ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!
第三十二話
廊下に出たベアトリクスはふうと肩で息をついた。
(アプレディオ侯爵令嬢のおかげで助かったわ)
自然な形でミカエルと離れ、単独行動をするきっかけになった。ドレスに染みはできてしまったものの、もう二度と着る機会のないものだし、手を加えてポーチやクロスにでもすれば無駄にはならないだろう。
(さあ、あまり時間はないわ。お手洗いに寄ったらクロエ様を探しに行きましょう)
扉の向こうからは我先にとミカエルに話しかける黄色い声が聞こえる。しばらくは令嬢たちに捕まっているだろうが、戻りが遅いと心配をかけてしまうだろう。
◇
――と思ったのだが。
「えっと……ここはどこかしら??」
滅多に王城に来ることがない――正確に言えば三回しか訪れたことのないベアトリクスは、お手洗いを探しているうちに自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
つまり、迷子である。
舞踏会の賑やかな声はいつの間にか遠く離れ、しんと静まり返った廊下が伸びるばかり。外は木々が生い茂っていて、目印になるような建物も見つけることができない。
「見回りの騎士たちが見当たらないということは、使用人のスペースにでも来てしまったのかしら。けれど、それにしては上質な空間よね」
月明かりが薄暗く射し込むのみではあるが、ぼんやりと照らされる床は白い大理石である。等間隔に配置された柱には芸術的な彫刻が施され、脳筋王と高名な現王の趣味とは思えなかった。
きょろきょろと辺りを見回し、彼女は呟いた。
「きっとここは客人が滞在する区画なのだわ」
「その通りじゃ」
「!?」
突然の声に驚き振り返る。
廊下の奥、暗がりの中からゆらりと人影が現れた。決して近い距離ではないのに、やや低めの声はよく廊下に響いた。
「あ、あなた様は……っ」
言葉を失うベアトリクス。
相手は音もなく距離を詰め、浮かび上がったその姿は。
「我はクロエ。クロエ・サラザールじゃ。ゴミ屋敷令嬢よ」
小柄な体に不釣り合いなほどの、豪奢でゆったりとしたローブ。それは大魔法使いであることをしめす夜空のような群青色で、特徴的な金糸の刺繍が施されている。
鮮血のように赤い瞳は噂で耳にしていた通りのもので、見る者を必然的に委縮させた。床まで伸びる長い髪は根本は漆黒ながら途中から限りなく白に近い銀色に変化している。見たこともない珍しい色彩だった。
目の前の人物こそが月の大魔法使いクロエ。そのことを呑み込むのに少々時間を要したものの、はっと我に返ったベアトリクスは即座に膝を折り顔を下に向ける。
「だっ、大魔法使い様に拝謁いたします!!」
頭上でくすりと鼻を鳴らす小さな音が聞こえた。
「一度、おぬしを見てみたいと思っていた。ゴミ屋敷に住まう令嬢など、長く生きているが聞いたこともなかったからのう」
その言葉が終わると同時に、なにか強い力でベアトリクスの顔がぐんと上に向けられる。
はっと目を見開いてクロエを見上げると、彼女は人差し指を上に向けていた。
(魔法のお力で……?)
