ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!

優月アカネ@note創作大賞受賞

〈閑話〉SS級冒険者ミカエル(後)

 背後から、ぶわっと殺気が膨らんだ。

『!?』

 反射的に剣を抜き構えるミカエル。
 酒瓶やゴミ、酔っ払いが転がる汚い裏路地。コツコツとハイヒールが地面を打つ音が響き渡る。

『ミカエル様? 今、何か捨てたように見えたのですが。わたくしの見間違えでしょうか?』

 こちらに距離を詰めてくるのは、黒竜にも負けず劣らずの殺気を飛ばす貴族令嬢だ。
 心底見下したというような軽蔑の色が、美しい青い瞳に浮かぶ。先ほどまで浮かんでいたミーハーな感情は一切排除され、まるでゴミでも見つめるかのような冷淡な瞳だった。

 ぞくぞくっと背筋に震えが走った。

 こんな目で見られたの、初めて――。

 二十数年生きてきて初めて感じる感情が胸から迸る。ああ、何だこの感覚は。
 喜びにも似たこの感覚に打ち震えながら、ミカエルは返事をする。

『――た、煙草を』

 情けないことに声も震えた。
 どんな強敵を前にしても心がぶれることはなかった。しかし今はどうだろう。この悪魔のような令嬢に心をかき乱されている。
 快感で膝から崩れ落ちそうになるのを必死にこらえ、足の裏で地面を踏みしめる。

『ポイ捨ては、いけませんわねえ……』

 紅い舌が、形の良い唇からチロリと覗く。その仕草にたまらなくそそられた。
 ベアトリクスは不敵な笑みを浮かべながらミカエルとの距離を詰めていく。
 じりじりと追い詰められ、ミカエルの背中が壁にぶつかった。

 彼女からふわりと香る花のような甘い香りに、脳が麻痺していく。

『わ、わたしをどうしようと――』

 自分よりずっと小さく、年下であろう令嬢に追い込まれている。
 だのに、ミカエルは剣を持つ手を動かすことができない。
 自分はどうなってしまうんだろう? 圧倒的な喜びと一つまみの恐怖が彼の脳を興奮させる。

 ほとんど目と鼻の先に迫った令嬢は、軽蔑のまなざしのまま口を歪める。

『簡単ですわよ、ミカエル様』

 青い瞳に映る自分の顔と目が合った時、ミカエルのつま先に激痛が走る。

『――ッ!?』

 足元に目をやると、銀色の棒が右足に突き刺さっている。
 何の武器だこれは――? いや、火ばさみか?
 痛みよりも疑問と快感が上回り、それでもミカエルはされるがままになっていた。

『拾ってくださいますか。た・ば・こ』

 耳元で囁かれたその言葉に、ビクッと身体が反応する。
 まるで電流が身体を駆け抜けているようだ。ミカエルは怖いぐらい幸せだった。

『うああっ!!?』

 呆けていると今度は左足に激痛が走る。
 脂汗が吹き出すなか足元を見ると、ハイヒールで踏みつけられていた。
 ぐりぐりと小さな足を左右に動かしながら、ベアトリクスは低い声を出す。

『聞こえませんでしたの? 拾わないのでしたら、ミカエル様といえど容赦しませんわよ』

 容赦、しないでほしい――――。

 そう叫び出したい気持ちを抑え、ミカエルは火ばさみをブーツから引き抜く。
 視界の隅で転がっている酔っ払いが起き上がりそうだったので、さすがにこの状況を見られるとまずいと思ったからだ。

 ふらふらと路地に出て先ほど放った煙草を拾い、ベアトリクスが差し出した麻袋に入れた。
 途端、殺気が一瞬で離散する。

『ありがとうございます。もうポイ捨てしちゃだめですわよ!』

 そう爽やかに笑って、令嬢はそそくさと去っていった。

 がくりと地面に膝をつくミカエル。クエストで一週間寝られなかったときのように全身が脱力していた。
 あまりに衝撃的な出来事だった。ベアトリクスという令嬢は一体何者なのか――?

 転がっている酔っ払いを叩き起こして問いただすと、どうやらベアトリクス・フォン・ブルグントという令嬢は「ゴミ屋敷令嬢」と呼ばれる有名人のようだった。ミカエルが長期クエストに出ている間に呪いを受けたため知らなかったのだ。

『ゴミ屋敷令嬢、ですか。――面白いですね』

 その名を口にすると、ぶるりと身体が震える。
 両腕を抱きしめながら喜びに身を任せるミカエルに、朝日が神々しく降り注いだ。

 ――この日を最後にミカエルは裏社会から足を洗った。女も酒もやめて、暇さえあればベアトリクスの付近をうろつくようになった。
 彼女に対する歪な感情を胸に、少しでも構ってもらおうと彼は今日も奮闘しているのである。

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