繕が行き届いていないのかぼろぼろで、半壊しているものも多数見受けられた。鼻をつくのは悪臭で、屋外だというのにアンモニアや硫黄のような匂いが充満している。
そんな中民は汚れた衣をまとい、生気のない顔でベアトリクスに目を向けていた。彼女が着ている使い込んだ冒険服ですら新品のように見えるぐらいのひどい服装である。
呆気に取られて佇んでいるところへ、彼女を知っている者もそうでない者も、わあっと駆け寄ってきて物乞いを始めた。
それはまるで薬草採集で立ち寄った冥界の深淵にいるゾンビのようだった。
「なんてひどい……。王族は一体何をしているのかしら?」
持っていた食料を分け与えながらベアトリクスは唇を噛んだ。
きっとこうして物乞いをできる者はまだ元気なほうなのだろう。疫病で寝込んでいる民は、この何倍もいるはずだ。
食料を与えつくした彼女は急いでゴミ拾いの準備に取り掛かった。
◇
必死でゴミを拾っていると、背中から自分の名前を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。
「ベアトリクス様! お戻りになったのですね!?」
「ミカエル様! ご無事でしたのね!」
振り返ると、旧友の姿が目に入る。
少しやつれたものの、ミカエルは清潔な衣類をまとっていて健康そうである。切れ長の金の目が細められ、とても嬉しそうにベアトリクスを見つめた。
ベアトリクスはゴミを拾う手を動かしつつ再会を喜んだ。
「お手紙ありがとうございました。忙しくって、お返事が書けなくてごめんなさいね」
「いいえ、いいんです。こうして再びお会いすることができて光栄です」
ミカエルは彼女の横にかがみ、ゴミ拾いを手伝う。
「それにしても酷いわ。どういう状況なのか詳しく教えていただける?」
「もちろんです。事の流れは手紙に書いた通りなのですが、そのあとですね――」
ミカエルによると、疫病が勢いを増してどうにも手が付けられない状況になると、王族と貴族は「陛下をお守りするため」という理由で国外に退避したのだという。つまり、国と民は捨てられたということだ。
ただし、心あるごく一部の貴族は国に残り、領地の民を守っているらしかった。高位貴族のなかではカロリナとその夫のユリウスがそれに当たるらしい。ユリウスは退避したかったらしいが、カロリナが断固として残ると主張したため、付き添って残る形になっているようだった。
「カロリナ様は、ベアトリクス様をお守りできなかったことを悔やんでおりました。毎日救護院に出向き患者の世話をしております」
「そうだったの……」
守ってもらえなかった、などと恨みを抱えているはずがなかった。カロリナにはカロリナの立場があると分かっているし、ゴミ屋敷令嬢となっても気にかけてくれていたことだけで十分に嬉しかったのだから。
厚い友情に感謝しながら、カロリナのためにもこれから頑張らねばと気合を入れる。母国の状況は予想よりずっと悪い。
「では、今は無政府状態なのかしら?」
「法的には第三王子のユリウス殿下が王の代理となっておりますが、実質的には無政府状態ですね。殿下は騎士団長ですから政の才はありません。毎日カロリナ様に叱られながらゴミを拾っておりますよ」
ミカエルが苦笑いする。かの高潔な騎士団長が妻にお尻を叩かれてゴミを拾うなど、誰が想像できただろう。
ベアトリクスはくすくすと面白そうに笑った。
「カロリナ様は本性を現したみたいね。素晴らしいことだわ。わたくしが襲われる心配はもうなさそうね」
本来の彼女は勝ち気で姉御肌な性格である。ユリウスの三歩後ろに従うような人物でないことは最初から分かっていた。ユリウスにとってそれが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、カロリナがありのままの自分で生きているということは喜ばしく思えた。
「この状況ですから、民もわたしたちも生きることに必死です。ベアトリクス様が戻ってきてくださりとても心強いです」
ミカエルの顔には心からの安堵の色が広がっていて、この四年がいかに過酷であったかを物語っていた。いつも覇気に溢れて余裕感をたたえていた彼がそのような表情をするなんて、とベアトリクスは悲しい気持ちになった。