ぐぐぐ、と顎に力を入れるも自分の意思で動かすことはままならない。大魔法使いとは指をほんの少し動かすだけで人を意のままに操ることができるのだ。
鮮血のような瞳はルビーのように美しいが、ひとつも感情らしい色を浮かべていなかった。虚無、という表現が近い。
「……ふん」
数秒間ベアトリクスを見つめたのち、唐突に魔法が解かれる。がくりと体勢を崩した彼女を気に留めることなく、クロエはその横を通り過ぎた。
「舞踏会に戻るがよい。銀髪の冒険者がおぬしを探しておるぞ」
なぜ分るのか。どうして自分がゴミ屋敷令嬢だと見抜いたのか。疑問はいくつも頭に浮かんだが、全てを抑え込みベアトリクスは去り行く衣擦れの音を追いかけた。今宵はルシファーの件を嘆願するために来たのだから。
「お、お待ちくださいクロエ様!」
頭を下げたまま体の向きを変える。そろりと視線を上げると、片眉を上げたやや不機嫌な顔が目に入る。
「我はもう、おぬしに用はない」
容赦のない冷たい声だった。
心が折れそうになるが、必死で自分を奮い立たせる。
「あ、あのっ。ルシファー殿下のことでお願いがございます!」
「……我が弟子の?」
クロエの動きが止まる。興味を引いたようだった。
「はい。ルシファー殿下の呪いを解いてはいただけないでしょうか? クロエ様が魔法をおかけになったと聞き及んでおります」
「……ほう。して、おぬしは代わりに何を差し出すというのじゃ?」
「えっ……」
自分に差し出せるものなどひとつしかない。
「えっと。ご、ゴミを。お好きなだけ」
「要らぬ」
ぴしゃりとはねつけるクロエ。
「なんの益もない話を我が受けると思うのかえ? 困った娘よ」
「し、しかし。このままではルシファー殿下があまりに可哀相で……」
己の力量では呪いを解くことができないと言っていた。ずっとこのまま少年の姿で過ごすというのはあまりに酷だ。
そもそも面白半分でかけられた呪いだという。クロエならば解くのも簡単にできるのだろうから、彼の苦境を伝えれば応じてくれるのではないかとベアトリクスは考えていた。
しかし、それは甘い考えだったと言わざるを得なかった。
相手の嘆願に絆されるような人物は、最初から呪いなどかけないのである。
「知らぬ。ルシファーが自分でどうにかするだろうよ」
「ルシファー殿下は、自分では解けないと」
「ほう?」
クロエは初めて面白そうな表情を浮かべ、含み笑いを浮かべた。
「……そうじゃのう。では、呪いを解く対価として、ルシファーを貰おう」
「えっ?」
冗談かと思ったが、深紅の瞳は笑ってはいなかった。
(アプレディオ侯爵令嬢のおかげで助かったわ)
自然な形でミカエルと離れ、単独行動をするきっかけになった。ドレスに染みはできてしまったものの、もう二度と着る機会のないものだし、手を加えてポーチやクロスにでもすれば無駄にはならないだろう。
(さあ、あまり時間はないわ。お手洗いに寄ったらクロエ様を探しに行きましょう)
扉の向こうからは我先にとミカエルに話しかける黄色い声が聞こえる。しばらくは令嬢たちに捕まっているだろうが、戻りが遅いと心配をかけてしまうだろう。
◇
――と思ったのだが。
「えっと……ここはどこかしら??」
滅多に王城に来ることがない――正確に言えば三回しか訪れたことのないベアトリクスは、お手洗いを探しているうちに自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
つまり、迷子である。
舞踏会の賑やかな声はいつの間にか遠く離れ、しんと静まり返った廊下が伸びるばかり。外は木々が生い茂っていて、目印になるような建物も見つけることができない。
「見回りの騎士たちが見当たらないということは、使用人のスペースにでも来てしまったのかしら。けれど、それにしては上質な空間よね」
月明かりが薄暗く射し込むのみではあるが、ぼんやりと照らされる床は白い大理石である。等間隔に配置された柱には芸術的な彫刻が施され、脳筋王と高名な現王の趣味とは思えなかった。
きょろきょろと辺りを見回し、彼女は呟いた。
「きっとここは客人が滞在する区画なのだわ」
「その通りじゃ」
「!?」
突然の声に驚き振り返る。
廊下の奥、暗がりの中からゆらりと人影が現れた。決して近い距離ではないのに、やや低めの声はよく廊下に響いた。
「あ、あなた様は……っ」
言葉を失うベアトリクス。
相手は音もなく距離を詰め、浮かび上がったその姿は。
「我はクロエ。クロエ・サラザールじゃ。ゴミ屋敷令嬢よ」
小柄な体に不釣り合いなほどの、豪奢でゆったりとしたローブ。それは大魔法使いであることをしめす夜空のような群青色で、特徴的な金糸の刺繍が施されている。
鮮血のように赤い瞳は噂で耳にしていた通りのもので、見る者を必然的に委縮させた。床まで伸びる長い髪は根本は漆黒ながら途中から限りなく白に近い銀色に変化している。見たこともない珍しい色彩だった。
目の前の人物こそが月の大魔法使いクロエ。そのことを呑み込むのに少々時間を要したものの、はっと我に返ったベアトリクスは即座に膝を折り顔を下に向ける。
「だっ、大魔法使い様に拝謁いたします!!」
頭上でくすりと鼻を鳴らす小さな音が聞こえた。
「一度、おぬしを見てみたいと思っていた。ゴミ屋敷に住まう令嬢など、長く生きているが聞いたこともなかったからのう」
その言葉が終わると同時に、なにか強い力でベアトリクスの顔がぐんと上に向けられる。
はっと目を見開いてクロエを見上げると、彼女は人差し指を上に向けていた。
(魔法のお力で……?)
