ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!

優月アカネ@note創作大賞受賞

第三十三話

「二度は言わぬ。呪いを解いたならルシファーの身柄は引き渡してもらう。おぬしのところにいるのは知っているぞえ」
「身柄、ですか」
「再び我から逃げ出さぬよう、厳しく躾ける必要がある」

 地を這うような低い声に、ぴんと周囲の空気が張り詰める。
 口角は上がっているが、目は笑っていない。周囲の温度が一気に降下したように感じてベアトリクスは身を固くする。

(呪いを解いてくださるのはありがたいけれど、身柄について勝手に約束するのはまずいわよね。厳しく躾けるとおっしゃっているし、これはルシファーにとって良いことなのか悪いことなのか分からないわ)

 沈黙して逡巡している様子を見て、クロエはそれを否と受け取ったようだった。

「娘よ。おぬしはまだまだじゃな。我は二度も機会を与えない。我を相手に悩むなど千年早いわ」

 そう告げて、彼女は視線をベアトリクスから外して進行方向に向ける。もう用はないとばかりに歩き出した。

「あっ! お待ちください!」

 ベアトリクスは去ろうとするクロエのローブの裾に思わず触れてしまった。
 刹那、深紅の瞳が見開かれ、背筋が凍るような低い声が鼓膜を揺らす。

「無礼者! 気安く我に触れるでない!!」

 その言葉は呪文となり、空には瞬く間に暗雲が立ちこめる。真っ黒な雲からは眩しい雷が走り、激しい豪雨が地を打ち付ける。暴風によってベアトリクスの髪はほどけて宙に舞うが、クロエのそれは凪いだ海のように背に流れている。

「申し訳ございません! 申し訳ございません!!」

 今更頭を床に擦り付けてももう遅いのだと、彼女の本能は気が付いていた。

(大魔法使い様のお怒りに触れてしまった! ああ、わたくしったら。なんということをしてしまったの)

 このお方の行動を人間の物差しでどうこうしようとした自分が愚かだった。いや、ひとえに自分の考えが甘かったのだ。最初から最後まで全て――――。
 クロエが手のひらを上に向ける。その中には天から雷が走っており、この後しようとしていることは一目瞭然だった。

「ゴミ屋敷令嬢よ。そなたのような珍奇な存在、ほんの一瞬ではあるが興をそそられたぞえ」

 それもこれまでよ、と続けてクロエは感情のない目でベアトリクスを見下ろした。
 バリバリと音を立てて雷が走る手を振り上げ、そして彼女に向かって振り下ろす――――
 ベアトリクスは反射的にぎゅっと目をつむった。

「ベアトリクス様!!!!」
「……!?」

 SS級をしめす白い冒険者服が宙に踊る。クロエの背後から大きく跳躍し、あっという間に抜剣して雷を受け流したのは――

「みっ、ミカエル様!?」

 驚くベアトリクスを背に囲い、ミカエルは堂々とクロエと対峙した。

「ベアトリクス様、お逃げください。わたくしはそれなりに強いですが、大魔法使いが相手では数分しか稼げません」
「で、でも」
「いいから早く! 大丈夫、死んだりはしませんから」

 ベアトリクスと話しながらも視線はクロエに据え置いたままだ。
 突然の冒険者の登場に、なぜかクロエは楽しそうである。

「銀髪の冒険者よ。我を相手に数分持ちこたえると申したか? 面白い。試してみようではないか」

 そう宣言して、今度は手のひらに大きな火球を作り出した。それは瞬き一つの間にいくつもの小さな火の玉に分かれ、ミカエルに向かって襲い掛かる。

「くっ!!」

 避けるとベアトリクスに直撃してしまう。可動域が極端に狭められたミカエルは、防御したもののいくつかの火球を被弾した。

「ミカエル様っ!!」
「早く、お逃げを」

 焦げた匂いが鼻を突く。冒険者服に滲む赤を見て、ベアトリクスは自分が情けなくてたまらなかった。

(わたくしのせいでミカエル様を巻き込み、お怪我までさせてしまった)

 あまりに無責任で無計画だったと思う。自分のせいでこのようなことになってしまったのだから、彼をおいて逃げるなどできるはずもなかった。
 クロエが次々と放つ魔法を受けるミカエル。防戦一方に見えたが、そこは国の英雄SS級冒険者。隙を突いた一撃がたなびくローブを貫いた。

「ほう?」

 身体に傷をつけることはできなかったが、ローブのマント部分には穴があいた。クロエは怒るわけでもなく、いっそう愉快気な表情をたたえていた。

「おぬしと我が弟子ルシファーでは、どちらが強いのであろうか。面白い。名はなんと言う?」
「あの者と比較されるのは不本意ですが。わたくしはミカエルと申します」
「ミカエルか。我が衣に傷をつけたのはおぬしが初めてじゃ」

 そう言うと、クロエは穴があいたローブをゆっくりと脱ぎ捨てる。ローブの下に来ていたのはたっぷりとフリルがあしらわれた漆黒のワンピースだ。
 コツコツと真っ赤なハイヒールのかかとを鳴らしミカエルとの距離を詰める。そして身の毛もよだつような恐ろしい声を出した。

「ミカエル。我はもう手加減は――」
「あのー、クロエ様?」

 クロエより低く仄暗い声がその名を呼んだ。それは令嬢らしい鈴を転がすような音である一方、吹き荒れる嵐よりも暴力的な感情を孕んでいた。
 少し俯いたベアトリクスがゆらりと立ちあがる。

「そのローブ。今、お捨てになったのでしょうか」
「見ての通り穴があいたのじゃ。我はもう着ぬ。下らぬことで話しかけるな」

 ふんと鼻を鳴らし、瞬時にベアトリクスへの興味を失うクロエ。しかし次の瞬間、彼女の視界がぐらついた。

「!?」

 状況を理解できぬまま傾いてゆく世界。足払いを掛けられて倒れたのだと気が付いたのは数秒後のことだった。
 千年近く生きてきて、初めて冷たい床に頭を打ち付ける。

「ポイ捨てはいけませんわ。いくら大魔法使い様といえども見過ごせませんことよ」

 自身の目の前に仁王立ちする令嬢。先ほどまではごく普通の娘であったのに、今やその覇気は自分と同等のものに感じられた。
 加えて、攻撃に対応できなかったことも初めての経験だった。自分の間合いまで接近されたことにも気が付かなかったし、足払いを感知することもできなかった。一連の動作は瞬き一つするより何倍も速かったのだ。

「ほほう。これがゴミ屋敷令嬢の本性じゃな」

 転ばされたというのにやはりクロエは怒らない。目の前の令嬢が心底面白いといった様子で立ち上がる。

「ローブはお持ち帰りくださいませ。ご自宅のゴミ箱にお捨てになって」

 なぜか恍惚とした表情を浮かべるミカエルを背に庇い、彼女は前に進み出る。

「我に命令をするのか? 大した娘ぞえ」
「命令だなんて。滅相もございませんわ」
「拾わないと言ったらどうするのじゃ?」

 からかうような問いかけに、ベアトリクスの目がギラリと光る。

「その場合は、容赦は致しません」
「我とやりあうつもりか? 命知らずな娘よ」

 二人の間でバチバチと殺気がぶつかり合う。まさに一触即発というその時、新たな人物が現れた。

『ベアトリクス! 師匠!! 何をしているんだ!?』

 嵐の中から廊下に突っ込んできた大きな鷲。それは見る間に姿を変え、第四王子ルシファーへと姿を変える。その姿は新月ではないのに、青年の姿をしていた。

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