ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!
第三十四話
ルシファーは睨みあうクロエとベアトリクスの間に割って入る。
「何があったのか知らないが。ベアトリクスには手を出さないでくれ、師匠」
弟子の登場にクロエは少しだけ緊張を緩める。少年の姿に変えたはずが、なぜか青年の姿をしている弟子に問いかける。
「相変わらず生意気な弟子よ。しておぬし、その姿は」
「解術には至らなかったが、少し時を進めることには成功した」
つまり、本来のルシファーは二十歳であるが、これは十七歳程度の姿ということらしい。近頃部屋に籠ってなにか作業をしていたのは解呪薬を作っていたためだった。完全に呪いを解くことはできないが、呪いを中和し効力を弱めるということを、彼はずっと試していたのだ。
「おいミカエル。ぼうっとしていないでベアトリクスを安全なところへ」
「はっ、はい。って、わたしに指図をしないでいただけますか」
ベアトリクスの背に手を当て退路へ誘導するミカエル。しかし彼女は床に落ちたローブをさっと拾い、クロエに突き付けた。
「お持ち帰りになってくださいませ」
「まだ言うか。それはもう着ぬし、我は一度落ちたものは拾わない」
挑発するような物言いに唇を噛んだベアトリクスだったが、相手は大魔法使いだ。これ以上の説得は無理だと判断したらしい。
「では、これはわたくしが拾いますわ。リサイクルいたします」
「大魔法使いの衣をリサイクルするか。ほんとうに愉快な娘よ。好きにしたらよい」
にやりと笑ったクロエを一瞥し、ベアトリクスとミカエルはその場を後にした。
ルシファーは二人が廊下を曲がるまで背中を見送り、そしてクロエに向き直る。
「一般人に手を出すなんて。師匠らしくないことを」
ミカエルの衣類は焦げていたし、状況から考えてクロエにやられたのだろう。そしてベアトリクスと睨みあうという状況も異常だった。なにかに興味を示すことが乏しいクロエがこのように派手にやり合うという場面は初めて見た。
「久方ぶりに面白い人間に会ったのでの。つい興が乗ってしまった」
ああそうだ、とルシファーは思い出す。このひとは『面白いかどうか』が全ての基準になるのだと。怒りや悲しみ、そういった感情は長い時の流れと共に全て欠落し、自分を楽しませるものにしか気持ちを動かされないのだ。
「ああ、そうじゃ。そなたの呪い、完全に解いてやってもよいぞ」
「えっ!?」
驚く弟子を前にしてクロエは笑う。久しぶりに賑やかな時間を過ごしたので、どこか良い気分だった。気まぐれに弟子に優しくしてやってもよいかと思ったのだ。
「もちろん交換条件があるがの」
「教えてくれ」
元の姿に戻り、ベアトリクスと共に生きていきたい。それがルシファーの望みだ。師匠がこんなに優しいのは怪しさしかないが、解いてくれるというなら乗らない手はない。
しかし――耳打ちされた内容を聞いて、彼は大きなため息をついたのだった。
◇
「ミカエル様。申し訳ございません。わたくしのせいでお怪我をさせてしまって」
帰りの馬車の中でベアトリクスは頭を下げた。向かい側に座るミカエルはいやいや、と紳士的に手を振る。
「高難度のクエストだとこの程度では済みませんから、お気になさらないでください。大魔法使いと対峙するなんて滅多にできませんし、かえっていい経験をさせていただきました」
「……ミカエル様はお優しいですね。屋敷に帰ったら手当てをさせてくださいませ」
ベアトリクスが眉を下げる。何かまだ言いたそうだったが、あまり言っても困らせやしないかと思案しているような様子が読み取れた。
そんな彼女の表情を見てミカエルはふっと笑う。
「……いえ。わたしは優しくはないのですよ。数年前まではほんとうにろくでもない男でした」
「ミカエル様が、ですか」
「ええ」
意外だ、という表情を受けて彼は苦笑する。
「わたくしも、ポイ捨てをしてあなた様に注意されたことがあったでしょう?」