ぐぐぐ、と顎に力を入れるも自分の意思で動かすことはままならない。大魔法使いとは指をほんの少し動かすだけで人を意のままに操ることができるのだ。
鮮血のような瞳はルビーのように美しいが、ひとつも感情らしい色を浮かべていなかった。虚無、という表現が近い。
「……ふん」
数秒間ベアトリクスを見つめたのち、唐突に魔法が解かれる。がくりと体勢を崩した彼女を気に留めることなく、クロエはその横を通り過ぎた。
「舞踏会に戻るがよい。銀髪の冒険者がおぬしを探しておるぞ」
なぜ分るのか。どうして自分がゴミ屋敷令嬢だと見抜いたのか。疑問はいくつも頭に浮かんだが、全てを抑え込みベアトリクスは去り行く衣擦れの音を追いかけた。今宵はルシファーの件を嘆願するために来たのだから。
「お、お待ちくださいクロエ様!」
頭を下げたまま体の向きを変える。そろりと視線を上げると、片眉を上げたやや不機嫌な顔が目に入る。
「我はもう、おぬしに用はない」
容赦のない冷たい声だった。
心が折れそうになるが、必死で自分を奮い立たせる。
「あ、あのっ。ルシファー殿下のことでお願いがございます!」
「……我が弟子の?」
クロエの動きが止まる。興味を引いたようだった。
「はい。ルシファー殿下の呪いを解いてはいただけないでしょうか? クロエ様が魔法をおかけになったと聞き及んでおります」
「……ほう。して、おぬしは代わりに何を差し出すというのじゃ?」
「えっ……」
自分に差し出せるものなどひとつしかない。
「えっと。ご、ゴミを。お好きなだけ」
「要らぬ」
ぴしゃりとはねつけるクロエ。
「なんの益もない話を我が受けると思うのかえ? 困った娘よ」
「し、しかし。このままではルシファー殿下があまりに可哀相で……」
己の力量では呪いを解くことができないと言っていた。ずっとこのまま少年の姿で過ごすというのはあまりに酷だ。
そもそも面白半分でかけられた呪いだという。クロエならば解くのも簡単にできるのだろうから、彼の苦境を伝えれば応じてくれるのではないかとベアトリクスは考えていた。
しかし、それは甘い考えだったと言わざるを得なかった。
相手の嘆願に絆されるような人物は、最初から呪いなどかけないのである。
「知らぬ。ルシファーが自分でどうにかするだろうよ」
「ルシファー殿下は、自分では解けないと」
「ほう?」
クロエは初めて面白そうな表情を浮かべ、含み笑いを浮かべた。
「……そうじゃのう。では、呪いを解く対価として、ルシファーを貰おう」
「えっ?」
冗談かと思ったが、深紅の瞳は笑ってはいなかった。
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