「ほんとうに大変だったのね。……ミカエル様、あなたは国を見捨てなかったのね」
「もちろんです。この国には家族がおりますし、勇猛果敢なSS級冒険者が国の危機から逃げるなど恥です。腰抜けの王族たちとは覚悟が違いますよ」
「勇ましいのね。それでこそ国民的冒険者ですわ。その昔、ポイ捨てしたときは見下げた殿方だと思いましたけれど、見直しましてよ」
そう言ってベアトリクスが白い歯を覗かせると、ミカエルはぽりぽりと頬をかき、気まずそうに笑った。
「まだ覚えておいでなのですね……。お恥ずかしい限りです」
くすくすと笑い合いながら、ゴミを集めていく。
――暫くしてベアトリクスははっと顔を上げた。
「そうですわ! わたくし、クロエ様から頂いた疫病の治療薬を持って来ているのです。こちら、急いでカロリナ様に渡していただけますか?」
「大魔法使いの治療薬が!? これはありがたい……!」
ベアトリクスはウエストポーチから取り出した布袋をミカエルに渡す。
「この薬草を大鍋いっぱいの聖水で一時間煮てください。煎じ液一滴を小鍋いっぱいの水に希釈すれば、それで百人分の薬になるそうです」
「わかりました。今すぐ救護院にいるカロリナ様のところに持っていきます」
ミカエルは一礼して走り出す。銀色の美しい髪が馬の尻尾のように跳ね、あっという間にその後ろ姿は見えなくなった。
「……さて。ゴミ拾いに集中しましょう。ゴミだらけで腕が鳴りますわ!」
首をぐるりと回してストレッチをする。両手を絡めて手首をほぐせば、ポキポキと小気味のいい音がした。
形の良い唇が歪められ、口角が妖艶に上がる。
「ごめんあそばせ、王族方。あなた方はこの国をゴミ箱にしました。その罪、決して許しませんわよ」
――その日を境にグラディウス王国のゴミはみるみる減っていく。クロエの薬によって疫病の患者も激減し、国は息を吹き返したのである。
あっという間の四年間だったが、母国はまるで変わってしまっていた。
「これは……。想像の百倍、いいえ、千倍は悪い状況ですわ……」
街はもはや、街の体をなしていなかった。そこかしこにゴミが積み上がり道路を遮っている。
建物は修繕が行き届いていないのかぼろぼろで、半壊しているものも多数見受けられた。鼻をつくのは悪臭で、屋外だというのにアンモニアや硫黄のような匂いが充満している。
そんな中民は汚れた衣をまとい、生気のない顔でベアトリクスに目を向けていた。彼女が着ている使い込んだ冒険服ですら新品のように見えるぐらいのひどい服装である。
呆気に取られて佇んでいるところへ、彼女を知っている者もそうでない者も、わあっと駆け寄ってきて物乞いを始めた。
それはまるで薬草採集で立ち寄った冥界の深淵にいるゾンビのようだった。
「なんてひどい……。王族は一体何をしているのかしら?」
持っていた食料を分け与えながらベアトリクスは唇を噛んだ。
きっとこうして物乞いをできる者はまだ元気なほうなのだろう。疫病で寝込んでいる民は、この何倍もいるはずだ。
食料を与えつくした彼女は急いでゴミ拾いの準備に取り掛かった。
◇
必死でゴミを拾っていると、背中から自分の名前を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。
「ベアトリクス様! お戻りになったのですね!?」
「ミカエル様! ご無事でしたのね!」
振り返ると、旧友の姿が目に入る。
少しやつれたものの、ミカエルは清潔な衣類をまとっていて健康そうである。切れ長の金の目が細められ、とても嬉しそうにベアトリクスを見つめた。
ベアトリクスはゴミを拾う手を動かしつつ再会を喜んだ。
「お手紙ありがとうございました。忙しくって、お返事が書けなくてごめんなさいね」
「いいえ、いいんです。こうして再びお会いすることができて光栄です」
ミカエルは彼女の横にかがみ、ゴミ拾いを手伝う。
「それにしても酷いわ。どういう状況なのか詳しく教えていただける?」
「もちろんです。事の流れは手紙に書いた通りなのですが、そのあとですね――」