「ええ、まあ……。でもそれは、こう言っては何ですけれど、よくあることですわ」
グラディウス王国は血気盛んな国民性で飲み屋街も多い。ポイ捨てなど日常的に行われているのだ。ポイ捨てをするから自分はろくでもない、と自己評価するのは少々大げさである。
「わたしが捨てていたのはゴミだけではないのですよ。多くの人の心を汚し、そして捨ててきたのです」
弟や妹たちを養うために無我夢中で飛び込んだ冒険者の世界。必死に剣を振るっているうちにランクは上がり、そして近づいてくる人間も増えた。
その多くは善良な取引先や勇猛果敢な仲間だったが、なかにはミカエルから利を得て利用するような腹の黒い者もいた。田舎から出てきた戦いしか知らぬ少年の心が傷つき、仄暗さを孕むようになるまでに時間は掛からなかった。
「清廉な心を保てなかったのはわたしの弱さです。そんな自分に失望しながらも、どうすることもできなかった」
表向きには国民的冒険者。しかしその裏では裏社会に身を置き、女を侍らせ、違法なことにも手を染めた。かつて自分を助けてくれた者を陰で裏切り、自分を慕う純粋な女性を利用した。
こんなことではいけないと、心のどこかで思っていた。けれども底なし沼にはまった両足はあがけばあがくほど呑み込まれ、自分の力では抜け出すことができなかったのだ。
「ベアトリクス様、あなたに出会ってわたしは変われたのです」
突如現れたゴミ屋敷令嬢という存在は、強く清らかな力で自分を沼から引っ張り出した。その瞬間から世界が明るく感じられ、吸い込む息がとても新鮮に感じられた。
彼女と共にあれば自分はきっともう一度やり直せる、という直感は正しかった。それからミカエルは全ての悪い関係を断ち切り、なりたかった自分として生きることができている。
「申し訳ないのですが、全く心当たりがございませんわ」
「ええ。いいのですよ。あなたはそういうお方なのでしょう。さあ、もうすぐお屋敷に到着しますよ」
困惑するベアトリクスの頭を優しく撫で、ミカエルは満足気に笑うのだった。
「何があったのか知らないが。ベアトリクスには手を出さないでくれ、師匠」
弟子の登場にクロエは少しだけ緊張を緩める。少年の姿に変えたはずが、なぜか青年の姿をしている弟子に問いかける。
「相変わらず生意気な弟子よ。しておぬし、その姿は」
「解術には至らなかったが、少し時を進めることには成功した」
つまり、本来のルシファーは二十歳であるが、これは十七歳程度の姿ということらしい。近頃部屋に籠ってなにか作業をしていたのは解呪薬を作っていたためだった。完全に呪いを解くことはできないが、呪いを中和し効力を弱めるということを、彼はずっと試していたのだ。
「おいミカエル。ぼうっとしていないでベアトリクスを安全なところへ」
「はっ、はい。って、わたしに指図をしないでいただけますか」
ベアトリクスの背に手を当て退路へ誘導するミカエル。しかし彼女は床に落ちたローブをさっと拾い、クロエに突き付けた。
「お持ち帰りになってくださいませ」
「まだ言うか。それはもう着ぬし、我は一度落ちたものは拾わない」
挑発するような物言いに唇を噛んだベアトリクスだったが、相手は大魔法使いだ。これ以上の説得は無理だと判断したらしい。
「では、これはわたくしが拾いますわ。リサイクルいたします」
「大魔法使いの衣をリサイクルするか。ほんとうに愉快な娘よ。好きにしたらよい」
にやりと笑ったクロエを一瞥し、ベアトリクスとミカエルはその場を後にした。
ルシファーは二人が廊下を曲がるまで背中を見送り、そしてクロエに向き直る。
「一般人に手を出すなんて。師匠らしくないことを」
ミカエルの衣類は焦げていたし、状況から考えてクロエにやられたのだろう。そしてベアトリクスと睨みあうという状況も異常だった。なにかに興味を示すことが乏しいクロエがこのように派手にやり合うという場面は初めて見た。
「久方ぶりに面白い人間に会ったのでの。つい興が乗ってしまった」
ああそうだ、とルシファーは思い出す。このひとは『面白いかどうか』が全ての基準になるのだと。怒りや悲しみ、そういった感情は長い時の流れと共に全て欠落し、自分を楽しませるものにしか気持ちを動かされないのだ。
「ああ、そうじゃ。そなたの呪い、完全に解いてやってもよいぞ」
「えっ!?」
驚く弟子を前にしてクロエは笑う。久しぶりに賑やかな時間を過ごしたので、どこか良い気分だった。気まぐれに弟子に優しくしてやってもよいかと思ったのだ。
「もちろん交換条件があるがの」
「教えてくれ」
元の姿に戻り、ベアトリクスと共に生きていきたい。それがルシファーの望みだ。師匠がこんなに優しいのは怪しさしかないが、解いてくれるというなら乗らない手はない。
しかし――耳打ちされた内容を聞いて、彼は大きなため息をついたのだった。
◇
「ミカエル様。申し訳ございません。わたくしのせいでお怪我をさせてしまって」
帰りの馬車の中でベアトリクスは頭を下げた。向かい側に座るミカエルはいやいや、と紳士的に手を振る。
「高難度のクエストだとこの程度では済みませんから、お気になさらないでください。大魔法使いと対峙するなんて滅多にできませんし、かえっていい経験をさせていただきました」
「……ミカエル様はお優しいですね。屋敷に帰ったら手当てをさせてくださいませ」
ベアトリクスが眉を下げる。何かまだ言いたそうだったが、あまり言っても困らせやしないかと思案しているような様子が読み取れた。
そんな彼女の表情を見てミカエルはふっと笑う。
「……いえ。わたしは優しくはないのですよ。数年前まではほんとうにろくでもない男でした」
「ミカエル様が、ですか」
「ええ」
意外だ、という表情を受けて彼は苦笑する。
「わたくしも、ポイ捨てをしてあなた様に注意されたことがあったでしょう?」
「ええ、まあ……。でもそれは、こう言っては何ですけれど、よくあることですわ」
グラディウス王国は血気盛んな国民性で飲み屋街も多い。ポイ捨てなど日常的に行われているのだ。ポイ捨てをするから自分はろくでもない、と自己評価するのは少々大げさである。
「わたしが捨てていたのはゴミだけではないのですよ。多くの人の心を汚し、そして捨ててきたのです」
弟や妹たちを養うために無我夢中で飛び込んだ冒険者の世界。必死に剣を振るっているうちにランクは上がり、そして近づいてくる人間も増えた。
その多くは善良な取引先や勇猛果敢な仲間だったが、なかにはミカエルから利を得て利用するような腹の黒い者もいた。田舎から出てきた戦いしか知らぬ少年の心が傷つき、仄暗さを孕むようになるまでに時間は掛からなかった。
「清廉な心を保てなかったのはわたしの弱さです。そんな自分に失望しながらも、どうすることもできなかった」
表向きには国民的冒険者。しかしその裏では裏社会に身を置き、女を侍らせ、違法なことにも手を染めた。かつて自分を助けてくれた者を陰で裏切り、自分を慕う純粋な女性を利用した。
こんなことではいけないと、心のどこかで思っていた。けれども底なし沼にはまった両足はあがけばあがくほど呑み込まれ、自分の力では抜け出すことができなかったのだ。
「ベアトリクス様、あなたに出会ってわたしは変われたのです」
突如現れたゴミ屋敷令嬢という存在は、強く清らかな力で自分を沼から引っ張り出した。その瞬間から世界が明るく感じられ、吸い込む息がとても新鮮に感じられた。
彼女と共にあれば自分はきっともう一度やり直せる、という直感は正しかった。それからミカエルは全ての悪い関係を断ち切り、なりたかった自分として生きることができている。
「申し訳ないのですが、全く心当たりがございませんわ」
「ええ。いいのですよ。あなたはそういうお方なのでしょう。さあ、もうすぐお屋敷に到着しますよ」
困惑するベアトリクスの頭を優しく撫で、ミカエルは満足気に笑うのだった。
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