ミカエルによると、疫病が勢いを増してどうにも手が付けられない状況になると、王族と貴族は「陛下をお守りするため」という理由で国外に退避したのだという。つまり、国と民は捨てられたということだ。
ただし、心あるごく一部の貴族は国に残り、領地の民を守っているらしかった。高位貴族のなかではカロリナとその夫のユリウスがそれに当たるらしい。ユリウスは退避したかったらしいが、カロリナが断固として残ると主張したため、付き添って残る形になっているようだった。
「カロリナ様は、ベアトリクス様をお守りできなかったことを悔やんでおりました。毎日救護院に出向き患者の世話をしております」
「そうだったの……」
守ってもらえなかった、などと恨みを抱えているはずがなかった。カロリナにはカロリナの立場があると分かっているし、ゴミ屋敷令嬢となっても気にかけてくれていたことだけで十分に嬉しかったのだから。
厚い友情に感謝しながら、カロリナのためにもこれから頑張らねばと気合を入れる。母国の状況は予想よりずっと悪い。
「では、今は無政府状態なのかしら?」
「法的には第三王子のユリウス殿下が王の代理となっておりますが、実質的には無政府状態ですね。殿下は騎士団長ですから政の才はありません。毎日カロリナ様に叱られながらゴミを拾っておりますよ」
ミカエルが苦笑いする。かの高潔な騎士団長が妻にお尻を叩かれてゴミを拾うなど、誰が想像できただろう。
ベアトリクスはくすくすと面白そうに笑った。
「カロリナ様は本性を現したみたいね。素晴らしいことだわ。わたくしが襲われる心配はもうなさそうね」
本来の彼女は勝ち気で姉御肌な性格である。ユリウスの三歩後ろに従うような人物でないことは最初から分かっていた。ユリウスにとってそれが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、カロリナがありのままの自分で生きているということは喜ばしく思えた。
「この状況ですから、民もわたしたちも生きることに必死です。ベアトリクス様が戻ってきてくださりとても心強いです」
ミカエルの顔には心からの安堵の色が広がっていて、この四年がいかに過酷であったかを物語っていた。いつも覇気に溢れて余裕感をたたえていた彼がそのような表情をするなんて、とベアトリクスは悲しい気持ちになった。
「ほんとうに大変だったのね。……ミカエル様、あなたは国を見捨てなかったのね」
「もちろんです。この国には家族がおりますし、勇猛果敢なSS級冒険者が国の危機から逃げるなど恥です。腰抜けの王族たちとは覚悟が違いますよ」
「勇ましいのね。それでこそ国民的冒険者ですわ。その昔、ポイ捨てしたときは見下げた殿方だと思いましたけれど、見直しましてよ」
そう言ってベアトリクスが白い歯を覗かせると、ミカエルはぽりぽりと頬をかき、気まずそうに笑った。
「まだ覚えておいでなのですね……。お恥ずかしい限りです」
くすくすと笑い合いながら、ゴミを集めていく。
――暫くしてベアトリクスははっと顔を上げた。
「そうですわ! わたくし、クロエ様から頂いた疫病の治療薬を持って来ているのです。こちら、急いでカロリナ様に渡していただけますか?」
「大魔法使いの治療薬が!? これはありがたい……!」
ベアトリクスはウエストポーチから取り出した布袋をミカエルに渡す。
「この薬草を大鍋いっぱいの聖水で一時間煮てください。煎じ液一滴を小鍋いっぱいの水に希釈すれば、それで百人分の薬になるそうです」
「わかりました。今すぐ救護院にいるカロリナ様のところに持っていきます」
ミカエルは一礼して走り出す。銀色の美しい髪が馬の尻尾のように跳ね、あっという間にその後ろ姿は見えなくなった。
「……さて。ゴミ拾いに集中しましょう。ゴミだらけで腕が鳴りますわ!」
首をぐるりと回してストレッチをする。両手を絡めて手首をほぐせば、ポキポキと小気味のいい音がした。
形の良い唇が歪められ、口角が妖艶に上がる。
「ごめんあそばせ、王族方。あなた方はこの国をゴミ箱にしました。その罪、決して許しませんわよ」
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